12・奥方さまは『紅玉の君』がお好き?
コライユと家族は馬車を降りた。
招待状を受け取ってから数日を経た、夏の昼下がりだ。
大きな館の玄関で、ディアモンを始めとするブラン家の面々が迎えてくれる。
「本日は、お招きありがとうございます」
当主に向けて、父のペルルがお辞儀をした。彼の前髪は、いつもより少しだけ巻いている。
「こちらへどうぞ。中庭にお茶会の準備をしておりますの」
ディアモンに似た大柄な男性の隣に立つ、穏やかそうな女性が先導する。
彼女のお腹は大きかった。聖女祭が終わるころ、ディアモンの弟か妹が生まれる予定だと聞く。
「コライユ殿」
大きな手を差し出されて、コライユは自分の手を預けた。
後ろに立つフェールが日傘を畳み、ひとり馬車へ戻っていく。
「髪飾り、つけて来てくれたんだな」
「は、はい。ありがとうございました。とっても気に入っています」
「良かった」
ディアモンの後ろから、ぴょこりと小さな影が現れた。コライユは目を丸くする。
「初めまして、コライユ姉上。次男のロッシュです」
彼は初めて会ったときのディアモンと同い年、顔もそっくりな九歳だ。
年の割に大きいほうだが、身長はまだ、コライユの胸くらいまでしかない。
(そういえば、貝殻が落ちて話が途切れてしまったけれど、ディアモンさまは十年前のことを覚えていらっしゃるのかしら)
ロッシュに挨拶を返して、ディアモンを見上げる。
視線に気づいた藍色の瞳が、優しく微笑む。
「どうした、コライユ殿」
「い、いいえ、その、おふたりがそっくりなので驚いて」
「よく言われます」
ロッシュは笑顔になった。兄のことが好きなのだろう。ディアモンが彼を見る瞳も優しい。
「ご兄弟は十歳ずつ違うんですね」
母、リュビの声に振り返る。彼女はディアモンの母と歓談していた。
対照的なふたりだ。
プルプル商会一の船乗りであるリュビは、背が高く筋肉質。
紅玉のような赤毛と整った顔立ちが美しいと名高い反面、女性的な丸みに欠ける。
太陽と潮風を浴びているせいか、声も女性にしては低かった。
一方ディアモンの母親、ブラン家の奥方は小柄だ。
お腹が大きいことで全体的に丸く見えるけれど、袖から見える腕は細い。
美しいというより可愛い顔立ちで、金色の巻き毛を揺らして小鳥のような声で笑う。
「このたびは、息子が失礼をいたしました」
「とんでもない。こんな素晴らしい青年に婚約していただいて、娘は幸せものです」
「そう言っていただけるとありがたい」
父親のほうも対照的だ。
約束もなく店に来て、いきなり借金を申し込んできたディアモンのことを謝っていた彼の父、先代の聖騎士であるブラン家の当主は、リュビが華奢に見えるほど大柄だ。息子のディアモンよりも背が高く、服の上からでも盛り上がった筋肉がわかる。顔立ち自体は息子たちとよく似ていた。
一方ペルルは背が低くて童顔。
プルプル商会とブラン家、どちらも凸凹夫婦なのだった。
それぞれの組み合わせで会話を楽しみながら、館の内部を通って中庭へ向かう。
奥方の趣味なのか、贅沢すぎず、質素すぎない落ち着いた雰囲気の室内には好感が持てる。
扉を開けて出た庭は、生い茂る緑によって夏の激しい陽光から守られていた。
しっとりした風が吹き、花の香りを運んでくる。
用意されていた椅子に腰かけたコライユに、フェールが日傘を差しかけた。
馬車を停めに行っていたはずなのに、いつの間に戻ってきたのか。
心地良い緑があっても、室内と比べると眩しいので、日傘の影がちょうどいい。
銀髪の執事の日傘を持っていないほうの手には、小さな箱が抱えられている。
並んだ椅子の中央に置かれた卓上には、小皿と杯、籐の籠が置かれていた。
ディアモンが籠を開けて、水差しと玻璃の瓶、続けて薄い焼き菓子を取り出す。
「今日のために俺が用意しました。お口に合えば良いのですが」
そう言って、リュビとペルルに頭を下げる。
「聖騎士さまのお手製とは嬉しいですな」
「おや、これは……」
リュビは、太陽の色をした瓶の中身の正体に気づいたようだ。
「はい。コライユ殿と一緒に作ったダイダイの砂糖煮です。俺なりに改良を重ねてみました。焼き菓子につけてお召し上がりください」
軽く塩を振った薄い焼き菓子は香ばしく、砂糖煮の味を際立たせた。
杯に注がれたダイダイ水の酸味が、さらに食を進ませる。
暗所に保管されていた水差しの中身は、ほど良い冷たさで喉を潤す。
リュビが頷く。
「美味しい。確かにこれは商売になりそうですね。砂糖煮なら保存も利くし」
「ほんのり残った苦味が良いですわ。これはコライユさまの発案なのですよね?」
コライユを見つめて奥方が微笑む。彼女もあまり元気なほうではないらしい。
「ええ。子どものころに母がダイダイの皮で砂糖漬けを作ってくれたんです。そのとき、舌に残った苦味が味わい深くて」
「……コライユ」
「はい、お母さま」
「あたしは早くに父親を亡くして、病床の母親を養うために、一年のほとんどを海で過ごして婚期を逃がしちまった。遅くに出産したから、お前には弟妹を与えてやれなかったけど、ブラン家と縁続きになれば家族が増える。あたしはそれが、とっても嬉しいんだよ」
「お母さま……」
「おっといけない。申し訳ございません、ブラン家のみなさまの前で乱暴な言葉遣いをして。娘はこんなことはございませんので、ご安心くださいませ」
実はそうでもない。
「気にしないでくださいませ、リュビさま。……ふふふ、覚えてらっしゃいません?」
「奥方さま?」
「ディアモンを身籠っていたころに私、リュビさまに助けていただいたことがありますの」
「えっ……? すみません、思い出せません」
「リュビさまは、ほかにもたくさんの人を助けていらっしゃいましたもの。あのころはまだ景気もそれほどではなかったので治安が悪くて、スリも強盗も多かったですし」
リュビとブラン家の当主が、同時に手を打ち合わせた。
「ああ、あのときのお腹の大きなお嫁さん」
「なんだ、紅玉の君は本当に女だったのか」
奥方が笑う。
「この人ったら、あなたを男性だと思い込んで嫉妬していたんですのよ」
「俺がいないときに奥を助けてくれたんだ、もちろん感謝はしていたさ。でもお前が、あんまりカッコ良かったカッコ良かったと言うものだから、女だったと言われても嫉妬してしまうだろうが。なあ、ペルル殿」
いきなり振られて、ペルルは引きつった笑みを浮かべた。
(もしかしたら、奥方さまを狙ったスリってお父さまだったのかも)
父は母に捕まえられて罪を償った後、行き場所がなかったので船員として雇われた。
リュビの夫となったのは、最初の航海から帰ったときにコライユができていたからだ。
罰は受けているものの、ブラン家に知られたら破談は間違いない。
(そうでなくても……)
コライユは、杯にダイダイ水のお代わりを注いでくれているディアモンを見つめた。
ダイダイの借金を返し終わっても、婚約を継続する気持ちが、彼にはあるのだろうか。
そしてなにより、十年前のことを覚えているのかを聞きたくてたまらなかった。
親たちが若いころの思い出話に興じ始めたので、コライユたちは席を外した。
ディアモンが、奥にある東屋へ案内してくれるという。
四人で花と石が飾られた道を歩いていく。砂糖漬けにしたのは、この花だろうか。
コライユの隣を歩くロッシュは、ちらちらと背後のフェールを振り向いていた。
「どうなさいましたか、ロッシュさま」
「申し訳ありません、姉上。我が家には使用人がいないので、つい」
執事が珍しいらしい。
ジョーヌ家ほどではないものの、ブラン家も噂ほど裕福ではなかった。
普段は使用人を置かず、お茶会や園遊会を開いて客を招くときは臨時で雇うのだ。その関係で例の仲介業者とつき合いがあり、結果ジョーヌ家との結びつきを作ってしまった。ディアモンがプルプル商会に金を借りてまでダイダイを買い取ったのは、その罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。
今日は将来の身内が客ということで、臨時の使用人もいなかった。
「それと……」
ロッシュは兄を見た。ディアモンもさっきからフェールに視線を送っている。
片手に日傘、片手に箱を持った銀髪の執事は涼しい顔だ。
箱は、ぴっぴと不満げな鳴き声を上げていた。今日は中のエサの量を少なめにしている。
「おふたりとも小鳥がお好きなんですか?」
「好きです!」
コライユの質問に、勢い込んでロッシュが頷く。
「小さい鳥も大きい鳥も好きです。それから犬や猫も好きです。兄上に神殿に連れて行ってもらったときは、馬にも乗せてもらっています」
ディアモンも藍色の瞳を輝かせて頷いた。
(ブーを連れてきて良かったわ)
コライユは微笑んだ。
小さい生き物を連れ回すのは心配だが、月の女神の加護を受けた聖女の力を試してから、彼女の食べる量は増えすぎていた。希望を与えてから打ち砕いて、傷つけてしまったのだ。
ディアモンやロッシュと会うことが気晴らしになるといいのだけれど、とコライユは思った。




