13・続元聖女さま、痩せてください!
「ブー、ディアモンさまのお宅よ」
東屋の長椅子に腰かけて、コライユは箱の蓋を開いた。
眼前には池があり、水気を含んだ心地良い風が吹いてくる。
水面は蓮の葉で覆われていた。花は咲いていない。
(夏に咲く花だと聞いていたけれど、開く時間が決まっているのかしら)
ブラン家に蓮があるとは知らなかった。
いつかこの泥色の小鳥に蓮の花を見せたい。コライユ自身も見てみたかった。
ぴ?
「……」
ブーが首をかしげたのは、ブラン家の兄弟が怪訝そうな顔で見つめているからだろう。
もしかしたら、ふたりがそっくりなので驚いているのかもしれない。
「ディアモンさま、ロッシュさま、どうなさいましたか?」
「姉上、珍しい鳥ですね。俺、初めて見ます」
「え、そうですか? よく道で木の実をつついていますよ?」
「……コライユ殿」
「ディアモンさま?」
彼は青ざめた顔をしていた。藍色の瞳が薄く潤んでいるようだ。
「前の鳥は、もういないのだな。悲しいのはわかるが、同じ名前をつけるのはどうかと思う。新しい鳥はべつの鳥なのだから」
「前と同じ鳥ですよ?」
ディアモンは両手を回転させて、円を描く。
「しかし、こう、前の鳥はまだ鳥だったけれど、この鳥はもうべつの生きものというか……」
「この子は鳥ですらないのですか?」
兄よりも明るい色の瞳を丸くするロッシュに、コライユはようやく事情を理解した。
「違います。……ブーは太っただけなんです」
背後に立つフェールが大仰な溜息の後で補足する。
銀髪の執事には、もう泥色の小鳥の正体は教えていた。
「婚約者さま、弟君、今日この鳥を連れてきたのは、おふたりにお見せしたかったというのもありますが、一羽で留守番させると籠を勝手に抜け出して、つまみ食いするからでもあるのです」
ぴっぴ、ぴぴっぴー。
元聖女の小鳥は、人間の言葉などわからぬ振りをして歌い出す。
眉間に皺を寄せた兄弟の顔は、大きさ以外そっくりだ。
「元気ならいい……のか?」
「さすがにここまで太っていては、体に悪いと思います」
コライユは俯いた。恥ずかしくて顔が熱い。
「この子の足が悪いのは、拾ったとき、わたしが上手く助けられなかったからです」
聖女の力でも、彼女の役には立てなかった。
ぴいっ?
ブーが驚いたような声を上げる。
「思うように体が動かせないとき、食べることだけが楽しみなのも良くわかります」
コライユは特に喉が弱いので、体調が悪いと食べられなくなる場合も多い。
だからこそ、母が作ってくれたダイダイの砂糖漬けやフェールの心のこもった病人食が、嬉しくて美味しかった。
(人間用に料理したものは動物には良くないと聞くし、味や種類を工夫できないと量で満足させるしかなくなって)
「やっぱり甘やかしすぎでしょうか?」
「……姉上、小鳥を抱っこしてもいいですか?」
「ええ、もちろん良いですよ」
箱に手を伸ばしたロッシュは、ブーを抱き上げて顔色を変えた。
「重いです!」
ぴっ!
ブーは傷ついたような声を上げる。
「普通なら、コライユ殿の指にもとまれるくらいの大きさの鳥なのにな」
弟の手の中の小鳥を見つめ、ディアモンは深刻な顔になる。
ロッシュが兄に微笑んだ。
「でもこの子、翼は丈夫そうです。元気なほうの足も強い。自分で籠を開けて抜け出せるくらいですもんね」
「ああ、そうだな。太っていても元気なのが一番だな」
ぴぴぷ……。
不満げな小鳥の頭を撫でながら、ロッシュがコライユを見た。
「姉上。俺、思うんですけど、この子飛べるんじゃないでしょうか?」
「ロッシュさま?」
「飛ぶときに両足で足場を踏みしめて、跳躍しなくてはいけないのは知ってます。だから鳥が飛んだ後は、枝がしなるんですもんね。そこで、動かない足の代わりに人間が投げてあげたらどうでしょう?」
「ロッシュ、降りるときはどうするんだ」
「降下の速度を調節して、広くて柔らかい場所に降りれば大丈夫ですよ。自分で制御できるようになるまでは、俺が落下地点まで追いかけて受け止めます。あ、でも……そういうことを小鳥にわかってもらうのは大変かな? いきなり投げられたら怖いですもんね」
ぴぴっ!
ブーが鳴いた。これまでとは違う、これまでより大きな、強い意思を込めた声だ。
「あなた……飛びたいの?」
小鳥は真っ直ぐにコライユを見つめて、頷いた。
「賢い小鳥ですね、姉上」
「ああ、俺たちの会話を理解しているようだ」
「……」
事情を知るフェールは無表情だ。本当はいろいろ言いたいのだろう。
元聖女なんだから少しは節制しろとか、しゃべれないからって皮膚を噛みちぎるなとか──家ではいつも言っている。コライユ以外に対する銀髪の執事は、たとえ相手が元聖女でも容赦ない。
東屋の横には少し開けた空間があった。
敷布を広げて寝転んだりするために空けてあるのだという。
四人は東屋を出て、なにもない草むらに立った。
ブーをコライユに渡して、ロッシュが少し距離を取る。ディアモンも動いた。
「俺も補佐しよう」
「仕方がありませんね」
差しかけていた日傘を畳み、フェールも移動する。
コライユを頂点にして、しずく型の布陣ができ上がった。
「ブー……」
瞳を輝かせて、泥色の小鳥が首肯する。
コライユは怖かった。本当に大丈夫なのだろうか。変な風に投げてしまったらどうしよう。
だけど──
「行きますよ!」
ぴぴっ!
泥色の小鳥を空に放つ。
夏の陽光を浴びた翼が虹色に輝いている。
(……反動があることはわかってた。屋根の上を行く必要なんてなかった。だけど)
あの半月の夜、コライユは月の女神の加護を受け入れた。
最初で最後になったとしても、自由に動き回ってみたかったのだ。
そんなコライユに、ブーを止めることなどできない。
男たちが小鳥の飛翔を見守っている。
「ちゃんと飛べてますね」
「問題は降りるときですよ。私たちが……体勢が崩れました!」
「翼で支えきれないほど体が重かったんだ!」
「ブー!」
「ロッシュ、お前が近い!」
「任せてください!」
ロッシュは跳び上がってブーを受け止め、そのまま池に落ちた。激しい水しぶきが上がる。
水面が波立つ。蓮の葉の隙間から、細い腕が伸びる。
少年の手の中の小鳥は蓮の花のようだった、かもしれない。
ブーは全身をぷるぷるさせるだけで水分を飛ばせたが、ロッシュはそうはいかない。
ディアモンとフェールが着替えと体を拭く布を取りに行き、コライユたちは東屋に残った。
ふたり並んで長椅子に座り、コライユの膝の上の箱を見つめる。
飛んで疲れたのか、箱に戻した小鳥は眠り始めていた。
「姉上、この子はきっと飛べるようになりますよ」
「そうですね。ロッシュさまが思いついてくださったおかげです」
少年は、照れくさそうに頭をかいた。
濡れた服を脱いで上半身裸だが、気温が高いので風邪をひく心配はなさそうだ。
コライユと違い、ロッシュには体力もある。
「この鳥は頭がいいから、ちゃんと痩せて飛ぶのに慣れたら、受け取り手がいなくても大丈夫になるで……ふわあ」
水が滴る少年は、大きなアクビを漏らした。
「お疲れなんですね、ロッシュさま」
「ごめんなさい。実は昨日、姉上にお会いするのが楽しみで眠れなかったんです」
もう一度アクビをして、ロッシュはむにゃむにゃと言葉を続ける。
「だってあの、婚約者候補の方と一緒にいても貝拾いや鍛錬を始めると、相手の存在を忘れてしまう……俺も何度か忘れられたことのある……兄上が、十年間忘れられなかった女性なんですもの」
「え?」
聞き返したときにはもう、ロッシュはコライユの腕に小さな頭を預けて眠り始めていた。
どんなに顔がそっくりでも、彼は兄とは違う。
コライユの心臓が早鐘を打ち始めたのは、少年の額に貼りついた濡れた前髪のせいではない。
ディアモンが自分を覚えていて、しかも忘れられないでいたと言われたからだ。
(本当なの? もちろんロッシュさまが嘘を言う必要なんてないけれど、なにかの勘違いかもしれないわ。でも、でも……)
婚約者本人に確かめるのは怖かった。
違うと言われたら悲しいし、本当だと言われたら、嬉しくて心臓が弾けてしまうかもしれない。




