第17話 黒子の幕引き
次の日の朝から事件は急展開を迎えた。
エニール財団の事務局長が警察に捜査協力を声明した事で事態が一気に進展したのだ。
クレア達の推測通り犯人がエニール家の人間である事をボン・エニールが認めると、続けてこう発言した。
「彼は尊大な態度で豪胆を装っているが、内実は自立心に乏しく、幼児の様に未熟で世間知らずだ。その証拠に彼は今まで自分一人で買い物すらした事はなく、恐らく町に出ても乗合バスの乗り方も知らんだろう。なのに、その自覚が乏しく、家の権威を笠に着て怒鳴り散らせば何でも思い通りになると思い込んでいる節がある。全く浅墓な男だ。そんな輩が世間との接点を持たず、尚且つ家の権威にすがろうとするならば、行き着く先は恐らくエニール家が所有する空き家だ」
その発言を受け、警察関係者はまず現在使用されていないエニール家所有の空き家を捜索し始めた。
だがそのエニール家の所有する空き家でさえヨシュア全土では大小合わせて三百件近くあり、探し出すのは骨の折れる作業だった。
それでも警察の入念な捜索の結果、最近、不審な人影が徘徊しているとの情報がある二件の物件が浮かび上がった。しかしその二件は実際には外から見えない地下通路で繋がっており実際には一件だった。
それはかつてウラ鉄とヨシュアの勢力圏を隔てた大河川を往来する為に使われた秘密の通路があるあの隠れ家だった。
元はエニール家が有事の際に河川を往来する為に作られた秘密通路だったが戦時中はヨシュア政府に供与され現在は閉鎖されていた。
ヨシュア警察は情報に従って両岸の隠れ家を包囲すると、更に河岸にもボートや人員を備え、川底には定置網まで配置し逃げ道を塞いだ。
まずは警察の偵察隊が窓際から建物の中を調べた。
床の上は食い散らかされていた食料品と壊れた少女人形、そして女物の衣服の破片で溢れていた。
そして時折、聞こえる大きな物音。しかし探し求める怪物の姿は見えない。
恐らく、建物の奥か河川の下の秘密通路に隠れている様だ。
しかし中に本人が居る様ならば話は早い。
後は投降を促して自分から出て来させるか、突撃して建物を制圧し怪物を捕まえるかのどちらかだ。
だが暫くして警察隊はそのどちらの選択肢も取れなくなる。
またしてもエニール財団からの横槍が入ったのだ。
最も、止めているのはボン・エニール氏ではない。
ボン・エニールは既にエニール家の家長会と呼ばれる組織から財団の事務局長の地位をはく奪されていた。
その代わりに任命された名前も知らない新しい事務局長によって警察は行動を妨げられていたのだ。
「しかし止めた所でどうするつもりなんだろう。時間が経っても事態が好転するとは思えない。逆に中の本人を苦しめる事になるだけだ」
トラスニーク側の包囲の外から様子を見ていたマリウスが双眼鏡を覗きながらつぶやく。
するとその横で任を解かれたボン・エニールが答えた。
「恐らく家長会も判断に迷っているのだろう……。止めたは良いが自分達にも妙案がある訳でも無い。ただ、一族に……自分達に被害や責任が振り被らない様にしたい。それだけに心血を注ぎこんで居るはずだ」
「全く、どこまで自分勝手な連中なの! あいつらが妨害しなきゃ被害はもっと減らせたっていうのに!」
ボン・エニールの言葉に傍に居たモニカが憤る。先日、退院したばかりのモニカは腕に包帯を巻いたまま半ば無理やり一行と合流していた。
そんなモニカにボン・エニールは答える。
「しかしこんな事を続けていればいずれその傲慢さが我が身を滅ぼす事になるだろう……我が、エニール家の生い先も長くはない……」
「へぇ~、財団の元事務局長とは思えない言い草ね」
「少しでも冷静さがあれば誰にでも判る事だ。特に我がエニール家の末期症状は傍から見ていても酷いの一言だ……」
「でも同じ滅ぶなら私が生きてる間にしてもらいたいものね」
「まあまあ、そんなエニールさんが情報を提供して下さったんだから、ここまで捜査が進展したんだ。そう責めるものでもないよ」
そうモニカ厭味ったらしく言い放つと、それをマリウスが僅かながら弁護した。
そんな三人のやり取りをクレアは何も言わず黙って聞いていた。
クレア達は怪物逮捕に参加するつもりでいた。
しかし包囲作戦の邪魔になるという理由で、警察関係者以外の人間は包囲の外へと爪弾きにされていた。
それでも事件の行末を確かめたいという意思は変わらず、ここで様子を伺っていた。
クレアの中では憂鬱が広がっていた。
今朝になってクレアはボン・エニールに怪物の正体をはっきりと知らされた。
それは予想通りあのタモン・エニールだった。
「タモン……」
クレアはその名を暗澹たる思いでつぶやく。
タモンはエニール家一族のその中でも嫡流に位置し、且つその地位を利用し国奉隊隊長としてヨシュア国内で暴利暴虐の限りを尽くした男だった。
その中でクレアも横恋慕の対象とされ何かと迷惑を被らされた人物であり、正直に言うと彼女自身は彼を毛嫌いしていた。
更にここに来たばかりのカナセと対立した挙句、部下を使って彼を傷付けたり殺そうともしたのだ。
だがヨシュア国内でのサバト開催を巡って組合の魔女達と対立した挙句に敗北し、最後は失脚させられた。
そんな彼の失脚以降の足取りは入院という形で世間から姿を消していた。
だがボン・エニール氏のよってその後の彼の生活が粛々とクレア達の前で語られた。
失脚後のタモンはこれ以上の組合の魔女達からの報復を恐れる家長会の決定によって本家の屋敷に幽閉される事になった。
今後、タモンはエニール家の監視の中、有り余る財産を食い潰しながら無為な一生を送るはずだった。
その時の彼の様子を知っているボン・エニールは溜息を吐きながら振り返る。
「本当にひどい物だった。地位も財産もありながら未来を潰された若者が日を追うごとに荒んでいく様をみせられると、本当に胸が詰まったよ……」
幽閉後のタモン・エニールの生活はいつもの女物のドレスを身に纏う事から始まった。
そして日がな一日人形相手に語りかけていた。
彼は本家の家族からすら見放されていた。誰も相手にせず、そして相手にもされない。
周囲に居る使用人達も冷然と接っしており、まるで檻に入れられた動物に餌を与える飼育員の様な態度を取っていたという。
そんな生活を送っていれば健全な精神が保てる訳が無い。
瞳は濁り、口数は減り、人形遊びに飽きれば、ぼんやりと宙を眺める。
そして時折、思い出したかの様に狂乱し屋敷の中で暴れ回った。
恐らく、抑圧された鬱憤がはけ口を求めて爆発するのだ。
その度に手にしていた愛する人形たちの首はもげ手足は千切れ、床の上に踏みつけられた。そして最後におもむろに立ち上がると、窓を両手で何度も叩く。
それは彼なりの意思表示である事は確かだった。
しかし彼の声を聞き入る家人は誰一人居らず、窓を叩き続ける彼の思いも窓枠に嵌められた冷たい鉄格子によって容易く阻まれた。
そして暴れるのにも飽きれば、また呆けた様にぼんやりと宙を見ながら何もせずに居た。
そんな荒廃も日増しに悪化していく。
やがてタモンは風呂にも入らず髪も整えず着替えの回数も減っていく。食事は偏った塩辛い物か甘い物だけとなり元から丸かった体は更に肥え太っていった。
結果、悪臭を放つ汚れた肥満体は更に使用人達の更なる嫌悪の対象となり、彼を見る目は屋敷内で飼われた動物から掃除されない汚物へと更に堕ちていった。
だがその中で、ボン・エニールだけは日を見ては彼に会いに行き何かと話し相手になってみせようとした。
多くの血縁者を抱えるエニール家の中で社会の落後者が出るのは珍しい事では無ったし、そんな一族の者を見守るのも事務局長の仕事だった。
それにトギス・エニールの様に立ち直った例もある。
タモンもそうなればと生真面目なボン・エニールは接したのだが、結局、タモンから語りかけて来る事はなかった。
だがある日、その潮目が変わる事が起こった。
ボン・エニールはタモンの下に訪れる際、何かの気分転換になるかと、常に数冊の書籍や新聞を持参した。
普段はそれ等をタモンが手を付ける事は無かったのだが、ある日、タモンは新聞の一面の見出しを前に釘付けになった。
記事にはカナセ・コウヤによるファイタス総帥の就任式の様子が記されていた。
それを読んだ途端、タモンは怒り狂い、何時にも増して屋敷の中を暴れ回った。
「どうして! どうしてあの猿がちやほやされるのよ! 悔しい~~~~!!」
タモンは手にした新聞を破り捨てながら暴言を吐き散らす。
彼にとってはあってはならぬ事だった。
タモン・エニールは誰よりも高みに居なければならぬ存在のはずだった。
カナセ・コウヤなど本来なら泥の下に沈んだ腐った木の根にも等しい下賤な存在だった。
なのに今では世間の評価は逆転していた。
「あの猿が虐げられた民衆を解放するレジスタンスのリーダーですって?! ふざけんじゃないわよ! こっちは外に一歩も出られないっていうのに、理不尽だわ! 愚かしい! 神は死んだのよ!」
タモンは自分の事を棚に上げて一日中、吠え続けた。
「憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い!! あの猿が! カナセ・コウヤが! 憎たらしいったらありゃしない!! そしてヨシュアの魔女達が! クレア・リエルが憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い!」
そう叫んでは逆恨みの怨嗟を募らせていったのだ。
そしてとうとう屋敷の宝物庫から変化の杖を持ち出し脱走した。
屋敷からの脱走手段は簡単な方法だった。
宝物庫の鍵も鉄格子の鍵も使用人なら掃除等で比較的自由に持ち出す事が可能だった。
そこでタモンは人形に装着していた宝石や貴金属類を使って金に卑しい使用人の一人を買収すると脱走の手助けをさせたのだ。
脱走の直後、エニール家の関係者は極秘にタモンの後を追った。
その追跡者の中にボン・エニールも居たがタモンの姿を見付ける事は叶わなかった。
そして彼等が追跡を諦めた頃、程なくしてトラスニークのパスカル通りで事件は起こったのだ。
やがて日が沈み、大河川の周囲も暗くなる。両岸の建物からは動きはない。
「どうするつもりでしょうね……」
マリウスが包囲網を眺めながらつぶやく。
しかし彼がそれを言うのはもう二十回目だ。
「正直、顔くらい出してくれれば私の方で説得もできるはずなのだが……」
「そんな様子も見られませんね……」
「そんなに我慢強い子ではないはずなのに……」
硬直した現状を前にボン・エニールも不安げな言葉漏らす。
「やっぱり私がいけなかったんだわ……私が彼とちゃんと歩み寄っていれば……」
そんな二人の横でクレアがつぶやく。
その表情は陰鬱で、日が落ちて影が差し込む事で更に陰気臭さが増す。
「アンタ、まだそんな事、言ってるの?」
それを耳にしたモニカが呆れた口調で突き返した。
だがクレアの気落ちが戻る事は無い。
「だって、私がもし……どこかで彼ときちんと向き合っていたらこんな事にはならなかったと思うんです。あの学校の文化祭で初めて会った時、逃げなかったら、もっと彼にも違った未来が待って居たかもって。誰も傷付かずに済んだかもって……」
「そんな訳、無いでしょ。あれの性根は元から腐ってんのよ。もしクレアがアイツの求めて来る事を全部やって上げたって、アイツは高笑いを上げながら図に乗るだけよ。自分が愛されるのは当然だってね。そんな下らない事で頭を抱えるのは止めなさいな」
そう言ってモニカは生真面目な後輩を諫めた。
しかしクレアの気持ちが晴れる事はない。
そんな時、突然、事態が動き出した。
両岸の二件の隠れ家から同時に爆発を起こり炎に包まれたのだ。
そこへ間髪入れず、二度目の爆発。
その瞬間、火事の中から大量の水が噴水の様に噴き出した。
水は濁流となって干拓地へと容赦なく流れ込んでいく。
「なんだ、あれ?!」
大量の濁水を前にマリウスが思わず叫んだ。
「秘密の通路が壊されて大河川の水が空き家の出入り口から噴き出しているんだわ!」
それにクレアが補足すると一同が唖然となった。
干拓地への流水はそこに暮らす者にとって最大最悪の災害だった。
恐らく、タモンはそれを狙って盗んだ爆弾を起爆させた。
無論、理由は脱出の際、包囲する警察の注意を自分から逸らす為だ。
それを戦術的に扱う事は禁忌中の禁忌であり、ウラ鉄ですら侵略中に堤防決壊による水攻めを故意に行った事は一度もなかった。
だがタモンはそれを我が身、可愛さだけの為に行使したのだ。
水量は時間の経過と共に増加し堤防の内側へと流れ込む。
干拓地内が浸水する。
今すぐ穴を塞がねば、その被害は計り知れない。
「なんて事を……」
濁流を見ながらボン・エニールの顔が苦渋で歪んでいく。
助けようとしていた若者に最悪な形で裏切られる。その現実に打ちひしがれその場で茫然と立ち尽くしていた。
一方で他の三人は慌てて動き出した。
魔女達の前でマリウスが言う。
「クレアさん、モニカさん、私はトラスニーク側の応援に行きます!」
「応援って……」
「マギアギアを使って水をせき止めれば少しは時間稼ぎが出来るはずです。お二人はリードヒル側の方へ」
「判りました。お気を付けて、マリウスさん!」
「くれぐれも無茶は禁物よ、新婚さん!」
クレアとモニカはマリウスと別れると箒で対岸へと飛んだ。
「けど、盗んだ爆弾をこんな事に使うなんてね……」
箒で飛びながらモニカが憤る。
「こうなっちゃあ、こっちも只じゃおかないから! クレア、アンタがどう思って様が私はやるからね!」
モニカの言葉にクレアも従う他ない。
しかしそれでもクレアはタモンをどうにかして救えないかを考えていた。
「人の心さえ残っていればまだやり直せるかもしれない……」
二人はすぐに対岸のトラスニーク側に到着した。
ここでも燃え盛る一軒家から水が噴き出し、警官隊が右往左往している。
そこに魔女二人が来たところで勢いよく流れ続ける水が止められる訳が無い。
仮に二人掛かりで魔煌障壁を最大限に展開しても障壁は忽ち水圧に跳ね除けられ、押し流されるはずだ。
「どうしましょう?」
「私達は空からタモンを探しましょう。多分、周りが爆発と水に気を取られている内にここから逃げ出したはずだわ」
「なら別れてさがしましょうか?」
「そうね。でもクレア、最初に言っておくけど情けは無用よ。いいわね!」
「判りました……」
モニカに何度も釘を刺されたクレアはそう返事をするしかなかった。
そんな中、濁流によって崩壊していく警官隊の包囲網から人影が一つ、隠れる様に離れていった。
人影の正体はパスカル通りの怪物ことタモン・エニールだった。
タモンは怪物の姿のままひたすら田畑の間を駆けていった。
しかしその足取りは思った以上に遅い。
先日までに受けた負傷がまだ癒えていないのだ。
それでもタモンは怪物の姿のまま肩で息をしながら丘陵の坂を上っていった。
捕まればまたあの監獄の様な生活に逆戻りだ。
「私は悪くない。悪くないのに! 只、正道を成す為に淫堕な魔女達に制裁を与えているだけなのに。なのに他の連中はそんな魔女達の肩ばかり持つのよ! これは不条理よ! 神様だって天国できっと私の魔女狩りの正当性を認めて下さっているはずだわ!」
そう心に思いながらタモンは懸命に坂の上を登った。
しかし坂の上で待って居たのは明日を約束してくれる自由の地でも己の所業を御認め下さる神などではなかった。
「タモンさん、もう逃げるのを諦めになって下さい。そしてこれ以上、罪を重ねる様な真似は止めて下さい」
聞こえて来たのはタモンを憐れむ声だった。
しかしその声を耳にした途端、野獣の様な怪物の表情は憎しみで醜く歪む。
「ク……レア……」
その喉の奥から吐き出される唸り声の中に薬の魔女の名が混じる。
「やっぱり、魔煌具の影響で真面に口も利けないのね」
「……るさい!」
タモンは鬱積した憎しみを吐き出すかの様にクレアに向かって腕を振るった。
しかしクレアは箒に乗ったまま軽々と避ける。
攻撃が空振りに終わったと知るとタモンを両腕を振り翳しながらクレアに飛び掛かった。
「るさい! ……るさい! ……うるさい! みんな……アンタが悪いのよ!」
しかし何度、振るっても指から伸びた鋭い爪が魔女の所に届く事は無かった。
既にクレアは目の前の怪物を恐れてはいなかった。それどころかエニール家の後ろ盾を失ったタモンなど彼女の敵ではない。
その態度にタモンが心の中で叫ぶ。
「なんで、この女に当たらないのよ!……私をコケにしてぇ!」
怪物は唸り声を上げながらクレアを執拗に狙った。
しかし負傷した野獣の動きでは箒の機敏さに追い付けない。
「止めて下さい、タモンさん! 今ならボン・エニールさんと私が協力してあなたの社会復帰を援助しますから。それにこれ以上、変化の杖を使い続ける事は……」
「るさいって言ってるでしょ!」
タモンは聞く耳を持たない。
そんな彼を見ながらクレアはボン・エニールに言われた事を思い出す。
ボン・エニールの話では変化の杖は欠陥品のマギアルマだった。
変化と言っても件の獣にしか変身出来ない代物で、更に悪い事に変化を繰り返す度に使用者の肉体と精神を蝕み、最後には変化の獣に心身を乗っ取られていく。
実際、タモンは人の言葉をしゃべっているつもりだがクレアには獣の唸り声にしか聞こえない。
「もう、獣化がそこまで進んでるんだわ……。早く魔煌技を解除しないと人間に戻れなくなる」
逃げ回るクレアの中にも焦りが見える。
しかしどれほど訴えかけてもこちらの声はタモンの耳には届かない。
「なんで! なんで当たらないのよ!」
そう叫びながらタモンは懸命に爪を振るい続ける。
それ所が獣化が進むたびに嗅覚が鋭敏になると、クレアから立ち込めて来る嫌な匂いに苛立ちを覚えていた。
クレアの体臭に混じって彼女の中からある臭いが鼻に刺さる。
それは間違いなく男の臭い。
それもタモンかこの世で最も蔑むあの男の臭い。
カナセ・コウヤが発していた汚れた臭いだった。
「汚らしい! 人を馬鹿にして!」
クレアが既に生娘でない事実はタモンの心を掻き乱し世界を絶望させてた。
何も信じない。信じられない。ならば自分に残された道は目に映る者、全てを両腕の爪で無惨に切り裂く事だけだ。
既にタモンは変化の杖に完全支配される前に獣と化してしまっていた。
「何やってるの、クレア!」
そこへクレアとタモンを見つけたモニカが滑り込んできた。
モニカが茨の種の入った袋を投げつけると、袋の口が開いて大量の種がばらまかれた。
「茨の監獄!」
そして農神の魔煌技を展開する。
「さあ、害獣駆除の時間だよ!」
モニカの威勢の良い声と共に、地面にばら撒かれた大量の種から茨の蔓が伸びると瞬く間に獣の全身に絡みついていく。
「ギャアアアアアアア!」
棘の蔓に体を絡め取られながらタモンが悲鳴を上げた。
精神は獣に変わっても、かつて自分を散々に痛めつけた茨の恐怖が蘇る。
しかも千本を超える茨の蔓の浸食は留まる事なく、瞬く間に獣の体を覆い尽くと鋭い棘で責めていった。
「あがあああああああああああ……」
茨の園の牢獄の中から悲痛な叫び声が聞こえる。その度に蔓と蔓の隙間から真っ赤な血が噴き出し、蔓を伝って滴り落ちていく。
もはや怪物の自慢の怪力でさえもこの縛めを解く事は出来ない。
「けど、今回は前みたいに拷問程度じゃ済まないよ! 棘に切り刻まれながらそのまま地獄に落ちなさい!」
それは茨の魔女からの死刑宣告だった。
クレアと違ってモニカは甘くない。パスカル通りの怪物の正体が何者であろうが最初から退治する気でいた。
「止めて下さい、モニカさん! 何もここまで痛めつける事なんてないでしょ?」
恐るべき茨の刑をクレアが必死になって止めようとする。
しかしクレアの願いをモニカは跳ね除ける。
「痛めつけるですって? 冗談じゃないわ。ここであの怪物を殺すのよ。もう、魔女達に一切の悪さが出来ないようにね!」
「でも彼は怪物じゃありません! 列記とした人間です! 殺すのではなく人間に戻して罪を償わせるべきです!」
「笑わせるんじゃないわよ、クレア。あの男が人間に戻ったところで大人しく刑務所に入る訳なんて無いわ。どうせサバトの時みたいに家の威光を使って逃げ切るに決まってる。そして衣食足りてのうのうと暮らすのよ! そんな事が許されると思う?」
「それは……そんな事は私がさせません! きっと彼には自分のやった事の重大さを判らせてみせます!」
「そんな出来もしない事を言って!」
モニカは後輩魔女の必死さに半ば呆れかえる。恐らく、タモン・エニールによって嫌な思いをさせられたのは他ならぬクレアのはずだ。
なのになぜクレアはタモンをここまで庇い立てるのか、理解に苦しむ。
「それによ、よく見て見なさいな。本当にあの獣が人間に戻せると思う? 恐らく無理、手遅れよ。そして人間に戻った所で誰の話も聞きやしないわ」
「そんな事はないはずです! 人間同士なら……人間同士ならきっと話し合えば……」
そんな後輩の聞き分けの無い綺麗事に向かってモニカは苛立ちながらはっきりと言った。
「ならクレア、あえてよ……。あえて、あなたに聞くわ。人間同士で話し合って解決するのなら、ウラ鉄との戦争も止められたんじゃなくって?」
「それは……」
突然湧き上がった思いも依らぬ問い掛けにクレアは言葉を失う。
そんなクレアにモニカは追い打ちをかけた。
「あなたは攻め込んできたウラ鉄の兵士と話し合う事をした? 和平派の連中の言う事に耳を傾けた? むしろ出来たのかしら? 違うでしょ? あなたのした事は主戦派の急先鋒としてウラ鉄の頭の上に爆弾を落とした事よね。」
「……」
モニカの言う通りだ。クレアは戦争でウラ鉄とも和平派とも話し合う様な事はしなかった。相手を悪と決めつけ攻撃しただけだ。言葉で平和を解決しようとは思いもしなかった。
話し合いが人間同士の争いを解決する事など、自分が一番信じてはいなかった……。
それに気付いた瞬間、クレアはモニカに何も言えなくなった。
一方、その横ではモニカの魔煌技は最高潮に達していた。
茨の監獄が螺旋状にねじ上げられると中の怪物を締め上げる。
もう気力が萎えたのか檻の中のタモンの声も聞こえない。
「さあ、トドメよ。大人しく観念なさい……」
茨の魔女の前で蔓の螺旋がギリギリと音を立てる。
もう見てられないとクレアは自分の顔を両手で覆った。
だがこの時、思わぬ事態が起こった。
閉じ込められて居たタモンが渾身の力を振り絞ると、体に巻き付けていた残った爆弾を作動させた。
茨の螺旋から閃光が走り、爆発と共に蔓の一部が吹き飛ばされた。
しかし爆発の余波はタモン本人にも襲い掛かる。
「ぐぎゃばがだがぎごがあがぎどじべぇばだざべげばだぁげだがががああぁ……」
爆発音を覆い尽くすほどの野生の雄叫びが周囲に轟いた。
その叫び声にモニカやクレア達だけでなく流水を必死に止めようとしていた警官隊やマリウスまで茫然と慄いた。
そして怪物の眼光は傷付きながらも一番近くに居たモニカとクレアに向けられた。
その瞳は知性はおろか人間らしさも失った、まさしく獣の眼だった。
「アンタが……アンタが……」
殺意が穴の開いた茨の中からにじみ出る。
獣は最後の獲物に狙いを定め、茨の監獄から乗り出そうとした。
しかし、その瞬間、獣の背後から大型拳銃の発砲音が響く。
銃弾は爆殺の魔煌技が込められており、獣の後頭部に命中した途端、その頭蓋を脳みそごと一瞬で破裂させた。
頭部を失った怪物の体がゆっくりと倒れていく。
恐らく獣は自分が死んだ事に気付く事もなく逝ったはずだ。
そんな怪物の背後からひとりの人影が姿を現した。
それは両手で拳銃を握ったボン・エニールの姿だった。
怪物の頭を吹き飛ばしたのは彼だった。
ボン・エニールは向こう岸から舟でこちらに渡ると丘の上に駆け付け、魔女達を襲うとするタモンを発見した。
彼はクレアとモニカの安全を優先すべく、庇い続けた一族の青年をこの手に掛けたのだ。
「すまん……。すまん、タモン……私は君に何もしてやれなかった。許してくれ……」
拳銃を落としながらボン・エニールはその場で泣き崩れた。
そして失った甥っ子の名を何時までもつぶやき続けた。
そんな男ひとりの悲嘆を慰める事も出来ず、二人の魔女は茫然とその場に立ち尽くしていた。




