14.刺繍のハンカチ
「オレリー! 気が付いたのか!」
ロシュディの切迫したような声がして、目を開けると見慣れた天井が目に入った。
「……ロシュー、私」
「無理に話さなくてもいい。どこか痛いところはないか?」
いつも冷静沈着でクールなロシュディが、オロオロとしている姿は新鮮だった。
「ふふっ」
オレリーは、思わず吹き出してしまった。
「大丈夫ですわ。私、精霊セリュネア様とお会いしたんです。だから心配なさらないで」
「そうか……いずれ分かる事だが、誰かから呪いをかけられたようだ。守れず……すまない」
『光の精霊セリュネア』から聞いていたので、オレリーにもう動揺はなかった。
「誰が私に呪いをかけたのでしょう?」
ロシュディはオレリーから少し視線を外して答えた。
「それは……分からない。しかし、必ず犯人を見つけるから安心するんだ。それから、加護を授かったことは、今は身内以外の誰にも言うな」
「はい、それは以前からお父様に口酸っぱく言われておりましたので……」
ロシュディの真剣な表情に、オレリーは不謹慎とは思いつつ見惚れてしまっていたが、よく見ると、ロシュディの肩に淡い緑色の羽毛のかたまりが乗っている。
「セ……リュネア?」
「ん? もう名前を付けたのか? これが『カカポ』だ。とにかく色々あったが、優勝したんだよ」
もう一度その丸いかたまりをよく見たが、どう見てもセリュネアとは似ても似つかない、ずんぐりした可愛い小鳥だった。
羽毛の美しさは、セリュネアと同じだったが……。
すると、突然『カカポ』が言葉を発した。
『セリーと呼べ』
唐突に小鳥がしっかりと話し出したので、二人は顔を見合わせて驚いた。
「ロシュー、この小鳥は喋るんですか?」
「えっ、私も飼ったことがないから。それに謎の多い生き物で、まだ知られていないことも多い」
「そうなんですね。なんか、偉そうですけど……」
『気にするな、オレリー』
セリーがオレリーの肩に止まって、得意げな様子で言った。
「ところでロシュー、この指輪には不思議な力が宿っているのですか? この指輪に導かれて、迷うことなく精霊に出会えたように思うのですが……」
「そうか……公爵家で保管している『精霊の書』と『エーテルの指輪』は一緒に受け継がれてきたのだ。指輪に選ばれた者は、不思議な体験をするらしい。それから……」
そう言うと、ロシュディは口をつぐんだ。
オレリーは、ずっと握られていたロシュディの手に布が巻かれ、そこに血が滲んでいることに気付いた。
「あっ、ロシュー、その手の傷は?」
話題を変えるように、オレリーは滲む血に触れながらたずねた。
(ハッ!)
手に巻かれていた布は、エリカの刺繍が施された、あのハンカチだった。
「ああ、これは魔獣のドンデカスと戦った時にできた掠り傷だ。それは大きな魔獣で……」
ロシュディの声は、もうオレリーには届いていなかった。
(私、嫉妬しているの? エリカ様に? 邪魔者は私かもしれないのに)
「そのハンカチが、ロシューの身を守ったのかもしれませんわね」
あまりにも小さな声に、ロシュディはオレリーが何を呟いたのか聞き取れなかった。
「ん?」
そこへ、セリーがどこから見つけ出したのか、あろうことかオレリーが刺繍を施したハンカチを咥えて飛んできた。
「あっ、それは!」
「これは、なんだ? ハンカチ?」
オレリーは、情けないような恥ずかしいような泣き出したい気持ちになり、急いで俯いた。
またもやセリーが、場の空気を読まず喋りだした。
『公爵、よく見ろ』
「このハンカチはオレリーが刺繍をしたのか?」
「……はい、渡しそびれてしまいましたが、本当はロシューに狩猟大会でお渡ししたくて」
「俺のために? そうか……ありがとう」
ロシュディは、そのハンカチを広げて刺繍をじっくり見た。
「これは……犬と小屋に稲妻が落ちてる?」
「コホンッ……ジャッカルと盾……稲妻と仰ったのは二本の剣ですわ。アレクサンドル家の家紋を刺繍したのです。でも、エリカ様からハンカチを……」
「……オレリーは手先が器用なんだな。ありがとう、大切にするよ。エリカ? ああ、どうしてもというから」
セリーが、軽蔑の眼差しでロシュディを見ていた。
『お前、最低だな』
「は?」
オレリーは、エリカのことをどう思っているのかロシュディに聞きたかったが、どうしても聞けなかった。
心には不安が広がる一方で、気持ちが同じ温度ではないことを知るのも怖かったし、エリカへの想いを聞くのも怖かった。
◇
次の日の早朝、公爵夫妻の寝室のテラスに大きな白頭鷲が静かに止った。
ロシュディは、オレリーを起さないように、そっとテラスに出た。
鷲の足に括り付けてあった手紙を読むと、そのまま二階のテラスから下の庭に飛び降りた。
「ルシアン卿、これは、どういう意味でしょうか?」
「昨日、会場から飛び出した公爵様を追って屋敷に先回りしましたが、部屋でオレリーを襲っていた禍々しいオーラは何なのですか!」
「そのことを知っているのは……」
「私と父母だけです。公爵様、妹との婚姻でお約束して頂いたことは、そんなに簡単に破られるものなのですか?」
ルシアンは拳をぎゅっと握りしめて、語気を強めた。
「申し訳ありません。私の落ち度です」
「ハッ、落ち度! 何を隠しているのですか? あのような不吉で強力なオーラは、今まで帝国で感じたことがありません!」
「さすが『氷の精霊フロス』の次期後継者ですね……」
「私はまだ力を授かってはいませんが、この血筋のお陰で何かしらの力はあるようです。ですから、私を欺こうとしても無駄ですよ」
「ルシアン卿……オレリーは何者かに不吉なオーラを使って呪いをかけられたのです」
「呪い? なぜオレリーが……『時の精霊エーテル』の加護をお持ちなら誰の仕業かお分かりのはずでは?」
「わが公爵家の真の力をご存じで?」
ロシュディの瞳がギロッとルシアンを睨んだ。
「公爵様、侮らないで頂きたい。わが家も精霊の加護の力を授かっています。ハァー、だからといって父上はそれを利用したりはしませんよ」
「分かっています……帝国の政争は血生臭いので。まぁ、シルバーヴェル辺境伯のことは信じていますよ。呪いの元凶はローズ皇妃殿下と……残念ですがエリカ・ラビオニです」
「ラビオニ男爵令嬢が?! そんな……すべて公爵様のせいではないですか」
「どういうことです? 確かに皇妃殿下とは対立関係にありますが、エリカは家臣の娘ですよ」
「ハッ、エリカとは! ラビオニ男爵令嬢はどうされるのですか? もうこれ以上、妹を危険な目に遭わせたくありません。今ならまだ間に合う、どうかオレリーを手放して下さい」
ロシュディは己の無力さ、オレリーとの離婚、エリカが『闇の糸』を使ったという事実、全てのことが一度に押し寄せ、かなり混乱していた。
フラフラとした足取りで立ち去ろうとしたが、思い直したようにスッと立ち止まり振り返った。
「オレリーと離婚はしません、絶対に」
「公爵様! そんなに力が欲しいのですか!」