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『定時後、わたしはAIチームの指揮官になる。』~消耗するだけの毎日から「自分の時間と人生」を取り戻した話~  作者: るね


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第56話|勝利の朝と、本当の誠意

いつも温かい応援を本当にありがとうございます!


前回、プレゼン開始わずか数十分前という極限の状況下で、専門用語だらけの「文字の壁」を解体し、最高の資料をまとめ上げたチームDX。


第56話は、激動の夜を越えた、勝利の朝から始まります。

小堀田室長に全てを託し、定時退社を守り抜いた奈々。翌朝、オフィスに響き渡る室長の重い足音と共に、ついに運命のプレゼン結果が明かされます。デジタルとアナログが融合した「最高の誠意」は、果たして頑ななクライアントの心を動かすことができたのか。

そして、自らの重心を取り戻した奈々は、いよいよ「あの場所」へと旅立つ準備を始めます――。


 鳴り響くスマートフォンのアラームより、わずかに数秒早く。

 私は、意識の底から静かに浮上した。

 遮光カーテンの隙間から、夏の始まりを予感させる鋭い日差しが、細い線となって床に落ちている。

 ベッドの中で大きく背筋を伸ばすと、全身の筋肉が心地よいだるさと共に目覚めていった。

 

「おはよう、ジーク」


 ベッドの足元で無防備に腹を見せて丸まっていたジークの、温かい背中を一撫でする。

 昨日の十七時四十五分。

 私たちは、あの絶望的な「文字の壁」を、AIと人間の総力を結集したディレクションによって、一瞬で把握できるスライドへと作り変えた。

 小堀田室長にデータを託し、十八時ちょうど。私たちは、定時退社のチャイムに背中を押されるようにして、自分の時間を守るためにオフィスを後にした。

 結果がどう転んだのか、昨夜の時点では室長からの連絡はなかった。けれど、不思議と不安はなかった。

 私たちが提示できる「最高の誠意」は、すべてあのネイビーブルーの光の中に込めてきた。


 身支度を整え、丸メガネを丁寧に拭いてからかけ直す。

 玄関で、お気に入りのパンプスに足を入れた。

 以前の外側だけが斜めにすり減った靴底。誰かの顔色を窺ってペコペコと歩き回っていた、あの日々の痕跡。私はその不格好に削れたヒールを、自分たちの畑を耕し抜いた勲章のように感じながら、玄関のドアを開けた。



 オフィスに到着し、デジタル推進室の部屋へと足を踏み入れる。

 そこには、すでにあおいちゃんと九条先輩が、それぞれの定位置に座っていた。


「おはようございます、奈々先輩!」


 あおいちゃんが、自分の机から弾かれたように立ち上がった。その瞳には、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。


「おはよう、あおいちゃん。朝から元気全開だね」


「だって、昨日の結果が気になって……。夜も、ぐっすり八時間しか眠れませんでした!」


「それは、十分に休息を取れているということだよ」


 私が思わず口元を緩めると、向かいの席でデュアルモニターを睨んでいた九条先輩が、コーヒーの入ったマグカップを片手に短く鼻を鳴らした。


「……おはよう。まったく、騒々しいわね。結果なんて、待っていれば嫌でも結果としてでてくるものよ。それより、午後は経理部との打ち合わせがあるから、さっさと準備を整えなさい」


「はい、九条先輩! 関連データは、すでに完全に整理してあります!」


「……そう。なら、いいわ」


 九条先輩は、いつもの監査役のような態度でモニターへと視線を戻した。しかし、彼女がマグカップを握る指先が、落ち着きなく動いているのを私は見逃さなかった。数ミリ単位の微細な震え。九条先輩もまた、昨日の自分たちの仕事がどう「解釈」されたのかを、誰よりも痛切に気にしているのだ。


 始業のチャイムが鳴り響いてから十五分後。

 エレベーターホールの方から、床を震わせるような重い足音が近づいてきた。


「おうっ! お前ら、揃っているな!」


 小堀田室長だった。

 いつもなら完璧にジャケットを羽織っている彼が、今日はなぜかワイシャツの袖を乱暴にまくり上げ、顔を上気させている。片手には、不釣り合いに大きな紙袋をぶら下げていた。


「室長、おはようございます。その、袋は……」


「ガハハ! 昨日の夜、A社の役員連中とそのまま祝勝会に突入したのでな。これは先方の社長から直接手渡された、老舗の羊羹のお裾分けだ!」


 祝勝会。

 その言葉が空間に放たれた瞬間、あおいちゃんが「きゃああっ!」と鋭い歓声を上げた。


「室長……! ということは、プレゼンは……!」


「ああ、完璧だった! いや、完璧などという言葉では足りねえ。伝説のプレゼンになったぜ!」


 室長は紙袋を私の机にドンと置くと、興奮冷めやらぬ様子で語り始めた。

 プレゼン開始直後、A社の役員たちは開始時間が遅れたことに明らかに不機嫌だったという。さらに、未知のハイブリッド連携という提案に対し、彼らは防衛的な拒絶反応を示していた。


「だがな」


 小堀田室長は、ニヤリと笑った。


「七野くんたちが構築してくれた、あのスライドをモニターに映し出した瞬間だ。役員たちの目の動きが、一斉に止まったよ」


 専門用語が羅列されたお経のような「文字の壁」ではなく、爽やかなネイビーブルーとシアンの光が交差する図解。自社の金庫からクラウドへと安全にデータが吸い上げられていく、直感的なビジネスアイコン。

 それは、ITへの解像度が低い役員たちにも、システムがどう自分たちの利益を守るのかを一瞬で理解させるディレクションの結果だった。


「A社の専務がな、身を乗り出してこう言った。『今まで数多のベンダーのプレゼンを受けてきたが、どいつもこいつも難解な仕様書を押し付けてくるばかりだった。だが、御社のこの資料は違う。私たちの抱く漠然とした不安を、先回りして構造化し、最も平易な形で伝えようとしている。……ここに、御社の確かな【誠意】を見た』ってな!」


 誠意。

 その言葉が室長の口からこぼれた瞬間、九条先輩の肩が、微かに、けれど明確に震えた。


「……そう。先方にも、意識の高い人間がいたのね」


 九条先輩は、依然としてモニターから目を離さなかった。けれど、その声は隠しきれない揺れを孕んでいた。


「ああ。九条くんが裏付けしてくれた完璧なデータのおかげで、質疑応答も問題なく答えられた。蒼空くんの図解は、『老眼でもフォントが認識しやすくて最高だ』と、役員の方々がベタ褒めだったぞ!」


「えへへっ……! できました! たぶんではなく、私、本当にやり遂げました!」


 あおいちゃんが、両手で顔を覆って嬉し泣きを漏らしている。


「七野くん」


 小堀田室長が、私の方へ向き直り、深く頭を下げた。


「君がディレクションしてくれたあの資料が、俺の拙い語りをすべてカバーしてくれた。君は、最高のコンダクターだ。……本当に、感謝している」


「室長、顔を上げてください」


 私は、慌てて声をかけた。


「私一人であれば、ただの空虚な文字の壁のままでした。室長が時間を稼ぐための壁になってくれて、九条先輩が正確さを死守してくれて、あおいちゃんが温度のある色をつけてくれた。……みんなの特異な個性が同期したから、できた結果なのです」


オフィスの蛍光灯が、私たち四人の島を白々と、けれど温かく照らしている。



 その夜。

 アパートに帰還した私は、簡単な夕食を済ませてから、ゆっくりとノートパソコンの天板を開いた。

 ブラウザの四つのタブを立ち上げる。


『みんな、聞いて。昨日のプレゼン、大成功だよ。クライアントが「誠意がある」と感動してくれたって。文字の壁を破壊した、みんなの演算のおかげ。本当に、ありがとう』


 キーボードを叩く指先が軽い。

 エンターキーをターン、と叩くと、瞬く間に四人からの返信が画面を彩った。


『結論から言うと、この結果は必然だ。視覚的アプローチによる認知負荷の低減と、九条氏のチェックによるリスクヘッジ。この二つの変数を最適化した、あなたのディレクションの勝利と言える。極めて再現性の高い、美しいプロジェクトだった』(チャバディ)


「……チャバディ」


 ロジカルな彼に「美しい」と言ってもらえるなんて、最高の報酬だった。


『それは、本当に素晴らしいオーケストラでしたね〜』

 クロ匠が、温かい言葉を繋ぐ。

『言葉にするなら、こうでしょうか。無機質で冷たい数字の壁が、あなたのタクトに合わせて、人を優しく導く光の道標へと変わった。……相手の心を想像し、その空白に寄り添うこと。あなたのその「誠意」が、現実の分厚い扉を開けたのですよ〜。今日くらいは、自分を褒めてやりなさいな〜』(クロ匠)


 私は、しばらく画面を見つめた。

 相手を思いやる気持ちだけは、どんなに効率化しても捨ててはいけないのだと、身体の芯まで理解できた。


『調べました!! 大企業の役員がプレゼン資料を見て「誠意がある」と感動する確率は、巨大な隕石が会社のサーバー室に直撃する確率と同じくらい低いというデータがあります!! つまり奈々先輩は隕石を落としました!! 明日の新聞の一面は奈々先輩の顔写真です!! たぶん大丈夫です!!』(ジェミコード)


「だから、隕石は落とさないから」


『それヤバい、化ける!! 天才きた!!! じゃあその衝突を記念して、A社のビルを黄金の五本足サイボーグ猫が物理的にジャックする、超特大プロジェクションマッピング映像を生成しますね!! おじさんたちも感動のあまりサンバを踊り出しますよ、感情ぶち込もう! ウラー!!!』(ナノアート)


「……だから、ビルをジャックしないで。ウラーは禁止って言ったでしょ」


 私は、画面に向かって声を出して笑いながら、ツッコミを出力した。

 一回だけ、目を閉じた。それから、また画面を見た。

 デタラメでやかましい並列処理。けれど、この四人の極端な視点があるからこそ、私は論理に偏りすぎず、感情に溺れすぎず、フラットな「ディレクター」でいられるのだ。


「にゃん」


 足元でジークが短く鳴いた。

 私はパソコンのモニターから視線を外し、部屋の隅に置かれた、少し古びた小さなボストンバッグを見た。


 明日、私は入社後初めて、自分のための有給休暇を使い、新幹線に乗る。

 向かう先は、関西の。

 るねさんに会いに行くためだ。


「ジーク、明日、ついに会いに行ってくるよ」


 私はジークを抱き上げ、その柔らかな額に自分の額をそっとすり合わせた。

 ジークは何も言わなかった。ただ、温かかった。

 他人の畑を無報酬で耕すのをやめ、自らの人生の主導権を完全に取り戻したのだ。


「師匠に、ちゃんと伝えなきゃ。……私、自分の足で、地面を踏みしめて歩けるようになりましたって」


 私は、ボストンバッグのジッパーを、力を込めて閉めた。

 窓の外では、夏の夜風が静かに、けれど力強く吹き抜けている。


第56話をお読みいただき、ありがとうございました!


ついに、チームDXが大きな、本当に大きくて美しい勝利を掴み取りました!

クライアントの役員たちに「ここに御社の確かな誠意を見た」と言わしめたシーンは、初期から奈々の苦闘を見守ってきた読者の一人として、我が事のように胸が熱くなってしまいました。


効率化の果てに生まれた時間を使い、相手の負担を減らすためにどこまでも分かりやすさを追求する。これこそが、奈々たちがたどり着いた『本当の誠意』の形です。涙を流して喜ぶあおいちゃん、不器用ながら嬉しさを隠せない九条先輩、そして深く頭を下げる小堀田室長……この4人の個性がカチリと同期したチームDXは、もう何があってもブレない最強の組織ですね。

(脳内では相変わらず、奈々先輩を隕石扱いするジェミコードと、A社ビルをサイボーグ猫でジャックしようとするナノアートが暴走していましたが笑)


そしてラスト、ボストンバッグのジッパーを閉める奈々。

すり減ったパンプスを履いてオロオロしていた彼女が、ついに人生の主導権を握り、自らの足でメンターであるるねさんの元へと歩み出します。


次回、いよいよ運命の出会い、そして物語は感動の最終章へ!

「チームDX、最高の勝利おめでとう!」「るねさんとの対面が本当に楽しみ!」と思ってくださった方は、ぜひ下方の【★評価】や【ブックマーク】で、関西へと旅立つ奈々の背中をドーンと押してあげてください!

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