第111話 ネル師匠の地獄鍛錬
デリスがテレーゼに杖術の手解きをする同時刻、ネルは3人娘を率いてオルト公の屋敷の地下、愛娘の為にと秘密裏に建造された修練場へとやって来ていた。修練場はバスケットコートほどの広さで、天井も高い。普段であれば様々な機材が置かれるこの場所であるが、ネルは邪魔だからと前もって使用人達に機材をどかすよう注文していたようだ。
「ふむ。広さはまあ、及第点かしらね。デリスが用心深く結界を張っている事だし、多少無茶しても大丈夫でしょう。たぶん」
デリスは再三言っていた。無茶しないで、と。しかし、現実とは無慈悲であるものだった。
「師しょ…… ええと、冒険者さん。ここで一体どのような鍛錬を?」
「ああ、そうだ! 俺も気になって仕方なかったんだ! あれだけ勿体ぶって自信満々だったんだからよ、俺達のド肝を抜くような奴をやるんだろうな!?」
「あはは、刀子ちゃん。抑えて抑えて」
ネルは意味深に眼鏡をクイッと上げた後、これまた意味深に微笑んだ。その笑みを目にした瞬間、千奈津は背筋に悪寒が走るのを感じ取った。ネルの弟子になっただけあって、千奈津はデリスに次ぐ理解者となっている。眼鏡の似合う綺麗な冒険者のお姉さん改め、師匠のネルがこの笑みを浮かべる時はろくな事が起きないと知っていたのだ。
「何、とっても簡単な事よ。今日の鍛錬は直接指導! 私が直接あなた達と戦って、その都度改善すべきところを教えてあげる。もちろん、模擬戦形式でね!」
「うわ、やっぱり……」
師を相手に実戦を行い指導されるところに、不満な要素はないように思われる。しかし、千奈津は知っていた。この指導は実際の殺し合いに限りなく近い領域で行われ、ネルの主観と勘と気分で調整された、ギリギリ躱せるかどうかという手痛い反撃が織り交ぜられながらの戦いである事を。僅かにでも気を抜けば大怪我は必至。そうなってしまうと簡単な治療薬と包帯だけポイッと渡され、後は自分で何とかしろと放置されてしまうのだ。千奈津は1度だけその経験があるのだが、その時は途中で力尽きて死ぬ事を覚悟した。
「へぇ、私ら相手に模擬戦か。姉さん相当腕に自信あるんだな。1人1人順番にやればいいのか?」
「こんな時間にそんな悠長にやってらんないわよ。3人まとめて掛かって来なさい。各自、最大出力最大火力、今出せる最高の動きをしなさい。でないと、明日はベッドから出られないわよ?」
「……上等っ!」
「よろしくお願いしまーす!」
「お、お手柔らかに……」
威圧的なネルの挑発に、ある者はまんまと乗っかり、ある者はいつもの調子で、またある者は若干の怯えを見せながら、模擬戦が開始されようとしていた。鞘に収まった剣を手に持ちながらも、ラフな格好をしているネル以外の3人は完全武装の戦闘服。刀子の片方の脚甲は破損してしまった為に予備のものではあるが、大よそ遺跡の時と同じ装備である。
「得意満面のとこ、わりぃけどよぉ。俺らはこれでも短くねぇ付き合いなんだ。初っ端から連携するってのも、できんだぜ?」
「は、何言ってんの? 協力した上で全力を出せって言ってんのよ? そうじゃなきゃ、欠伸が出て指導どころじゃなくなっちゃうわ」
「………(ビキビキ)」
「刀子、落ち着いて! どうどう!」
早速前進しようとしていた刀子を、千奈津が必死に抑える。冷静にならないと死ぬ。兎も角、この事実を3人で共有しなくてはならない。ネルの許可を取り、千奈津は皆を集めての作戦タイムを取る事にした。
「―――詰まり、これは殆ど実戦と同じって訳か?」
「ええ。私はあの人とちょっと付き合いがあって、手を合わせた事があるんだけど…… デリスさんと同格だと考えた方がいいわ。油断も加減も一切必要ない。のっけから全力で畳掛けるのが最善だと思う」
「私も千奈津ちゃんの意見に一票かな。模擬戦が始まった瞬間に私が闇魔法で毒をばらまくから、千奈津ちゃんは光魔法でそのフォローを、刀子ちゃんはベルセルクを直ぐに発動させて―――」
作戦タイムは3分ほど。3人は部活でのミーティングを思い出しながら、この短い時間で策を練っていく。この勝負、3人がどれだけのチームワークを発揮できるかが鍵となるだろう。ネルは随伴していたゴブ男から紅茶を受け取り、優雅にそれを飲みながら3人の様子を観察していた。
「―――さて、時間よ。準備は良いかしら?」
「準備オッケーです!」
「そ。なら、開始の合図はゴブオにお願いしようかしら」
ネルは空になったティーカップをゴブ男に返し、適当に合図を出すようにと指示。ゴブ男はゴブゴブ言いながら、これを了承した。
「ゴッブ! ゴブゴーブ、ゴブ」
「……なあ、悠那。あのゴブリンは何を喋ってるんだ? あの姉さんに言われて前に出てから、ずっとあんな調子だけどよ」
「一応、急所とかは狙うなっていうルール確認かな。ゴブ男君、結構マメなところがあるし、師匠からもすっぱく言われてたみたい」
「いや、ルールなんて言われても、ゴブリン語が分かんねぇよ……」
ゴブ男のルール説明を翻訳が代理で説明。修練場を壊すなと3回ほど念を押される。これは十中八九デリスからの伝言みたいなものなのだが、肝心のネルには聞き流されていた。
「ゴーブ」
「それじゃ、始めまーす」
安全の為か兜を被って武装したゴブ男が、高らかに腕を掲げる。悠那と刀子が2人前に出て、千奈津はその後ろで援護する陣形。当然、速攻をする為に抜刀を済ませ、悠那も黒杖を構える臨戦態勢だ。ネルは仁王立ちしたまま、腰にぶら下げた剣の柄に手も当てていない。
(ふざけやがって。速攻でぶっ倒してやる……!)
刀子の仕事はベルセルクを発動しての速攻だ。隣にいるもう1人の前衛である悠那も、刀子と同様に動くが魔法での補助も受け持つ。実質的にネルを叩きのめす機会が最も多いだけに、彼女の気合いの入り様は凄まじいものとなっていた。理性をなくせば邪念もなくなる事から、油断も加減も一切なくなる。だから、刀子は今のうちに闘志を燃やしていた。
「ゴブッ!」
そして今、ゴブ男の腕が振り下ろされた。悠那はヴァイオボムを目の前に作り出して、浮かび上がった水の大玉をネル目掛けて蹴り飛ばそうと、千奈津はリジェネとリフレクトを各自に付与、刀子は全開のベルセルクで本能を剥き出しにしようと動き出す。
「何ぼーっと突っ立っているのよ?」
「―――がぁっ!?」
ネルの立っていた床は抉られ、何かの衝撃で弾け飛んだかのような爪痕が残されていた。そして、痛みを認識した時にはもう遅い。ネルの右膝が刀子の脇腹に、深く深く叩き込まれていた。それが視認できれば立派なもので、もう次の瞬間に刀子は吹き飛ばされ、壁へと激突してしまっていた。デリスの障壁のお蔭か、痛々しい音が修練場に響くも、壁は破壊されていない。
「貴女、トーコだっけ? 前にそれやる時も思ったんだけどさ、スキルを発動させ終えるまで隙だらけなのよ。やるなら戦いながら発動なさい。じゃないと、いつか死ぬわよ?」
作戦変更。刀子が離脱した事で、千奈津が前線へ。瞬時に構想を練り直した千奈津が刀で、魔法をキャンセルして黒杖での直接攻撃に切り替えた悠那が共に攻撃するも、ネルは僅かに鞘から抜かれた剣と暇をしていた片手で、2人の攻撃を受け止めてしまう。ギリギリと拮抗しているように見えるだけの剣と刀、鷲掴みにされ微動だにしない黒杖。
「それに比べたら、まあ2人は及第点ね。ハルナはいつものように死ぬ気だし、チナツも最善を尽くそうとしているわ」
「……それってのはぁ、どれの事だぁ!?」
獣に成り果てた刀子が、壁際からネルを睨んだ。




