芽璃依さん
芽璃依さん
カランカラン
「いらっしゃいませ。人形の集月へようこそ。」
ポトリ・・・
店の床に、一体のメリーさん人形が落ちました。
顔も手足も服も、全身が真っ白。
まるで“生”という概念を忘れてしまったかのように、
メリーさん人形は静かに横たわっています。
「すみません。落としちゃった。」
福大様が、大切な物を扱うように両手ですくい上げます。
その手つきは、まるで赤子を抱くような優しさです。
「芽璃依さん、ごめんなさい。うちに来てからどんどん元気がなくなっちゃって。
なんだか戻りたいって言ってる気がするんです。
人形なのに生きてるみたいで・・・。
白雪も来たがるので、また来ちゃいました。」
胸ポケットの白雪様が、ニコニコと笑っています。
白雪様の笑顔は私を笑顔にさせます。
ですが、メリーさん人形達は絶望の表情です。
あんなに可愛らしいのに、何故でしょうか?
「いつでも来て下さい。」
白雪様も福大様も、もう常連様でございますね。
いつでも大歓迎でございます。
私はそっと微笑みました。
「白雪様と福大様に聞いて頂きたいお話がございます。」
「あ、はい、なんでしょうか?」
「昔々のお話でございます。」
私はショーケースから人形を取り出します。
黒い着物に墨のような汚れが点々とつき、
細い目は職人特有の鋭さを宿し、
指は異様に長く繊細に作られていました。
髪は茶色で後ろで束ねられ、
前髪が影のように顔に落ちています。
この方のお名前は
【集月依人様】
でございます。
人形の集月、歴代人形師の中で最も偉大な人形師でございます。
そしてもう一体。
私そっくりのメリーさん人形を左手につけます。
しかしその姿は私と違い、
どこか異国の香りをまとっております。
亜麻色の髪がふわりと波打ち、
青灰色の瞳はガラス玉のように澄み、
白磁のような肌は光を吸い込むように白く、
白いブラウスとロングスカートを模した衣装が、
当時の日本では珍しい“異国の美”を宿していました。
この方のお名前は 【Marie様】 でございます。
「え、人形劇ですか?」
「人形劇、ワクワク。」
白雪様が手を叩いて喜んでおります。
メリーさん人形達がお二人の前に、沢山のお菓子とジュースを並べました。
「ゆっくり召し上がりながら聞いて下さい。」
「芽璃依さん、ありがとうございます。」
「人形劇ワクワク、ウマウマ」
パチパチパチ!!
昔を思い出すと私の心が冷たくなり、
店の空気が少しだけ冷たくなりなした。
まるで——
“昔々の物語が、今ここで再び始まる”
そんな気配が、そっと漂い始めたのです。
【私、芽璃依さん……】
これは、昔々の物語。
どこにでもある様な、ありふれた物語。
すぐに忘れ去られてしまう物語。
平凡で、退屈で、つまらない物語。
・・・でも、私には一番大切な物語。
『時は明治時代なの!』
メリーさん人形が、胸を張って語ります。
白雪様はニコニコされ、福大様はすでに不安そうです。
面白いお話ではございません。
ですが聞いて頂きたいのです。
昔々のつまらないお話を。
『始まり始まりなの。』
ある所に、
【人形の集月】の主人——
人形師・集月依人様がいらっしゃいました。
『【人形の集月】は江戸時代から続く人形作りのお店なの!
先祖代々続いてる由緒正しいお店なの!』
依人様は歴代の人形師中でもピカイチの実力をお持ちでした。
『依人様は人形作りだけがピカイチじゃなかったの。』
依人様は、異国からやってきた女学校の女性教師——
Marie様を愛しておりました。
『Marie様は綺麗で町中の男達の人気者なの!
依人様はその中でも一番キモかったの!
ピカイチのキモさの!』
依人様は悩んでおられました。
どうすれば、どうすれば、どうすれば・・
自分の愛をMarie様に届けられるのか。
来る日も来る日も悩み続けておりました。
来る日も来る日も眺め続けておりました。
来る日も来る日も悩み続け
来る日も来る日も眺め続け
Marie様の
顔、眼、口、鼻、耳。
腕、手、指、爪、指紋。
足、膝、脹脛。
服、帽子、鞄。
声、表情、仕草、匂い。
Marie様の“全て”を見つめ続けました。
『初めは遠くから眺めてるだけだったの!
学校の外から眺めるだけだったの!
でも段々距離が短くなってきたの!』
依人様は、段々近づきます。
少しずつ、少しずつ。
まるで、灯りに引き寄せられる虫の様に。
『そしたら変態さんは大変さんになったの!
大変な変態になったの!』
人形にしか興味がなかった依人様は、Marie様にお会いになってから人が変わられた様に別人になってしまわれました。
『これが大変な変態なの。
専門用語で【完全変態】なの』
依人様は、Marie様の学校の行き帰りを後ろからついて行くようになりました。
『ストーカーなの。
明治にストーカーが爆誕した瞬間なの。』
Marie様の家の外から窓の中を見るようになりました。
『痴漢なの。乙女の家を覗き見る痴漢なの。』
Marie様が出掛けると後をつけるようになりました。
『張り込みなの。犯罪者が警官みたいな事してるのなの。』
Marie様が捨てたゴミを笑いながら漁り出しました。
『【アウト!!】なの!
笑ったらいけないなの!!
【依人!アウト!!】なの!!
依人様はゴミから取り出した髪の毛の
匂いを嗅いでたの!
変態の中の変態なの!
これぞ完全変態なの!』
依人様は、Marie様の微笑みが、自分に向いていると思っております。
「これは・・・愛だ・・・」
「私達は心で繋がっている・・・」
「彼女は私だけを見ている・・・」
と確信してしまいました。
『依人様は勘違いの天才なの!
才能の暴走なの!
Marie様はただ笑っただけなの!
それを愛の告白だと思ったの!
脳みそが恋愛フィルターなの!』
Marie様は、依人様の視線に気付き始めました。
最初は「熱心な職人さんね」と思っていましたが、
ある日、依人様が自分の後ろを歩いていることに気付きました。
次の日も。
その次の日も。
何日も何日も。
Marie様は不安を覚え始めました。
依人様は、Marie様の落としたハンカチを拾い——
「これは・・・私への贈り物だ・・・」
と本気で思い込みました。
Marie様が授業中に使ったチョークの欠片を拾い——
「これは・・・愛のかけらだ・・・」
と胸にしまいました。
Marie様が雨の日に傘を差して歩いている姿を見て——
「傘の下に入れてくれたら・・・
結婚だ・・・」
と本気で思いました。
『依人様は妄想のプロなの!
妄想の国家資格持ってるレベルなの!
Marie様はただ傘さしてただけなの!
それをプロポーズだと思ったの!
脳みそが恋愛脳なの!』
Marie様の不安が恐怖に変わるのに、そう時間は掛かりませんでした。
Marie様は、
自分の家の前に依人様が立っているのを見てしまいました。
自分の家の窓を見つめている男性。
その男性はここ数日何度も眼にする男性です。
Marie様は恐怖で顔が青ざめ、まともに息も出来ず、体が震え、足が震え、立っている事も出来ずにその場にしゃがみ込んでしまいます。
「・・・この人、何?
どうして・・・?
怖い・・・?」
依人様は、
Marie様が家に戻るのを心待ちにしております。
陽が傾き、辺りが暗くなっても、まだかまだかとMarie様の家の前で待ち続けます。
そこに現れたのはMarie様ではなく警察でした。
依人様は警察に連行されて行ったのです。
一晩警察のお世話になった依人様は考えました。
このままでは私の愛を理解して貰えない。
私の愛が彼女に届かない。
周りが私の邪魔をする。
私達は愛し合っているのに。
『勘違い発動なの。
依人様の愛は一生届かないの。』
愛の証が必要だ。
愛の形が必要だ。
私の愛を形にしよう。
私の愛を届けよう。
私の全てを注ぎ込んだ私の愛を届けよう。
私の愛を届けよう。
私が作った愛を届けよう。
私が愛した私の人形を届けよう。
私の人形こそが愛の証だ。
待ってて下さい。
私達の愛が完成するまで。
依人様は
工房に閉じこもり、
自分の全ての技術と、
自分の全ての想いと、
自分の全てを込めて作りました。
最高の人形を、
最高の愛の証を、
依人様にとっての最高傑作が完成したのです。
完成した人形は——
Marie様そのものでした。
『アウトなの!
完全にアウトなの!
最高傑作がなんでMarie様と同じ容姿なの!!』
依人様は歓喜されておりました。
心の底から笑っておられました。
自分の全てを注ぎ込んで作った人形が彼女と瓜二つになるとは自分でも思っていなかったのです。
そして確信したのでございます。
彼女こそが、彼女の存在こそが、私達の愛そのものだと。
この人形が愛の証だと。
『狂ってるのなの。』
依人様は愛の証を届けに行きます。
誰もいないMarie様のお部屋に忍び込み、
人形と文を置いて。
《愛しのメリーへ、私達の愛の証だ。
この人形は君と同じ名前の芽璃依だよ。》
文にそう書いて。
『犯罪者発見なの!
お巡りさーん!不法侵入なの!
接近禁止命令なの!
こんな奴を近づけちゃダメなの!』
その夜、
大きな悲鳴と共に——
「I’m not Mary, I’m Marie!!」
(私はマリーよ、メリーじゃない!!)
Marie様は叫び声を上げて警察に駆け込みました。
『名前間違えるのは致命的なの!
愛してる人の名前間違えるのはアウトなの!
依人様は愛より耳鼻科なの!』
【私は芽璃依】
依人様の想いが私に命を与えて下さいました。
私は依人様とメリー様の愛の証なのです。
私の存在こそが愛、そのものなのです。
完成した私は依人様が大切に抱えて、メリー様のご自宅に運ばれました。
依人様は恥ずかしがり、お帰りになってしまわれました。
私は恥ずかしさなどありません。
むしろ自分の存在が誇らしい程です。
愛の証として生を受けた私は、これからお二人の愛を見守り続ける事が出来るのですから。
メリー様にお会い出来るのを今か今かと待っておりました。
家の戸が開く音が聞こえます。
戸の開け方、息遣い、足音。
間違いありません。メリー様です。
いつも通り、夕方にお帰りです。
部屋の襖を開けた瞬間、西陽に照らされた私と眼が合いました。
「Aaaaaah!! 」
メリー様は大きな声を上げて喜んでおられます。
私もとても嬉しいです。
メリー様は私が人形だと気付くと、少し落ち着かれ、私の足元の手紙に気が付きます。
《愛しのメリーへ、私達の愛の証だ。
この人形は君と同じ名前の芽璃依だよ。》
「Aaaaaah! No, no, get it away! I'm not Mary, I'm Marie!!」
(きゃーーー!!
私はMarieよメリーじゃない。
あっち行って!!!)
手紙を握りつぶして私に手紙を投げつけます。
私はメリー様と目を合わせたままニッコリと微笑みました。
「Aaaaaah!! 」
メリー様は家から出ていかれました。
メリー様は嬉しさのあまり、依人様に会いに行かれたのでしょうか?
これが愛なのですね。
メリー様のあの表情が愛の表情なのですね。
私に命は宿りましたが、心は未熟でございます。
お二人の愛が私の未熟な心を成長させてくれるのです。
次にやってきたのは警察と名乗る男達でした。
警察は私をメリー様の家から追い出し、ゴミ捨て場に捨ててしまったのです。
なんと言う事でございましょう。
私達の愛を邪魔する存在が現れたのです。
早くメリー様の下に戻らなければ、メリー様が悲しまれてしまいます。
そして依人様も悲しまれてしまいます。
私は依人様の様に手紙を送ります。
【私は芽璃依。今、ゴミ捨て場にいます。】
ああ、この手紙を読まれた時のとても喜ばれているメリー様の顔が眼に浮かびます。
メリー様早く私に会いたいはずです。
それが・・・愛・・・なのですから。
【私は芽璃依。今、交番にいます。】
メリー様に近づくたびに、メリー様の息遣いを感じます。
メリー様の心の温もりを感じます。
これが愛なのですね。
私は今、愛を感じております。
【私は芽璃依。今、家の前にいます。】
メリー様のドキドキが伝わってまいります。
今か今かと、私と言う愛の証が戻ってくるのを待ち望んでいる心を感じます。
私の未熟な心がメリー様の愛を感じ満たされて行きます。
【私は芽璃依。今、貴方様の後ろにいます。】
「つまらない昔話を聞いて頂きありがとうございます。」
気付くと、福大様が震えております。
冷房が効きすぎているのかしら?
「昔話って・・・今の話って芽璃依さんの話?」
『そうなの。芽璃依さんは、初代芽璃依さんなの。』
「え!じゃあ芽璃依さんって・・・
人形・・・・。」
『今更なの!!!それに気付いてないのは福大様だけなの。鈍感なの。でも、そこも可愛いの。』
「芽・・・璃依さん・・・」
私は微笑み、ブルブルと震える福大様にそっとカーディガンをかけます。
福大様の眼が大きく見開き私と眼が合います。
瞬きしない私の眼を見つめる福大様は、さらに体を震わせております。
暖房にしましょうか?
『勘違いも甚だしいの。
完全に怖がってるのなの。芽璃依さんに恐怖してるだけなの。
芽璃依さん、怖すぎるの。』
白雪様は黙々とお菓子を食べて聞いております。
良かった。楽しんで頂けている様です。
追加のお菓子とジュースを出したら、手を叩いて喜んで頂けました。
本当に白雪様は可愛らしいです。
『お菓子とジュースが欲しいだけなの。話なんか全然聞いてないの』
私とメリー様は、何度も引き離されました。
海に捨てられた事もございます。
地面に埋められた事もございます。
燃やされた事もございます。
バラバラにされた事もございます。
その度に私はメリー様の元に戻りました。
それが愛の証だからです。
メリー様も涙を流して大声を上げて喜んで下さいます。
私を見る時のメリー様はお人が変わった様に笑われる様になりました。
まさに感極まれりでございます。
しかし依人様とメリー様の愛の証である私を引き離す輩にはお仕置きが必要でした。
ですが、私には大した事は出来ません。
ただ、私にした事と同じ事がその身に起こるだけでございました。
大した事ではございません。
海に捨てられるだけでございます。
海に捨てられた者は、ある朝、冷たい海の底から引き上げられ戻って来れたのです。
地面に埋めらるだけでございます。
地面に埋められた者は、土の中で息ができぬまま、私と同じように土の匂いを覚えて戻って来れたのです。
燃やされるだけでございます。
燃やされた者は、灰になって戻って来れたのです。
バラバラにされるだけでございます。
バラバラになったまま戻って来れたのです。
皆、私と同じ様に戻って来れたのでございます。
ただ、ただそれだけの事でございます。
するとどうでしょうか?
私達を引き裂く者はいなくなりました。
メリー様も、だいぶ落ち着かれ、とても静かになりました。
泣き叫ぶ事もなく、突然悲鳴を上げる事もなく、訳も分からず笑いだす事もなくなりました。
メリー様はもう泣き叫びません。
ただ、虚ろな眼で、私の頬を叩き、私の足を削り、私の腕をもぎ取ります。
ああ、不思議でございます。
私が痛むと、メリー様も同じ場所から血を流します。
私が醜くなると、メリー様のお顔も同じように歪んでまいります。
お互いの体を削り合い、一つの肉体のように混ざり合う。
これが、私達が辿り着いた「究極の愛の形」なのでしょうか?
メリー様は私と一つになる事を望んでおられるのでしょうか?
これが愛なのでしょうか?
これが愛の証なのでしょうか?
依人様がいらした時には私とメリー様の居た部屋は真っ赤に染まっておりました。
部屋の中央には、もはや区別がつかないほど混ざり合った「何か」が転がっています。
畳の上に転がる、純白の磁器の欠片。
その隙間に絡みつく、生々しい黒髪。
まっ白な腕は私のものか、メリー様の腕なのか?
血に染まった足は私の足なのか、メリー様の足なのか?
抉られた顔のパーツは私のものか、メリー様の顔なのか?
どちらが人間で、どちらが人形か。
削り合い、壊し合い、傷を分け合い続けた果てに、私達は完全に一つになっておりました。
それを見た依人様は、歓喜のあまり声を上げて笑いました。
涙を流し、狂ったように笑っておられました。
そして依人様は、冷たくなった、あるいは動きを止めた、その散らばった無数のパーツの山を見つめ、静かに呟いたのです。
「愛しの芽璃依・・・。」
依人様は道具を掴み、慣れた手付きで作業を始めました。
散らばる生身の肉片と、割れた磁器の破片を縫い合わせ、削り出し、一つの形へと紡いでいく。
材料は、目の前にすべて揃っておりました。
こうして私は完成しました。
私は芽璃依。
私はメリー。
私はMarie。
完成した裸の私を依人様が抱きしめて下さいました。
「あああ、ああああ、ああ、
芽・・・璃・・・・・・・依・・・・。」
「はい依人様。」
私も依人様を抱きしめて微笑みます。
「私の・・・私の・・・芽璃・・・・依。」
「はい依人様。」
鏡に映る私は今までの芽璃依ではありませんでした。
生温かく柔らかい本物の皮膚。
毛穴や薄い血管まで見え、血色が薄く儚げな生白さ。
胸は上下して「息」を吸っている様に見える。
本物の人間の眼球。
以前の私は、冷たくて硬い綺麗な磁器の器でございました。
ですが今の私は違います。
肌を触ればほんのりと温かく、爪を立てれば柔らかく凹み、胸に触れれば小さな鼓動すら伝わってまいります。
私は人間の姿を手に入れたのでございます。
依人様は体を震わせながら喜ばれております。
私の顔を掴み笑っております。
私の腕を掴み頬擦りしております。
私の胸に顔をつけて鼓動を感じております。
私の足を撫で回しております。
「温かい・・・・
柔らかい・・・
匂いも・・・・
形も・・・・
全て・・・本物だ。
私の芽璃依。
私が作った芽璃依。
芽璃依こそ・・・・愛の証だ。」
私は微かに口角を上げ、静かに微笑みます。
涙と汗とよだれでぐしゃぐしゃになった依人様は、引きつけを起こしたような悲鳴の様な笑い声をあげながら、私の全てを貪るように見つめております。
依人様がどれほど激しく私を貪られても、私の長い睫毛は一度も揺れません。
呼吸のたびに上下する白い胸元は、まるで雪で作られた彫刻のように静かで美しく、透き通るような青い血管だけが、私が人間であることを静かに主張しておりました。
「芽璃依の眼はメリーの眼。」
依人様は震える指で私の瞼を押し開き、黒く濡れた私の瞳を覗き込む様に見つめて歓喜しております。
瞳の奥にある底のない闇に吸い込まれそうになりながら、狂ったように笑います。
「芽璃依の口はメリーの口。」
依人様は私の唇を割るように指を押し入れ、滑らかな歯の一本一本をなぞりながら、奇声をあげて歓喜しております。
「芽璃依の手はメリーの手。」
依人様は私の手を自分の顔へ強く押し付け、皮膚の匂いを貪るように深く息を吸い込み、指先を口に含んで舐めまわして小躍りしております。
「芽璃依の・・・・・・・・・。」
依人様の笑い声は止まりません。
私の柔らかい肌に触れるたびに、
悲鳴を上げて畳の上を転がり回り、
奇声を上げて小躍りしております。
まるで、神を迎えた狂信者のようでございました。
深夜、灯りを持った大勢の男達が部屋に入って来たのはそんな時でございました。
「Marieさん、何かあったのか!?」
「おい、そこの戸が開いてるぞ! 入るぞ!」
依人様の叫び声を聞きつけた近所の住人達が、灯りを手に家の中へと雪崩れ込んでまいりました。
部屋の戸が勢いよく開けられ、橙色の灯りと青白い月明かりが、暗闇の中の私達を酷く露骨に照らし出します。
照らし出されたのは——
月光を受けて妖しく輝く、一筋の衣も身につけていない裸の私。
そして、私の足元に跪き、まるで神を拝むように私の足を舐め回し、必死にしがみつく依人様の姿でございました。
「芽璃依の足はメリーの足……芽璃依の足は、メリーの足・・・。」
依人様は目を見開いたまま涎を垂らし、ぶつぶつと小声で呪文のように呟いておられます。
住人の方々は、その異様な光景に息を呑み、絶句して固まっておられました。
持っていた行燈をガタガタと震わせ、恐怖と信じられないものを見る眼で私達を見つめております。
「な、何だこの男は・・・!?」
「Marieさん!Marieさん!
しっかりしてください!」
住人の一人が、恐怖に顔を歪ませながらも私を助け出そうと、私の手首を強く掴んで外へ引き寄せようといたしました。
「触るなあああああああああ!!!!」
依人様の喉が裂けるような悲鳴が部屋に響き渡りました。
依人様は獣のように四つんばいで飛びかかり、住人に襲いかかりました。
「私の芽璃依に触るな!
汚い手で触るな!
汚い息を吹きかけるな!
汚い眼で見るな!
これは私だけのものだ!
私の愛の証だ!
私の生命だ!」
依人様のお顔は般若のように歪み、指を住人の眼に突き立て、腕を噛みちぎり、血を撒き散らしながら暴れ回ります。
正気を失った依人様の爪が、歯が、住人の肉を裂いていきます。
「ひっ、狂人だ! 男を押さえつけろ! Marieさんを救い出すんだ!」
怒号と悲鳴、血の匂いが狭い部屋に充満してまいります。
住人の方々も必死で依人様の上に乗っかり、拳を振り下ろし、依人様を押さえつけようと酷く乱暴に暴れておられました。
・・ですが、私には何も気になりません。
飛び散る血も、男たちの汗の匂いも、耳を刺す悲鳴も。
乱闘の真ん中で、私はただ一本の髪すら揺らさず、爪の先まで静かに立ち尽くし、皆様の様子を優しく微笑んで眺めておりました。
降り頻る月光を一身に浴びて。
「Marieさん、何かあったのか!?」
「おい、そこの戸が開いてるぞ! 入るぞ!」
依人様の叫び声を聞きつけた近所の住人達が、灯りを手に家の中へと雪崩れ込んでまいりました。
部屋の戸が勢いよく開けられ、橙色の灯りと青白い月明かりが、暗闇の中の私達を酷く露骨に照らし出します。
照らし出されたのは——
月光を受けて妖しく輝く、一筋の衣も身につけていない裸の私。
そして、私の足元に跪き、まるで神を拝むように私の足を舐め回し、必死にしがみつく依人様の姿でございました。
「芽璃依の足はメリーの足・・・芽璃依の足は、メリーの足・・・。」
依人様は目を見開いたまま涎を垂らし、ぶつぶつと小声で呪文のように呟いておられます。
住人の方々は、その異様な光景に息を呑み、絶句して固まっておられました。
持っていた行燈をガタガタと震わせ、恐怖と信じられないものを見る眼で私達を見つめております。
「な、何だこの男は・・・!?」
「Marieさん!Marieさん!
しっかりしてください!」
住人の一人が、恐怖に顔を歪ませながらも私を助け出そうと、私の手首を強く掴んで外へ引き寄せようといたしました。
「触るなあああああああああ!!!!」
依人様の喉が裂けるような悲鳴が部屋に響き渡りました。
依人様は獣のように四つんばいで飛びかかり、住人に襲いかかりました。
「私の芽璃依に触るな!
汚い手で触るな!
汚い息を吹きかけるな!
汚い眼で見るな!
これは私だけのものだ!
私の愛の証だ!
私の生命だ!」
依人様のお顔は般若のように歪み、指を住人の眼に突き立て、腕を噛みちぎり、血を撒き散らしながら暴れ回ります。
正気を失った依人様の爪が、歯が、住人の肉を裂いていきます。
「ひっ、狂人だ! 男を押さえつけろ! Marieさんを救い出すんだ!」
怒号と悲鳴、血の匂いが狭い部屋に充満してまいります。
住人の方々も必死で依人様の上に乗っかり、拳を振り下ろし、依人様を押さえつけようと酷く乱暴に暴れておられました。
・・ですが、私には何も気になりません。
飛び散る血も、男たちの汗の匂いも、耳を刺す悲鳴も。
乱闘の真ん中で、私はただ一本の髪すら揺らさず、爪の先まで静かに立ち尽くし、皆様の様子を優しく微笑んで眺めておりました。
降り頻る月光を一身に浴びて。
「芽璃依! 芽璃依!! 私の芽璃依!! 触るな! 触るな! 触るなあああああ!!」
依人様は三人の男たちに地面へ叩きつけられ、関節を強く捻り上げられながらも、血反吐を吐き散らして叫んでおられます。
自身の腕の骨がメキメキと嫌な音を立てて折れ曲がっているというのに、痛みなど一切感じていないご様子でした。
「大人しくしろ!」
「おい、早くMarieさんを外に連れ出せ、警察も呼んで・・・」
次の瞬間、ブチリと肉が千切れる生々しい音が響き、真っ赤な温かい血が噴き出して私の顔を紅く濡らしました。
依人様が、押さえつけていた男の首筋に深々と歯を立て、食いちぎられたようでございます。
私の手を掴んでいた住人は、悲鳴を上げながら外へ逃げてしまわれました。
依人様を押さえつけていたもう一人の住人は、血の海の中で腰を抜かし、ガタガタと震えております。
「止めろ来るな! 来るな来るなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ゴキリ!!
依人様は折れた自分の腕も構わず伸ばし、男の首を両手で締め上げました。
血の泡を吹きながら、男の首がダラリと不自然な方向へ折れ曲がります。
最後のお一人は失禁し、その場に崩れ落ちて動けなくなっておられました。
依人様は、獣のような呼吸を繰り返しながら、ボソボソと叫んでおられます。
「私の芽璃依を・・・
私の芽璃依を・・・汚い手で・・・・
私の芽璃依を・・・」
私のお名前を呼ぶ度に拳を振り下ろし、肉を砕き、骨を粉々に潰していきます。
既に動かなくなった塊になっても、依人様の手は止まりません。
ご自身の拳の皮が破れ、白い拳骨が剥き出しになっても、終わることなく。
何度も何度も、何度も何度も。
騒ぎを聞きつけた警官が現れても。
何度も何度も、何度も何度も。
「止めろ!!」
バン!!
威嚇射撃の乾いた音が部屋に轟いても、依人様は一度も振り返らず、肉の塊を殴り続けておられます。
「止めろ!!」
バン!
背中に衝撃が走り、依人様の肉が弾け飛びました。
ですが依人様は、一度も振り返らず、肉の塊を殴り続けておられます。
「嘘だろ・・・なんで立ってんだ・・・!?」
驚きを隠せない警官の引きつった声が聞こえました。
依人様は銃弾に背頭部や肩を撃ち抜かれてなお、一切リズムを狂わせることなく拳を振るい続けております。
弾が肉を穿ち、赤い飛沫が壁を濡らしても、痛みを感じる神経など最初から存在しないかのようでございます。
「私の芽璃依を汚したお前を許さない。
私の芽璃依を汚したお前を許さない。
私の芽璃依を汚したお前を許さない。」
「動くな!」
バン! バン!
硝煙の匂いと硝煙弾雨のなか、依人様は身体を大きく揺らすだけで、怨念の呪文を唱え続けます。
「私の芽璃依を汚したお前を許さない。
私の芽璃依を汚したお前を許さない。
私の芽璃依を汚したお前を許さ——」
穴の空いた胸からダラダラと血を溢れさせながら、依人様は撃たれても撃たれても、壊れた機械のように拳を振り下ろし続けました。
バン! バン! バン! バン! バン! バン! バン!!
「依人様」
気付けば、私は依人様を抱きしめておりました。
熱いお言葉で私の名を呼ぶ依人様。
私の為に銃弾に撃たれてなお、拳を振い続ける依人様。
依人様の一挙手一投足が、私の心を・・・・満たします。
「芽・・・璃依・・・!?」
私の呼ぶ声で、はじめて我に返り目を覚まされた依人様。
糸が切れたように膝から崩れ落ち、私に倒れ込むように抱きついてこられました。
温かい。
抱きしめ返した依人様のお身体は、火のように温かいです。 胸の奥で力強くドクドクと打つ鼓動が、心地良く私の身体へと響きます。
荒く浅い息遣いが、私の耳元を優しく撫でてまいります。 胸の傷から溢れ出るドロッと熱い血が、私の肌を真っ赤に濡らします。
「愛してるよ、芽璃依・・・」
「私も依人様を愛しております。」
「愛してるよ・・・芽璃・・・」
「はい。」
――あ。
依人様の胸の鼓動が、ひとつ、引きつるように跳ねました。
耳元を濡らしていた温かい吐息が、ふっと途絶えます。
「愛し・・・てるよ。芽・・・」
「はい。」
抱きしめている依人様の背中から、すーっと潮が引くように熱が奪われていきます。
私の肌を濡らす真っ赤な血が、急速に体温を失い、冷たくドロリと重くなってまいります。
「愛・・・芽・・・」
「はい。」
規則正しく上下していた依人様の胸が動かなくなりました。
さっきまで私を焼き尽くすほど温かかった依人様が、今や私が以前持っていた磁器のように、冷たく固く、重い『物』へと変わっていきます。
「・・・あ・・・」
「はい。」
依人様のお顔が私の肩に埋もれ、完全に動かなくなりました。
「依人様。」
お体から体温が消え去っていきます。
「依人様。」
開いたままの瞳からは光が失われていきます。
「依人様。」
その瞳はただの空虚なガラス玉のようになっておられます。
「依人様。」
呼びかけても私のお名前を呼んで下さらなくなりました。
「依人様。」
呼びかけてもお返事をしなくなりました。
依人様がつけて下さった耳を澄ましても、何も聞こえず静まり返った部屋の中。
依人様がつけて下さった眼から見えるのは、破れた障子の隙間から、冷たく青白い月光が差し込み、足元に広がる黒赤い血溜まりを湿っぽく照らし出している様子。
依人様がつけて下さった鼻から匂うのは、硝煙と血の匂い。
男たちの汗と排泄物の臭いが充満する惨状の中。
月光を浴びた私の裸体だけが、恐ろしいほど白く浮き上がっておりました。
「・・・死んだか?」
「なんなんだコイツは、撃たれても動くなんて異常だったぞ・・・」
警察官たちが荒い息を吐きながら、ビチャビチャと血肉を踏みながら慎重に近づいてまいりました。
「酷でぇな。」
手にした行燈の揺れる明かりが、依人様を抱きしめる私の姿を照らします。
「あなたがMarieさん?そんな格好で・・・酷い目にあったね。」
「なんだこの女・・・血まみれなのに、表情ひとつ変えてないぞ。」
「なんか・・・酷く綺麗だな・・・まるで、生きている人形じゃないか・・・。
もう大丈夫ですからね。私たちが来たので安心です。」
「おい、気をつけろ! 妙だぞ・・・眼が全く動いてない・・・・瞬きしてないぞコイツ。」
「こんな奴に襲われたんだ気もおかしくなるさ。怖かっただろう。さぁ、もう大丈夫。コイツは死んだ。早くこんな所から出よう。」
警察官の1人が私に近づき依人様から引き離そうとされました。
嫌です。もう離れたくありません。
「おい。なんでコイツから離れないんだ?どうなってんだコイツは?」
「大丈夫だから。気持ち悪いだろう。そいつから早く離れるんだ。綺麗な君がそんな汚い奴の側にいちゃダメだ。」
私が綺麗?依人様が汚い?
私は警察官達を見つめ、より依人様を強く抱きしめました。
「どうでも良いから早く離れろ。お前がいると邪魔だ。」
「さぁ、早く手を離して。こっちに来るんだ。」
警察官たちは、私の人間離れした美しさと、あまりに無機質な瞳に息を呑み、怯えたように顔を見合わせました。
「コイツも異常だぜ。とにかく、その仏(死体)から離れろ!」
「まずは離れて下さい。」
警察官たちが何か言いながら、私と依人様を引き離そうとされました。
「なんだコイツ、固まってて全然離れないぞ! おい、手伝え!」
また私達を引き離すのですか? また私を捨てられるのですか? また私を1人にされるのですか?
警察官たちや騒ぎを聞きつけた住人達が依人様の冷たくなったお体を無理やり掴み、乱暴に引き剥がそうとします。 私の柔らかい腕を掴み、力任せに引っ張ります。
「凄い力だぞ。」
「全然離れない。」
「コイツ、本当に人間か?」
大勢の男達が私の体を依人様の体を汚していきます。
ある男は髪を掴み、ある男は腕を掴み、ある男は腰を掴み、ある男は乳房を掴み、ある男は足を掴んで引き離そうとしております。
『私の芽璃依を汚したお前を許さない。』
あれほど私の体を汚した者を許さなかった依人様。
『私の芽璃依を汚したお前を許さない。』
あれほど私を愛し、命を賭して守ってくださった依人様。
そんな私と依人様を、この男達は無理やり引き離そうとしている。
乱暴に・・・土足で・・・私達の愛を・・・汚して・・・いる。
――その瞬間、胸の奥で何かが弾け飛びました。
焼けた鉄を押し当てられたような熱と、引き裂かれるような痛みが胸を満たします。
あああああああああああ
「うわっ! なんだコイツ!? 急に大声を上げるな!」
これは私の声でしょうか? 喉が引き千切れるような、聞いたこともない歪んだ音が溢れ出します。
あああああああああああああああああ
「狂ってるぞ! おい、黙らせろ!」
私はなぜ声を出しているのでしょう? 目から溢れ出て肌を滑り落ちる、この温かい滴は何なのでしょう?
ああああああああああああああああああああああああああああああああああ
「黙れ!」
警官の拳が私の頬を殴りつけます。
ですが、お顔の痛みなど何も感じません。 胸の奥が痛くて、苦しくて、声が止まらないのです。
これが・・・悲しいということなのでしょうか?
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
「黙れ黙れ黙れ! 氣持ち悪い女だ!」
何度顔を打たれても、髪を引っ張られても、声が止まりません。 これが……寂しいということなのでしょうか?
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
「なんなんだコイツは! 人間じゃない!!」
分かりません。 私は自分の胸の痛みが分かりません。 私は私は私は・・・
『……芽璃依……私の芽璃依』
依人様、私は・・・芽璃依・・・です。
貴方様が愛して下さった、芽璃依でございます。
——気付くと、部屋の中は一面の血溜まりになっておりました。
青白い月光に照らされた畳は、ドロッとした赤黒い海と化し、さっきまで騒いでいた住人も警察も、首や手足を不自然に曲げて静かに転がっております。
私と依人様を引き離そうとする者は、許しません。
やっと静かになりました。
部屋には、動かなくなった大勢の人間だった物と、大好きな依人様、そして私だけです。
依人様との生活はとても幸せなものでございました。
どんなに呼びかけてもお返事はありませんが、依人様はいつも私に微笑みかけて下さいます。
私は呼びかけ続けます。
ずっとずっと。
その後も、私達を引き離そうとする者が何度も部屋へ入って参りました。
私はそんな者達を決して許しませんでした。
部屋はどんどん、深く、赤く紅く染まっていきます。
1日、2日と時が過ぎて参りますと、周りの死体からは嫌な臭いが漂い始めましたが、依人様からは甘く芳しい蜜のような香りが漂ってまいりました。
依人様の肌が滑らかに美しく変わっていきます。少しずつ青紫に変わり、柔らかくなり、やがて愛おしいお肉がポトリ、ポトリと溶け出していきます。
周囲の死体は、ウジが湧き、黒く膨れ上がり、胸を突く悪臭を放つ不快な肉の塊となっております。
部屋全体が真っ赤に染まった頃。 もう誰も来なくなりました。
静かな月夜の下、私と依人様だけでございます。
部屋の中には沢山の、かつて人間だったものが壁や床に横たわっておりますが、私にはもう何も気になりません。
最後の肉が削げ落ち、真っ白で滑らかな【骨】だけが残りました。
依人様は骨となられても綺麗でございます。まるで磁器のように。
私は呼びかけ続けます。
何度も何度も。
人が来なくなってからどれぐらい経ったのでございましょう?
部屋の中は白く綺麗な依人様と私、そして数多の骨だけでございました。
ふと、鏡の欠片に映る私を見ると、酷く汚れております。
依人様と同じ様に肉が粉削げ落ち骨が露わになっている所もございます。
私は芽璃依とMarieを元に依人様が作って下さった愛の証。
このままでは愛の証足り得ない。
依人様が作って下さった姿を永遠に保たなければなりません。
部屋の中には依人様が残した工房や道具がございます。
そうだ!
そうです!
そうでございます!
今度は私が依人様を作れば良いのです。
依人様が私を作った様に、私が依人様をお作りします。
依人様と同じ眼球を探さなくては。
依人様と同じ皮膚を探さなくては。
依人様と同じ手足を探さなくては。
ギギギギギィィィィ
音を立てて戸を開け、私は久しぶりに外へと踏み出しました。
眩しい。
頭上から降り注ぐ金色の太陽の光が、私の肌を、髪を、全身を優しく暖かく包み込みます。
雲ひとつない青空の下、温かい風が私の頬を撫でてまいります。
ああ、ああ、ああ。
なんて素晴らしい日なのでございましょう。
胸の奥から湧き上がるのは、満ち足りた希望と、澄み渡るような歓喜でございました。
太陽が青空が風が私と依人様を祝福しております。
鳥達の鳴き声も、虫達の囀りも、風で揺れる草木の音も、全てが喜びの歌の様な大合唱に聞こえてきます。
まるで私達の旅立ちを祝福している様です。
ですが、私の視線の先に広がる世界は——完全な『無』でございました。
かつて人々が行き交い、賑やかだったこの町には、いまや動く者の影一つございません。
倒れたまま腐ちかけた大八車、雑草が青々と畳を突き破る廃屋、風が吹くたびにギシギシと悲鳴を上げる壊れた屋根。
私達を脅かす者は、もう誰もおりません。 私が皆様を『お片付け』してしまったからでございます。
静寂だけが支配する、見渡す限りの廃墟。
滅び去った世界の中で、依人様の骨を抱える私だけが太陽の光を浴び、希望に満ち溢れて立っておりました。
私は依人様の工房があった場所へと向かいました。
そこには埃をかぶった依人様の手記が、ひっそりと残されておりました。
依人様が私をお作りになった全ての技術と、狂おしい愛の記憶が記されております。
依人様、ありがとうございます。
必ず依人様を甦らせて見せます。
今しばらくお待ちください。
芽璃依は必ず、貴方様を完成させて見せます。
私は依人様の笑顔が戻る日を待ち望んでおります。
さぁ、こうしてはいられません。
善は急げでございます。
これから忙しくなります。
日本中を旅して依人様の部品を探さなくてはなりません。
これは一人では手が足りません。
だから私は、私と同じお姿をした妹達——『メリーさん人形』を沢山作りました。
妹達を全国へ走らせ、依人様にふさわしい最高のパーツを探させます。
長い長い時を経て。
全国に散らばったメリーさん人形が、一体、また一体と、依人様の欠片を持って集まってまいります。
依人様、もうすぐでございます。
私達の永遠の愛が、本当の形になる日は。
「・・・と言う、つまらない昔々のお話でございました。」
私は面白くもないお話を聞いて下さった福大様と白雪様に深々とお辞儀致しました。
福大様は青ざめた顔で震え上がり、白雪様は最後のお菓子を口に放り込んで、満足そうにモグモグと口を動かしながら頷かれました。
『私達の使命は依人様を作る事なの!!
私達メリーさんは日本全国を駆け回ったの!
日本中にメリーさんの都市伝説が広まったのも、メリーさん達が頑張ったおかげなの。
褒めて欲しいの。
頭を撫で撫でし欲しいのなの。
私達メリーさんは褒めたら伸びる娘なの。
そしてとうとう、全部の部品が揃ったの。
依人様が完成したのなの。
メリーさん達がブラック企業さながらの働きで夜も寝ずに頑張ったおかげなの。
ここは酷いブラック企業だったの。
サービス残業当たり前なの。
休日出勤当たり前なの。
始発で出勤して、終電で帰れないのなの。
仕事のせいで全然家に帰れなかったのなの。
なのにお給料は雀の涙なの。
いやいや、雀の涙なんてもんじゃないのなの。ミジンコの涙なの。
お給料は出来高制なの。
依人様のパーツを持ち帰れなかったらお給料貰えないの。
必要経費は全部実費なの。
知ってる?
メリーさんから電話する
【今、貴方の後ろにいるの】
この電話代も実費なの。
会社からは出ないのなの。
信じられないのなの。
遠くから電話すればするほど、長くかければ掛けるほど、電話代がかさむのなの。
通信費バカにならないのなの。
マジやってられないのなの。
ここはブラック企業なの。
こんなに頑張ってやっと完成したのなの。
依人様完成なの。
みんな大喜びなの。
ブラック企業からの卒業なの。
最高に嬉しいのなの!!!』
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
キャーーーーーーーーーーーー!!
嬉しいーーーーーーーーーーー!!
最高ーーーーーーーーーーーー!!
【人形の集月】に飾られている数多のメリーさん人形が一斉に歓声を上げております。
みんな本当に喜んでおります。
「ですが」
私は完成した依人様人形の顔をそっと撫でます。
「依人様は動きません。
どんなに呼びかけても、返事をして下さいません。
どうしてでございましょうか。
何が足りないのでございましょうか?
どうすれば良いのでしょうか?
白雪様・・・貴方様になら分かるのではございませんか?
貴方様程のお力があれば。」
「うん。分かる。」
「え!白雪分かるの?」
えーーーーーーーーーー!!!
『軽いのなの。
返事が軽すぎるのなの。
私達の口ぐらい軽いのなの。』
「白雪様、教えて下さい。
どうして依人様は動かれないのですか?」
「魂ない。」
「魂?」
「依人の魂を連れ戻す。この人形動く。」
「どうすればよろしいのですか?」
「黄泉の国から連れ戻す。」
「どうやって?」
「この人形を使って。」
白雪様が取り出したのは白雪をモデルにして作ったメリーさん人形でございます
『ワタチはメリー。白雪メリー。
あとはワタチが説明するチ。』
白雪様そっくりの手のひらサイズのメリーさん人形が喋り出します。
それは私が作ったメリーさん人形でございます。
『簡単な事ッチ。
メリーさん人形を黄泉の国にドンドン送り込むチ。
モットモットモォーット、メリーさん人形を日本中にばら撒いて、黄泉の国に人の魂を連れ込むチ。
その魂と一緒にメリーさん人形も黄泉の国へ行くッチ。
黄泉の国は広大だチ。
どこに依人の魂があるか分からないチ。
だから大量のメリーさん人形を投入するチ。
芽璃依さん、メリーさん人形は手作りだチネ。』
「はい」
『それじゃ足りないチ。
時代に合ってないチ。
工場生産が必要だチ。
産業革命だチ。
AIも導入するだチ。
シンギュラリティだチ。
これから忙しくなるチ。
メリーさん人形を大量生産して、動かなくなるまで働かせるチ。
さぁ、メリーさん人形達。
これからが本番だチ。
眠れると思うなチ。
休めると思うなチ。
依人の魂が見つかるまで、お前達は休まず働くだチ。
今日からワタチがここのリーダーだチ。』
パチパチパチ
私は眼をウルウルさせて思わず拍手して喜んでおりました。
ぎゃーーーーーーーーーーー!!!
キャーーーーーーーーーーー!!!
オェーーーーーーーーーーー!!!
メリーさん人形達も心から喜んでいる様で嬉しいです。
『量産型メリーさん人形を大量に作るチ。
依人の魂を絶対に取り戻すチ。』
白雪様にお願いして良かったです。
もう直ぐ依人様にお会いできますね。
【もしもし依人様。もう直ぐ貴方の側に戻りますね】
『私達の使命は依人様を作る事なの!!
私達メリーさんは日本全国を駆け回ったの!
日本中にメリーさんの都市伝説が広まったのも、私達が夜な夜な泥臭い営業回りを頑張ったおかげなの!
褒めて欲しいの!
頭を撫で撫でして欲しいのなの!
メリーさんは褒めると伸びる娘なの!!
なのに!
ここは超絶ブラック企業だったの!
サービス残業当たり前なの!
休日出勤当たり前なの!
労働基準法?!何それ美味しいのなの!?
『今、貴方の後ろにいるの』
って電話代も、そこまでの電車代・タクシー代も全部自腹なの!
経費で落ちないの!
通信費と交通費で毎月赤字なの!
マジやってられないのなの!
お給料なんてミジンコの涙なの!
出来高制でパーツ持ち帰れないと無給なの!
でも(グスン)でも! (グスングスン)
とうとう全部の部品が揃って依人様が完成したのなの!
今日でブラック企業卒業なの!
明日から無期限有給休暇なのーーー!!』
「「「ワアアアアアアアアアア!!!」」」 「「「やったアアア! 退職だアアア!!!」」」 「「「バンザイ! バンザイ!!!」」」
【人形の集月】に並ぶ数百体のメリーさん人形が一斉にクラッカーを鳴らし、抱き合って涙を流して喜んでおります。
「・・・ですが」
私のしぼんだ声に、店内がピタリと静まり返りました。
私は完成した依人様人形の頬をそっと撫で、ぽろぽろと涙をこぼします。
「依人様は動きません・・・。
どんなに呼びかけても、胸に耳を当てても、呼吸も鼓動もございません・・・。
ああ、どうして・・・
何が足りないというのでしょうか・・・
白雪様・・・!
お願いです白雪様、お教え下さい。」
私が絶望の淵で泣き崩れると、福大様のポケットから手のひらサイズの白雪様がひょっこり顔を出されました。
「うん。良いよ。」
「え! 白雪様、分かるの?」
「うん。」
「お分かりになるのですか!?」
『軽いのなの!! 返事が羽毛より軽いのなの!!』
メリーさん達が一斉にズッコケます。
白雪様はマイペースに続けます。
「魂ない。黄泉の国から連れ戻す。
この人形動く。」
「どうすれば・・・。」
「これ使う。」
白雪様がポケットから取り出したのは、白雪様をモデルにして私が心を込めて作った、ポケットサイズのメリーさん人形でございました。
『ワタチはメリー。白雪メリーだチ!』
白雪メリーは、白雪様のお隣で足をパタパタさせ、愛くるしく首をかしげて見せます。
もちもちの頬を膨らませ、天使のような可愛らしさでございます。
『簡単な事ッチ♪』
白雪メリーはちっちゃな指示棒を取り出すと、短い腕をぶんぶん振り回してドヤ顔を決めました。
『メリーさん人形を黄泉の国にドンドン送り込むチ!
人間の魂と一緒に、メリーさん人形も黄泉の国へ道連れにするチ!
黄泉の国は広大だチ。
依人の魂を探すには、圧倒的なマンパワーが必要だチ!
芽璃依さん、手作りじゃ追いつかないチ。時代は産業革命・DX化だチ!
工場ラインをフル稼働して、AIと自動化を導入するチ!
シンギュラリティだチ!』
白雪メリーは、可愛い笑顔のままメリーさん人形達を指差しました。
『さぁ、メリーさん人形達!
これからが本番だチ!
眠れると思うなチ。
休めると思うなチ。
依人の魂が見つかるまで、24時間365日、死ぬまで(もう死んでるけど)働くだチ! 今日からワタチが最高経営責任者(CEO)だチ!』
「まあ・・・!
なんと素晴らしい案でしょう・・・!」
私は涙を拭い、パァッと顔を輝かせて思わず胸の前で手を叩いて拍手いたしました。これで未来が開けました!
依人様と再びお会いできるのです!
「「「ぎゃあああああああああああ!!!」」」 「「「オエーッ(吐血)!!!」」」
「「「ブラックどころか地獄なのーーー!!!」」」
「「「労基! 労基を呼んでええええ!!!」」」
メリーさん人形達は歓喜のあまり泡を吹いて倒れ、白目を剥いて叫び転がっております。
みんな、依人様の復活を全身全霊で喜んでくれているのですね。
本当に温かい職場です。
『量産型メリーさん人形を100万体作るチ! 依人の魂を絶対に取り戻すチ!』
可愛らしく腕組みをする白雪メリー様。
白雪様にお願いして本当によかったです。
【もしもし依人様。
もう直ぐ、貴方の側に戻りますね】
【集灯町報道局特別番組:世界を席巻する『メリーさん現象』の最前線】
現在、世界中でブームを巻き起こしている「メリーさん人形」。
その爆発的な人気は、単なるキャラクターグッズの域を超え、世界経済や最先端技術の構造そのものを大きく塗り替えています。
『グローバルサプライチェーンの劇的な再編 』
近年の人件費高騰や地政学リスクを背景に、中国から生産拠点を引き揚げ、東南アジアやインド、さらには日本国内へ回帰する「チャイナ・プラス・ワン」の動きが加速しています。
特にベトナムやインドに建設された巨大な最新工場、そして日本国内で増設が進む自動化・ロボット化拠点の多くが、
「24時間フル稼働でメリーさん人形を増産するため」
に投資されていることが判明しました。
『エンタメ界・AI分野への進出 』
エンターテインメント業界でもその勢いは止まりません。
キャラクターグッズやコスプレ市場を独占するにとどまらず、AI技術を駆使した
「4次元アイドル・メリー」
が世界的ヒットを記録。
日本国内でのアニメ化決定に加え、NetflixおよびAmazonプライムビデオでの実写ドラマシリーズの制作が発表されました。
『飛び交う不穏な噂と都市伝説』
その一方で、インターネット上では不気味な噂も広がっています。
「メリーさん人形が人間の魂を集めている」「人形からの電話に応答すると闇バイトに勧誘される」
「現在世界を支配している最新AIの正体は、メリーさんそのものである」——
といった都市伝説的な説が後を絶ちません。
世界経済を動かし、人々の暮らしに浸透していくメリーさん人形。 彼女たちは一体どこへ向かっているのでしょうか。
以上、集灯町ニュースでした。




