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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
かしわ餅
102/120

五‐笹の葉、かしわの葉

 さて夜が明けて。


「はあ……」


 固く絞った手拭いで釜を拭き上げると、うっすらと影が映り込む。影の形だけでわかる、小粒な自分に鹿の子は溜め息を溢した。

 自分が小御門家の継室と認められないのは充分納得できる。月読と謳われる月明と煤汚れた小豆娘は釣り合わない。それに世継ぎが自分の霊力なしを受け継いでしまったら、一生不憫な思いをさせてしまう。

 小さい肩を更にちぢこませていると、遠慮ない力で叩かれた。沙月だ。


「今夜はあんこが食べられるかしら?」


 この御用人、散々鹿の子をいびったあと、かまどから出たはいいが戸口の反対へ出ていった。つまるところ、納戸を通り抜け茶室でごろ寝。御寝所には入らなかったのでクラマの姿を見られることはなかったが、また今晩の約束を取り付けようとするとは、ずうずうしいにも程がある。

 沙月は一晩でかまどの住人あやかしにすっかり嫌われてしまった。沙月が三和土を踏むたびに、屋根や柱がみしみし揺れる。

 しかし当の本人はそれも心地良さげに鼻を鳴らした。


「鹿の子さんとこに泊めてもらって正解だったようですね」


 戸口を開ければ望める境内。朝拝に集う巫女の群れ。その中心部には朝日に眩しい月明、その左袖には見目麗しい姫君が寄り添っている。

 

「なんと睦まじいことで」


 鹿の子の瞳がふたりをしっかりと捉えたところで、卑しく笑う。


「お美しいでしょう。五菱の君はほんまに、旦那様の正室、小夜の君にそっくりです」


 せせら笑う沙月の隣で、鹿の子は月明の表情を読み取ることなく、焚き口に頭を突っ込んだ。

 いつか月明が言った言葉が頭に浮かぶ。


 ――私が愛しているのは、正妻だけですから。


 それでは十年あまり愛し通した正妻に、生き写しの姫君が現れたら?

 かまどの火はそんなことばかり、鹿の子を悩ませた。





 沙月は朝の仕込みの材料に小豆がないのを見届けると、巫女に紛れてさっさと拝殿へ消えた。

 ない胸を撫で下ろしたのは唐かさだ。沙月のような他人がかまどに立つと、どうも居心地が悪くなる。それは沙月に限ったことではなく、小薪や妃菜などの側室にも当てはまることだ。他の妖したちも沙月が居なくなったのを見計らい、姿を現した。

 火消し婆が土間に降りると、小豆洗いや米とぎ婆が流しに立つ。ぬりかべに小鬼が集まれば、から傘はよだれの見張り番。あっという間にかまどはいつもの様相を呈した。そのうちぺったん、ぺったんと餅を搗く音が回廊まで轟く。

 

「これ蒸し終わったら、こし餡練るのにねっ」


 鹿の子は細い腕を目一杯伸ばして杵を振り上げた。


「今日は一段と力が入っておりますね」


 これまたいつものように、御出し台では可愛らしい稚児の久助が見守っている。鹿の子は杵を握ったまま、久助へ笑みを送った。

 これから仕込む菓子は、昨晩に作られなかったちまきだ。御出し台には久助に頼んでおいた笹の葉がのっている。季節に合わせて早めに取り寄せてもらっていたものだ。摘みたての葉を、この日に合わせて。

 材料管理の小薪ちゃんが居なくても、たまにはこうして自分で準備できる。

 手前味噌ですと、笹の葉を二度見すればなんと。


「なんで!?」


 なんと、鋭さのある笹の葉がのっぺりとした柏の葉に変わっているではないか。それもお試しという数ではない、木ごと切り落としてむしりとってきたのではないかというくらい、重ねられた葉の分厚いこと。


「久助さん!」

「どうされました」

「葉っぱ! 葉っぱが!」


 鹿の子はついに杵を離し、両手で柏の葉を象った。葉の向こうに見えたのは――。

 

「これでも足りないくらいかと」


 淡々と物申す、その声色は低い。稚児の久助は髪の短い青年へ姿を変えていた。

 笹の葉が柏の葉になったなら久助は、


「旦那様……」


 月明とすり替わっていたのだ。

 低くもみずみずしいその声は遠慮がちだ。


「久助には少しの間、変わってもらいました。あなたには直接、言葉で伝えたくて」


 鹿の子が杵を振り上げる寸の間に、月明が柏の葉を持ってかまどへ現れたという譯だ。代わりに久助が笹の葉を供物に拝殿へ上がっている。

 鹿の子は呆然として挨拶の言葉も出なかった。笹の葉がなきゃあこの餅はどうしたらいいのかと、杵を握り直した。

 月明はその動作を見逃しはしないが、


「それほどまでにちまきを作りたかったのですか。申し訳ないのですが、笹の葉は今夜の直会なおらいに使われるかと」


 酢飯が効いたお寿司がいいですねぇ。などと呑気につぶやくだけだった。

 月明にしては配慮のない物言いだ。鹿の子はもっと訊きたいことがあるのにと思いながら、口を尖らせ言った。

 

「なんで、ちまきではあかんのですか?」

「ううむ」


 月明は困った顔をした。


「ちまきがいけないのではなくて、かしわ餅がより良いのです」

「どうしてですか」

「ううむ、そうですねえ」


 また少し困ってから、しばらくして晴れやかに笑う。その顔は腹立たしいほどに目映い。


「鹿の子さん、以前になつみ燗で、私の夢についてお話ししたことを憶えていらっしゃいますか」


 鹿の子はその問いに間をおかず答えた。


「旦那様はお砂糖を世界に広めたいと仰ってました」

「そう、その通り。お国同士の和解は今、一歩手前まで来ております」


 月明は目を輝かせ、言葉を強めた。

 蒼龍山の向こう、桃李は開門と共に野道であった街道を広げ、精緻な石畳を積み上げた。鬼の棲む難所であった不帰峠かえらずのとうげは陰陽寮の眼下、蛇崩じゃぐえと道を結び、今では提灯つけて堂々と渡れる。決してなだらかではないが、命を落とす道ではなくなった。ふた月かかった氷砂糖の献上は今、ひと月にまで縮まっている。


「あとは風成に届いたさとうを南へ流すだけ」

「桜狩、ですか」

「はい。荷を風成で止めなどしない。高山であるあか山の向こうへ行路を繋ぐとなるとこれから何十年とかかりますが、私は諦めません。必ずや桜狩へ繋ぎましょう」


 月明の瞳の輝きは増す一方であるが、ちまきから話が逸れて、鹿の子は不満を膨らますいっぽうだった。

 いいや、ちまきにこだわっているのではない。新しい側室と初夜を過ごしてから一夜も経っていないのに、優しい言葉ひとつかけてくれないことが不満なのだ。直接伝えたいとは新しい側室のことではないのか。その不満は捩じれて反発を生む。

 鹿の子は首筋の花びらの痣に触れながら、おずおずと言った。


「桜狩には、流行り病があるのに?」


 封鎖的な風成に人の出入が増えればそれだけ病にかかりやすくなる。

 三年前の糖堂のように。


「そのことなんですがね」


 次には、すまなそうに月明が言う。


「病は今年で消えるでしょう」

「桜疱瘡がなくなるんですか?」

「はい。遅くなりましたが、五菱のおかげで前が開けました。だからこそ今、桜狩との和解を勧めたいのです」

「五菱……」

「ああ、五菱とは新しい東の院の側室の名ですよ」


 月明はさらりと言ってのけたが、鹿の子にしてみれば名だけで呼ぶ親しい間柄なのだと、真正面から聞かされたようなもんだ。

 月明に名を呼び捨てにされる女はこの世で限られている。幼馴染みの夏海と北の方だけ、それから今は亡き正室の小夜の君――。

 疱瘡がなくなる喜びで膨らむはずだった鹿の子の胸はえぐられるようだ。

 そんな気も知らずに月明は笑う。


「桜狩と決着がついたら、彼らにかしわ餅を振る舞おうと思うのです」

「決着……? まさか、戦でも始めるというのですか」

「まあ、戦を仕掛けてくるのはあちらさんですがね」


 冷眼を明後日の方角へ向ける。


「なに、この神聖なる小御門の境内で血なまぐさい事は致しません。私は桜狩の民に知って欲しいのですよ。菓子とはこんなに甘いものだと。鹿の子さんが作るあんこは、極上なのだと。制裁は下しますがね」


 凍るような瞳は少しだけ明るみを加え、鹿の子へ戻ってきた。


「鹿の子さんには、合戦になる次のまんげつに合わせ、かしわ餅を作っていただきたい。このかしわの葉がなくなるまで」


 月明が持ってきたかしわの葉の厚みは目方で五百枚。五百個も餅を搗いたら、さすがに鹿の子の細腕も逞しくなりそうだ。

 胸にも着いたらいいのに。

 くだらないことが一寸、鹿の子の頭をよぎる。

 月明はというと、


「そのお餅、もったいないですねえ」


 涎を垂らして期待の眼差しを送るものだから、周りの妖したちが「当主といえどもやらん、やらん」と怒鳴る。小豆洗いも嫌味をひとつ。


「昨日かて鹿の子さんに美味しそうな生菓子を作ってもろうてたやないか」

「そうそう、昨夜いただいた菓子、とても美味しかったですよ。五菱も喜んでおりました。しかしお雛様に菖蒲の花を持たすのはどうかと」

「なんやてえ、鹿の子さんが作った菓子をけなしたな!」

雪婆が声を荒げる。

「けなしたわけでは。ただ五菱は菖蒲というより、ほおずき――」

「そんな男にやる餅はない!」

「みい、みい」「しい、しい」


 その物音なきごえが五月蝿かったのか。鹿の子がかしわの葉を取るまで、しばらく時がかかった。


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