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第1話 前哨

 水面で魚が跳ねた。

「何だろう、ハスかな? いや、マスかも?」

 食べるならマスの方が美味いよな。けどマスは高いからって、母さんの料理は鯉や鮒ばかりだった……。

 一瞬、見えた銀色の腹びれを見ながらハシムがそんな事をひとり思う。

 しかし、ここは母なるウーラシアの上だ。魚が跳ねるくらい別に珍しくもない。

 魚影は正体が判る前に水中に消え、残った波紋がゆっくりと広がっていった。

 波紋はこちら側の作った大きな波紋に呑み込まれ、やがて消えていった。

 儚い。強い波に飲み込まれていく小さな波はどこかもの悲しい……。

 そんな感慨に浸るハシム・レンドルの仕事は水軍の水兵だった。

 学校を出た後、『ウーラシア横断鉄道公社・鉄道公安機動軍・水上統合作戦部隊』通称ウラ鉄水軍に入隊したハシムは、そこでガンボートと呼ばれる船の砲手の仕事を割り当てられた。

 ガンボートとは装甲砲艇とも呼ばれる戦闘艦の一種だった。

 約30mほどの船体に戦車から流用した二基の砲塔と一基の銃座を搭載し最大船速24ノットで淡海の上を移動する。

 その歴史は古く、淡海発生以前より存在し、簡便で頑丈、特に高度な操作技術も必要としないその使い勝手の良さから通常戦闘から哨戒任務や軽微な輸送活動まで幅広い任務に携わり、ウラ鉄のみならず世界中の水軍で淡海の主力兵器として運用されていた。

 そして今日も、一番砲塔内部の暗い鉄の箱の中で身を屈めながら目の前の75㎜砲と連動する照準器から外を覗き込む。

 この一年間、自分が見て来た景色のほとんどが照準器からの淡海の水面だった。

 そんな新兵のハシムの乗るコブラ級ガンボート674號はウラ鉄が支配する海域の哨戒任務に就いていた。

 船団は僅か同型四隻の哨戒艦隊で、縦に並んで淡海の白波を切っていく。

「ん? 何か見えたか、ハシム?」

 背後から気の抜けた声が聞こえた。同じ砲塔内の仲間のマッセル・タリムの声だった。

 彼の役割は主砲の装填手で、今は頭上の二つあるハッチの一つから外を眺めて周辺の警戒に当たっていた。

「いや別に、魚が跳ねただけだよ」

 ハシムが言い返す。マッセルとは同郷の幼な馴染みで、同じ日にウラ鉄に入隊し、同時にこの狭い砲塔内に配属となった戦友だった。

「現在我が艦の周囲に敵影無し、今日も淡海に変わりなしってか~」

 マッセルの態度も吞気なものだった。

 だがこの小艦隊の受け持ち海域には淡海の東西を突き抜けるウーラシア横断鉄道の大本線が通っている。

 もしこの長大な線路のどこかに小指の幅ほどの破壊の亀裂が発生すれば、それだけで公社の掲げる理想と東へと進軍する物理的手段が途絶えてしまう。

 その為、小艦隊の任務は彼等が思っている以上に重大なものだった。

 しかし哨戒艦隊から前線の兵士が持つ張りつめた緊張感はない。

 無理も無かった。ここは西方、完全に敵国の勢力圏外、逆にウラ鉄の支配圏内だった。彼等を脅かすほどの敵艦隊が姿を表す事はまずないのだ。

 万事が無事平穏、現に彼等はここに配属されてまだ一発の砲弾も撃った事はない。

 結局、兵士も市民も政治家も飛び交う銃弾の距離から離れるほど緊張感が希薄になる。

 そして実際に、この第一砲塔内に砲塔長の姿はない。

 砲塔長は今、後方甲板で他の船員達を囲ってカードを用いた「会議中」であり、それを咎める上官や部隊長も居なかった。

「ハシム、お前も顔を出してみろよ。そんな中に籠ってちゃあ、蒸篭の饅頭みたいに蒸さっちまうぜ」

 そんな緩みきった哨戒任務の中、マッセルが隣にある無人の砲塔長用ハッチを叩く。

 だが戦友の声にハシムは少し困惑する。

「そんな事言って良いのか? 今は警戒中だぞ……」

「相変わらず真面目だなぁ」

 相棒の返答にマッセルは笑う。

「だがな、ハシム。こんな時の真面目も大概だぜ。お前ひとりが良い子ぶってちゃ、俺達が悪い事してるみたいだろ? 周りに合わせろよ」

 そう親友に言われハシムも考え直す。

「それもそうだな。郷に入れば郷に従えってか……」

 ハシムは砲手席を離れ、背後にある砲長用のハッチから身を乗り出した。

 砲塔の外では照準器の孔から見えるのとは違う、広々とした母なる淡海の景色がハシムを待ち受けていた。

 船速10ノットの向かい風は首元を湿らせていた嫌な汗を瞬く間に乾かしてくれる。

「ふう、気持ちいい……」

 その心地よさにハシムが笑顔を浮かべた。

 晴れた日の淡海の景色は格別だった。心まで晴れ渡り、無色になるほどに気持ちが透く。

「どうだ? 外の方が気持ち良いだろ?」

「そりゃそうさ」

「けどお前も馬鹿だよな……」

「何だよ、急に」

 いきなり馬鹿と言われ、ハシムが口を尖らせる。

「リッタ・ブラン嬢の事だよ。卒業したら速攻で結婚するつもりだったんだろ?」

「何だよ、またその話か……」

「勿体ないから言ってやってるのに」

「仕方ないだろ? リッタの家は代々軍人の家系なんだ。兵役すら就いた事の無い男の所に嫁になんてやれないって言われりゃあ、そりゃ……」

「でもそれって、向こうの親父さんに直接そう言われた訳じゃないんだろ?」

「リッタの姉さん達の様子じゃあ、それが暗黙の了解だって」

「けど、言った所でガンボートの大砲撃ちじゃあなぁ、箔付けになるとは思えんな。向こうの親父さん大佐殿なんだろ?」

「それでもやらないよりはやる方がマシさ。あと二年、任期を務め上げれば俺は胸を張って娘さんを貰いに行けるんだから」

「相変わらず真面目だな。そんなの無視すりゃ良いのに」

「そうはいかないよ。結婚すればそれこそブラン家とは長い付き合いになるんだ。入り口で躓いてちゃ後が大変だ。それに俺達は運が良いよ。こんな僻地の任務なら多分、死ぬ事なんて……何だあれ?」

 会話の途中でハシムが何かを見つけた。

「どうした? ハシム」

「9時の方向。何かが跳ねた様な……」

「おいおい、そりゃ魚が跳ねたんだよ。さっき、お前も見ただろ?」

「いや、違う。もっと大きな水柱だった」

「なら、コイか大ナマズのどっちか……」

 だがマッセルが言い終わる前に事態は急変した。

 ハシム達の乗る674號艇の先頭を行く673號艇から突然爆炎が上がったのだ。

 艇は炎を上げながら船体中央で真っ二つに両断されると、瞬く間に轟沈していく。

「……」

 船体の一番前に居たハシム達は目の前の光景に茫然とした。

 次の瞬間、遅すぎるサイレンの音が鳴り響いた。

 同時に残された三隻のガンボートが淡海の上をジグザグに航行する。

 そんな中、外に身を乗り出していた二人は慌てて砲塔内に戻ると自分に割り当てられた配置に着く。

「おい、ハシム! なんだあれ?!」

 マッセルが親友に聞く。

「て、敵襲だ!」

「そんな事、判ってるよ! でもどうして? ここはウラ鉄の北方艦隊の勢力範囲内だぞ!」

「けど、実際に敵が襲って来て……」

 その時、二人の居る第一砲塔に着弾の衝撃がもたらされた。

 命中音が砲塔内で打ち鳴らされた釣り鐘の様に鳴り響く。

「うわあああああああああああ!」

 二人は同時に悲鳴を上げた。

 しかし当たりが浅かったのは弾は弾かれ貫通には至っていない。

「ち、畜生!」

 ようやく、ハシムが砲主席から照準器を覗くと今度はマッセルに聞く。

「砲塔長は?」

「知らないよ! まだ来ないんだ! 何してるんだ、こんな時に!」

 しかし砲塔長は幾ら待っても戻ってこない。

「指令室! 指令室! こちら第一砲塔! 指示を仰ぐ!」

 マッセルが必死になって傍にある伝声管で呼び掛ける。

 だが指令室からは何の指示も返って来ない。

「マッセル、指令室はもういい! 俺達だけで戦おう。装填準備!」

「りょ、了解!」

 ハシムはマッセルに指示しながら砲塔を攻撃を受けた方向へ懸命に旋回させた。

 そして照準器の向こうで何とか敵の姿を捉える事に成功する。

「な、何だよ、あれ……」

 しかしその正体を知って愕然とした。

 それは一隻の小型艇だった。

 小型艇は恐ろしく細い船体で水面を切りながら滑走していた。

 その動きはまるで水面を跳ねる水切り石の様な敏捷さだ。

 やがて水切りは水上で進路を急激に変えるとハシムの覗く照準器に真正面を向けた。

 それはこの鈍重な674號艇が獲物に選ばれた証だった。

「く、来るな!」

 照準器のレンズの中で瞬く間に大きくなっていく小型艇を前にハシムが戦慄した。

 小型艇の船体には長大な砲身が固定されている。恐らく、あの搭載砲の一撃によって寮艇は撃沈されたのだ。

「来るなぁ!」

 ハシムは恐怖に駆られながら搭載砲の引き金を生まれて初めて引いた。

 砲口径75㎜、あんな軽い小型艇ならば当たれば粉微塵に出来るはずだった。

 しかし小型艇は魔法にでも掛かった様にフワリと船体を浮かせると軽やかにハシムの放った砲弾を回避した。

「マッセル! 次弾装填、急げ!」

 ハシムが悲鳴に近い声を上げた。それに答えようとマッセルが手にしていた砲弾を薬室に入れようと懸命に動く。

 しかし手遅れだった。

 小型艇は第一砲塔の初弾をかわすと反撃の鉄槌を674號艇目掛けて撃ち放った。

 レンズの中で砲撃による閃光が走る。

 同時にハシムの心臓が凍り付く。

 そして最後につぶやく、船体に記された赤い文字。

「ヴァイハーン……」

 それが自分達を襲った死神の名前だった。

 小型艇から放たれた一撃は河川砲艇の船体中央に命中した。

 674號艇はハシムとマッセルのふたりを砲塔内に押し込めたまま爆炎を上げた。

 そして先に沈んだ673號艇と同じ運命を辿った。


 ウラ鉄水軍の哨戒部隊は全滅した。交戦時間は僅か2分。戦闘を行った小型艇の数はガンボートと同数の四隻。にもかかわらず圧倒的な性能差で小型艇側の被害は0で終了した。

 ガンボートを全て沈み終えた小型艇の船団は速やかに敵勢力圏内から離脱した。

 そして進路をひたすら東に取る。

 空は夕暮れで赤く染まり始めていた。

 その中の一艘、ヴァイハーンの名が記された小型艇の操縦席にはひとりの少年が座っていた。

 少年は仲間の船と等間隔の距離を保ちながら船を走らせていると、船団の前方で何かを発見した。

「ボス! 1㎞先でコアの反応、箒の物と思われます」

 少年は備え付けの無線機で先頭を行く隊長艇に報告した。

「敵か味方か判るか?」

 隊長から無線が返って来る。

「コアの反応は9番! 識別信号確認、識別は……ヨシュア水軍、コメット3だ!」

 無線越しの少年の声が俄かに明るくなる。

 そして真っ赤な瞳でその姿を捉えようと顔に掛けていたゴーグルを外した。

 やがて小さな船団の前に空飛ぶ箒が現れると空の上で大きく旋回した。

「カナセくーん!」

 箒から少年の名を呼ぶ声が聞こえた。

 箒の上には水色のヨシュア水軍の制服を纏った金髪碧眼の魔女が居た。

「クレアー!」

 少年も操縦席から立ち上がると箒に向かって手を振りながら叫び返す。

 やがて箒は降下するとヴァイハーンの赤い文字の書かれた小型艇と並走した。

「お帰りなさい、カナセ君!」

 箒に乗った美しき魔女クレア・リエルから出迎えの言葉が聞こえた。

「ただいま、クレア」

 それに小型艇の操縦席からカナセ・コウヤも答える。

 その「ただいま」の短い一言一句には生きて再び彼女に会えた喜びが色濃く込められていた。

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