38話 再びの山猫亭
「茶会は盛況だったようだな」
夕飯前のひととき。
私は部屋にシルヴァンを呼び、今日の成果とこれからについて話すつもりだった。
「はい、みなさん、お土産も喜んでくれたようでした」
「それはよかった」
シルヴァンが、わずかにはにかむ。実はクッキーを手土産にしては、と提案したのは彼だった。無骨そうな彼の意外な一面を知り、驚いたことを思い出す。
「それで、計画は?」
「予定通りです。品評会への出品を匂わせることができました。あのご令嬢たちの様子なら、一週間以内には王都で話題になるかと」
ただ、とそこで言葉を切る。ヴィオレットの探るような目が、脳裏に浮かんだ。彼女だけは、私の真意に気づいているかもしれない。
「ただ?」
「いえ、なんでもありませんわ」
それでも、彼女は咎めない気がした。
「しかし、そう都合よく、同じように細工をしてくるものだろうか」
「賭けではあります。ただ、可能性は高いかと」
ピエールを断罪するために、これから起きる悪事をその場で暴く。そのための方法として考えたのが、もう一度選評の入れ替えを行わせるよう誘導する、というものだった。偽ワイン輸出を控えた今、ブローニュワインの評価が急上昇することはピエールにとって困るはずだ。その焦りを利用する。茶会はその布石だった。
「品評会にあのワインを出すことを、ジュール殿には伝えなくていいのか?」
「あえて、今は伝えないでおこうと思います。評価者と口裏を合わせていたなどと疑われては困りますし、それに……」
アンドレの家で飲んだワインを、思い出す。あのポテンシャルならば、ジュールは必ず正当な評価を下してくれる。余計な手は、要らない。
シルヴァンは静かに頷いた。
ジュールからはその後、印章の調べについて一度手紙が届いたのみだった。進展があれば、また彼から連絡がくるだろう。
「では、明日にでもブローニュへ戻ろう。そろそろ仕込みに入らないとな」
「わたくしは、明日もう一度、山猫亭へ行こうと思います」
「……山猫亭、だと?」
シルヴァンの目が、鋭くなった。
「まさかまたマルセロに会う気か?」
「このまま放置もできません。没落令嬢を装って取引を持ち掛けたまま音沙汰なし、ではさすがに怪しまれますし」
「だが……」
「ワインを数本持ち込んで、残りは品評会の後に改めて、と伝えれば、しばらく接触がなくても不審には思われないはずです。深入りするつもりはありません」
シルヴァンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「わかった。ただし長居はするな。店の外までは俺も行く」
「承知いたしました」
◇
翌日の夕刻。軽めの夕食を取ると、私たちは早速山猫亭に向かった。
ワインはアルマンの許可をとり、ボルデールの特級を2本融通してもらった。父がやや名残惜しそうな顔をしていたが、自分で飲みたいのは私も同じなので、気持ちは痛いほどわかる。
ごめんなさい、作戦のためなの!
シルヴァンと別れ山猫亭に入ると、先日と同じく客はまばらで、カウンターにはこの前と同じ男が店番をしていた。
「おや、この前のお嬢さんだね」
「先日は失礼いたしました」
私はカウンターに座ると、グラスワインを注文した。
すぐに冷えた白が差し出される。華やかな香りの甘口ワインだった。
この前も思ったが、この男は女と見れば甘い酒を好むものと思い込んでいるらしい。
だが、ここで喧嘩を売っても仕方ないので、素直に口をつけた。
「取引の話かい?あの親父なら今日はいないよ」
初手から当てが外れてしまった。
だが、ここで引くわけにはいかない。
「では、これを預かっておいてくださるかしら」
布に包んだワインを籠から取り出し、カウンターの上に置く。
店の男は無言でそれを手に取り、包みをずらしてラベルを確かめた。
「……随分上物じゃないか」
「まずはこの二本を。残りは結果を見てから改めて持ち込む、とお伝えいただけますか」
男が、ジロリと私を見る。
「次は、いつ来る」
「そうね、来月の品評会の後にでも」
「随分空くね」
探るような視線を受け流し、私は微笑んでみせた。
「今年の品評会、ブローニュワインの値が動くかもしれないという噂はご存知かしら。手持ちの品にブローニュ産もございますの。値が上がってから捌いた方が、お互い得でしょう?」
「ほぉ。お嬢さん、なかなかの情報通だね」
男がニヤリと笑ってみせる。
ひとまず、不審には思われなかったようだ。
マルセロに会えなかったのは想定外だが、かえって良かったのかもしれない。あの男だったら、思惑を見破られていた気がする。
「じゃあ、これで失礼するわ」
「ああ。親父には伝えておくよ」
籠を抱えて席を立つ。出口に向かうと、酒臭い息の男がひとり、入れ替わりに入ってきた。
「おっと……」
狭い出入り口で避けきれず、肩がぶつかった。籠を抱え直した拍子に、耳元で何かがかすかに引っかかる感触があった。確かめる間もなく、男の不躾な視線が向けられる。
「んん?あんた、どっかで見たような……」
「ひ、人違いですわ」
私はそれ以上何も言わず、逃げるように店を飛び出した。




