34話 老人との出会い
「なんだ、ラウル。客か?珍しいな」
そう言って入ってきたのは、なめし革のような皮膚をした老人だった。
背はそれほど高くないが、がっしりとした体躯に、眼光は鋭い。
「あ、じいちゃん、おかえり」
ラウルがガタリと席から立ち上がる。
「この人たちは、その……」
今話していたことを聞かれたくないのだろう。
慌てて説明しようとしているが、よく考えると私たちは何も名乗っていない。ラウルが言葉に詰まってしまった。
「誰でもいい。女性二人だ、遅くなる前に帰ってもらえ」
老人はそう言って、奥の部屋に向かおうとした。
「お待ちください!」
私が声をかけると、立ち止まって怪訝そうな顔でこちらを見た。
「何だ?」
「不躾な質問をすみません。マルセロ、と言う男の名をご存知ではありませんか?」
私は賭けに近い気持ちでその名をぶつけた。
ラウルが、驚いたように私を見た。
老人はじっとこちらを見ていたが、ややあってため息をつくと、ボソリと呟いた。
「面倒な客を、連れてきたな」
老人はラウルを奥の部屋に行くように促すと、空いている丸椅子に腰掛けた。そして、いかにも厄介そうに続けた。
「で、儂から何を聞き出すつもりだ?」
「五年前、品評会の日に起きたことを調べています」
「……」
老人は棚から酒瓶と水差し、それからグラスを取って、机の上に置いた。
「飲むか?」
「いただきます」
私の前には酒を、ロゼットの前には水を置いた。
ちゃんと客を見ているようだ。
「そんな昔のことを調べてどうする」
「五年前に、あるワインが不当に貶められたことはご存知ですか?」
「ワインのことはよくわからん」
老人はコップに注いだ酒を飲んだ。
「私はセリエと言います」
「……ミゲルだ」
私がグラスを掲げると、ミゲルは渋々杯を合わせる仕草をした。
「その事件に、マルセロが関わっていると踏んでいます。そして、お孫さんのラウルが、そのきっかけを作ってしまった可能性が高いかと」
「!!」
ミゲルはわずかに動揺した様子で私を見た。
「お前さん、何者だ?」
「本来は身分を名乗るべきなのでしょうけれど、かえってご迷惑になるかもしれません。事件について調べている貴族の一人……今はそれでご容赦いただけませんか」
ミゲルは私の言葉を聞くと、また元の素っ気ない様子に戻ってしまった。
「ふん、そうやって都合の悪い時は名を隠して、厄介ごとは外からきた人間に押しつける。お前さんたち貴族連中はみんなそうだ」
みんな、と言う言葉がやけに大きく響いて聞こえた。
「みんな、とは」
「移民はみんなていのいいコマだとでも思ってるんだろ?」
「そんなこと……!!」
私は思わず反論しようとして、でもその根拠を自分が持たないことに気付いて、口をつぐんだ。
「なんだ?言ってみろ」
「いえ……私は……」
ここで、反論を試みることは可能だ。
しかし、それでは意味がない。
「順を追って、説明させてください。まず、お孫さんの罪を問いたい気持ちは一切ありません。それから、移民差別について、私にはそんな気持ちはありません。ただ、そういう貴族が一部いることは認識しています。それについては、弁解のしようもありません……」
そういうと、私は深く頭を下げた。
私の様子を見て、ロゼットも頭を下げる。
少しの間、沈黙が場を包んだ。
「別に、お前さんに謝ってほしい訳じゃない。酒が不味くなるから顔を上げろ」
ミゲルは再び酒を口にした。
私もグラスに口をつけた。強い酒だった。
「マルセロについて、どこまで知ってる」
「さる地位の高い人物から、裏の仕事を請け負っていますよね」
「それを聞いてどうするんだ」
「私は少し前に、突然婚約破棄を言い渡されました」
「!!!」
「王都を追われ、今は別の地で暮らしています。今日はこの話を聞くために、ここにいます」
「……」
「その別の地では、今度は領地で作ったワインを不当に貶められ、苦しんでいます。どちらにも同じ黒幕がいると、私は考えています。それだけではない。国を裏切るような行為が、秘密裏に進んでいる可能性が高いんです。そして、その全ての案件で、手足として動いているのがマルセロではないかと」
「……」
ミゲルが、グラスに目を落とす。
思い当たるふしはあるが、どこまで話そうかと悩んでいる様子だった。
あと、ひと押しだ。
「知っていることを全部聞き出したいとは思いません。一つだけ教えて欲しいんです」
「一つだけ、だと?」
「五年前、私の予想だと、おそらくマルセロはお孫さん、ラウルを使って配達人のジャンを屋台に誘導し、体調不良となるように仕向けました。翌日、あらかじめ用意していた別の人物に、ジャンの代役をさせたはずなんです。心当たりはありませんか?」
「配達人か……」
「お願いします、これ以上、不幸な人を増やしたくないんです。ラウルくんだって……配達人を辞めたのは、あの事件が絡んでるんじゃないんですか?」
ミゲルの眉間の皺が、一層濃くなったようだった。
「本当にこのまま調べを続ける気か?」
「どういうことでしょう?」
「マルセロは犯罪組織の親玉。我々移民の貧しさにつけ入り、利用して金を稼ぐ汚い男だ。どこぞの大臣が裏についているとも聞く。そいつを敵に回す気か」
私は残りの酒を一気に飲み干すと、決意を込めた目でミゲルを見つめた。
「そんなことは承知のうえ。返り討ちにいたしますわ」
私が覚悟を決めた笑顔でそう言うと、ミゲルは半ば飽きれた様子で、小さく頷いた。
「……ラウルのため、か。見て見ぬふりもここまでだな」
「え?」
「わかった。ちょっと着いてこい」
ミゲルは立ち上がると、スタスタと玄関に向かって歩いていった。
「え、あ……ラウルくん、お邪魔しました!」
私は奥の部屋に声を掛けると慌ててミゲルの跡を追った。
◇
老人とは思えぬスピードで歩くミゲルをなんとか追いかけながら、私たちは歩いた。
道中、ミゲルはラウルの現状について言葉少なに語った。どうやら彼は五年前から家に籠もりがちで、ミゲルはなんとかもう一度、まっとうに働いてほしいと思っているようだった。
そうこうしているうちに、気付けば目的地についていた。たどり着いた先は、なんと夕刻に訪れた仔牛亭だった。
「話がある、部屋に上げてくれ」
「久しぶりに来て最初の挨拶がそれかい」
女将の表情が険しくなる。
あまり歓迎はされていない口ぶりだった。
女将は後ろにいる私に気づくと、失望した様子で言った。
「まったく、食いしん坊の変わった娘かと思ったのにね。少しは信用しかけた私が馬鹿だったよ」
確かに、嘘をついてラウルを紹介してもらい、今度は訳ありの様子でミゲルと戻ってきたのだ。がっかりされて当然だ。
「夕方、すべてをお話ししなかったのは申し訳ありません。でも、ここに来たのはラウルさんのためでもあるんです」
「ラウルのため?」
私は頷いた。
だが、ミゲルは説明しようとする私を遮った。
「外で話すことじゃない。いいから店に入れろ」
女将はお手上げだ、といった様子で肩をすくめる。
「わかったよ、店に入りな」
ロゼットが、安堵したように私を見た。
ミゲルが私たちをここへ連れてきた理由は、まだわからない。
だが、ここに何かあるのは確かだった。
今は黙って、ついていくしかない。
私は夕方とは違う気持ちで、仔牛亭の中へ足を踏み入れた。




