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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
終宴
119/120

八-桜餅

「お稲荷さま、お稲荷さま、どうかお願いします」


 日の入りがよくない北の神殿にも、夏の日照りが顔を出し始めたようだ。蒸した夕暮れの拝殿で娘がたま粒の汗を溢しながら拝んでいる。

それを見た稚児は陽炎をかきわけながら、拝殿へ上がった。

久助だ。

今の久助はどんな霊力なしにも見えるし、より一層輝かしい。参拝客は見惚れているうちに願い事を忘れ、引き返していった。

銭に五月蝿い側室にみつかったら、賽銭だけでも巻き上げなどと、どやされる。

久助は苦笑いしながら、熱心に拝む娘へ声をかけた。


「供物はありますか」

「唐かささんに持たせたんやけど」

「それなら先ほどお稲荷さまが召し上がられていましたよ」

「そう、よかった」


 鹿の子の晴れ晴れとした顔をみて、久助もまた大きな眼を三日月にして笑った。

そして尋ねる。


「願い事は、なんですか」





 その夜。クラマは茶室のつくばいの前で半べそをかきながら、くるくる尻尾を追いかけていた。


「鹿の子のくせに、鹿の子のくせに」


うまいこと騙された。

クラマは口の端にあんこをつけながら、今日の御饌を食べたことを悔いた。

鹿の子の菓子は危険だ、百両よりずっと価値がある。よってよもぎ団子以来ずっと、御饌以外の菓子のつまみぐいを我慢してきた。

してきたと言うに、今度は御饌菓子が鹿の子からの供物であったではないか。今朝の御饌は唐かさが本殿へ持ち込んだおはぎであった。

 その対価となる願いが、


「クラマが茶室に来ますように」。


世継ぎ作りから帰ってきた鹿の子にどんな顔をして会ったら良いかわからず、にじり口を潜ることができない。

それに加え、なかなか狐の習性が抜けないのか、気付いたら尻尾を追いかけていた。おかげでつくばいの前で、顔を真っ赤にして会うことになってしまった。


「ただいま」


 鹿の子がしわくちゃの婆さまになるまで本殿に引き篭ろう。そう決めていたのに。

でもクラマが怖かったのは、そこまでだ。


「よかった……! 来てくれたんやね!」


 いつもの調子で抱きつかれても、鹿の子はなんにも変わっちゃいなかったから。

少年の姿に戻ったクラマは鹿の子の頭ひとつぶん背が高かったが、狐であった頃のように、鹿の子にしがみついた。

 耳をすませば茶室からぴいぴいと、縦笛のような音が鳴っている。分福が継室けいしつにお抹茶を点ててもらえるのが嬉しくて、湯を沸かしているのだ。

壺庭を望めば夏花爛漫。


「今朝、唐かささんといっしょに選り分けたの。綺麗でしょう。ほら、おやつも」


 簾の向こう、客座を覗けば菓子皿がひとつ置いてある。クラマは吸い込まれるようにしてにじり口を潜った。しかし、


「桜餅か」


皿の上をみて、苦笑いを溢した。


「呆れた?」

「いや、ええよ」


桜餅は春に上がった御饌菓子であるが、目から血を流す想いでお残ししている。その葉に「可愛らしい御子さまに恵まれますように」と願いが込められていたからだ。


「お稲荷さまのことやから、季節菓子を食べてないの、悔んでると思うて。今なら食べてもらえるでしょう?」

「そうやな」


鹿の子の桜餅の美味さは昨春に舌で覚えている。だからこそ悔やんでも悔やんでも、悔やみきれなかった。

しかし今更、どうってことない。


これから鹿の子の産む世継ぎが、可愛いくない譯がないのだから。


 クラマは菓子皿を取ると、桜餅をまるごと口に滑らせた。


「はぁ……」


腹の底から溜め息を吐く。

こうでもしないと、涙が溢れそうだ。

 こし餡に餅粉を混ぜた薄皮を巻いて、桜の葉を貼り付けた、小御門の桜餅。

毎年春になると食すこの菓子、鹿の子の手にかかればひと味もひた味も違うことなどわかりきっていたことなのだが。


 そこからまた殻を破ったような、得体の知れない美味さが湧き出ていた。


 もちもちと弾力のある皮。滑らかなこし餡に合う、絶妙な桜の葉の塩加減。それぞれが誇張し合い、ぶつかり合い、舌で仲良しになる。今までも美味かった菓子がうんと背伸びをして、語りかけてくる。


 クラマは一年、鹿の子の菓子を食べ続けようやくに気付くことができた。


 鹿の子の手は神の力を養う菓子を生み出せるのだ。だから搗いただけの餅も、溶かしただけの飴もなんでか、美味しい。

なんでか美味しいのは、鹿の子の異能であったのだ。


鹿の子の作る菓子には神を潤す力が備わっている。


それは月明の祝詞や巫女の舞よりずっと尊いものだ。何百年も眠っていた茶炉の神の力を呼び覚ましてしまうほどに。

よって直に恩恵を受ける陰陽師の桜華と鹿の子のとうさまが、お日さんのように快活なのであった。



それが鹿の子の異能であった。



千年に一度生まれる、御饌巫女。

それが鹿の子であったのだ。

真の御饌巫女が作る御饌菓子は神の力を養う。

神の力をーー。


 荒神が離れ、自分の居場所をみつけた鹿の子が作る菓子は、精を宿したように生き生きとしている。

 わたしは幸せだと、かまどの嫁でよかったと叫び、踊るように。 

 ああ、これでよかったのだ。鹿の子が幸せになれてよかったと、クラマは心から祝福できた。


「美味しい?」


 これほど美味い菓子を作っておきながら、まだ鹿の子は不安げに尋ねてくる。

 クラマは声高らかに、


「うんまい!」


と叫ぶとお代わりをせがんだ。それから嬉しそうに水屋へ引っ込む鹿の子の背中を見届けると、我慢していた涙をひと筋だけ流した。

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