第310話 天井スマッシュ
悠那達が風呂場から上がると、ソファに寝転がってゴブ男のマッサージを受けるデリスの姿が目に入った。その表情は至福のひと時を堪能する少々だらしないものだったのだが、女風呂から出て来た自分達を確認したデリスは直ぐさまにいつもの死んだ表情へと様変わり。もしやその曇った表情はファッションなのでは? なんてどうでもいい疑問が生じつつも、全員が漸く揃うのであった。
「ネル、アレゼル、ちょっとこっちへ」
開口一番に2人を呼びつけ、悠那らから少し離れた場所へと手招きするデリス。どうもネルとアレゼルは呼び出しの理由を知っているようで、何も言わずそのままデリスの下へと行ってしまった。唐突に始まる破天荒会議、されど弟子達は何の事だか分からず、お互いに顔を合わせるに留まってしまう。
「どうしたんでしょうか?」
「んー…… 私達が温泉に入っている間に、何かあったのかしら?」
「やべっ、普通に温泉を堪能しちゃってた……」
「安心して、刀子ちゃん。私も全力で堪能してたから!」
「そっか! ならいいか!」
「良くはないんだけれどね……」
そう、緊急時ならば良くはない。が、それも仕方のない点が幾つかある。彼女達を擁護するとすれば、有する察知スキルが『魔力察知』系統と『危険察知』系統のみだけで、隠れた者の気配を特化して読み取る『気配察知』がないのが1つ。そして鬼ごっこの直後、それも疲労に染み入る温泉に入っていて、文字通り満喫状態にあったのがいけなかったのだ。
「あ、戻って来ましたよ」
千奈津が頭を悩ませ、悠那と刀子が温泉談議をしていると、3人が話を終えて戻って来るのにゼータが気付き声を上げる。
「待たせた。少し立て込んでいてな」
「何かあったんですか?」
「あはは、大した事やない。デリスが先に風呂から上がって待ってる最中にな、うちの会社のもんから言伝を受け取ってたみたいなんや。休暇中にも仕事が舞い込むのが、商人の悲しいところやなぁ」
「で、その仕事に私とデリスも同行する事になったのよ。これから少し行って来るわ」
「えっ、これからですか?」
「そ、これからよ」
浴衣から元の騎士姿に戻る為なのか、ネルの足先は既に脱衣所の方へと向いていた。デリス、アレゼルも同様である。
「そんなに時間は掛からないだろうから、お前達は付き合わなくていいぞ。もう大分疲れが堪っているだろうし、今日もこれ以降は自由時間だ」
「こんな事もあろうかと、ここで食事もとれるようにしといたさかい。温泉にまた入るのも良いし、自由に使ってや。何なら、このまま泊まってもええで?」
「という訳で、私達の事は気にしないで満喫なさい。アレゼルに一矢報いたご褒美ってやつかしらね」
「いやはや、マジ快挙」
そう言うと、3人はそそくさと脱衣所へ着替えに行ってしまった。
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デリス達が温泉場から出発してからというもの、師匠らの言葉に従い悠那達は自由時間に入っていた。温泉にもう一度入ったり、サウナでの我慢対決の最中で施設についての解説をテンション高めのゼータがしたり、その結果刀子が倒れたりと、疲れが取れたような、はたまた蓄積しているようなアクティブな楽しみ方をしていたようだ。
「とうっ!」
「げぇっ!?」
今はなぜかこの温泉施設に置いてあった卓球台を借りて、総当たりの温泉卓球をしているところである。試合結果は言わずもがな、悠那の圧勝状態だ。
「ビクトリー!」
「ぐぅ~! か、勝てねぇ……! 必殺の天井スマッシュを使っても、1ポイントも取れねぇ……」
「悠那は大抵の競技で正規部員のレギュラーより強いのよ。卓球もまた然りだから、相手が悪いと言わざるを得ないわ。って、普通に卓球台があるのもツッコミどころではあるのだけれど……」
「アレゼル様の会社で開発された商品だった筈ですよ。異世界からの転移者から話を聞いて、それを再現したとか何とか」
慣れないラケットで素振りをしながら、ゼータがまた解説してくれた。どうやら彼女はペン派のようである。
(その転移者って、デリスさんの事なんじゃ…… もう何でもありね、クワイテット総合商社)
悠那をはじめとして、千奈津、刀子はデリスが転移者ではないかと、薄々勘付いていた。だからどうするという訳でもないし、自分達から問い質すつもりも今のところはない。しかし、仮にそうだとすれば…… デリスが未だこの世界に留まっているという事実は、自分達が生まれ育った日本に帰る術はやはりないのでは? という疑問にも繋がってしまう。悠那と刀子はあまり気にしていないようだが、千奈津は少し違った。日本に残して来た家族や友人の事を思うと、少し居たたまれない気持ちになってしまうのだ。
「でも、デリスさんがこの世界に満足しているだけって可能性も…… うん、結婚しちゃってるし……」
「えっと…… 千奈津ちゃん、どうしたの?」
「千奈津、すげぇ勢いでラケットが回ってるぞ?」
「プロペラみたいになってます」
「え?」
気が付けば、千奈津はシェークハンドのラケットを超高速で回していた。熟考に熟考を重ね、ついでに無意識から手も動いてしまっていたようだ。手の平に帯びる摩擦熱が凄い。
「あっつ!」
「あんだけ回してたら、そりゃそうなるだろ。千奈津は馬鹿だなぁ」
「うう、刀子にだけは言われたくなかった……」
まだ少しヒリヒリする手の平を押さえながら、千奈津は自省からの溜息を漏らした。
「ねえ悠那、刀子」
「んー?」
「何だよ、今新しい必殺サーブを考えてるところだから、早く済ませてくれな」
「私達の今の目的って、何なのかしら? ヨーゼフ魔導宰相の思惑からは大きく外れたけれど、結果的にジバ大陸の危機はもうなくなった。この世界での、勇者としての役目を終えているのよね」
「……?」
事情を知らないゼータは頭上に疑問符を浮かべている。一方で、悠那と刀子はほぼ同時にこう言い放った。
「今の目標? 大八魔の皆さんに勝てるくらいに強くなって、師匠と一緒にてっぺんを取る! かな!」
「目標か、色々あっけど…… まずは悠那に勝つ事だろ? アレゼルも一度殴っておきたいし、最終的にはその、旦那と良い関係になったりして……」
「………」
「えっと、チナツさん? 如何しましたか?」
迷いのない純粋無垢な瞳を真っ直ぐに向けると悠那と、何やら体をくねくねし始める刀子。そうだ、いつも通りな悠那は兎も角として、刀子に限ってはこの世界に居座る気が満々だったんだと、千奈津は頭を抱えてしまう。
「そ、そのね、そろそろ日本の家族が心配じゃないかなと思って…… ほら、渕君達も帰る方法を探していたじゃない?」
「うちは放任主義だから、満足するまでいけると思うよ? お父さんが海外で行方不明になっても、お母さんは現在進行形で放ってたし…… むしろ頑張れって、勝てるようになるまで応援してくれると思うな~。弟達も何だかんだで逞しいから、ああ、また遠征か。くらいにしか感じてないんじゃないかな!」
「俺も親との仲が悪くて独り暮らしだから、そこまで急いでねぇかなー。まあその、旦那と良い関係になったら、報告するくらいは吝かでもないっつうか、えへへ…… いや、別に惚気てる訳じゃねぇよ? 喩え話だ、喩え話!」
「………」
回答が予想の斜め上過ぎて、再度頭を抱え出す千奈津。尤も、この2人に普通の回答を求めるのは酷な話であった。
「……あの、チナツさん。今までのお話から察してなのですが、もしかしてチナツさん達は異世界からの転移者で、元の世界に戻る方法を探されているのですか? それでしたら、確証こそはありませんが、お力になれるかもしれません」
「え?」
妙に察しの良いゼータが、思わぬところから情報をもたらした。




