神とあった夜
日没とともに人びとは空を眺めていた。
空が狭い都市部では、人びとはビルの屋上や公園に集まって空を見上げた。
いま、彼らは前夜の夢に従っている。
夢で見たのは神。
後藤の言う高次存在だ。
どんな姿だったのか、記憶には残っていない。
だが、その存在の纏う、跪かずにはいられない圧倒的な威は、人びとの記憶に刻み込まれていた。
翌日、人びとはその経験を語り合い、神とあったのが自分だけでないことを知った。
そして、あれが夢ではなかったことを実感した。
神は月を見るよう人びとに告げた。
だから人びとは月を見ている。
寒さに耐えながら。
その月は、いま、彼らの前で、回転をはじめた。
月の裏側が人びとの側に姿を見せようとしている。
後藤たち四人は自然公園の丘の上にいた。
三脚にカメラを取り付け、望遠で月を狙う。
皆で見られるよう、画像はリアルタイムでタブレットに出力している。
「あれって、建物か何か?」
三好はいつものインチキ北海道弁をやめ、素で話している。
タブレットに映し出されているのは、月面にあるいくつもの構造体。
ひとつの構造体の大きさは中程度のクレーターと同サイズだ。
月の直径は3500キロ弱。
そこから計算すると、その構造体は横浜市より大きいかもしれない。
そんなものが月の裏側にはいくつも存在していた。
――あれは本当に月の裏側なのか?
後藤には信じられなかった。
月の裏側の画像は一般に公開されている。
いま見えている月の裏側は、その画像とは全くちがう姿だ。
戸惑いながら見ていると、月から何かが飛び立った。
ひとつやふたつではない。
たぶん何千何万という数の何かが――
タブレットの画像が真っ白になった。
空を見あげると、そこには、月を覆い隠す白く輝く球体があった。
それがUFOであると考える人は誰もいないだろう。
なぜなら、それは独自の威を纏っており、その威は人びとを無意識に跪かせる。
その光る球体は神性を有しているのだ。
公園にいる人びとは、地に跪き、ただそれを見上げていた。
そして――
その球体は強く光を放射し、人びとが我に返った時、空にはいつもどおりの月が浮かんでいた。
「何だったんだ……」
丘のあちこちからそんな声が聞こえた。
人びとは、神楽を通じて、高次元に人を超える存在がいることを知っている。
それは、あくまでも知っているだけで、どこか遠い存在であった。
しかし、いま、人びとの前に、神性を持つ存在が姿を現した。
世界中の人びとの前に。
この瞬間、世界から偽りの信仰が一掃された。
彼ら球体の纏う神性が、「彼らの神」に属するということも、異端だ悪魔だということも許さなかったのだ。
翌日、世界各国は軍備縮小を発表した。
各国首脳には、高次存在から、一般人向けとは別のメッセージが送られていたらしい。
思うに、高次存在のデモンストレーションを見て慌てて対応した、というのが実情だろう。
日本以外の多くの場所では、宗教というのはただの仮装でしかない。もし彼らが本当に信仰心を持ち、教えに従っているというのなら、これほど世に争いが起きるわけがない。信仰が本物なら、彼らの国は、日本より余程安全で居心地のいい国になっているだろう。彼らの国が、彼らの宗教の真実を示しているのだ。日本に来て、治安やごみが落ちていないことに感動することなどないはずなのだ。
彼らは、心の中では神の存在など信じていない、もしくは信じてはいても侮っている。彼らの国の実態がそれを裏付ける。だが、今回のできごとは、人びとに神の存在――その力の一端を示すことになった。自分たちの卑小さを痛感させるほどに。
こうして、世界は平和への道を歩みはじめた。
一方で、後藤はその平和に疑問を持っていた。
彼の頭にあるのは、裏イデアに侵入した混沌からの「何か」。
アレが現実世界に現れたら?
備えは必要なのではないか。
軍備を縮小しても良いのだろうか。
「大丈夫大丈夫」
後藤はいつのまにか自分の考えを口に出していたようだ。
それをみゆきが聞き、大丈夫と言った。
その根拠は?
後藤はそう聞きたかったが、思いとどまった。
自分の中の何かが言うのをためらわせたのだ。
だから、後藤は代わりにこう言った。
話題を変えるために。
「明日の朝、この公園に来てみない?キミが見たがっていたルリビタキがそろそろ来ていると思う」
「え、やった!何時に起きればいい?」
「いつも通りでいいよ。ルリビタキのポイントは東に山があって、早すぎると暗いんだ」
「でも、鳥って早起きじゃないの?」
「そうだけど、例年、昼にもいるから遅くても大丈夫だよ」
翌朝、ふたりは自然公園にいた。
駐車場に車を起き、アスファルトの通路を梅園へと向かう。
時間は9時過ぎ。
いつもはジョギングやウォーキングをする人たちがかなりいる時間帯だ。
それなのに、なぜか人影はまったくない。
不審に思いつつも、後藤夫妻は梅園の手前から、山側の小道に入る。
例年なら、そこにはルリビタキを出待ちしている、大砲を持った老人たちが少なくとも3人はいる。
それなのに、今日は誰もいない。
後藤の足取りが重くなった。
自分たちが並行世界に迷い込んでいると気づいたから。
しかし――
「あ、いた。」
みゆきの指さす方向にはルリビタキの番がいた。
オスは青、メスは茶色だ。
そして――
飛び立ったオスのルリビタキが、みゆきの指にとまった。
つづいて、オスを追うようにメスのルリビタキが飛び立ち、みゆきの手首にとまった。
ヤマガラなどは人になつくのもいて、こうしたことはたまにある。
だが、ルリビタキが人になつくとは聞いたことがない。
「わー」
みゆきは鳥を脅かさないよう小声でそう言った。
「かわいい……」
後藤は少し距離をとり、みゆきとルリビタキをフレームに入れた。
カメラにつけているのは超望遠ズーム。
ワイド端であっても、ある程度距離をとらないとフォーカスできない。
後藤はモニターを見ながら後退って構図を決めた。
その状態で何枚か撮り、みゆきのもとに戻ろうとしたが、一歩踏み出して、すぐさま一歩後退した。
みゆきのもとには、さらに小鳥たちが集まっていた。
シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、メジロなど、さまざまな小鳥たちがみゆきの周りを飛び交っている。
後藤はそれを飽くことなく撮り続けた。
「良平さん、交代!」
みゆきが小声でそう言うと、小鳥たちは後藤へと飛び立った。
みゆきの言葉に従うように。
「カメラカメラ」
みゆきの声に、後藤はカメラを渡した。
すでに後藤は鳥まみれになっている。
カメラを渡すと、みゆきはその様子を楽しそうに撮影しはじめた。
「今度はいっしょに撮ろうよ」
そう言って、みゆきはスマホを取り出した。
鳥たちが逃げないと確信したのか、みゆきの振る舞いは少し大胆になっている。
みゆきは後藤と並ぶと、ふたりで鳥まみれになりながら自撮りをはじめた。
ふたりの表情が自然とやわらいでいく。
世界はどんどんおかしくなっていくが、その一方で、こんなに楽しいことも起きる。
多くの場合、すべての物事には良い面と悪い面が含まれる。
後藤は、高次存在の介入について、自分が悪い面ばかりを見ていたことに気づかされた。
こういうのも悪くない。
そう思うことができた。




