episode 83
ホテルの最上階、眺めの良いレストランへと入る。席はすでに予約してあり、窓際で夜景が展望できる。料理もコース。メニューを見ずとも、一つ一つ出されてくる料理に、壱花は戸惑いを隠せないようだった。
(いつもエスコートする女性とは、全然違うけど……)
ジェインは思った。
新幹線で宿泊先を訊き、そしていつもこうしてレストランで食事をする。当たり障りのない会話。身分はそうそう簡単には明かさない。お酒を飲み、会話を楽しみ、そしてそのままホテルの部屋へ。
上手くいけばそのままワンナイトも楽しむ。
けれど。
(壱花ちゃんはそんな女性たちとは違う。こうして一緒にいるだけで……壱花ちゃんをこうして見ているだけで、それだけで嬉しいだなんて)
壱花に会いたかった。そして今日というこの日、デートに漕ぎつけることができ、新幹線の中ではもう心が躍る思いだった。
マックで壱花に会った時から、手も足も身体も心も、どこもかしこも軽くなって。一日中を一緒に過ごすことができ、今ではランナーズハイのように軽い興奮状態だ。
「壱花ちゃん。食事、勝手に頼んじゃったんだけど、苦手なものがあったら残して良いからね。嫌いなものは無理して食べないで」
ワインを飲みながらジェインは壱花の様子を窺った。
ここへ来る途中、眼鏡をコンタクトに変えた。そして、いつもの美容室で髪をバレッタでひとつにまとめ、そして薄っすら化粧をしてもらった。桃色のルージュ。もちろん、洋服は藤色のワンピースだ。バッグ、パンプス、ネックレス。どれもシンプルなものだ。
「はあぁ。可愛いなあ」
ガチャンと音がした。壱花が、皿の上にフォークを落としてしまったのだ。
「ごご、ごめんなさい」
「いや俺が悪い。失礼。心の声がダダ漏れた」
満足だった。壱花は見違えるほどに、綺麗になった。もともと黒の深い瞳が気に入っていて、それが今日は黒ぶち眼鏡に邪魔されていない。
宝石のような、黒。その瞳。
「それはその平たいスプーンを使って。魚は柔らかいから、スプーンで十分切れるよ。すくって食べてみて」
「はい」
フィッシュスプーンを握り直し、口へと運ぶ。その様子を見ながら、ジェインも一口食べた。魚の身がほろりと崩れ、バジルソースの風味が口いっぱいに広がっていく。
「おいし……ジェインさん、すごく美味しいです!」
「うん、美味しいね」
「身はふんわりしてるし、皮目もパリパリしてて」
「だね」
「ソースも美味しい。なんだか良い香りがします」
「香草のバジルが入ったソースだよ。白身魚とよく合うね」
「バジル! おばあちゃんが庭で育ててました。そういえば、こんな感じの香りだったかも」
「壱花ちゃんのご実家はどこなの?」
「うちは県の端っこの方です」
何気ない会話。美味しい料理。なにより壱花の笑顔に癒される。
(このまま、俺の部屋に泊まってくれないだろうか)
時期尚早な気もしているが、どうせ明日もデートの予定を取り付けてあるのだから、ずっとこのまま一緒にいたって構わない。
(誘ってみよう)
実は、上手くいけばと、その準備も怠ってはいない。
壱花を改めて見る。満足そうに料理に舌鼓を打っている。ジェインはワインをぐいっと飲み干すと、ウェイターを呼んでもう一杯注文した。




