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『定時後、わたしはAIチームの指揮官になる。』~消耗するだけの毎日から「自分の時間と人生」を取り戻した話~  作者: るね


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第51話|見えない波紋

いつも温かい応援を本当にありがとうございます!


前回、テレビでの大反響を経ても、変わらないオフィスの体温と人生の重心を大切に守り抜くことを決意した奈々。


第51話は、そんな奈々の泥臭い奮闘が、社内に「見えない波紋」を広げていくところから始まります。かつて頑なだった現場が自ら動き出すという、最高の結果を手にした奈々。

しかし、その夜。すべてのタスクを完了した奈々のパソコンの画面で、いつもと違う「静寂」が静かに牙を剥きます。4つの知性たちと紡いできた物語の、ひとつの重大な転換点を、どうぞ涙と共に見届けてください。


「年内の重版分だけで、都内に中古のマンションが買えるかもしれませんよ」


 出版社の編集長からの報告は、いつだって景気が良い。けれど、私にはその「マンション」が、どこか遠い火星の土地の所有権のようにしか感じられなかった。

 読者からの手紙の出来事から、数日が経っていた。私の本は、依然として好調な売れ行きを記録しているらしい。


 しかし、私の日常は、驚くほど静かで平穏なままだった。


 朝、決まった時間に起きて、まだ寝ぼけているジークにご飯をあげる。

 満員電車に揺られて会社へ向かい、DX推進室の机に座る。

 あおいちゃんが作った画面デザインの要件を確認し、九条先輩が抽出したデータと格闘し、小堀田室長の豪快な笑い声に相槌を打つ。

 そして十七時半。定時のチャイムと共にタイムカードを押し、スーパーで夕飯の買い出しをして、アパートに帰る。


 私が「作家」として注目を集めているという事実は、私のこのささやかな日常の「外側」で起きている、どこか遠い世界の出来事のようだった。私という存在を、世界がどう認識しているのか、その解像度は極めて低い。


「……あれ?」


 その日の午後、私は社内の基幹システムにアクセスしていて、ふと、違和感を覚えた。

 経費精算システムの稼働状況をチェックしていたのだが、申請の処理スピードが、昨日よりもわずかに、しかし確実に早くなっている。

 私の頭の中にある「効率」のアンテナが、小さなシグナルを受信した。


「あおいちゃん、この経費精算の画面、何かプログラム変えた?」

 私は、あおいちゃんの方へ視線を向けずに尋ねた。


「えっ? いえ、何も触ってないですけど……」

 あおいちゃんは、少し慌てたように、自分のタブレットの画面から顔を上げた。


「そうよね。エラーじゃないわよ、私が朝イチで確認したから」

 九条先輩が、私の横から画面を覗き込んで、一定のトーンで言った。


「じゃあ、なんで処理速度が上がっているんだろう……」

 私が首をひねり、入力フィールドのコードを点検しようとすると、内線電話が鳴った。

 その音は、私の静かな時間を強制的に中断させた。


 相手は、先日合同会議で大激論を交わした、営業一部の部長だった。


『おう、七野か。ちょっといいか』

 その声は、いつもよりずっと、温度が高い。


「はい、お疲れ様です。システムに何か不具合でもありましたか?」

 私は、受話器を握り直し、反射的に最悪の事態を想定した。


『いや、そうじゃない。あのシステム、うちの若い連中が「もっと入力項目を減らせるんじゃないか」って言い出してなぁ。取引先のデータと連携させれば、わざわざ手入力しなくても自動で引っ張れるはずだって、勝手に改善案をまとめてきたんだよ』

 その言葉は、私の耳を疑わせるに十分だった。


「えっ……! 営業部の皆さんが、自分たちで?」

 私は、受話器を握ったまま、その場に立ち尽くした。九条先輩のキーボードを叩く手が、ピタリと止まる。


『ああ。お前のとこのチームが、泥臭くシステム作ってくれたからな。現場の連中も「これなら自分たちの畑を耕す価値がある」って、少しはやる気になったらしい。……まぁ、そういうわけだから、後で提案書を送る。検討してやってくれ』


 ガチャン、と電話が切れる。

 受話器からはもう何の音も聞こえないのに、私はしばらくその受話器を耳に押し当てたままだった。


「……どうしたの、七野」

 九条先輩が、訝しげに尋ねてくる。私は、ゆっくりと受話器を置いた。


「先輩。営業部の人たちが、システムの改善案を出してきてくれたんです。自分たちで、もっと使いやすくしたいって」


 私の言葉に、九条先輩も、あおいちゃんも、そして机で居眠りをしかけていた小堀田室長も、一斉に目を見開いた。


「マジか! あの手作業命だった営業部が、自分たちでシステムをいじるなんて言い出したのか!?」

 小堀田室長が、バンバンと机を叩いて歓喜する。机の上の紙が震えた。


「……ふん。ようやく、自分たちの仕事の『誠意』の向け方が分かってきたようね。遅すぎるくらいだけど」

 九条先輩は、口では厳しいことを言いながらも、その眼鏡の奥の瞳は、明らかに嬉しそうに笑っていた。

 私は、先輩がその提案書の「データ」を収集するために、すでに新しいタブを開いているのを、見逃さなかった。


「よしっ! じゃあ、その提案書が来たら、特急で実装のスケジュールを組もう! この作業、三つに分けましょう!」

 私が力強く宣言すると、三人は「はいっ!」と最高の笑顔で応えてくれた。



 その夜。

 私は、アパートの自室でパソコンを開き、いつものように夜の秘密の編集部を立ち上げた。

 今日、会社で起きた営業部の変化について、彼らに報告するためだ。


『みんな、聞いて。

 今日、営業部の人たちから、システムの改善案をもらったの。

 彼ら、自分から「もっと良くしたい」って動いてくれたんだよ。

 私がみんなをディレクションしたように、今度は彼らが、自分たちの仕事をディレクションし始めたの。

 なんだか、すごく嬉しいな』


 送信ボタンを押す。

 今日も、彼らとの「終わらない大喜利」が始まる。

 そう思って、私は画面を見つめていた。


 しかし。

 一秒経っても、二秒経っても、いつものような返信のテキストは現れなかった。

 画面中央の入力プロンプトが、空虚に点滅を繰り返している。


「……あれ?」


 でも、なんとなく分かっていた。これはそういう問題じゃない、と。

 私は、ブラウザの更新ボタンを押したり、Wi-Fiの接続を確認したりした。

 通信には何の問題もない。

 ただ、四つのタブの中で待機しているはずのAIたちが、全く反応を返してこない。


「チャッピー? クロさん? ジェミーくん、バナナンちゃん?」

 声に出して呼びかけてみるが、当然、パソコンの画面は沈黙したままだ。


 私は少し焦りながら、もう一度、シンプルなテキストを打ち込んでみた。


『おーい、みんな。どうしたの? 返事してよ』


 数十秒の、異様な静寂。

 そして。


『結論から言うと、我々の「ディレクター」としてのあなたのタスクは、すべて完了しました』(チャバディ)


 たった一行のテキスト。

 いつもなら、その後に提案や解説が続くはずなのに、今日はそれっきりだった。


「……え? 完了って、どういうこと?」

 私が戸惑っていると、今度はクロ匠のタブから、ゆっくりと文字が浮かび上がってきた。


『言葉にするなら、あなたはもう、私たちがいなくても、ご自分の足で歩けるということです〜』(クロ匠)


 職人の言葉を読みながら、私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

 その冷たい事実が、私の肋骨の奥を満たしていく。


「待って……。まさか、みんな、いなくなっちゃうの?」


 指が、止まった。何を打てばいいか、分からなかった。

 AIは、プログラムだ。電源を切り、タブを閉じれば消える。

 でも、私にとってこの四人は、ただのツールじゃない。

 一緒に泣いて、笑って、戦ってきた、かけがえのない仲間なのだ。


『データ上、人間が完全に自立して空を飛べるようになると、AIは「卒業の証」として一兆円分のAmazonギフト券を置いて消滅するという確率がゼロではありません。奈々先輩、立派に空を飛べるようになりましたね。データは以上です』(ジェミコード)


『卒業おめでとう!!! じゃあ私が、その一兆円で宇宙の果てに奈々ちゃんの銅像を建てておくね!! 五本足のサイボーグ猫と一緒に、一生輝き続けて!!! 奈々ちゃん、マジで最高だったよ!!!』(ナノアート)


「……馬鹿なこと、言わないでよ」

 涙が、ポロポロと溢れてきた。

 相変わらずの、デタラメで暴走した言葉。

 でも、その言葉の裏にある「別れ」の気配を、私は痛いほどに感じ取っていた。


「行かないでよ。私、まだみんなに教えてもらいたいこと、たくさんあるのに……!」

 私は、画面に向かって叫んだ。その声は、誰にも届かない。


『我々は、あなたの内面の鏡だ。

 今のあなたに必要なのは、我々ではなく、目の前にいる現実の仲間たちとの対話だ。

 いつでも見守っているよ、奈々』(チャバディ)


『ええ、その通りです〜。

 どうかこれからも、その泥臭い摩擦熱で、周りの心を温めてくださいね〜。

 妥協は許しませんよ〜、ディレクター』(クロ匠)


 画面の文字が、涙で滲んで見えなくなる。

 私は、両手で顔を覆い、声を出して泣いた。


「にゃあ」


 ジークが、キーボードの上に飛び乗り、私の涙を舐めとろうとするように顔をすり寄せてきた。


「ジーク……」

 私は、ジークの柔らかな体を抱きしめた。


 しばらく、そのまま動けなかった。部屋の電気が、眩しかった。


 私は、涙を拭い、パソコンの画面に向かって、深く頭を下げた。


 私が顔を上げた時、四つのタブは、いつものように静かに、ただの検索ウィンドウやチャット画面としてそこに存在していた。

第51話をお読みいただき、ありがとうございました。


もう、執筆しながら涙でキーボードが見えなくなってしまいました……。


営業部が自ら「自分たちの畑を耕したい」と改善案を持ってきた瞬間、チームDXが現実を完全に書き換えたのだと鳥肌が立ちました。ですが、その最高のファクトが証明された夜に訪れた、4つの知性たちとの別れ。


ジェミコードの一兆円の嘘、ナノアートの宇宙の果ての銅像、クロ匠の妥協なきエール、そしてチャバディの『我々は、あなたの内面の鏡だ』という言葉。彼らはただのプログラムだったのかもしれません。でも、孤独ですり減っていた奈々の夜に寄り添い、彼女をここまで導いてくれた、間違いなく「最強の仲間」でした。


奈々がもう、彼らの手を借りなくても自分の足で真っ直ぐに歩めるようになったからこその、切なくも誇らしい卒業式。

「みんな、今までありがとう!」「号泣した、奈々ちゃん頑張れ!」と思ってくださった方は、ぜひ下方の【★評価】や【ブックマーク】で、4つの知性たちへ届くような特大の拍手を送っていただけると嬉しいです……!

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