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ep1-1. 男とバッタとバイク

昭和ライダーのトリビュートのつもりで書いてみました。

ヒネリなし、文才なし。

それでも意気込みは、

「かつてのガキ共に捧ぐ」

---- 序 ----


 そのとき、()()がほんの少しだけ歪んだ……。


 星の表層を微かに震わせた波は、やがて東京に流れる荒川のほとりに集束し、そして小さく弾けた。

 弾けたそこには、およそ10センチほどの“穴”ができた。


 辺りに誰もいない光景の中で、ふとその”穴”から何かがジワジワと()()出てくる。

 血に浸った雑巾のような色をした、不定形の塊…。


 ()()は”こちら側”で小さく震えると、重力に従うように地面へ落ちた。 

 草を潰し、虫を呑み込みながらズルズルと川へ向かい、そして、水の中へトプンと沈み、流されていく。


 同じ頃、残された“穴”が静かに収縮を始めた。

 やがて指先のサイズまで縮み、そのまま消える間際、向こう側から緑色の光が差し込んできた。


 その様子を、草むらで雑草を食んでいる昆虫が、無機質に眺めていた。


 -------------------------------------------


 文本響一(ふみもときょういち)は、パチクリと目を瞬いた。

 勤務先へバイクで向かっている最中、信号待ちをしていた437号線沿いにて、カウルの(ふち)に、思いがけないものが降り立ったのだ。


 「バッタ...」


 思わず呟いてしまう。

 辺りはすっかり夜である。

 響一はこれからの夜勤で、朝まで働くことになる。

 信号と街灯に照らされた薄闇で、バッタはカウルの上でわずかに首をかしげ、ヘルメットの奥の自分をじっと見つめている。


 なんだか観察されているようだ。

 響一も応えるように、バッタを見つめ返してみた。

 こんな都心部で野生の昆虫に出くわすのは極めて稀な事だ。

 鮮やかな薄緑の体躯、黒真珠のような複眼。

 強靭で鋭いトゲがついた後ろ足…。

 カッコいい。。


 「……うなるぅー♪ しょっかーーっ♪」

 

 小声で、響一は思わず鼻歌を口ずさんでいた。

 今年36になる彼が少年だった頃、父親とVHSのビデオで鑑賞した特撮番組の主題歌である。

 でも、歌詞自体は”うなる”ではなく、”せまる”が正解だったような気が…。


 「じごくのぐーんーだんー、わぁれ…」


 後続車からダメ出しのクラクションがパッ、と鳴った。

 信号はすでに青になっている。


 「イケね…」


 響一はバイクのギアを落とし、クラッチを緩めながらアクセルを開けた。

 ゆるりと前進した車体が、ギアを上げるごとにさらに速度が増すと、響一の疲れた頭も軽くなっていった。

 風圧で飛ばされたのか、気づけばバッタはすでに消えている。


 …そういえば、バイクに乗り始めた理由って、たぶん“アレ”なんだよな。


 前方の車輛を無造作に追い抜きながら、響一は幼い頃の記憶をぼんやりと巡らせた。

 “アレ”とは、もちろん先ほど唄っていた番組のことである。


 -------------------------------------------


 …あの人間の男は何を一人で喋っていたのだろうか?


 満点の夜景を見下ろしながら、”彼”は空中で先の男が口ずさんでいた言葉のことを考えていた。

 ”じごく”とは、人間が想像した架空の世界であることは知っている。"しょっかー"と呼ばれる者は、その世界の住人ということになる。


 なぜ、唸ることになるのか?


 考えてはみるが、特に意味のあることにも思えず、”彼”は探索を継続することにした。

 腹部にある耳の感度を最大限まで上げ、ある振動波のみに反応できるよう、補正をかける。

 この数キロ内の範囲にいるであろう”奴”が行動を見せれば、すぐに感知ができるだろう。


 ()()()()に来て二日目、この有機物の操作にもやっと慣れてきた。

 突如開いた“〇△×”から奴らを追ってはきたが、物理がすべてを司るこの世界では、活動にかなりの制限がかかることを知った。


 活動するための手段が必要だ。

 必死に辺りを探したところ、ようやく宿主となるモノを見つけることができた。

 融合してみてわかったことだが、この昆虫という種は思考パターンがおそろしくシンプルで雑味がなかった。

 だから元の自我を保ち、コントロールすることができている。


 “奴”も宿先となる生物を見つけているはずだが、問題はその対象である。

 “彼”自身にとって、個性の強い生物との融合は、自我の消失に近い。


 でも”奴”は違う。

 宿る先が何であれ、捕らえ、浸食し、混ざり合うことを厭わない。

 融合という行為そのものに悦びさえ感じているようにも思える。こちらの生物には性交という行為があるが、それに近い衝動なのかもしれない。

 融合の対象が、複雑なパーソナリティを持つ人間だとしたら…。

 ふと、聴覚が跳ね上がった。


 ”奴”だ…。


 直感した方角へ身を翻し、”彼”は瞬時に臨戦体勢に入っていた。

 羽を鳴動させ、そこから生じる波動を半径数十センチに圧縮させると、流動していた周囲の空気が固定される。超高振動による膨張が頂点に達したと同時、たわんでいたものを解き放つ。


 空気がポンと打ち鳴り、“彼”の身体は、その場から数キロ先の場所まで、一瞬で吹っ飛んでいった…。


 -------------------------------------------


 「はあ?」


 北千住の商店街通り。コンビニを目指していた藤兵立華(とうべりっか)は、目の前の人だかりに思わず立ち止まった。朝の8時を過ぎた頃だ。

 何かの事件が起こったらしい。

 人ごみの奥で制服姿の警官が数人、右往左往しているのが見える。


 「朝の静かなひと時が…」


 立華は嘆いた。

 朝一番に起きた後はいつも最寄りのコンビニに入り、機械が淹れるコーヒーを買って家に戻るのだ。

 いつものルーティンが乱されることに、彼女の気持ちはささくれた。


 人だかりの中心とみられるその雑居ビルには、小さな広告代理店の会社が入っていたと思う。

 彼女が経営する店にたまに来る客が、そこの代表だった。


 払いの良い客だったとはいえ、正直、殴りたくなる人物だった。

 派手な女を隣に置きながら、こちらにも品のない色目を使ってくる。

 食事より酒をメインにカウンターで騒ぎ、社員をコキ使うことを語り、同調を促してくる。

 そんな奴だ。


 泥棒でも入ったなら…、まあ普通にザマーミロよね。


 立華の気持ちは少し上がったが、依然として人の流れはニブかった。

 数人の警官が誘導を促してはいるが、野次馬がいちいち現場前で立ち止まり、スマホで撮影をしている。

 目当てのコンビニはすぐ先にある。


 「まったくもう」


 少し強引に人ごみを抜けようとした立華は、ふと誘導をしていた中年警官と目が合った。


 「あっ、ブラック!」

 「りっ、立華っ、さんっ…」


 迫られた巡査は、彼女に対して強張った笑顔を取り繕うとしたが、生来の悪人ヅラのせいか、ただ卑屈、不気味に見えてしまう。

 深いほうれい線と三白眼、日々の労働と不摂生な生活から目にクマが出来ている。

 加えて彼のトチ狂った青春時代を知っているだけに、この男がなぜ警官でい続けることができるのか、立華は不思議で不思議でならない。


 「きっ、昨日はどーも」

 「昨日の飲み食い払いなさいよ。ウチはツケ厳禁だからね」

 「つ、ツケって!?いやっ、それ田門(たもん)クンが払ったんじゃ?」

 「払ってないわよ。アンタら、人がエノキ取りに行ってる間に消えたんだよ」

 「ホ、ホントですかっ!?しょっ、しょーがないなアノ人!」

 「オマエも同罪だよオイ。警官の無銭飲食!」


 立華の声は張りがあり、透き通っている。

 そんな声の美人が人を、なおかつ警官を罵っていれば、周囲の注目も自然と吸いついてくる。


 「いっ、いや人聞きの悪い事…」

 「ホントのことじゃん」

 「立華、カツアゲ現行犯だぞ?」


 二人の間に、初老の警官が割って入った。

 背丈は普通だが、重厚な体つきをしている。顔立ちも無骨ではあるのだが、優し気に下がった糸目のせいか、不思議な安心感があった。


 「…なによ。取り立ての邪魔なんだけど」

 「オマエの父親様は勤務中なんだよ。とりあえず家に帰れ」

 「アンタの部下がアタシの店で食い逃げしたんだけど?田門のバカと一緒に」

 「知らんのか?無銭飲食って意外と立件が難しいんだぞ」

 「ちょっ…っ、お巡りのセリフじゃないよねえっ!?」


 父親はまあまあ、と取り成しながら、もう一方の手で辺りの野次馬達にも移動するよう促している。


 「で、何なのこの人だかり。泥棒じゃないの?」

 「違う、…なかなか重い現場になっててな。わかってくれや」

 「…はい」


 すんなり切り替えた立華は後頭部を掻き、よそに視線を移した。

 そして、彼女はそこに奇妙な()()を見てしまった。


 …いや、違った。

 ()()ではなく人だった。

 薄汚れたスーツを着た、割と若い男だ。

 誤ってドブ池にでも突っ込んだような汚れ方だ。


 なぜ彼を人と認識しなかったのだろうか?

 立華は少し戸惑った。

 男は身を(かが)め、事件現場であるビルの入り口を凝視している。

 ひどく憔悴しているようだが、表情が尋常ではない。

 泣いているようで…、嗤っているようにも見える。


 「……ッ!」


 立華は背中を撫でられた気になった。

 見開いた眼が、まっすぐ彼女本人に向けられていたのだ。

 いきなりだった。

 先までの複雑だった表情は消え、別のものに変わっている。それはまるで…、


 「ちょっと、そこのバイク!」


 ふいにブラック巡査が、立華の隣に向かって声を上げた。

 繋がった視線を千切るように声の方に向けると、1台の見慣れたバイクが小さく唸っている。


 「響一っ?」

 「なんだよ…、これは」


 バイクの主がバイザーを上げ、途方に暮れた声で立華にボヤいた。

 元々の不機嫌そうな表情がさらに尖っているが、緊張感はまったくない。


 「なんだ響一じゃん。お疲れー」


 ブラック巡査が響一に話し掛けた。立華と違って態度が馴れ馴れしい。


 「いちいち話し掛けてくんなよ。仕事中だろ?」

 「夜勤はキツいよな」


 そんな彼らのやり取りをよそに、立華は先の男の方に恐る恐る視線を戻した。

 そこには、すでに誰もいない。

 周辺に視線を巡らすが、存在が夢のように消えてしまっていた。


 「今日はここまでです」


 ふいにスーツ姿の男たちが藤兵巡査長に話しかけてきた。

 立ち居振る舞いから、私服警官のように見える。 


 「継続見分として規制は維持。中は現場保存です。搬送よろしくお願いします」

 「了解しました。これから通行封鎖を実施、現場維持しながらご遺体の搬送作業行います」

 「遺体、と…、あれは呼べるのか」


 よほど酷いものを見たらしい。

 小声で話す刑事の顔つきには、疲れがどっぷりと滲んでいる。


 「代表含め、被害者は複数人いると思われますが、とにかく欠損がひどい。あんな現場…、初めてです。アレは…、人間ができることじゃ…」


 青ざめている刑事の肩に、藤兵はそっと太い手を置いた。


 「…よほど重い案件になりそうですな。ともかく全員で解決していきましょう。後はこちらで」


 去っていく刑事の背を見届けてから、藤兵巡査長は切り替えるように立華の前でパンっと手を叩いて鳴らした。

  

 「これから道ごと完全封鎖だ。マスコミも嗅ぎ付けて来る。忙しくなるからとっとと帰れ」


 野次馬にも示すように、立華を促した。


 「はいはい」

 「くっそ。俺ん家、このすぐ先だってのに…」


 バイクから降り、ヨタヨタと車体を方向転換しながら、響一が立華に声をかける。


 「なあ、今日の日替わり何が出る?」

 「ん?まだ考えてないけど…」

 「立華ぁっ!そういえば、あの大量のモヤシどうすんだあ?あれ処理しないと大変だぞお!」


 藤兵巡査長が少し離れたところから二人に叫んできた。


 「人の厨房、勝手に覗くんじゃないわよ!」

 「モヤシ…」

 「なあ響一、オマエ支給されてる電車の交通費、バイクでチョロかましてるんだって?」


 ブラック巡査が響一を煽るように言ってくる。


 「うるせーなー。節約してるからコイツんとこの商売に繋がってるんだよ」

 「得意客に言うのもアレだけどさー。それ、金が寄り付かない奴の典型だよ?」

 「…………………」

 「ぎゃはははっ!」

 「黒田、動け!これから封鎖だ!」

 「あっ、はっ、はい!」


 藤兵の声に、ブラック巡査が走り出した。

 すでに運び込まれたブルーシートが現場となるビルの入り口を覆い始め、バサバサと音を立てる。

 

 「帰って呑んで寝るわ…」

 「……………」


 響一がバイクを切り返している隣で、立華は先ほどの薄汚れた男がいた場所へ、もう一度、慎重に目を向けた。

 …やはり誰もいない。

 それでも、彼女の内面は未だ緊張を解くことができないでいる。

 過去の部隊演習を思い出すが、そうしたものとはまた違う感覚だった。


 自分に向けられた彼の視線…、立華には思い当たる節があった。

 あれは提供した料理にありつく人間の、無造作な眼差し。料理人である彼女が毎日見る、人にとっての当たり前の仕草…。


 自分はあの時、食われる側にいたのだろうか?


 思いもしないことが頭をよぎり、立華は身を固くした。


 -------------------------------------------


 『ボクはさ、ちゃんとチャンス与えてんの。分かる?これ、教育だから』


 あの男の押しつけがましい決まり文句も、貼り付いたような笑顔も、同僚たちの嘲りも、今となっては清涼に満ちた記憶となっている。


 佐久間健はすこぶる気分が晴れやかだった。

 これまでにない充足と万能感に、まだ身体が震えている。 


 彼は今、公園の冷えたベンチに背を持たれている。

 彼にとっては馴染みの場所だ。

 2日前の夜もこうして腰かけていたが、その時は背中を丸めてため息をついていた。

 佐久間は、所謂"社内いじめ"に会っていた。


 切っ掛けはあった。

 毎度、理不尽を突き付けてくる代表に常識の範囲で意見を述べたところ、相手は血相を変え、夜まで詰められたのだ。

 その翌日から、代表の自分への扱いが明らかに変わった気がする。


 「今日中にやれるよな。いいな?」


 ただただ手間と時間が掛かる顧客整理とデータチェックが、延々と押し付けられる日々。

 そこに同僚も便乗してきた。

 代表の指示ではなく、自発的に己の手間仕事を押し付けてきたのだ。


 「え?だってそういう仕事担当なんでしょ?」


 違う。僕は広告をしたいんだ。

 でも見下ろす同僚の視線を見ることができず、データを受け取ってしまった自分は、どんな情けない顔をしていたのだろうか?

 

 「奴隷確定…」


 そんな言葉が、仕切られたパーテーションの向こうから聞こえてきた気がする。

 僕のことを言ってるんだ…。


 とぼとぼとした足取りでたどり着いたのが、この公園だった。

 ベンチに腰掛け、途中のコンビニで買いこんだアルコールを好きな菓子パンと共に流し込む…。

 ひどい食べ合わせだ。

 惨めな気分に浸っていた時、腕に巻きついて来たのは、やけに大きなクモだった。


 驚きはしなかった。

 むしろ、その生き物がスポンジに吸収される泡のように彼の腕に融け込んでいく様を眺めている内、酔っていた佐久間は、とうとう自分が壊れてしまったのだと受け止めていた。

 そのあとの記憶は…、


 「きたねえ恰好…」


 少し離れたところから、思いがけない声がした。

 幼さが残るその声色は、どこにでもいる中学生が発したものだった。

 

 「あれ、嗤ってね?コイツ」


 同年齢と思しき別の声が上がる。

 気づけば佐久間は、複数人の中学生に囲まれていた。いずれも手には、角材などの器物や、通販で購入したであろう伸縮式の警棒などが握られている。


 「いつものオッサン逃げたな」

 「いいじゃんコイツで」


 何事かと事態を考えあぐねている佐久間をよそに、最後に話した一人が、彼に向かって角材を遠慮なく振り下ろしてきた。

 頭だ。

 パコンッ、と間の抜けた音が上がった。

 音は軽いが、頭蓋には響いた。

 殴られた箇所から、思いがけず暖かい液体が首筋を伝う感触を佐久間は感じた。


 「ぎゃはは!なにコイツ?反応しねーぞ!」


 角材を振り抜いた勢いと上がった音のギャップ、佐久間の反応に、男子の一人が笑い転げた。


 「スゲ、ヤバー」


 佐久間はぼんやり考えた。

 いわゆるホームレス狩りというやつなのだろうか?

 そんな奴らが最近出没していると小耳に挟んだことがある。町内の防犯カメラを搔い潜って行動するため、まだ実態がつかめないのだと…。


 それにしても佐久間は心外だった。

 これでもちゃんとした社会人のはずだが、まさかのホームレス扱いだ。そんなに僕は汚いのか?


 ああそうか。


 佐久間は理解した。

 今着ているものは、昨日、社内でボロボロになってしまっていたのだ。


 「なんか喋れや!」


 お笑いのツッコミのようなノリで、別の男子が横面にバットをフルスイングしてきた。


 「おおおおお」


 ガキどもの歓声と嘲笑が、佐久間の耳に飛び込んでくる。

 他人を相手に、どれだけ弾けたことができるのか、仲間内で競い合っているかのようだった。

 本当なら骨まで砕けそうなものだが、まったく痛くも痒くもない。


 とても冷えた気持ちで佐久間は思った。

 未成年のこいつらも、会社の人間たちも、あまり変わりがない。

 各々が抱えている不満と不条理を、誰かに排泄する方法で自分を保とうとしている。

 己の行動のツケを、1ミリだって考えない、思考もできない、本当にどうしようもない奴ら。


 『…これ、教育だから』


 自分がかつて代表と呼んでいた男の言葉と顔がまたフラッシュバックする。

 その顔がだらしなく泣き喚いても、自分は時間を掛けて蝕んでやった。

 やられる気分はどうだった?僕は教えてあげた。


 「ちょっ、ホントこいつ動かねえ…な」


 仲間に笑いの同調を求めようとしたバットの少年の言葉が、止まった。

 佐久間の面相が妙な感じに()()()()いたからだ。

 およそ標準的な顔立ちの佐久間の目と鼻が横に移動し、側頭部へとズレていく。

 正位置にある口腔部がニンマリ笑ったかと思ったら、頬の部分まで裂けていき、パカッと開いた。

 肌も黒ずみ、トゲのような繊毛が生えた。

 合間から赤くて細かい泡が湧き出たかと思えば、昆虫のような複眼となった。

 その中心にできたゴマ一粒のような瞳がバットの少年と向き合ったとき、少年の感情は、狂騒から恐怖へ一気に振り切れた。


 「……かっ」


 本能が意味のない声を上げようとしたとき、少年の口に太いものがネジ込まれた。

 昆虫の節足のようなものが、佐久間の鎖骨部分から伸びてきている。

 口内を満たしたモノの先端から喉に向かって、酷く臭いものがドプドプと流れ込んできた。

 少年は呻いた。

 それが少年の体内に浸透し、筋組織や神経系を蝕み、糸状の形へと変異させてゆく。

 痛みはあるが、意識は切れない。

 少年はただ発狂した。


 目、鼻、耳、口、肛門、毛穴…。

 少年の身体の穴という穴から、極細の糸が、無数に吐き出された。

 音もなく、シュルシュルと周囲へと広がった糸が、呆然としている襲撃者たちの身体に触れる。

 地肌を溶かしながら付着し、強い刺激臭と煙が上がった。

 辺り一帯から、変声期特有の阿鼻叫喚が聞こえてくる。

 痛みにのたうつ中学生たちの前で、バットの少年の姿は糸を吐き出すだけの、ワケのわからない塊と化していた。


 「…………」


 佐久間は充足していく一方で、首筋の感覚がチリチリ跳ねるのを感じた。


 自分にとって、唯一”脅威”となるものがやってきたらしい。

 異形の姿でのそりと立ち上がり、その方向に首をもたげる。

 少年たちが地面でのたうち回る光景の向こうから、異質な何かがこちらに気配を向けてきている。


 瞬間、佐久間の身体が仰け反った。

 大人のこぶし大の物体が顔面に飛び込んできたのだ。


 「…………ッ!!」


 さらに折り返しで、後頭部からもう一撃来た。

 先ほどのバットよりよほど鋭い衝撃だ。

 だが軽い。

 体勢を戻した佐久間の前には、自分に攻撃を加えてきたモノが羽を広げ、滞空している。


 「バッタかあ」


 呂律(ろれつ)の回らない口で佐久間が喋った。

 バッタ…、の形をしている”それ”の存在を、佐久間の()()()()は認識しているようだ。佐久間の身体が訴えてくる。

 敵だ。


 『…………』


 バッタ=”彼”の身体を中心に、パリパリとした破裂音が鳴った。

 周辺を小さな粒が赤く光り、流動している。

 その光が”彼”の正面で集束した一瞬、”彼”は佐久間に向かって()()()


 弾丸並みの速度で直進する”彼”の身体は、圧縮された空気を纏っている。

 それが一直線に佐久間に突っ込み、公園を囲む公道までそのまま吹っ飛ばしていった。

 土や木の枝を巻き込み、佐久間が突風ごと路上に転がった。


 「…はは」


 突進された箇所に手を触れ、佐久間は思わず笑った。

 何事もなかったかのようにヒョイ、と立ち上がり、受けた攻撃の跡を見る。

 右の胸部から背中に至るまで、大きな穴が開いていた。

 身体に大穴を空けられたのは、流石に初めての経験だ。


 でも、まったく危機を感じていない。

 胸部に空いた穴の断面の細胞がグニグニと動き、塞ごうとしているのがわかる。

 先ほど少年たちから吸い上げた養分が、傷口の再生に向かって急速に集まってきているらしい。


 あのバッタが見舞ってきた突進は確かに速かったが、次は反応できるだろう。

 佐久間は自分の優位を確信していた。

  

 「次は僕の番だ」


 脇から伸びた節足をツイ、と動かす。

 公園脇の茂みが鳴り、複数の人間が飛び出てきた。

 先まで苦しんでいた中学生たちだ。

 強酸を含む糸の影響なのか、全員、身体の所々がひどく爛れている。

 佐久間が糸を介し、肉体を人形のように操っているのだ。

 コンテンツでよく見るゾンビのように不自然だが、全速力で”彼”との距離を詰めた。


 『!』


 その勢いに、”彼”は完全に不意を突かれてしまった。

 佐久間の挙動に集中するあまり、別方向への注意を欠いていたのだ。

 自分を捉えようとする無数の手を避け、高所へ逃れる。

 そこで体制を立て直し、次の攻撃を打つ。

 そう考えたとき…、


 ばんっ!


 音が鳴った。

 接近した死体の一つがいきなり爆ぜ、そこから無数の糸が放射される。

 それが”彼”の小さな身体を捉え、幾重にも巻き付いてきた。


 『………ッ!』


 ”彼”は完全に身動きが取れなくなってしまった。

 糸に密閉された状態で、アスファルトの上に落ちてゆく。


 ……やられた。


 糸の中で、”彼”は思った。

 死体たちの様子から、糸は触れた有機物を溶かして癒着し、侵食しているようだ。

 接触すると、こちらも取り込まれてしまう。


 密閉されたときに取り込んだ空気を操作し、内側から膨らませることで、”彼”はなんとか糸との接触を防ぐことができている。

 はた目には空気の詰まったボールのようなものが転がっているのみだ。

 そして、糸は時間と共に緊縮して萎もうとしていた。

 その力が想像以上に強い。

 限られた空気の量で、糸の接触を防ぎ続けるのは限界があった。

 …空間が、徐々に狭まっていく。


 内側の空気を炸裂させ、糸を吹き飛ばす方法もある。しかし、この昆虫の身体では耐えることができない。微塵に消し飛んでしまうだろう。


 やはり、戦闘に臨んだのは早計だった。


 被害の拡大を抑えるために飛び込んだが、こちら側の”物理”に則った活動をするには、経験が圧倒的に足りていなかった。

 ”奴”の消滅に繋げるには、寄生された有機体の感覚を喪失させる必要がある。だが、先ほどの攻撃も、頭部を狙ったはずがあっさり外れてしまった。


 「言葉は通じる?」


 佐久間が”彼”を見下ろして言った。

 その巨大な、クモに似た異形が、街灯に白く照らされている。

 アスファルトに投げられた自身の影を、佐久間は納得したようにじっと眺めた。

 変形した頭部、巨大な複眼、胴体から飛び出た無数の節足…。


 「凄い姿だ…。ヒトの形には戻れるからいいんだけど。僕は、本当に怪物になってしまったんだな」


 やけにのんびりした口調で佐久間が独り言を洩らした。


 「気分はいいんだよ?これまでにないくらい自由を実感してる。途方もないチカラが、僕を選んでくれたんだ」

 『………………』

 「このチカラが訴えてくるんだよ。キミは僕らの邪魔をしてくる奴なんだって」


 もったい付けるような喋り方で佐久間は言った。


 「でもね、僕のチカラはキミとも一つになりたいとも願ってるんだよ。それイイね、と僕も思った。キミを迎え入れることって、そりゃ…、もっとイイことになるってことだよね?」


 まるで性交中に相手を愛でるかのような声だ。

 佐久間の一方的な言葉を聞きながら、”彼”は覚悟を決めていた。


 糸の内側にある空気をバッタの身体に取り込んで圧縮し、一気に開放させる。

 周辺の大気まで巻き込むことができれば、佐久間ごと辺りを粉微塵に吹き飛ばすことができるだろう。


 幸い、ここ一帯は公園を中心とした施設区域だ。この夜の時間帯であれば、一般の人間が巻き込まれる可能性は低い。

 それでも佐久間に巣食う”奴”を消滅させるかは難しいが、しばらくの抑止にはなる。

 自分も復活できるかどうか。 


 …それでも、やらなければ。


 ”彼”は空気を取り込んだ。

 糸の塊が萎み、干し柿のような形状になる。

 内側にいる”彼”は完全に無防備となった。

 糸の毒素で身が灼ける。

 

 「……っ!?」

 

 ”彼”の内で膨らんでくるエネルギーを佐久間は感じた。

 こちらを巻き込もうとしている?


 そう考えていた時、ふいに遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきた。

 バイクが1台、行動沿いに近づいてこようとしている。

 ヘッドライトの光が差し込んできた。

 バイクのライダーは、電信柱の陰にいる佐久間に気が付いていないらしい。

 丁度両者の脇を通り過ぎようとしているそのライダーを、佐久間は無造作に節足で引っかけた。


 「がふっ!?」


 鋭い爪先が肉体に潜りこみ、ライダーは声と息を吐いて宙づりにされた。

 過大な爆発でも起こすなら、この肉体から生成した糸で厚く包めばいい。

 突き刺した爪先から毒を注入しようとしたとき、


 「ん?」


 搭乗者を失ったバイクが、慣性を保ったまま路上を滑っていった。

 約200キロの車体。それが進行上にあったバッタの身体を、糸の塊ごとペチャリと潰す。

 同時に、高まっていたエネルギーの気配が小さな煙のように消えた。


 「………………」


 佐久間は少し呆気にとられた。


 「なんだあ」


 佐久間がつまらなそうに漏らした。

 意外な状況で決着がついてしまい、冷えた気分で瀕死のライダーを路上に放る。


 「がっは!」


 ライダーが激しくせき込んだ。

 肺の辺りを貫いたため、ヘルメットの内側は吐血で満たされているだろう。

 少しだが、毒も入り込んでいる。

 まだ生きているが、すぐに死ぬだろう。


 苦しむライダーを眺めて佐久間は思った。

 踏んだ蟻を眺める気持ちと変わらない。自分の中で、人間と蟻がすっかり同列になってしまっていることにも違和感を感じていない。

 思いやりも立ち位置次第なんだな。

 そんなことを思った。


 「…街でも行こうかな」


 呟いてから、佐久間は倒れたバイクの横を通り抜け、その方向へと歩いていく。

 50mほど離れたとき、背後から音が鳴り響いた。

 バイクのエンジン音と似ている。だが通常のものとは違う、高周域が混じった聞きなれない音だった。


 「……っ!?」


 振り返ると、無人のバイクが抗うように後輪を回転させている。

 車体が独りでに揺れ動き、後輪がアスファルトに設置すると、その場でグルリと周り、まるで意思を持っているかのように自立した。

 佐久間にテールを向けて走り出し、路上に倒れているライダーへと近づいていく。

 車体のどこかで彼の身体を引っ掛け、そのまま引きずるように猛スピードで遠ざかっていった。


 「……ふん」


 鼻で笑いを出した佐久間が引き返すと、バイクがひき潰したバッタの身は跡形もなくなっていた。


 -------------------------------------------


 「……………」


 文本響一(ふみもときょういち)は手術台のベッドに仰向けに乗せられていた。

 首を振って周囲を見渡すと、なぜか床の上にはドライアイスの煙が立ち込め、おまけに間の抜けたホワホワとした電子音が鳴り続けている。


 この状況、響一には既視感があった。子ども時代、ビデオで見たアレだ…。

 手術着を着た男が複数人、響一を囲んで見下ろしているが、全員の表情がよく見えない。


 「なっ、なんだアンタら!」


 そう言い、起きようとしたところで、初めて自分の手足が四方に縛られていることに気が付いた。

 腹の辺りが涼しかった。

 来ているワイシャツの裾がまくり上げられ、少したるんだ肉が空気に触れているらしい。

 これでも昔はそこそこ鍛えていただけに、ちょっと恥ずかしかった。


 いやオイ、違うだろ。


 自分は今まさに夢を見ているのだ。

 いつの間に寝てしまっていたのだろうか?

 いや、それ以前にもっと大事なことがあったはずだ。

 しかし夢の中では、考えるべき事も薄れてしまう。


 『肉体の修復はできた』


 手術着の男たちの背後から、太い男の声が聞こえてきた。


 『あとは毒素の抑制だ。仕上げをしなくては』

 「お、おい、オレに話し掛けてるのか?」

 『オマエには済まないと思っている。巻き込んでしまった』

 「人の話聞けよ!つか出てこ…」


 男たちの列が左右に割れ、背後にいた声の主の姿が現れた。

 彼も手術着を着ており、両腕に何か大きなものを抱えている。


 やっぱ夢だよ。


 響一は思った。

 声の主…、顔面がバッタそのものだったからである。

 朝に見たバッタが夢に出てきているのだ。

 自分を見つめるバッタは、割れた口腔がキチキチと動かしている。


 「お、おっ…」


 言葉が出てこない。

 固まる響一の前で、バッタ人間は抱えていたものを響一に見えるように掲げた。


 幼児のようなサイズほどの、大きな注射器だった。

 こんなの昔のギャグマンガでしか見たことない。

 その太くて鋭い針の先が、響一の丸みを帯びた腹に定められている。


 「やっ、やめ…」

 『こうするほかない。…オマエに、託す』

 「やめろぉっ、しょっっ…」

 

 バッタ人間が注射器を振り下ろした。

 針先が臍の穴に突っ込まれ、ブツリと音を上げる。

 腹の中が雑にかき回された。

 痛みもわからないほどの恐怖が、響一の喉を震わせた。


 「があああーっ!!!」


 ー絶叫の続きは河川敷の駐車場で鳴り響いていた。


 「…………っっ!?」


 起きた瞬間に腹を抑えた。

 痛みも何も感じなかったが、心臓の鼓動が、和太鼓のように耳の裏で鳴っている。


 「夢で…、よかった…」


 響一は口で呼吸しながら辺りを見回した。

 朝の千住新橋が目に入る。清涼な涼しさが辺りを漂っていた。

 ふと、後方から何者かが走ってくる。

 その音と振動を、響一は鋭敏に感じた。


 振り向くと、かなり遠い位置でランニング中と思しき男性の姿が見える。

 離れた距離にいる人間の動きを、響一は肌で感じたことになるが、その違和感に思考を回す余裕が、今の彼にはない。


 「………………」


 横を見ると、響一のバイクが停車している。

 状況を整理すると、自分はなぜかバイクでここまで来て、朝まで眠っていたことになる。


 ………なんで?


 口に手を当て、響一は記憶を手繰った。

 そう、昨晩は立華が経営する鉄板焼き屋「海々っ子(あみっこ)」でブタ玉とモヤシ炒めを食べてから、五反田の職場へバイクで向かったのだ。


 …職場?いや待て。


 反射的に上着のポケットからスマホを取り出すと、同じ連絡先からかなりの着信があった。

 …職場からだ。

 いつも嫌味を言ってくる上司の石倉が頭に浮かんできた。


 頭の奥がサーッと白くなっていく間際、響一はようやく鼻をつく悪臭に気が付いた。

 生レバーのような特有の匂い…。


 「臭っせえ…」


 信じられないように身体をまさぐると、黒い上着の胸に大きな穴が空いている。


 「なんだコレ?」


 自分でも拍子抜けするほどの腑抜けた声だった。

 何か太いもので貫かれたような跡だ。

 急いでボタンを外し、中を開けると、白かったワイシャツが赤黒く染まっている。


 これは、血なのか?オレのなのか?

 夢の中での注射もそうだが、昨晩、なにか酷いことがあったような、気がする。

 先ほど視認したランナーが、ようやく響一の横を通り過ぎようとしていた。


 「…っ!」


 思わず上着を閉じ、内側のシャツを隠す。

 間際、ランナーの男性とも目が合ったが、ランナーは特に気にする風でもなく、定速で遠ざかっていく。

 その背を目で追いながら、響一は昨夜の記憶を、真剣に思い返してみた。

 確かに昨日は職場に向かう途中、自分はいつもの信号を避けるために車通りの少ない裏道に入った。

 公園の脇を曲がり、走り抜けようとする間際、大きな何かが…、


 「アレ、…なんだったんだ?」

 

 わけがわからない。


 『巻き込んでしまった』


 夢で見たバッタ人間の言葉が脳裏をよぎる。

 いや、ソレは夢だろ?

 そう思い込む一方で、酷い匂いを発するシャツを眺めてしまう。

 響一の頭は、この事態が無断欠勤をしてしまったことへの言い訳にならないだろうか?と、意味不明な現実逃避を始めていた。


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 文本響一の家は、北千住の住宅地の一角にあった。

 かなり古い造りの平屋だが、都心ながら庭付きの家に一人で住んでいる。

 いつもなら朝の8時ごろに帰宅。湯船に漬かり、そこで20分ほど寝落ちてからグダグダと朝食と取り、ついでに酒を飲む。


 寝るのは概ね11時頃。寝床に着くも、日が出ているためか、アルコールを入れてもなぜか4時間ほどで目が覚めてしまう。

 出勤は19時半ごろ。本来は電車出勤が義務だが、そこはバイクで勤務先へ向かい、夜の9時から始業。翌朝の6時まで仕事をする。


 定休は土曜だが、そんな日は溜まった疲れを発散するため、ほぼ寝て過ごしている。

 医学上、寝溜めは効かないというが、そんなものは嘘っぱちだと思っている。


 以上が日常における響一のルーティンだ。

 だが今日は逃げるように家に戻ってから、響一は夕方の18時まで泥のように眠ってしまった。

 シャワーで血を洗い流し、腰タオルのままソファに腰を落とした途端、急激な眠気に襲われたのだ。


 目覚めてから、ドクン、ドクンと叩く心臓の音が身体に響き続けている。

 何か深刻な病気のように思ったが、リズムは正常で不調である実感はない。ほかにも冷蔵庫のモーター、外を走る車からの振動まで身体に伝わってくる。


 「どうしたんだ、オレ」


 空気から伝わってくる音が耳だけでなく、肌で受け止めている感じがする。

 河原で会ったランナーの事もそうだったが、感覚がやけに鋭くなっているようだった。

 被害妄想なのか、誰かに見られているような気もする。

 それとなく庭の方に目をやると、自分のバイクが駐輪されているだけだ。

 

 「くそっ」


 気を紛らわすようにスマホを手に取り、ニュースのアプリを開いた。

 なんとか現状を整理する必要がある。

 覚えていない昨夜の記憶が、何かの事件として扱われている可能性が頭をよぎっていた。


 ニュースは今朝、自分も出くわした野次馬の騒動で持ちきりだった。

 あの雑居ビルにあった広告代理店の代表および社員が全員他殺されたらしい。

 まだ、犯人は見つかっていない。

 それはそれで衝撃だが、響一が関連していそうな報道はまったく見当たらなかった。


 「……そもそも、何も起きてなかったんじゃねえのか?」


 スマホを持っていた手を下ろし、声に出してみる。

 しかし、廊下に脱ぎ棄てたものが現実を物語ってきた。

 自分が着ていた血まみれのシャツだ。胸部に空いた穴が、響一に向いている。


 響一は考えた。

 確実なのは昨夜、バイクであの公園の脇を通ったことである。


 「……見に行くしか、ないのか」


 このモヤモヤを払うには、公園に行って何もないことを確認したかった。

 それで納得できる。


 ふと、顔馴染みである藤兵と黒田のことが浮かんだ。

 警察機関である彼らに話をすることも考えたが、血まみれのシャツを掲げてどう説明したらいいのか?


 とにかく現場の確認をしてから考えることにしよう。

 庭越しに外を見ると、まだ少し明るい。


 「行くなら…、夜の8時くらいか」


 誰に言うでもなく、響一は呟いた。

 その時間帯であれば、人目につかず、現場を散策できる。


 「よし…、ああクソっ」


 決意と共に、響一はヤケクソ気味にスマホの連絡先をタップした。

 自分を落ち着けようと、深く吐いた息が少し震えている。

 これから虫も騙すことができないレベルの嘘をつくことになるが、押し通すしかない。


 「あ、石倉部長、…お疲れ様です。夜勤グループから報告があったと思うんですが…、はい実はその…、昨夜なぜか意識が朦朧としてしまって…。ね、熱が、はい、風邪ですかね。今もフラフラしてて…、いえ連絡はしたかったのですが、えと、実はスマホをコンビニに忘れちゃってまして、先ほどやっと取りに。…はい、で、すみませんが、身体の不調を考えると今夜も…、え?いや診断書?」


 -------------------------------------------


 どうにか上司から臨時休暇の承諾を得た後、響一は自分のバイクに乗って昨夜の公園へ向かっていた。

 1999年式のSV650Sー。

 現在では絶版となったSUZUKIのバイクだ。カラーリングは黒。

 Vツイン式のエンジン搭載で瞬発力は高い。排気量の割に軽いので取り回しもしやすく、交通量の多い東京を移動するには丁度いいバイクだった。


 アクセルを開けると、路上に吸い付いて走っているような心地よい感触がある。

 あまり人気が奮わなかった車種だったが、響一はマフラーを標準のシングルから左右のツイン形式にするなど、それなりに手を掛けていた。


 「………?」


 アクセルを吹かして響く音がどこか違う。

 いつも聞く音と比べて感じる少しの違和感…。こちらの操作に音のタイミングが若干ズレているような。また、エンジン内で爆ぜるガソリンの音が妙にクリアになっているような…。


 「…クソ」


 今朝からクソしか言っていない気がする。

 色々妙なことに見舞われたせいか、ある種の被害妄想に掛かっているのかもしれない。

 心臓の鼓動が耳に響くことなど、やけに感覚が過敏になっているのも、そのためだろう。

 でも、納得することができれば、この不調も解消される。


 公園に行く。

 特に何もないことを確認する。戻って立華の店で酒を吞み、バカ話をして帰って寝る。

 それで元の生活に戻れる気がしてきた。

 早いとこ終わらそう。


 アクセルを開いた。

 信号のタイミング。車の流れ。抜け道。

 ……公園に到着した。

 

 -------------------------------------------


 響一は公道の脇でバイクのエンジンを切った。

 ヘルメットを脱ぐと、空気が静かに流れる音を耳に感じる。

 園内には誰もいない。

 公園の入り口から見える中央の照明、その青白い光が、どこか遠くに感じる。


 人気(ひとけ)がないとはいえ、夜の公園というのはこんなにも静かなものなのか。

 入り口から、一歩踏み込む。

 靴底がアスファルトを擦り、その音がやけに大きく響いた。


 「……………」


 公園の中央にベンチが見える。

 そこに、わずかな違和感があった。

 誰もいないはずの空間に、“使われた跡”が残っている。

 歩み寄ると、ベンチの木材が、妙に湿っている。

 黒ずんだシミ。


 「……血、か?」


 呟いた瞬間、背筋と首筋がギュウッと引き絞られた。

 向こう側の陰から、影が浮き出るように動いたからだ。

 木陰から現れたと思われるが、足音がまったく聞こえてこない。


 人…、だった。

 背丈格好から中学生くらいと見られる。

 少年の顔が照明に照らされた。

 強いショックを受けているのか、目が虚ろで肌が青白い。

 頬の部分が火傷のように大きく爛れていた。


 「お、おい」


 響一は声を掛けた。

 病院に連れていかなくてはならない。そう直感した。

 彼をバイクの後ろに乗せ、近くの救急病院に連れていく。

 ヘルメットは一つしかないが、緊急の事態だ。

 とりあえず自分がノーヘルで運転すればいい。

 いやバカ、救急車を呼べば済む話だろ。


 ……頭がグルグル回る。

 ポケットからどうにかスマートフォンを引っ張り出した時、出てきたのが一人だけでないことに気づいた。


 「…なんだよ……」


 響一は細い声で洩らした。

 同じような風体の人間が、3人、4人と増えていく。


 いずれも不自然な足取りだ。

 後ろにも複数人…。

 気づけば、響一は10名前後の中学生に囲まれていた。

 思っているよりも速い足取りで、最初の1人が距離を詰めてきた。


 「……なんだよ、お前らオイ」


 問いかけても、返事はない。

 代わりに。


 「……ぁ……」


 眼前に迫った中学生の喉の奥で、潰れた声が鳴った。

 声、ではない。

 肺の中の空気から搾り出た()だ。


 …このガキ、生きていない。


 「おい、やめろ」


 意思の疎通ができるかわからないのに、思わず声を掛けてしまう。

 死人が地面を踏む音が、耳に触れてくる。

 さらに近づいてきた。


 「やめろって…」

 「…ぃい」


 …限界だった。


 「やめろっつってんだろがっ!!」


 響一は咄嗟に前蹴りを突き出した。

 全身のバネ、体重の相乗が威力と化す。


 「どぶぅぅっ」


 中学生の小さな身体が ”く” の字に曲がり、ありえないほど遠くまで飛んでいった。

 延長上のベンチに激突し、背もたれの木材を叩き割ってしまう。


 「…はしっッ」


 響一は息を鋭く吐き、腰を落として残心の形を取った。

 混乱の中、過去に叩き込まれた一連の動きが、今になって正しく行われたことに内心驚いた。


 それにしても……、

 吹っ飛び過ぎだ。


 ベンチの向こうに倒れている中学生の身体の形が変に見える。

 汚れたパーカーの上から、腰の部分が歪に()()()()ているようだ。


 「……う、嘘だろ」


 泣きそうな顔で響一は言った。

 相手は死んでいる確信の元でも、人の身体を破壊してしまった感覚に怖気を覚えてしまう。

 こんな力、いったい…、


 「なにか掛かったと思って来てみたら…」


 ふいに人間の声が耳に入ってきた。

 見ればいつの間にか、スーツ姿の男が、佇んでいる。

 どこでも見ることができる、小奇麗なサラリーマンだ。

 だが、周囲に従えている死体が日常を裏切ってくる。


 「あれ?」


 男が意外な声を上げた。響一には覚えがない。しかし…、


 「嗅いだことある匂いだな」


 匂い?

 佐久間はスンスンと鼻を鳴らしている。

 その仕草は、どこか人間離れして見える。

 響一は警戒を強いられた。


 「ああ、そうか…。そうかそうか、昨日のバイクの人だ!」

 「…………」

 「あの時は胸の辺り、結構抉っちゃったけど、もう大丈夫?」

 「胸?」


 血の汚れ、シャツに空いた穴。

 自分がここに来た理由と繋がった。

 この男は知っている。

 夢だと思い込もうとした面倒ごとが、現実の形を帯び始めたことになる。

 

 「どうしたの?コミュニケーション取ろうよ。それともアレ?君も人形にされちゃった?」

 「…人形?」

 「なんだ喋れるんだ。…意識は残ってるんだね。消しちゃった方が動かしやすいのに…」

 「オマエ、いったい…」

 「バイクはどこ?」

 「…あ?」


 唐突な質問の変更に、響一は戸惑った。

 バイクがいったい何なのだ?


 「君のバイクだよ。あの一瞬でうまく乗り換えやがって」


 佐久間の口調がいきなり変わった。一瞬の後、


 「オマエに言ってんだよっ、バッタ野郎!!」

 「……っっ!!」


 音の振動で、周囲の枝まで揺れた。

 人間とは思えない声量だ。

 怒鳴り声だけではない。同時に開けた佐久間の口があり得ないほど大きくなり、頭部と瞳が一瞬で変形し、化け物じみた顔面に変じる。


 「………………」


 響一は呆気に取られた。

 自分はこんな作り話みたいな状況に見舞われているのか。

 それにしてもコイツはどこに向かって叫んでる?


 「近くにいるんだろっ!昨日はケツまくって逃げやがって。何の準備でコイツを用立てた?勝てると思って来たのかよ?」


 佐久間の言葉に応えるように、控えていた死体たちの身が仰け反り、姿に変化が生じた。


 全員の頭髪が抜け、顔の肉質が別の状態へと変わっていく。

 身体の水分が煮え立つような、グツグツとした音が立ち始めた。しかし熱は発していない。

 彼らの肉体は、微生物に見られる細胞質の塊のような、黒いゼリーが詰まった人型のモノへと変わっていた。


 骨の部分は分解されないらしく、ゼリー質の肉体の奥に躯体となる頭蓋と骨が見える。

 目玉のない眼窩が響一に向けられ、口がカパッと開いた。


 いイぃいいイイいいいい!!

  いいいイイイイいいいぃいい…

   イイイぃいいィいいいいーーっ


 モノ達が空を仰ぎ、一斉に鳴いた。

 重なる高周波の絶叫が一帯を包み込み、響一は思わず耳を塞いだ。


 「アレを千切れっ!」


 佐久間の声に、モノ達が動いた。

 先ほどの拙い足取りではなく、肉食獣のような俊敏さで響一に迫ってくる。


 群がってきた手を振り払うが、数に圧され、あっという間に押し倒されてしまう。

 仰向けの体勢で、顔面を掴まれた。


 「ぐっ…っ!」


 凄い力だ。

 指が響一の眼窩に潜り、口にも指が入ってくる。

 千切る…。

 響一の脳裏に、佐久間が放った言葉が遅れて焼き付いてきた。


 「うーっ!!」


 真っ暗な恐怖が満ちてきた。

 最後の一声が、こんな断末魔なのか…。


 ぶぉんっ!!


 心が折れる寸前、ふとエンジンの力強い音が耳に響いた。


 「………ッ!!」


 モノ達の身体が、薙ぎ払われるように飛び、響一は抑えつける力から解放された。

 跳ね上がった土と砂が、顔に飛び散ってくる。

 飛び起きた響一が、それを見上げた。

 モノ達の代わりに、何か大きなものが響一の前に横たわり、彼を見下ろしている。


 『戦えるか?』


 ()()が響一に話し掛けた。


 「………っ?」


 SV650Sー。

 響一のバイクが、彼を庇うようにして、そこに居た。


 ツインマフラーがステーから外れ、その先端部から車体を支える足が伸びている。

 エンジン部の構造が分岐し、前脚と中脚となって地面を踏む。

 二眼のヘッドライトの片方、プロジェクターレンズにあたる部分には、意識の通った瞳が備わり、響一を見据えていた。

 

 「……バッ、バッ」

 『オマエに聞いているんだ!文本響一!オマエは、戦えるか!?』


 太くて力強い声が、響一を叱咤する。

 普通の声ではない。

 耳骨を震わせて聴覚に伝わる、ダイレクトな呼びかけだ。

 パニックだった彼の意識が、一気に引き戻った。

 思わず、”彼”に跨り、ハンドルを握って叫ぶ。


 「逃げろ!バカ野郎っ!」

 「…よし」


 残りのモノ達が飛び掛かってきた。

 それより速く、響一を乗せたバイクの”彼”は、夜の公園から飛び出していった。


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