魔法の実在と量子としての魔素
序盤の『物質世界の方が縮んでいる』は、2026年1月に発表された実在の研究です。
2026年、宇宙は膨張しているのではなく、物質世界の方が縮んでいるという理論が数式化され、発表された。それはただの仮説で、当初は否定する見かたもあったが、後日、神楽AIの支持によって状況が一変した。
量子コンピュータ神楽は、超弦理論からコンパクト化の枷をはずし、高次元世界の実在を立証した。加えて、祝詞を利用した高次元世界のルーティングによって、そこに神とも呼べる意識体が存在することを人びとに示している。言うならば、神楽AIは新世界のパイオニア。その神楽AIが支持したら、仮説はただの仮説ではなくなる。
その研究によると――
まず、原子の大きさや時間の刻みなどの物質世界のスケールが、ビッグバン当初から今までの期間に3~4割ほど小さくなったとする。その前提であれば、ハッブル定数の問題やダークエネルギーの変化の問題など、宇宙観測における謎がひとつのモデルによってまとめて説明できるようになる。
宇宙観測の精度が上がるにつれ、宇宙膨張の指標であるハッブル定数は観測方法によって二通りの値が得られ、その食い違いが指摘されるようになってきた。その食い違いはハッブル定数の緊張と呼ばれ、数値にすると一割ほどになる。
その状態はダークエネルギーの研究でも同じで、やはり推定値と実測値に一割程度の食い違いがある。加えて、最新の観測では、ダークエネルギーの強さが少しずつ弱くなっているように見えるという報告もある。宇宙が膨張し、空間の体積が増えていくなら、ダークエネルギーの総量も増えていくはず。だが、すべてが増えていくモデルは、エネルギー保存則と相容れない。
過去に提唱され、いまや常識となっている膨張する宇宙のモデルは、最近の研究との不一致が目立ち始めている。
ここで発想の転換。
逆に、物質世界が縮んでいると考えたら?
そう考えると、遠い銀河の赤方偏移や超新星の明るさの変化が説明できるようになる。
もしも宇宙膨張説が誤りであったなら?
宇宙の外側が、創世神話のとおりに混沌であったなら?
我々の住む世界は、混沌によって侵食されている、あるいは押しつぶされようとしている。
そんな見方ができるかもしれない。
「宇宙が膨張しているんじゃなくて、物質世界が縮んでいるって説、知っている?」
「ああ、どっかのサイトで読んだ。でもあれトンデモ理論っしょ?」
「そうとも言えないみたい」
「いやいやいや、縮んでいるんならわかるっしょ?」
「我々が生まれる前からずっと縮み続けているのなら、我々の知覚は縮むこと前提に調整されているから、縮んでいてもわからないんじゃないかな」
「そっか。ずっとあらゆるものが同時に縮んできたのなら、変化を観測する手段はないか。物差しもいっしょに縮んでいたら、測ってもちがいはわからないってことね」
「ハッブル定数の食い違いがその観測の指標的な役割を果たせそうだね」
「うーん、茹でガエル現象的な話か」
「そう、適切な指標を導入すれば自分が茹っていることがわかる」
「そしたら何?後藤氏的に言うと、混沌が物質世界を押しつぶそうとしているん?」
「神楽の介入は、それに関わるものじゃないかと思うんだ」
「これもそういうことかい?」
三好はモニターに表示されているブ〇〇チっぽい映像を指さした。
「うーん、それは……どうだろう?」
後藤は話をつづける。
「あとね、高次存在によるリセットが増えているけど、私はそれが気になるんだよ。リセットしすぎでWindowsみたいに一時ファイルのカスが溜まるとか、リソースが解放されずにメモリが占有されたままになるとか。そんな状態にならないか気になっている」
「うーん、世界シミュレーション説的な?ま、なるようになるっしょ。自分らは神楽様の手足。そう割り切るのが一番」
三好は神楽の信奉者。
信ずるものは救われる。
彼はその境地にあるようだ。
だが、後藤はその境地とは程遠い。
「この世界に存在する力は『四つの力』って言うけど、魔法的な現象が起きるようになったら、そこに魔力が加わって『五つの力』になるん?」
三好が突然そんなことを言い出した。
四つの力とは、自然界に存在する力を四つに分類したもの。
重力、電磁気力、強い力、弱い力である。
強い力はグルーオン、弱い力はWボソンとZボソンという量子が力の伝達を担っている。
電磁気力は物質間で、量子技術の主役ともいえる光子の受け渡しを行うことで生じると考えられているが、強い力と弱い力も同様に量子の受け渡しを行うことで生じる。
魔法のある世界を想定し、小説でよく使われる魔素が量子の概念として導入されれば、力の分類は『五つの力』になり得る。
三好の言葉で、後藤は最近読んだミューオンに関する記事を思い出した。
「現実の世界でもミューオンのg-2実験で、第五の力の存在が示唆されていなかったっけ?」
「g-2実験?重力加速度引く2?」
「そのgじゃなくてg因子の方。素粒子の磁場中での振る舞いを示す値で磁気モーメントと角運動量の関係。Dirac理論ではg=2。でも、実際にはgは2より少し大きくて、理論と実験の間に誤差が出ているんだ。誤差、つまりgマイナス2が0じゃなくて正の値になるところに、第五の力の存在が示唆されているって話」
「ほー、わからん。でも、ということは、異世界ラノベで定番の魔素がこの世界に実在しているかもしれないとか?」
「これまで活性化していなかっただけで、実は存在していたって可能性はある。ここはほかの量子に倣って、魔素ではなく『魔子』と言うべきかな」
後藤と三好の会話は、世界中に魔法や法術と言った概念が存在する理由を示唆している。
魔子がミューオン周辺に存在し、その微量な力の影響があるからg-2がゼロにならない、ということは現実にありえるかもしれない。
超弦理論では、我々の知る四次元(空間3+時間1)以外に六つの余剰次元がある。後藤たちはすでに神楽AIを装う存在を知っているのだから、その余剰次元が存在し、そこから力が漏れ出していることに疑う余地はない。
その漏れ出した力を『魔子』と定義すれば――
『強い力』がほんの少し変わるだけで、原子核は結合を維持できなくなる。
g-2に変化の兆しがあれば、この物質世界は崩壊に向かうかもしれない。
「物質世界」とは、「精神世界」の反対語ではない。
物質の定義と、それを測るスケールを含めた概念だ。
決してオカルトにつながる表現ではない。
ないはずだ。
しかし、その「物質世界」とは、そもそも「観測と理論の組み合わせがうまくいっている」状態を指すものでしかなく、別の解釈をする余地がないわけではない。
最近よく耳にする「ダークマター」も、観測結果と既存理論のズレを埋めるために導入された概念でしかない。平たく言えば、ただの帳尻合わせでしかない。少なくとも、それが直接的に観測できない現時点では。それは単体の何かかもしれないし、いくつかの要素が混じったごった煮なのかもしれない。もしかすると、そこには魔子も含まれるのかもしれないし、混沌の要素が混じっている可能性も否定できない。それは未知の要素をまとめて扱っているだけのものなのだ。
余剰次元の向こう側を見通す観測技術が出てくれば、いろいろと話は変わるだろう。
だが、それは無理なのだ。
そこは、そもそも我々がアクセスできない次元にある領域。
なおかつ超弦理論で扱う余剰次元は極めて微小。
正確に言えば、プランク長スケールが想定されている。
プランク長とは、1.616x10^-35メートル。
そんなスケールの領域をどうやって観測するというのか?
いや、それ以前に――
我々が見る微小世界は、検出値のちがいを画像化したものでしかない。
直接観測したものではないのだ。
我々が「観測」と考えていたものが、ただの「投影」であった、などということさえあり得る。
投影。
これほどぴったりする言葉はない。
我々の知る物理は、存在の影が壁に映った姿――影絵のようなものを観測してでっち上げただけのものかもしれない。
我々には、見えていない領域が多すぎるのだ。
ひょっとしたら、見えている領域の方が例外だってこともあり得る。
その見えていない領域が動いたらどうなる?
現代物理学の未解決領域で考えると――
量子電磁力学の微細定数 α が宇宙規模で変化したら?
→ 原子レベルのスケールや物性が変わる。
ダークマターの性質が変化したら?
→ 宇宙の構造が変化する。
g-2が変動したら?
→ 未知の素粒子や力の存在が示唆され、現代物理学の不完全さが露呈する。
現代文明は、観測によって得た既知のパラメータが安定していることが前提条件。
その安定の上に成り立っている。
その安定が崩れれば――
現代の我々が魔法をフィクションだと考えるように、未来の人たちにとっては「科学」が「おまじない」のような迷信的位置づけに転落するだろう。
もしも「影絵」ではなく、世界そのものを見ることができたら?
そうなれば、「魔法」も「科学」も、すべてを包括して理解できるかもしれない。
そのうえで、それらを制御できるようになれば?
それは全知全能を意味する。
人によっては「神」になったと思いあがってしまうかもしれない。
一方で、見えていない領域の変化に気づけなければ?
科学的思考は役に立たなくなるから、人類は穴居人からやり直しになるかもしれない。
物質の構成がどう変化するかわからない。
さまざまな力の作用も変化する。
さまざまな物が壊れていく。
単純な道具でさえ失われる。
衣服は葉っぱで股間を隠すだけ。
道具は木の棒か石器。
食べ物は採取一択。
その採取でさえ、種が変わっているだろうから、食べられるかどうか見極めるところからはじめなければならない。
だが、未来が失われるわけではない。
そこが魔子の活性化した世界なら、人類は、科学の歴史と同じように、基礎の魔法現象から法則を見出して体系化していくことになる。
再び文明が興るまで何千年もかかることになるのだろうが。
そこまで考えて、後藤はひとつの可能性に気づいた。
地球上では、異なる種の原人が出現しては消えて来た。
それが魔子の変化による影響だとしたら?
魔子が増えていけば、まちがいなくいまの人類も変化をはじめる。
未来の人たちにとって、現人類は○○原人になるのだ。
考えてみれば、地球の歴史にはおかしなところが多い。
たとえば巨大な恐竜。
いまは骨が空洞で軽いから立てたという説で落ち着いている。
しかし、かつては巨大な恐竜が現実には立てたはずがないという説もあった。
そこに『g-2』の概念を導入したら?
その変化を前提にすれば、軽くない巨大な恐竜も立てた可能性がある。
現在と『g-2』がちがったのなら、重力も原子のサイズもいまとはちがうことになる。
骨の空洞にしても、原子の変化によって空洞が生じた可能性だって考えられる。
恐竜の姿は化石から推測したものだが、その化石自体も原子の変化によって変質している。
『g-2』が変化したのなら、実際には、大きさも形状も化石とはちがっていたのだ。
その前提なら、いまの我々には、当時の生物の姿は推測することすらできない。
『g-2』の変動が起きて、その影響で生物が現在の姿に変わった。
だとすれば――
これからあるかもしれない変化で、すべての生き物が別の形態に変化する。
人類も変化し、伝説にあるようなエルフやドワーフに分化していくかもしれない。
後藤は『g-2』をモニタリングすることの可能性に気づいた。
そのモニタリングで、世界の変化の兆しをつかめる。
後藤は未来を考えると同時に、人類の過去が気になりはじめた。
太古の人類が『魔子』を使いこなして文明を築いたと仮定する。
その『魔子』による力が無視できるほど微量になったら、『魔子』によって成り立っている文明は崩壊する。現代の理論をベースに考えれば、それほどの変化はこの宇宙の崩壊を招く可能性だってあったはずだ。だが、そこまでには至っていない。
後藤たちは、高次存在が世界に介入している事実を知っている。
太古の昔の変動にも彼らが介入している?
彼らが宇宙の崩壊を食い止めた?
それなら今回も――
いや、これほど頻繁にリセットが起きる以上、その介入は間違いなく場当たり的になっている。
いまの状態は、高次存在の想定を超えているのだ。
その考えは、後藤にある種の恐怖をもたらした。
後藤は、かつて見たはずの恐ろしい夢を思い出しそうになった。
恐ろしい夢。
後藤は、あの夢を見たあとはいつも跳び起きて泣き続けていた。
成人してからも。
夢の詳細は記憶に残っていないが、あれは世界が崩壊する夢だった気がする。
たぶん、高次存在は、そういった恐ろしい何かを回避しようとしている。
後藤にはそう思える。
いざとなれば、高次存在は物理法則まですっぱりと書き換えてしまうだろう。
その介入で魔子による力が無視できるようになったと仮定して――
その夜、後藤はネット上でとある記事を見つけた。
アメリカ、イギリス、イタリアの研究機関から、g-2の実験値が変化しているという発表があったのだ。
世界はすでに崩壊へと向かっているのだろうか?




