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混沌の科学  作者: 藤原時照


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13/27

デジャヴュとかマンデラエフェクトとか

「清水さん、どうなったのかな?」

 真紀は心配顔だ。

 彼女は三人衆から清水をかばうことが多かった。

 いわば保護者と言ってもいい。

「清水さんがYを押したのかな?消えたのはそのせい?」

 みゆきは自分の思ったことを口にした。

「だと思う。でも、それってひどくない?」

「うーん……」

「ま、あいつらが豚になるべき、とまでは言えないか」

 真紀とみゆきは、いま給湯室にいる。

 いまどきの女性社員はお茶くみなどしないが、それでも代々の慣習で、給湯室は彼女たちの聖域のようになっている。ここにはコーヒーメーカーがあって、社員に無料のコーヒーが提供されているが、その聖域化のために男性社員は入りにくい。若手男性社員などは「失礼します」と頭を下げて入室するのが習慣になっている。

「願いは叶う」

 みゆきが唐突につぶやいた。

 しかし、真紀にはその意味が全くわからなかった。

 それは、みゆきが睡眠中の後藤から聞きだしたこと。

 本人は全く憶えていないらしいが、後藤は睡眠中に何かとつながっている。

 あるいは、何かを自分の身に降ろしているのかもしれない。

 後藤がその状態にあるときに、みゆきはさまざまなことを試している。

 

 結婚して、みゆきは後藤の秘密を知った。

 本人さえ知らない秘密を。

 目覚めた時の後藤には、ある種のプロテクトがかかっているようだが、睡眠中はそのプロテクトがはずれている。

 その状態の後藤は、聞けば答えてくれる。 

 みゆきの知りたいことを教えてくれる。

 この世の秘密さえも。

 もっとも、聞き出せたとしても、みゆきにはそれを理解するだけの素養がない。

 だから、聞いても理解できないことが多い。

 眠っているときの後藤は、神楽として活動している存在とも交流があるらしい。

 その部分は理解できた。

 しかし、やはり彼の答えのすべてを理解することはできない。

 なぜ理解できないのか。

 それは、寝ているときの後藤が人の言葉を話さないから。

 彼が話す言葉は、それでも日本語ではあるらしい。しかし、その言葉は何人もの人が同時に話しているように聞こえ、聖徳太子的な能力者――いわゆる豊聡耳とよとみみでもない限り聞き分けることができない。辛うじて理解できた部分から判明したのは、その話し方が高次世界のものであること。ひとつひとつの語句にいくつもの意味合いが重畳されているのだ。

 眠っている状態の後藤は、いくつもの次元にまたがって存在し、その話す言葉にはいくつもの意味合いが重なっている。つまり、みゆきが聞いている後藤の言葉は、並行世界にある後藤の身体から発せられた声が重なったもの。この世界線に固定されていては、その言葉を聞き取れたとしても、意味まで理解することは難しい。

 いくら努力しても、みゆきに理解できるのは重畳されていない語句、あるいは重畳されている中から聞き取れた一部の意味合いだけになる。並行世界特有の概念などは理解できない。それでも、世界の秘密にいくらか触れることはできる。

 その秘密には、みゆき自身も含まれていた。夫である後藤が高次世界とつながっているように、自分も高次世界とつながっているというのだ。そのうえ、あちら側でもみゆきは後藤のパートナー。それがみゆきにはうれしく、こんな奇怪な状態であっても、恐怖よりも好奇心が勝る状態になっている。

 そうは言っても、眠っている後藤から警告を受けているから、あまり頻繁には質問はしない。しかし、本心では、みゆきはさまざまなことを試したくてしかたがない。なんといっても、この世の謎に触れられるのだ。ましてや、そこには自分の秘密も含まれている。大抵の人なら同じように思うはずだ。警告を受けたとしても。

 警告。

 それは何か?

 睡眠時の後藤は、こことは異なる世界につながっている。

 ひとつめの警告は、後藤と高次存在のつながりについて。

 高次世界にある後藤の本体は、あえて現世の後藤と距離をとっている。夜、みゆきが高次世界とのリンクに割り込めば、現世の後藤の中に痕跡をとどめ、距離感が維持できなくなる可能性がある。それは後藤の今後のためには良くないという。

 ふたつめの警告は、高次世界からの漏洩。

 そのつながりから意図せぬ何かが漏れ出るリスクがあり、それに関わってはいけないということ。実際、後藤が寝ている時、みゆきは彼の周囲で怪異が生じるのを目にしている。あるときは、動物のような形で空間がゆがんでいた。またあるときは、後藤の上に、何か管のようなものが天井から伸びていた。ときには、後藤が消えてしまうことさえあった。それらは恐ろしい経験ではあったが、同時に、そこには惹きつけられる何かがあった。

 みゆきはふたつの警告を受けた。

 それでもやめられない。

 やめられない理由は興味以外にもある。

 自分も同じところにつながっている。

 それが強い理由だ。

 寝ている後藤と話すことで、自分の中の何かが目覚めていく。

 本来あるべきあちらの世界の自分に近づいていく実感がある。

 だから、寝ている後藤と話すのはやめられない。

 だが、警告を受けている以上、自制しなければならない。

 それでもやめられないでいる。

 そこでしか得ることのできない何かがあるのだから。


 みゆきが口にした「願いは叶う」というのは、睡眠時の後藤から聞いたこの世の秘密。

 この世界の周りは混沌。

 そして、その混沌は、ときおりこの世界に染み出している。

 その染み出した混沌は、望むこと、あるいは恐れることを具現化させる。

 それをうまく利用し、なおかつ願い方をまちがわなければ、願いは叶えられるのだ。

 都合のいいことに、いま、清水が存在していた事実を知るのはここにいる二人だけ。

 ほかの人たちには清水についての記憶が残っていない。

 つまり、清水を呼び戻す際に、方向性のちがう願いとぶつかり合うことはない。

 願いはすんなりと通るはず。

 だから、みゆきは提案した。

「清水さんが戻ってくるように願いましょ。そうすれば、きっと戻って来る」

「へ、そうなの?うん、わかった」

 真紀はみゆきの圧に押されてそう言った。

 実際には何もわかってはいなかったが、思わずそう言ってしまった。

 少なくとも、みゆきは何かを知っていて、なんとかなると信じている。

 真紀はそう感じた。

 だったら、自分はみゆきを信じるまで。

 とにかく彼女の言う通りにしようと思った。

 真紀は清水の保護者のような立場でもあるのだし。

 でも――

 願えと言われても、どうすればいいのかイメージがわかない。

 真紀は急に焦りだした。

 自分のせいで清水が戻って来られなかったら?

 そんな風に考えてしまったから。

  清水

   清水

    清水

 真紀は頭の中で叫び続けた。

 と――

 その場所に突然清水が現れた。

 裸の状態で。

「うぇ?」

 清水には、自分の身に何が起きたのかわかっていないようだ。

「真紀ちゃん、ここ、お願い。服とって来る」

 みゆきは椅子の上に置き去りにされている清水の服をとりに行った。

 清水は現れた一瞬だけ正気のように見えたが、いまは目がとろんとして思考能力が退行している様子だ。その状態から元に戻る気配はない。みゆきが服を取ってきても、そんな状態では自分で服を着るのは無理。結局、みゆきと真紀二人がかりで服を着せるしかなかった。

 服を着せ終わると、二人は清水を席に連れて行った。

 清水は促されるまま席についた。二人は放置して大丈夫か心配したが、習慣からか、席についた清水は作りかけの資料にとりかかった。彼女の挙動は夢遊病のようで見るからにおかしな様子だったが、なぜか周りの人たちはその異様さに気づかない。部署の人たちは、清水が消えていたことさえ記憶していない。事態を把握しているのは真紀とみゆきだけなのだ。

「こんな風に、世界はしょっちゅう書き換えられているのね」

 みゆきは思ったことを口にした。

「デジャヴュとかマンデラエフェクトって、こういう出来事の記憶の消え残りなのかも」

「豚を食べない宗教もそうだったり?」

 真紀は神楽路で人が豚に変えられたことを思い出した。

「きっとそうよね。なら、現実ってかなりあやふやなのかな」

「止そう。あんまり考えると世界に影響しちゃうかも」

「そうよね。やめたほうがいいよね」

 彼女たちは世界が変容したことを憶えている。

 いまは混沌の影響が強い時期であることも知っている。

 そんな彼女たちだから危機意識も強い。

 だから自制できる。

 だが、憶えていない人たちは?

 彼らに危機意識などあるわけもなく、してはならないことをしてしまう。

 業。

 カルマ。

 そんな言葉の通りに、人は行動してしまうのだ。

 その結果――

 翌日、お局三人衆のことは、皆の記憶から消えていた。

 そんな人たちがいたことを誰も憶えていない。

 今度は真紀やみゆきも例外ではなかった。

 二人が憶えていないのだから、願って呼び戻そうと考える人はいない。

 こうして、お局三人衆という存在がこの世界から拭い去られた。

 一人多い、あるいは一人足りない、世の中にはそんな怪談や都市伝説が多くある。

 それはこうした現象が起きた結果なのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
願えば叶う……その代償もしかり…… 誰も覚えていないお局三人はどうなったのか、何かがずれ始めてるのか、いろんな想像が働きますね……どんな展開が待ち受けるのか楽しみに読み進めていきます
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