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【完結読切・全5話】最後の手紙を届ける日  作者: 鷹司 怜


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1/5

第一章 雨の停車場


 朝五時二十分。


 まだ夜の名残が残る空の下で、高橋誠司はホームに立っていた。


 六月の終わり。


 山あいの小さな無人駅には始発列車を待つ人影もない。


 聞こえるのは風の音だけだった。


 誠司は(ほうき)を動かす。


 ホームの隅に落ちた枯葉を集める。


 毎朝同じ時間。


 同じ仕事。


 同じ景色。


 十五年間、変わらない朝だった。


 変わらないことは楽だった。


 期待しなくていい。


 失わなくていい。


 人は慣れる。


 どんな痛みにも。


 どんな孤独にも。


 そう思っていた。


 列車の接近を知らせる放送が流れる。


 誠司は顔を上げた。


 一両編成の列車がゆっくりと駅へ入ってくる。


 始発列車。


 この駅で一日が始まる。


 それだけのことだった。


 昔は違った。


 駅を見るたび思い出す人がいた。


 ホームを見るたび苦しくなる名前があった。


 だが今は違う。


 違うと思い込んでいただけかもしれない。


 始発列車が去ったあと。


 誠司は駅舎へ戻り、郵便受けを開けた。


 請求書。


 回覧板。


 町内会の案内。


 その中に一通だけ見慣れない封筒が混じっていた。


 白い封筒。


 切手は貼られていない。


 差出人もない。


 だが。


 誠司の手が止まった。


 見覚えがあった。


 その文字を。


 何度も。


 何度も。


 夢の中で見てきた。


 震える指で封筒を裏返す。


 そこに書かれていた名前。


 山崎美咲。


 誠司は息を呑んだ。


 あり得ない。


 そんなはずがない。


 美咲は十五年前に死んだ。


 二十八歳だった。


 葬儀にも出た。


 墓にも行った。


 だから間違いない。


 死んだ人間から手紙が届くはずがない。


 それなのに。


 封筒の文字は。


 どう見ても美咲の字だった。


 誠司はしばらく動けなかった。


 窓の外では風が吹いている。


 遠くで鳥が鳴いている。


 世界はいつも通りだった。


 なのに。


 自分だけが十五年前へ引き戻されていた。


 ゆっくり封を切る。


 中には一枚だけ便箋が入っていた。


『七月七日。


 桜並木へ来てください。


 赤い傘の少女に、この手紙を渡してください。


 今度こそ、間に合って。』


 短い文章だった。


 だが。


 最後の一文が胸に突き刺さる。


『今度こそ、間に合って』


 その言葉を見た瞬間。


 忘れたはずの記憶が蘇った。


 高校二年の梅雨。


 突然降り出した雨。


 昇降口で立ち尽くす自分。


 そして。


「一緒に帰ろう」


 赤い傘を差した美咲。


 あの日の帰り道。


 肩が触れそうな距離。


 雨音。


 シャンプーの香り。


 踏切の音。


「私ね。駅って好きなんだ」


 美咲は笑っていた。


「会う人もいるし、別れる人もいるし。


 駅って人生みたいだなって思う」


 誠司はその横顔を見つめていた。


 好きだった。


 あの頃からずっと。


 言えなかっただけで。


 ずっと。


 その帰り道の最後。


 美咲は空を見上げて言った。


「このままずっと雨だったらいいのに」


 誠司は意味を聞けなかった。


 聞く勇気がなかった。


 そして。


 そのまま卒業の日を迎えた。


 体育館。


 春の光。


 桜の蕾。


 ポケットの中には何度も書き直した告白のメモ。


『好きです』


 たった四文字。


 それが言えなかった。


 駅へ向かう坂道で美咲を呼び止めた。


 何度も言おうとした。


 けれど言葉は喉で止まった。


「卒業おめでとう」


 結局それしか言えなかった。


 美咲は少しだけ寂しそうに笑った。


「元気でね」


 その言葉を最後に。


 彼女は坂を下っていった。


 誠司は追いかけなかった。


 追いかけられなかった。


 あの日が最後になるとは知らずに。


 気がつくと便箋を握りしめていた。


 胸が痛かった。


 十五年経っても変わらないほど。


 外では雨が降り始めていた。


 六月の夕暮れ。


 誠司は駅舎の明かりを消し、ホームへ出た。


 最終列車が夜の闇へ消えていく。


 濡れた線路が街灯に照らされていた。


 人を送り。


 人を迎え。


 無数の別れと再会を見てきた。


 それなのに。


 自分だけはずっと立ち止まったままだった。


 十五年前の春から。


 ずっと。


 風が吹いた。


 その瞬間だった。


 一枚の花びらが舞い上がった。


 淡い桜色。


 六月の終わりにあるはずのない花びら。


 それは風に乗り、


 誠司の足元へ落ちた。


 拾い上げる。


 柔らかな感触。


 まるで誰かがそこにいた証のようだった。


 誠司は夜空を見上げる。


 雨が静かに降っている。


 そして決めた。


 七月七日。


 桜並木へ行こう。


 何も起きないかもしれない。


 誰もいないかもしれない。


 全部、勘違いかもしれない。


 それでも。


 もしそこに答えがあるのなら。


 今度こそ逃げたくなかった。


 今度こそ。


 間に合いたかった。


 遠くで雷が鳴る。


 夜空の向こうで光が走る。


 誠司は見えない未来を見つめていた。


 その頃。


 町外れの古い施設の窓辺で、一人の少女が空を見上げていた。


 胸に抱くのは赤い傘。


 少女は小さく呟く。


「もうすぐだよ、お母さん」


 その瞳には涙が浮かんでいた。


 だが誠司はまだ知らない。


 その少女との出会いが。


 止まっていた十五年を動かし始めることを。


 そして。


 十五年前に終わったはずの恋が、


 もう一度だけ奇跡を起こそうとしていることを。


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