37 お茶会って、もっとなごやかなものじゃないかしら?
神の使いを呼び出した大陸一の召喚獣術師として、また、救国のハムスターの義理の兄として、その名を広く知られているトール・レンホルム伯爵。
召喚獣省長官としても、数多くの部下に慕われており、王宮内では、何事にも動じない沈着冷静な人物だと評価されているらしい。
その地位と、掘りの深いいかつい顔からは、想像できないほど温厚なトールは、細かい気配りもできるおっさんだ。
ただ――
――気配りができるからといって、それがいい結果を生み出すとは限らない。
まあ、トールとしては、ついさっきまでは、うまくいっていたのかもしれないけど。
めずらしい紅茶が手に入ったので、飲んでみてはどうだ?
みたいな感じで私を召喚獣省長官の執務室に誘ったように、トールは王太子様にも声をかけたのだろう。
偶然、ふたりがおなじ時間に現われたようなことを言っていたけど、どう考えても計画的だ。
おそらくは、トールは私に気を使って、王太子様とのお茶会をセッティングしたのだろう。
ここのところ、トールは私に何か言おうとして、思い悩むように口を閉じたことが何度かあった。
二度ほど、気まずそうに、悪かったな、気がついてやれなくて、とボソッと頭を下げたこともあった。
一度目は、私が元ハムスターであることに気づけなかったことへの謝罪だろう。
そして、二度目は、ハムスターだった私の死期が近いことに気がつけなかったことを、あやまったように思われた。
しょうがないよ、と私はトールに応えた。
ハムスターだった頃の私が、最近ヒマワリの種が硬くなったね、と思い始めた頃に、トールは父の後を継いでレンホルム伯爵になった。
レンホルム伯爵家は、ティトラン王国には数少ない領地持ちの貴族だ。
神の使いの補佐役と召喚獣省の長官という職務に加え、伯爵領の管理も行わなければならなくなったトールは、大忙しになった。
最近、どうにも忙しくてな、とトールがため息まじりに言うのを聞いた私は、トールに休暇を与えることにした。
というよりも、当時の私はトールのことを役に立つ雑用係ぐらいにしか思っていなかったので、忙しいならしょうがないか、という感じでしかなかったのだけど。
ただ、そのせいで、トールは私が死んだという事実に気がつけず、ずっとかんちがいしたままだった。
その、おわびなのだろうか?
トールは慣れない愛想笑いを浮かべて、あいさつ程度の会話しか交わさない私と王太子様の橋渡しをするような形で、ひたすら話し続けた。
思うに、ハムスター時代の私の王太子様への執着っぷりを間近で見てきたトールにとって、今の私と王太子様の関係にもどかしさを感じたのかもしれない。
それに、私が王太子様のことを想って涙を流した時、トールもその場にいた。
トールなりに、思うところがあったのかもしれない。
トールの善意というか、厚意は疑いようがないのだけど。
お茶会というか、トールと私と王太子様との懇親会のようなものが始まって、しばらくたった頃だ。
トールがさんざん私のことを英雄だとか何とか持ち上げるのに合わせるように、王太子様がそれまで緊張気味だった顔をほころばせて、トールに相槌を打った。
「そうだね。モランデル子爵は、その……ずいぶんと笑顔を見せるようになったと、王宮でも評判だね」
子爵に叙爵されてから、王太子様は私のことをモランデル子爵と呼ぶのだけど、その度に、私は眉が寄りそうになるのを必死でこらえる。
この時も、モランデル? と内心、シーラの顔を思い浮かべながら、ひきつった笑みを浮かべていると、ようやく口を開いた王太子様に合わせるように、トールが大きくうなずいたのだ。
「いや、まさに、そのとおりですな。召喚獣契約陣から現われてから、ずいぶん長い間、まともに動くこともしゃべることもできませんでしたからな。それを思えば、ずいぶん表情も豊かになりましたし……」
我が意を得たり、といった表情で、うんうん、と当時を振り返るような目で話し続けるトールと、微動だにせずトールをじっと見続ける王太子様。
それをしゃべったら、まずいんじゃないかな、トール?
と、ティーカップを持ち上げ、顔を隠すように紅茶に口をつけた私の耳に、どこか掠れたような王太子様の声が届いた。
「……ああ、念話ができるから、意思は伝わる、の、だね?」
ここで、トールはうなずくべきだったのだ。
そうですね、と言えば、問題なかったのだ。
だけど、人のいいトールは嘘をつくという発想がない。
貴族としてはどうかと思うけど、レンホルム伯爵家は、シーラに万年伯爵家と言われるほど権謀術数とは無縁であり、謹厳実直をモットーとしている。
それとも、たんに気がつかなかっただけだろうか?
「念話ですか? いや、ハーモニーが念話を使ったことはないですな」
ずっと張り付けている愛想笑いを、いまだに満面に浮かべたまま、トールはそう応えた。
「たしか、トールは、モランデル子爵に、神の使いであることを黙っているように頼まれたと、国王陛下に奏上していなかったかな?」
「……ええ、おっしゃるとおりです」
王太子様の声に違和感を感じたのだろうか?
トールの返答は、少しだけ間延びしたように執務室に響いた。
「先ほどのトールの話だと、召喚獣契約陣から現われた直後は、モランデル子爵が誰かに意思を伝える手段を持ち合わせていないように思えるんだけどね?」
「……そう、ですな……ええ、そうなりますな……」
王太子様は、ちょこんと首をかしげて、トールの目をのぞき込んだ。
「前もって、トールが知っていた、ということはないよね?」
「前もってですか? いえいえ、まさか、三回も召喚できようなどとは思っても――」
三回って言いかたはどうかな、トール?
と、ジト目で睨んだ私を視界の隅で捉えたのか、トールがあわてて口をつぐんだ。
だけど、王太子様にとっては、そこは気にならなかったようだ。
おそらく、王太子様にとっては、私が救国のハムスターだったことについては、疑いようのない事実なのだろう。
「うーん……それだと、少々つじつまがあわないんじゃないかな、トール? 体が動かせない。声が出せない。そのうえ、念話もできない。前もって知っていたわけでもない。となると、モランデル子爵はいったいどうやって、トールに意思を伝えたんだい?」
王太子様は怒っているわけではない。
疑念の表情を浮かべてるわけでもない。
どちらかというと、困惑していると言っていいだろう。
王太子様の空色のきれいな瞳が、曇天のように、にわかに暗くなったのを見て、トールはしどろもどろになりながらも、何とか言い繕おうとした。
「……それは、そう……たしかに、その……いや、おっしゃるとおりですな……どうやって、でしょうな……」




