俺の名は…
クレクリンの街の入り口。
草の根を踏み分けたような砂利道のサイディール街道もここからは、立派な石畳の道となって、周囲には民家や宿屋が目立ち始める。
「やっとクレクリンか…。」
額の汗をぬぐいながら、男はため息と共につぶやいた。
一ヶ月にもおよぶ長旅の疲れも忘れて、男の足取りは徐々に速くなって行く。
「遠い…。」
あれから更に1時間、男はやっとクレクリンの中心地近くまで来ていた。
周囲にはもう田畑や野原はなく、所狭しと店や家が立ち並んでいる。
「しかし、すげえ…、すげえなぁ。」
今まで小さな漁村でしか暮らしたことのない男には、大都市クレクリンの全てが新鮮で感動にあふれていた。
歩行者用と馬車用とに分けられた道には、荷物を山のように積んだ荷馬車や、豪華な貴馬車が行き交い、歩道も脇見をすれば肩がぶつかりそうになるほどに人が多い。
見上げると、道の両側の建物に区切られた窮屈そうな空が見えて、人々の喧騒は絶え間なく続いている。
「新しい街での新しい生活、一丁やりますか!!」
男がクレクリンに来て一番最初に入った店は…酒屋だった…。
表の熱さも店の中では汗が引く丁度いい温度だった。
男は、店の奥のカウンターに腰をかけると、朝から歩き詰だった足をゆっくりと癒し始めた。
「注文は何にするんだい?おのぼりさん。」
威勢のいい女主人の最後の言葉に店にいた数人の客が吹き出す。
歩き潰した靴に、泥だらけのズボン、黒いシャツの袖はすり切れてボロボロだった。
まぁ、こんな格好じゃ仕方ねぇか。
「とにかく、一番安い酒を頼むわ。」
「じゃあ、ラスベースでいいね。」
女主人は手際よくジョッキを持ち出すと、樽についたコックを引き抜く。
ジョッキに泡立つ紅味がかった酒がなみなみと注がれる。
「旅の疲れもこの一杯でふきとぶってもんさ!」
ジョッキから溢れた泡がカウンターの木目に広がって、男はあわててジョッキに口をつけると、一気に飲み干していく。
「で、おのぼりさんはどっから来たんだい?」
女主人はカウンターに肘をついて男の顔を覗き込む。
「サイディールの先にある小さな漁村さ。」
『オオォー-』
口元に泡をつけた男の言葉に酒場中から歓声があがる。
「船旅じゃないんだろうね。」
男の後ろから、しがれた老人の声が聞こえる。
「もちろん、あるいてだぜ。」
なみなみと注がれた2杯目のラスベースを高々と掲げると、また歓声が沸き起こる。
「あの難所続きのサイディール街道を制覇した青年に乾杯!」
いつの間にか男のまわりに集まった客たちが盃を酌み交わす。
「悪いんだけど、今、持ち合わせがなくて…。」
陽気に酒を酌み交わす男たちをよそ目に、青年は女主人にささやく。
「心配ねぇよ、若いの。
ここの店は、初顔のおのぼりさんは無料にしてくれんだからよ。
なぁ、フラロアの姉御。」
「ああ、だからこれからも、贔屓にしてくれよ。
それと、無料はラスベースだけだからね。」
フラロアは優しげに言うと、早速3杯目のラスベースをジョッキに注ぎ始める。
「それよりよ、サイディール街道はどうだったんだ?
難所が山ほどあったんだろ。」
「一番の難所は、ロドリム桟道だな。
切り立った岩山に穴をあけて、組み木しただけだぜ?
そんな手すりのない吊り橋みたいな道が延々と続いてよ、
足元のはるか下にゃ、濁流が渦巻いて待ち構えてやがるんだ。」
ラスベースに酔った口が軽やかに滑り出す。
「いやいや、若いの。ワシが若い頃、旅した場所なんざ…。」
青年の周りで口々に自分の武勇伝を披露する男たち。
何十回も話し、聞いた物語に一喜一憂する。
「ところで、新しいおのぼりさんの名前は、なんていうんだい。」
フラロアの言葉に腕を捲くって青年は、声高く名乗りを上げた。
「俺の名は、パーラス・エルギター。
そのうちクレクリンで知らない奴なんていないくらいに有名になってやるぜ!!!」




