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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
終宴
112/120

一-桜散る

「まだ目を覚まされませんか」

「出仕の刻はとうに過ぎておりますよ」

「あともう少しだけ」

「主上が御出でになりましたよ、はやく!」


几帳の向こうが騒がしい。

鹿の子が目を開けると、そこには見慣れはしないが、見覚えがある天井があった。一度二度しか泊まったことのない、かつての邸。


「東の院……?」

「鹿の子さん、起きたの!」


小さいひとり言を耳に拾い、几帳を潜ってきたのは沙月だ。


「さっきまで旦那様がお待ちやったのに、なんて間の悪い」

「旦那様が?」

「主上が顔を出すまでそばにいたいからって、朝から私の力を無駄使いされたんですよ、鹿の子さんどんだけ愛されてるんですか。はい、冷や水」


思う存分にまくし立てる。

寝起きの鹿の子はその言葉をたいして拾えなかったが、ちゃっかり最後だけは聞こえた。

茶碗に口をつければ、ぼやけた頭が冴えわたっていく。


「ああ、美味しい……!」

「まったく、砂糖をとらな生きてられへんなんて、難儀な継室ですね」

「これからは、そんなことないと思うけど」


急に起き上がっても目がくらむことはない。なんとなく首筋をなぞる。

沙月は寝違えたのだろうかと、その所作を怪訝な顔をして見守った。

痣は跡形もなくなり、その肌はただただ白い。


「五菱、鹿の子さんを診てさしあげて」


沙月が几帳の向こうへ呼びかけると、浄衣を身に纏う公達が頭を下げたまま帳台に上がった。


「はじめまして、東の院に住まわせてもらっております、五菱と申します」

「こちらこそお初にお目にかかります、鹿の子と申します」

「鹿の子さん……!?」


顔を上げた五菱はたまげて後ろに転がりそうになった。図体のでかい五菱が几帳の裾を踏んだだけでも帳台を壊してしまう。沙月は慌ててその広い背中をおさえた。


「どうしたの!? 遠くからだったけれど、一度境内で会っているでしょうに」

「いや、これが、鹿の子さん? なんですよね?」

「はい」


にっこり笑う鹿の子は生気が漲っている。


「鹿の子さん、やっぱり瘴気にあてられたのかしら。具合が悪いの?」

「い、いや、お加減はよろしい。すこぶる」

「うん。なんともないよ。着替えてもいい?」


鹿の子はふたりを笑顔で帳台から追い出すと、沙月が茶を淹れる寸の間に身支度を整え、居間へ身を移した。


「あら、嬉しいわぁ。朝から沙月さんのお茶を飲めるなんて」


三日三晩寝込んだとは思えぬ姿勢の良さである。嬉しいそうに茶碗を回す鹿の子。沙月は呆気にとられた。


「今日の朝餉そのまま出しても平らげそうですね。今から上げさせましょうか」

「そうやねえ、食べたいけど昼まで我慢するわ。久助」

「はい」


久助は鹿の子と膝を揃え現れた。威風堂々としたその居住まいに、沙月はようやく気づくこととなる。

鹿の子から迸る、霊力の強さにーー。


「作りたいお菓子があるし、もう行くね」

「えっ、待ってくださいよ。鹿の子さん、あなた起きたばっかりなんですよ?」

「んでも、おふたりの邪魔も野暮やし」


沙月の顔が床の間の柘榴の花より赤く染まる。


「それじゃあ」

「え、うそーー」


鹿の子と久助が互いの小さい手を取り合うと、


「転移……しはった」


頭のてっぺんからつま先まで、風に吹かれた花びらのように消えてしまった。







同じ頃、唐かさはかまどで傘を広げていた。


「こらっ、やめぇ言うに!」

「あかん、こいつら束になったらかなわん」


束というか、鎖にたとえたほうが正しい。

かまきりのたまごが孵ったような数の小鬼がわらわらと手を取り合って、釜の蓋に集っている。それを婆さまたちがひっぺ返そうとまた集まり、唐かさもまた風で吹き飛ばそうと風を起こしていた。

釜の中身は鹿の子が炊いた御饌飴だ。おひつに移す前に捕らえられ、そのまま寝込んだものだから、今の今まで放ったらかしだった。それを四六時中守っていた久助が消えたのだ、かまきりの卵も孵る。


「お稲荷さま、ご自身の御饌ですよ、どうにかしてください」


戸口を塞ぐようにして座り込むお稲荷さまへ、小豆洗いが助けを求めるものの、なんも返ってこない。

神様でも腑抜けることがある。

慣れぬことをよせばいいのに、お稲荷さまは桜狩の一件で自身を顧みてしまったのだ。

お国の一大事に、お国の氏神がなんとまあ、存在感のないこと。神殿ひとつ護れず、鹿の子を救うこともできず、ただ母の懐であったまっていた。思春期真っ盛りのお稲荷さまにとってそれはそれは情け無いことだ。最後には母の出汁に使われ脇役どころか当て馬であった。結果、お稲荷さまの自尊の心はこっぱ微塵に砕け散っていた。

唐かさが「うひゃあ」と溜め息をついて傘を縮めると、かまどに吹いていた風が止む。

すると小鬼たちに力が入る。

釜の蓋は小鬼に持ち上げられるもんじゃない。いつもなら蓋が開くまで辛抱のところ、一致団結。力合わせて「せいやあ」背中で押せば、少しずつ動くもんだ。

三日もつまみぐいできなかったんは妖しみんなおんなじこと。

蓋の隙間から上った芋の香りに、止めに入った小豆洗いの手と顔が緩んだ。慌てて傘を広げなおした唐かさの骨も緩む。

それ今のうちだ。あともうちょっとで一匹ぶんの隙間が開く。小鬼たちは涎を垂らしながら力を振り絞る。


「めんめっ」


すると気の抜けるような、叱咤の声がした。

小鬼が振り返ると、御饌装束を身にまとい、おたま持って鹿の子が仁王立ちしているではないか。

小鬼たちは鼻を鳴らした。こりゃあ、ない汗をかかずに済みそうだ。そのうち鹿の子自らが蓋を開ける。そうすりゃ釜に飛び込むだけで、たらふく飴が舐められる。


どうせ自分らは見えていないのだから。


「あーーーーーーーーーーーー」


一匹の小鬼がほくそ笑んでいると、隣に居った奴がけったいな声を上げて格子窓の外へ飛んでいった。

飛んでいった?


「あーーーーーーーーーーーー」


そのまた隣も首をつままれ、ぽい。

首をつままれ?

目の前で起きたことが信じられないまま、鹿の子の小さい人差し指と親指が迫る。

鹿の子の爪が首にかかる。

そんな馬鹿な。


「あーーーーーーーーーーーー、あっ!」

「あっ、ごめん」


小鬼は格子に当たり、外に出ることなく三和土の上に落ちた。

目をぱちぱちさせる。頭の足りない小鬼でも、今見ている光景が「とんでもない」ということは理解できた。


「あーーーーーー」

「あーーーー」


 容赦ない。

 ひっきりなしに両手で子鬼を掴み、放り投げるその情景は地獄絵図のようだった。人と鬼の立場が逆であるだけでとんでもないのに、人とは鹿の子。慈悲のかたまりのような娘が今、鬼のように無慈悲である。子鬼ははじめて涙を流した。

もう二度と菓子にありつけぬかもしれん。


「はよう仕込みたいのにきりないわ。久助、手伝って」

「かしこまりました」


 久助は軽く頭を垂れたのち、おもむろに両手を掲げるとそれを合わせ、音を鳴らせた。すると「この指とまれ」のように、手の甲に子鬼が貼り付いたではないか。それをそのまま境内に、ぽい。子鬼の涙もいっしょに捨てられた。

 その寸の間に鹿の子は納戸から菓子の材料を集めて、御出し台で計量を始めている。

 唐かさや小豆洗い、子鬼以外の妖しみんな、ぽかんと大きな口を開けたまま、しばらく動けなかった。

 焚き口で固まっていた火消し婆に声をかけたのは鹿の子だ。


「すんまへん、そろそろお餅練りたいから、火つけてくれる?」

「は、はい」


 火消し婆は我に返ると、手慣れた手つきで火打ち石を鳴らした。鹿の子と目があった気がしたが、気の所為というやつやろう。

 釜に火が回ると、今度は「御出し台で待ってて」と肩を叩かれた。何百年と人に触れていなかった火消し婆は火に似たその温もりに、初めて「恐怖」を感じた。

 それからすぐに釜から湯気が上がる。


「そや、明日はすずし梅仕込むから、小豆洗っといてくれる?」

 

 鹿の子は釜にしゃもじを泳がせながら、流しに顔を向けて言った。


「はい?」


 流しに背中を預け、呆けていたのは小豆洗いだ。


「いっつも二升洗うてたけど、一升でいいよ」

「はあ」

「洗ったら、小豆洗いさんも御出し台で待ってて」

「はい」


 小豆洗いは名前を呼ばれると、何百年と円を描いていた背筋が伸びた。隣の水桶で傘を立てかけていた唐かさは、小豆洗いの本来の背の高さに見惚れた。


「あっつう。唐かささん、暇なら扇いでくれる?」


 ついに自分にも鹿の子のご指名が入った。唐かさは一本足を跳ねさせ釜に飛びついた。


「あんまり近う寄ったら傘が燃えるよ」


 鹿の子は唐かさが降り立つ前にその足首を掴むと、内側をよおく覗いた。唐かさにとって裸を見られるようなもんで、ひどく恥ずかしい。


「う、うひゃあ、うひゃあ」

「こんなに穴を広げて。夜寝る前に繕ったろうね」


 そうにっこり笑うと、半歩後ろのところで唐かさを下ろした。


「ひゃあ……」


 唐かさはこの日初めて、「膝を折る」という、傘にとって致命的な技をとった。腰を砕きたかったが、唐かさに腰はなかったから。それでも言いつけどおり傘を開くと、鹿の子に風がいくよう扇いだ。

かまどは静かだ。

たまに炭が爆ぜる音が耳をくすぐる。

ただ妖しらは胸を高揚させていた。

御出し台で顔を揃えた婆さまたち、外に放り出された小鬼たちも、胸のない唐かさも。



みえてる。



触れる。



静かに。

静かに呑み込んだ。




見えるのだ、鹿の子に。

自分らがーー。




ごくり。生唾を飲み込む。

やたらと涎がでると思うたら、砂糖が焦げる芳しい香りがかまどを満たしていた。


「さ、包もうか」


いつの間にやら湯気立つ生地が御出し台に乗せられている。

鹿の子はひとつ、生地に具を包むと、それをやおらに戸口へ放った。受け取ったのはお稲荷さまだ。腑抜けていたって菓子は落とさない。


「その菓子、家のみんなへの労いに配ってもいいでしょうか。もちろん御饌としてもう一度上げます」


鹿の子の申し出に、御出し台で待つ婆さまたちは顔を見合わせた。

みんなに配る?

夜食ならともかく、御饌と同等の菓子をみんなの口に入れさせるなんて、お稲荷さまが許すはずない。ほれ見たことか、腑抜け顔が難色を示している。

しかしひとくち食べればその顔は晴れ渡り、次にはこくりと頷いた。


「お許しいただき、ありがとうございます」


鹿の子は当然とばかり、またひとつ、またひとつと生地に具を包んでいった。それをうやうやしく菓子箱にしまい、隅へ避ける。空いたところに置かれたのは板重だ。


「今みたいに包んで。ひとり十個で、五十個ね」


そう言うと、鹿の子は足りないぶんの生地を焼きに釜へ身体の向きを変えた。

今まで呆けっぱなしだった雪婆が呟く。


「五十個、十個ずつやて」

「ああ」


同じく固まっていた米とぎ婆が頷く。

数の多さにたまげたのではない。

数が合わないのだ。

御出し台に立つ妖しは米とぎ婆に雪婆、火消し婆と小豆洗い。ぜんぶで四人。


「数が合わん。見えてないんや」

「そうやそうや、目が合うたんはたまたまや」

「今日は雪が降るで」

「あら、雪婆なら降らせられるでしょう。暑いから降らせてくれてもいいよ」


鹿の子は生地を焼き終えると、それを持って御出し台に向き直った。

雪婆の顔を覗き込みながら。


「ほら米とぎ婆、手を止めない」


しわくちゃの手の甲をつつく。


「明日すずし梅と、何作ろうか」


それから、手際よく菓子を包んでいく。

妖し四人。鹿の子を入れてちょうど五人。十個ずつ作って、五十個ーー。


「うふふ、みんなで仕込むと早いねえ。あと一品作れそうや」


鹿の子はぴんときた。


「クラマ、今の菓子二個ずつ配ってもいい? もちろん御饌にも上げるから!」


鹿の子とはなんと罪な娘であろうか。神が真名を呼ばれては、首を横に振れない。

お稲荷さまの頷きを見届け、鹿の子は小豆洗いに笑いかけた。


「すんまへん、やっぱりあと一升研いどいて?」

「はい!」


小豆洗いはさっきより潔い返事をした。それを聞いた鹿の子は子どもみたいに、


「みんなで作るの、楽しいね!」


はしゃいだ笑みを浮かべた。




お稲荷さまーークラマは、そっと戸口を開け本殿へ向かった。もちろんこれから出される御饌菓子を食すためだ。

ざく、ざく、下駄が境内の砂利を切る。

その目線はいつもより高い。

五本ある指で髪を梳けば、お日さんの光で艶めいた。見下ろす鼻筋に黒豆はのっていない。舌で舐める唇は滑らかだ。瞬きをすれば、色めく世界。今なら、国じゅうの願い事を聞き入ることができる。

もう毛むくじゃらじゃない。

クラマは確かに、二本足で立っていた。


「わしの目に、いや舌に狂いはなかったっちゅうことや」


捏ねただけの餅も、練っただけの飴も。

鹿の子の作る菓子はなんでか美味い。




「ああ……、わしは今、鹿の子に生かされとる」




クラマは恋をした。

二度、人間の娘に恋をしてしまった。


その恋は永遠に続くのであろう。

娘がこの世から消えた百年、千年後も。

恋しくて、恋しくてたまらないのだろう。


久しぶりについたクラマの足跡は、涙の川に沈んで消えた。

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