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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
かしわ餅
106/120

九-冬毛

 ひな祭りが終わると小御門家の札所にはちまきではなく、かしわ餅が並んだ。月明が直々に仕入れてきた張りのあるかしわの葉に、包まれた艶々の餅は真珠玉のように輝かしい。

 その光りに導かれ、参拝客はふーらふら。

 御用人の沙月もふーらふら、小銭握りしめ行列に加わった。


「やっと食べられる、食べられる」


 頭の上にあんこを思い浮かべながら。

 五菱の君の輿入れから半月、沙月は毎晩のように鹿の子の世話になっているが、一度も生菓子を拝んでいない。

 それに久助がかまどに居ると、


「なにさぼってるんですか」


 このように口五月蝿い。


「自分の小遣いでお八つ買うて何が悪いんですか」


 沙月は肩を並べた久助を真っ直ぐ睨みつけた。


「同じ御用人として忠言しています」

「お生憎様、なか休みです」

「主のかしら餅は昼前に売り切れる人気菓子です。雇われものは遠慮すべきでしょう」

「我慢できない。余計に食べたい」

「後ろを見ては」


 振り返らなければよかった。「ほう、雇われものが並んどんのか」と、恨めしげな参拝客の視線が突き刺さる。童子の物欲しげな眼差しは沙月の財布の紐を締めた。


「おぼえときや!」


 そう叫ぶと、沙月は列を抜けてかまどへ足を向かわせた。代わりになるお八つをねだるつもりだ、久助は柳眉をひそめた。


「こちらの台詞ですよ」



 *



 この日、かしわ餅が売り切れたのは夏のような日盛りのなか。品切れの札を見てしょぼくれた参拝客がぽつぽつ、境内に影を落とした。


「唐かさ、お客様には申し訳ないですが、境内に居らっしゃる方々を風で追い立ててください」


 いつもの幣殿の高座に座る月明は涼やかな顔でそう言った。

 うひゃあ、飛び出していった唐かさの影が幣殿の簾から消えると、入れ替わりで女の影が映りこむ。


「小薪さん――と、五菱ですか」


 東の方、五菱はしゃなりと艶やかな腰付きで月明と膝を揃えたが、小薪は眉をひそめ、顎を突き出し横柄にあぐらをかいた。


「なんですか、その下品な態度は」

「我慢ならんのです、色々と」

「我が側室ならば言わずもがな、商家の娘さんでもそんな振る舞いは決していたしませんがね」


 月明に冷たい言葉を浴びせられても小薪は居住まいを正さず、あぐねる五菱の膝下で拳を叩きつけた。


「わたしは鹿の子さんを東の院へ行かぬよう、誠意を尽くしました」

「はい」

「おかげで鹿の子さんを傷付けました。いらん誤解を招いたし、御用人の沙月さんは意地悪やときた」


 拳が月明の膝下に移る。


「それやのに旦那様はなんでそんな平気な顔して、座っていられるんですか!」


 五菱の美しい顔はさっと青ざめたが、月明の顔は冷ややかなまま動じない。


「私は小薪さんの占術に従うのみ。これでも辛い思いをしているのですがね」


 小薪が息を弾く。拳が再び宙に上がったので、五菱は怯えて目を瞑った。

 音はなかった。

 拳は小薪の膝に叩きつけられていた。


「ほんなら、いっちゃん薄情なんは、わたしやないですか……! 鹿の子さんがどんなに傷付こうと譯を話されへん、慰めもでけへん、どんだけ旦那様がわからんちんでも口出しでけへん!」

「わからんちん」

「会われへんでも手紙を出すとか、できたでしょう!」

「夫婦で手紙、ですか」


 月明がやおらに腰をあげる。喧嘩を買ったような間であったが、


「なるほど、考えに及びませんでした。次からそうしましょう」


 目は感嘆と輝いている。


「鹿の子さんが思いもよらず花言葉を使ったので、私もそれとなく返したのですがねえ。ちっとも気付いてもらえず困っていたところです」


以前、東の方の寿祝いの菓子に、鹿の子は花菖蒲を持たせた。花菖蒲の花言葉は「嬉しい知らせ」。いじらしくも、切ない言葉に胸を打たれた月明は翌日に「花菖蒲というよりはほおずき」と返している。

ほおずきの花言葉は「偽り」だ。

東の方は形ばかりの存在なのだと伝えたつもりが、感触はまるでなし。鹿の子には難しすぎたようだ。

これからは手紙でわかりやすく伝えようと、心に決めた。


「さあ、今喚いたところで辛抱も今日で終わり。あなたの薄情が身を結ぶかはこれからすぐにわかることでしょう」


そう、今日は望。

雪が桜狩の民を連れ帰ってくる日。


「ほんまですね」


 帰ってくるだけの穏やかな結末ではないが。

話がちょうど終わったと同時に、熱風が幣殿の簾を天井まで翻し吹き込んできた。屋根に居た家鳴り小鬼がぽとぽと落ちる。


「うひゃあ」


 から傘も傘をおちょこにして、飛んで入ってきた。おんぼろ傘になんちゅう仕打ち、しかし参拝客が出払ったあとで良かった。

 


「キャイン!」



 次いで犬のような鳴き声が境内に轟いた。

 クラマだ。

 クラマが足をばたつかせれば、しわだらけの頬が擦り寄る。クラマを抱いているのは実母の妖狐――小御門家側室のお目付役、雪である。

 夕拝まで待てずお八つをもらおうと、本殿からかまど一直線に走っていたクラマはまんまと雪の網にかかった。


「うふふ、うふふ、気持ちいいこと」


 甘ったるい笑い声がおぞましい。

小薪の占いは正しかった。

雪はクラマの毛が冬毛に生え変わるこの日を選んで帰ってくる。

 雪はふわふわと豊かになった背中を満足いくまで撫でると、大声で月明を呼んだ。

 一度翻った簾は母屋に引っかかって落ちてくる気配がない。幣殿は今、奥にある本殿への御扉まで見渡すことができる。言わずもがな、幣殿からも境内は丸見え。クラマを抱いた雪をみた月明は、実に気だるそうに高座を降りた。


「これはこれは、おかえりなさい」


 月明の美しいかんばせには青筋が浮いている。

 境内とは塵ひとつなきよう日々巫女が丁寧に手入れしているものだ。しかし今、その境内には戦禍に巻き込まれたように火の粉と、灰になった新緑が舞っている。

見上げるまでもない。

境内の木々が松明のごとく束になり燃えていた。お火焚き祭りでもこんなに明るかない。火の海、と称して正しい凄惨な情景であった。

 足をにじれば幣殿の隙間から油がじゅわり上がってくる。


「火に油とは、始末の悪い。油なめを呼ばねばならぬではないか」


 火の粉の雨の下、雪は恍惚と笑むばかり。

 煙に目を染ませながら瞬くたび、人影が多くなる。やがて人は群れとなり境内を埋め尽くした。屈強な男衆ばかり、これを称すならば

 ――敵、であろう。


「私ひとり《・・・》に大層なお出迎えですねぇ」


 敵は蝿を叩こうと鋭利な槍や刀を持ち合わせている。その先頭には薬箱を背負った行商人。

小薪と五菱が月明の肩から乗り出す。


「あれが、桜狩の薬師」

「あなた方は邸から出ないように」


 月明は前へ出ようとする小薪と五菱を袖で制すと、自分は構えもせず呑気に群れの中へと突っ込んでいった。


「薬師よ。いや――」


 先頭の男の顔を拝むために。


「北の御用人、桜太おうた


 桜太と呼ばれたその男、小綺麗な顔を崩しにたりと笑った。浄衣を纏えばラクと並ぶ器量良し。三年前に姿を消した北の御用人は今、薬師として再び月明の前に立った。


「未だその役職を呼ぶとは、寛大なことで」

「暇を出した憶えはありませんので」


 前記の通り北の方、桜華にも昔は御用人がいた。名前は桜太。三年前、あまりに突然姿を消したので、いつもの神隠しだと噂された。

桜太の出生を語るには桜華が要となる。

 桜華の母は桜狩の出。桜華の名は母の故郷から取ったものだ。桜華の母は近衛大将の正室として朝廷へ上がる際に、桜狩から乳母を連れている。その乳母の子が桜太である。桜華と同じ年月に産まれた桜太もまた名に桜を持っていた。

 乳母の息子である桜太は桜華の遊び相手として宮内の出入りを許された。三つになる頃には月明も交え戯れることがあった。

 六つで宮内から北の院へ移され、ひとりぼっちの桜華のため、御用人に桜太を選んだのは月明だ。近衛大将から聡い子だと評判を聞いていた先代も喜んで招き入れた。その才能は優れたもので、桜太は御用人の傍ら、今のラクのように神職見習いとして先代から神道を学ぶようになった。

 桜太は熱心だった。周りが見えなくなるほど修行に明け暮れた。一方で先代が陰陽師として朝廷へ上がらないかと勧めた時は、自分は北の御用人だからと断りを入れた。頑なまでに義理堅く、務めに真摯な男だった。

 三年前までは――。


「何がお前を狂わせた」

「狂っているのは風成さ。神の血筋だからと無能の天子を奉り、民から税を搾り取る。陰陽師家は天子にあやかり酒を煽るばかりで、なんの役にもたちゃあしない。そう、まさに湧いて出た蝿だ。神に捧げるからと桜狩の栗を根こそぎ奪い、民を苦しめた害虫だ。その頂点にいる陰陽師宗家、小御門月明――貴様の美しい顔を跡形もなく、叩き潰してくれるわ」


 桜太の苛烈な言葉の波にのり、群れの咆哮が轟、と風成を囲う山々を震わせる。火の粉に照らされる敵の姿は鎧に包まれた兵ではなく、薄い芭蕉布一枚を纏う町民――桜狩の民だ。町民たちは鎧より硬い怨に覆われ、月明ただひとりを的に武器をかざしていた。  


「憐れな者どもよ、私にはひと触れもできまい」


 月明は冷然と袖の中で呪を結び、雪崩れ込んでくる村人の前に白い壁を立てた。いつか砂崩じゃぐえを陥落させた鬼神だ。

 鬼神の飢えた牙に群れは恐れ慄き、引いたように見えたが。


「私が何のために辛い修行を続けたと思っている」


 群れを護るように黒い鬼神が現れた。

 おんなじ高さとなりで数もいっしょ。白、黒の鬼神がぶつかり合えば、乾いた音をたてて弾け消えた。白い鬼神を喚んでも、喚んでも喚んだぶんだけ黒い鬼神が現れる。


不帰峠かえらずのとうげでかき集めたか。その力があれば周りの村を救えただろうに、お前も存分に身勝手な男だ」


 月明はそう言うと再び鬼神の壁を立てた。何百と重ね、あか山も望めぬ、高く分厚い壁。境内の砂利が深く沈む。


「無駄だ」


 薬師は苦悶ひとつ浮かべず次々と黒い鬼神を喚び寄せた。これほどまで月明に太刀打ちできる術師は世界で桜太ただひとり。月明は壁のなかで残念そうに溜め息を吐いた。


「先代がさぞかし悲しむことでしょう」

「呑気なことを言っていられるのは今のうちだ」


 黒い鬼神は十躰ずつ現れては壁にぶつかり、少しずつ壁を削っていく。壁が薄くなるたびに村の男衆は気勢を上げ刀を握った。薬師の蛮声も勢いを増す。


「先代もお前も同罪だ。先代は三年に一度、疱瘡が流行るとわかっていて充分な救助を行わなかった。ゆえに母上は正月の藪入りで桜疱瘡にかかり、戻ってこなかった。そしてお前は、苦しむ小夜を母家にひとり置き去りにして、追い詰めた。私は決めたんだ、お前たち親子が持ち腐れにしているこの力で桜狩を救い、復讐を遂げると……!」


 畳み掛けていた物言いがぷつりと途切れる。


「さあ皆のもの、当主の首をいざ獲らん……!」


最後の壁が崩れ、再び互いの顔を突きあわせた。


「小夜を置き去りにしたのはお前であろう」


 現れた月明の顔は物悲しく、冷眼に薄っすらと涙を汲んでいる。


「なんだ、お前たちは――」


 壁が崩れ、露わとなったその情景に怯んだのは薬師であった。

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