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ヘレナおばあさまはお見通し ~この婚約破棄、得したのは誰?~  作者: ソーカンノ


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第12話 『ヘレナおばあさまはお見通し』

 小鳥の囀りも疎らな、朝日差す早朝の小部屋。

 半開きの扉がゆっくりと、音も立てずに閉じられる。


 室内には、この部屋の主人である老女だけが残る。ベッドから身を起こし、今しがた名も知らぬ影が出て行った扉のことを、じっと見詰めて。


 伝授された内容があった。それは老女以外知り得ないことだ。若かりし頃に彼女が構築した網の目のようなネットワークは、未だに王国内で機能し続けている。こんな辺鄙な片田舎にいてさえ、ひょっとしたら老女に知り得ない情報など存在しないのかもしれない。


「やっぱり、負けいくさだったねえ……」


 それは実にしみじみとしたひとりごと。

 最初から結果を予見していたかのように。


 今を遡ること数カ月前、ハーツ王国南方の国境線が崩壊した。以前より間欠的に長城へと攻撃を繰り返していた南方遊牧民の侵入を、とうとう凌ぎ切ることができなくなったのだ。


 王国貴族層から勇士を募って組織された国境防衛軍が南方遊牧民の軍勢と真っ向からぶつかり、血で血を洗う戦いののちに敗北した。『サウスフラットランの戦い』の名は、ハーツ王国が喫した不名誉な負けいくさとして、後世まで語り継がれることになるだろう。


 敗走者のほぼいないいくさだった。それは彼らが最期まで勇敢に戦ったからではない。世人に蛮族と称される南方遊牧民が、その獰猛さを顕わにしたからだ。瓦解した戦線からの逃亡者を執拗に追跡し、その命を根こそぎ刈っていった。徹底した殺戮と略奪こそ、彼らが王国民に恐れられる所以だった。


 勝ちいくさの勢いそのままに長城内へとなだれ込み、南方遊牧民の手による容赦ない略奪が行われた。


 だが士気を高揚させて王国内部へと進撃するかと思われた軍勢の足が、突如として止まる。


 その理由の究明こそ、今回王直々の勅命としてヘレナが請け負った任務の内容であった。


 誰ともなしに、ヘレナは口を開く。


「……まさか、聖所があったなんてねえ」


 それは不毛の土地に眠る、宝物庫のようなのものだ。南方の国境線、その元をただせば、遠い昔にハーツ王国の軍勢が南方遊牧民から奪取したものだ。当時のいくさの主目的ではなく、勝利の証として彼らから巻き上げたものに過ぎない。


 滅んだ都市にあった、半ば風化した祠。その奪還こそが、南方遊牧民が長城を攻める真の目的であった。何度退けられてもあきらめないその姿勢は、これが文字通り聖戦であったためだ。


 軍勢は足を止め、奪還した祠の前へとひざまずく。ハーツ王国へと進軍する気配はない。代わりに、国境に沿って築かれた長城が徹底的に破壊され、南方遊牧民の間ではふるさとと聖所を往復する巡礼の旅が企図されることとなった。


 それは彼らにとって、ようやく取り戻すに至った心の平穏そのものだった。


「まったく、皮肉なもんさねえ。大した価値もない土地に眠っていた祠が、連中のどんな犠牲を払ってでも取り戻したいものだったなんてさ」


 それは本当に皮肉な話だ。終戦後、従来の国境線よりほんの十数キロ北に新たに国境線が引かれた。そこでは南方遊牧民による攻撃もなく、新たなる長城の建築も順調そのものであるとか。


 老女は、この部屋から動くことができない。知り得た情報は手勢の影たちの間を経由し、思いもしない方向から王の耳へと届くことだろう。


 勅命はこれで完遂したことになる。だから、この先の調べものはごく個人的な事情に拠った。手勢の影たちを駆使し、かつて仇敵であった南方遊牧民の居住地深くまで調査の手を伸ばす。老女は、その結果も今しがた耳にしたところだ。


「イバンもモルテムも、依然として行方知れずか……ふん、下手に欲掻くからそうなるんだよ」


 呆れたように鼻を鳴らす。もっとも、彼らの行く末ならば当てが付いている。南方遊牧民は己の敵に容赦しない。戦場に倒れた遺骸は追い剥ぎに遭い、バラバラに切り刻まれて、連中の記念品にでもなったことだろう。


 先祖代々の墓所に入る機会は、これで永久に失われたことになる。


「……これが、我欲に囚われた者どもの末路ってわけだ」


 老女の浮かべる想像に、その眼では見たことのない景色が混じる。いくさの数少ない生き残り、カイル・ユースティーから聞いた話だ。布陣する両軍の頭上に渦巻く、黒く分厚い暗雲。その正体に、この老女は既に気づいている。


 イバン・ガストンの欲望。それは最後まで他の誰にも明かさなかったものだ。彼は殺人に憑かれていた。その成就のための機会をずっと窺っていた。南方の国境防衛はそのためのちょうどいい舞台で、不意に持ち上がった決闘騒ぎでそれが露見した。アベルを執拗に斬り伏せたあと、彼の顔が愉悦に歪んでいたという証言をいくつか入手した。もっとも、真相はやはり想像するしかないのだが……。


 対して、モルテム・ユースティーはわかりやすかった。己の腕ひとつで成り上がった武家の末裔らしく、家を大きくすることしか頭にない男だった。抑止力であった妻を喪い、その傾向に歯止めをかける者がいなくなった。息子カイルの家格が劣る婚約者、リラ・デッドロックの存在はまさに眼の上のたんこぶで、以前より排除する機会を虎視眈々と狙っていたという。お産の失敗はまさに千載一遇の好機だったのだろう。一説によれば、ユースティー家で密かにリラの食事へと毒を混ぜ込んでいたという話もあるが、こちらは確認を取ることができなかった。


 どちらも、他に害を加える邪悪な連中だ。しかし驚くべきことに、老女に彼らに対する悪感情は既にない。彼女は長い人生を生きてきた。もうこの世いない者たちのために心を悩ませる不毛さなど、とっくのとうに知り尽くしている。


 ……もっとも、それを除いてもいい気味だとは思っていたらしいが。


「…………」


 ひとしきり考えごとを終えて、老女は自身を覆っていたシーツを捲り上げる。露出した夜着のままの膝に両手の親指を這わすと、上半身の体重をかけて指圧を始めた。


 慣れない手つきのマッサージの最中、どうしても孫娘の顔が脳裏に思い浮かんでしまう。いつも同じ時間にやってきて、にこやかに笑みながら自分の世話を焼いてくれた。当人に伝えても信じてもらえないかもしれないけれど、あの時間は本当に貴重で、しあわせなものだった。


「リラ、あんたがいないとこの部屋も、がらんとしちまったねえ……」


 今日の分のマッサージを終えて、心地良い発汗を額に感じながら、離れを見渡す。ベッドの傍にある椅子に腰かけ、ことあるごとに老女の語るお話を聞きたがった孫娘の姿は、もうない。


「でも、それでいいんだよ。こんなおばあちゃんの傍にいたって、あんたの人生は始まらなかった。あんたは自分の足で、この部屋を出て行ったんだから」


 老女は、かつて孫娘に授けた教えを思い出していた。カイルのために祈りを捧げ、手紙を書く。彼の無事以外、決して自分から願ってはならないと。


 孫娘は覚悟を決めた表情で、老女の教えを受け入れた。

 自身の無力を認め、それでもカイルのためになにかをしようとした。


「……だけれど、だよ。それはふつうのことじゃない。なぜなら人は我欲から自由になれないんだ。どうしたって自分の事情を優先しちまう。あのイバンやモルテムみたく振る舞う方が、まだしも自然なことなんだよ」


 老女の手が無意識にベッドの上を探す。煙管ならとっくのとうに破損して捨ててしまったことに気づいて、自嘲の笑みを浮かべる。


「でも、きっとあんたはやりきった。カイルの無事としあわせだけを最後まで祈って、願い切ったんだ。だからこそこんな結末に至った。こいつは損とか得とかの話じゃないよ。人にとって大事なことはいつだって、損得勘定の外側にあるんだからね」


 老女は紫煙の代わりに、鼻から大きく息を吸った。

 自身の足をベッドの縁から降ろし、床に着けてみる。


 ひんやりとした冷たさを足裏に感じながら、じっくり時間をかけて呼吸を整えた。それから思い切って自重を両の足へと委ねてみる。一、二、三……数をカウントしつつ力を込めて身体をわずかに浮き上がらせると、それから力尽きたように尻からベッドの上に着地した。


「ふふ、新記録だねえ……あたしもまだまだ捨てたもんじゃないみたいだ」


 老女の笑み。それはケガの回復のためだけではなかった。あの日、誰より愛しい人に再会した孫娘が予感したように、老女の前にもまた希望があった。


「まったく、長生きはするもんだねえ……まさかこのあたしが、ひ孫の顔を眼にできる日が来るなんてねえ」


 上がった息を落ち着かせつつ瞼を閉じれば、報告に訪れたふたりの笑顔を思い出す。


 眼に入れたって痛くない可愛い孫娘、そしてその頼もしい夫は、老女の心に一等大きな希望の火を灯してくれたのだ。


「ふたり揃って名付け親になってもらいたいだなんて、随分と可愛いことをいってくれて。これじゃあおちおち死んでもいられないじゃないか……っと、あたしががんばらなきゃならない理由は、それだけじゃなかったねえ」


 赤子がいた。名を持たぬまま生まれ、そして死んでいった赤子が。


 死したあと、祖父に当たる人物に館の敷地へと埋葬された憐れな赤子は今、その場所には眠っていない。ユースティー家の血筋に連なる者たちが代々眠る、由緒ある墓地を永遠の揺りかごとしている。


 今の老女の目的は、いつかの孫娘と似ていた。その身に負った傷を癒し、自分の足でこの部屋を出てゆくこと。新たに生まれてくるひ孫をその手で抱き上げること。そして憐れな赤子の魂を慰めるべく、ユースティー領への旅路を行くこと。


「まったく、みんなしてよくもこんな老人をこきつかってくれるもんだよ……でも、悪くない。ちっとも悪くなんてない気分だよ」


 それから老女はひとりごとを止め、光が差し込む窓を見た。外には変わらぬデッドロック領の田園風景が広がる。ただし老女の瞳はそのずっと先を見ていた。


 そこには自身と、家族と、そして生まれてくる新しい命を祝福するかのように、大きな希望が待ち受けていた。

最後までお読みくださりどうもありがとうございました。

全体としての評価、感想等いただけましたら今後の励みとさせていただきます(是非お願いします!!)。


余談ですが、本作は『My Chemical Romance』というロックバンドの『Helena』という曲に強く影響を受けていて、ヘレナおばあちゃんの名前はこの曲にちなんでいます(バンドメンバーの実際に亡くなられたおばあさんの名前らしいです)。そのためMVはお葬式なのですが、死のイメージはリラとカイルの名もなき赤子への方へと転写して、徐々に膨らませていきました。


作者自身も膝を壊したり、書けない時期もあったりで、いろんな意味でのリハビリ作となりました。読者の皆様の気に入っていただけたら幸いです。それでは。

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― 新着の感想 ―
完結おめでとうございます。 安楽椅子探偵のおばあちゃんが素敵でした。 リラの出産の話は悲しくて悲しくて。義父が屑過ぎて爆ぜろとか思ってたら、かなり近い死に様になりましたね。屑義父がいなくなってこ…
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