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42 人の話は最後まで聞くべきかしら?

「ちがう――」


 そう言いかけて、私はおもわず、息をのんだ。


 ちがう?


 ――そう、ちがうんだ……何もかもが。


 涙で視界がにじんだ。


 まっすぐに私を見つめる王太子様の瞳が、ぼやけて見えなくなった。


 でも、残像のように脳裏に刻み込まれた王太子様の瞳は、私の心からは消えなかった。


 王太子様の瞳に奥にあったものは、まちがいなく、信頼と呼ばれるものだった。


 だけど、それはハムちゃんだった頃の私に対する信頼だ。


 ハムちゃんであれば、きっと笑って許してくれるはず。


 ハムちゃんならば、きっと機嫌を直して戻ってきてくれるはず。


 ハムちゃんなら、きっと自分のことをわかってくれるはず。


 きっと、王太子様ならばわかってくれるはず、と私が思ったのと同じように、王太子様も思っているのだ。


 ハムちゃんなら、きっと――


 瞳が閉じられているわけでもないのに、視界が真っ白になった。


 きっと――


 王太子様は悪くない。


 まちがっているわけでもない。


 きっと、私が悪いのだろう。


 私だって、そう思う。


 私がハムちゃんだったなら、きっと、そうしただろう。


 きっと、笑って許しただろう。


 きっと、機嫌を直しただろう。


 きっと、王太子様の思っているとおりのことをしただろう。



 じゃあ、きっと――


 ――私はハムちゃんではないのだろう。



 今の私はハーモニー・モランデル子爵であって、決してハムちゃんなんかではないのだ。


 でなければ、こんなことにはならなかっただろう。


 王太子様とすれちがうなんてことには、決して……。


 何をまちがったのだろう?


 人に生まれ変わってから、何度も脳裏をよぎった問いが、またクルクルと頭の中を回り始める。


 間延びしたかのように流れる時間の中で、さっきの王太子様の言葉がふっとよぎった。



 ――指示を受けていない! ……の?



 そう、王太子様は言った。


 とうてい信じられないといった表情で。


 あそこから王太子様の様子が変わったのだ。


 それまでは、人に生まれ変わった私と接する時、王太子様はティトラン王国の王太子として振る舞っていた。


 ずっと、私を元ハムスターだとは思っていないかのような素振りをしていた。


 つまり……王太子様は私が大天使の指示を受けて動いていると思っていた?


 大天使の指示を受けて、人界に戻り、ニルス王子のそばにいたと?


 だから、私がハーミアだと気づいても遠慮して何も言わなかった?



「その……ハムちゃん? 他にも何か怒っていることが――」


 心配そうな王太子様の声が、私の思考をさえぎった。


 それと同時に、私は王太子様に沈んだ声を返していた。


「たしかに、私はハーモニーですので、王太子様が私のことをハムちゃんと呼ばれるのはご自由ですが、これでも子爵ですからね」


「え……?」


 驚いた王太子様が、ビクンと肩を跳ね上げるのが、ぼやけた視界の中でもわかった。


 でも、言わなければいけない。


 私はもはや、王太子様が思っているようなハムちゃんではない。


「モランデル子爵と、お呼びください」


「え……? いや、その……ハム――」


「アンジェリカ王女様は必要です」


 王太子様が言葉を失くして固まっているのを感じた。


 いかにも、先日までモランデル子爵だったシーラが言いそうなセリフだなと自嘲しながらも、私はさらに言葉を続けた。


「同盟国であり、そして大陸一の大国の王女であるアンジェリカ王女様が、ティトラン王国には必要なのではないのですか?」


「え……?」


「だからこそ、アンジェリカ王女様を婚約者として迎えたのではないのですか?」


「あ、いや、でもハムちゃ――」


「ひょっとして、王太子様には、私がハムスターにでも見えるのですか?」


「あ、いや――」


「前にも言いましたが、私は人以外の何ものでもありません」


「でも――」


「まさか、私のことを本当に神の使いなどと思っているのではないでしょうね?」


「ねえ――」


「私は王国はおろか、王太子様を守る力すら持っておりません」


「ねえってば――」


「私は――」


「ハームーちゃーん!」


 大きな声に驚いて目をこらすと、王太子様の顔が目の前にあった。


 すっかり大人びた王太子様の顔が、お互いの前髪が触れ合うほどの距離にあった。


 王太子様だってそうだ。


 すっかり変わってしまった。


 そう思いながら、見つめ返した王太子様の瞳が、ふっと、昔と同じように楽しそうに細められた。


「ハムちゃんは変わらないね」


 クスッと笑みをこぼしてそう言った王太子様に、私はおもわず、ひっくりかえった声を返した。


「何を言って――」


「変わってない」


 にこやかに、そして、きっぱりと、王太子様は言い切った。


「強引に割り込まないとずーっと話し続けるところも」


 おもわず、喉が、うっ、と詰まった。


「まあ、そこは……」


「とってもやさしいところも」


 懐かしい瞳だった。


 王太子様の瞳だけを見ていると、まるでハムスターだった頃に帰ったような気がした。


「王国の人々を守ろうとしてくれるところも」


 そういえば、以前の王太子様はこんな笑い方をしていたなと思いださせる、はにかむような笑みを浮かべて、王太子様はゆっくりとうなずいた。


「ちっとも変わってない」

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