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40話 決戦前夜

 それからの日々は目の回るような忙しさのうちに過ぎていった。

 領地を治める業務を日々行いながら、葡萄の収穫やワインの仕込みなど、やることは次から次にわいて出てくる。

 だが、その忙しさがかえって品評会への不安を紛らわせてくれたのかもしれない。


 ともあれ、気付くと品評会前日の夜を迎え、私とシルヴァン、クロード、そしてロゼットの4人は、明日に備えて再び王都に入っていた。


 本当なら夕飯はアルマンも一緒に実家でとるはずだったが、最後の詰めがあると断られてしまった。私達は手配された宿泊所のそばにある、落ち着いた雰囲気の料理店で夕食をとることにした。なんでもギュスターブおすすめとのことで、食べる前から期待が高まる。

 主人と同じ卓に着く訳にはいかないと拒否するクロードを無理やり説得し、4人でテーブルに着く。

 店内は素朴さを残しつつも洗練されていて、奥の厨房からは食欲をそそる香りが漂っていた。


「いよいよですね」


 ロゼットはレモン水、私達3人はスパークリングワインで乾杯をすると、ロゼットは待ちきれないといった様子で口を開いた。


「侍女になって三年、こんなにワクワクするのは初めてです!」


 直後、クロードがジロリとロゼットを見る。


「ワクワク、とはなんですか。不謹慎です」

「ごめんなさい……」

「まあまあ、クロード。今日くらいいいじゃない」


 シュンと小さくなるロゼットを見て、思わず間に割って入る。


「いえ。ケジメは必要です。奥様も、甘やかさないでください」


 うう、どこまでも正論の男だ。ブレないなぁ。


「ですが、私も品評会を前日にして、武者震いのようなものを感じております。明日は、足を引っ張らぬようにせねば……」


 よく見ると、グラスを持つ手が僅かに震えている。

 前言撤回。ブレないのではなく、どうやらクロードが一番緊張しているようだ。


「明日から三日間、忙しくなりますわ。今日はたくさん食べて、英気を養いましょう」


 ちょうど同じタイミングで、イチジクと生ハムの前菜が運ばれてきた。

 添えられたルッコラと、艶のあるバルサミコソースがいかにも食欲をそそる。


「それで明日のことですが」

「準備は十分してきただろう」


 クロードの発言を、珍しくシルヴァンが遮った。


「今は、目の前の食事を味わおう」


 クロードもロゼットも、思わず手を止めてシルヴァンを見た。


「な、なんだ……?」

「いえ、なんと言いますか、その……」

「シルヴァン様、ちょっとセリエ様に似てきましたよね!」

「こら、ロゼット!!」

「……」


 二人に言われて、シルヴァンは黙って俯いてしまった。口元を手で隠しているが、心なしか頬が赤い。


「そ、そんなつもりはなかったのだが……」

「やはり、気付かれていなかったのですね。その、最近使用人の間でよく話題になっておりまして……」

「!!」


 ヴィーニュ家に嫁いで、二ヶ月と少し。あっという間に過ぎて気付かなかったが、もしかすると、いつの間にか夫婦として似てきた部分があるのかもしれない。

 明日を前にした緊張の中で、その小さな変化が、何故だかひどく嬉しかった。


 ◇


「眠れないのか?」


 幾度となく寝返りを打つ私に、シルヴァンが声を掛けてきた。


 食事を終えると、私達は宿泊所に戻り、早めに休むことにした。

 宿泊所のベッドは広く、二人で寝るには十分な大きさだった。だが、明日への緊張や、同じ寝台で休むことへの落ち着かなさもあり、なかなか寝付けずにいたのだった。


「落ち着かないのなら、やはり俺はソファで寝よう」

「いえ、そういう訳では……」


 慌てて彼の方を向くと、エメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 思いがけない柔らかな視線に、私は急に鼓動が早くなる。


「もう少し、近くに寄ってもいいだろうか」

「え、あ、は、はい……」


 シルヴァンは体が触れない距離を保ちながら、腕を伸ばして、そっと私の髪を撫でた。

 頭の芯がじんわりと痺れるような、不思議な甘さが広がる。慣れない感覚に思わず身体を固くすると、シルヴァンは小さく苦笑した。


「そんなに怖がらないでくれ」

「怖がってるわけじゃ……」

「君に触れるのは、式を終えてからと決めている」


 そう言いながらも、手はそのまま私の頬をなぞる。

 心臓が、痛いくらいだ。前世でも恋愛経験なんてなかった私には、刺激が強すぎる。

 ゴツゴツとした指が、顎に触れる。その指はそのまま喉元に近いあたりを、くすぐるように撫でた。


「あの……シルヴァン様?」

「セリエは、なんだか猫みたいだな」

「猫?」


 まるで機嫌のいい猫をあやすみたいな手つきに、思わず抗議の言葉が喉まで出かかった。


「セリエは、誰にも懐かない。見るたびに、表情が変わる。だけど……」


 そこで言葉を切ったかと思うと、次の瞬間、不意に抱き寄せられた。


「時折り見せる表情は、誰より愛らしい」


 顔を、見られなくてよかった。頬が熱い。

 シルヴァンの首筋からは、葡萄畑や青い木々を思わせる香りがした。

 触れ合った胸元からは彼の鼓動が伝わってくる。そのテンポは私のそれよりも、早い。


「シルヴァン様も、緊張なさってるんですか?」

「当たり前だろう?」


 照れを誤魔化すためか、私の髪をわしゃわしゃと掻き回す。


「ちょっ、やめてください」

「いやだ、やめない」


 思いがけない彼の可愛い一面に、つい笑ってしまう。

 ややあって、手が止まった。


「今夜は、このまま眠ってもいいだろうか?」


 私は返事をする代わりに、シルヴァンをそっと抱きしめた。

 緊張は、いつの間にかほぐれていた。

 額に、そっと唇が降りてくる。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 私は温かい腕に包まれたまま、明日の不安を忘れるようにそっと目を閉じた。

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