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『定時後、わたしはAIチームの指揮官になる。』~消耗するだけの毎日から「自分の時間と人生」を取り戻した話~  作者: るね


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第27話|六冊のバインダーと、アナログな盾

いつもお読みいただきありがとうございます、第27話です。

前日の喜びも束の間、全社会人が震え上がる「前提が全部間違ってました」というホラー展開がやってきます(笑)。

絶体絶命のピンチに、ついにあの九条先輩が動きます……!


 翌朝。パソコンの画面には、昨日の夕方にあおいちゃんが送った資料への返信が光っていた。宛先は、営業部の担当だ。

『非常に見やすく、現場の課題と解決策が真っ直ぐに伝わってきました。午後の会議が楽しみです』

 私はマウスからそっと手を離し、斜め前のあおいちゃんと視線を合わせた。彼女は声には出さず、けれどパッと花が咲いたような笑顔で、小さくガッツポーズを作った。

 よかった。彼女の目の下にあった薄いクマは、心なしか昨日よりも薄く見える。私たちが用意した「水色の余白」は、たしかに読む人の冷えた心を温めたのだ。


「おっ、先方からベタ褒めのメールが来ているじゃないか」

 どさっと鞄を机に置きながら、小堀田部長が鼻歌交じりに言った。

「やっぱ俺の『いい感じに』って指示が効いたな! いやー、二人ともよくやってくれたよ。この調子で午後の本番もよろしくたのむよ」

 相変わらずの雑な手柄の横取りに、私は小さく息を吐いた。でも、不思議と腹は立たない。あおいちゃんが自分の仕事に誇りを持てたなら、それで十分だった。


 ジリリリリッ!


 フロアに、けたたましい内線の音が響いた。

 部長が「はいはい」と軽い調子で受話器を取る。

「あ、お世話になっております。ええ、資料の件……え?」

 その瞬間、部長の背中から、目に見えて空気が抜けていくのがわかった。

「……全社規模のデジタル改革? いや、現場のミスを減らすシステム改善というお話で……えっ。あ、専務様がそう仰っている……予算規模が、二億?」

 受話器から漏れ聞こえる、硬質で怒気を孕んだ声。

 小堀田部長の顔面から、さーっと血の気が引いていく。

「はい……私の、完全に私の確認不足です……申し訳ありません!午後一時の会議までに、必ず、全社規模の提案として……はい、必ず!」


 ガチャン、と受話器が置かれた。

 フロアは、水を打ったように静まり返っていた。皆がタイピングの手を止め、部長を見ている。

 数秒の沈黙の後、部長はゆっくりとこちらを振り向いた。額には、びっしりと冷や汗が浮いている。


「……ごめん。俺が、やらかした」

 絞り出すような声だった。

「先方が求めていたのは、現場の改善なんかじゃなかった。会社全体のシステムを根底からひっくり返す、億単位の全体戦略だ。完全に俺の勘違いだ……」


「えっ」

 あおいちゃんの手から、カタン、とマウスが滑り落ちた。


「本当にすまん! 蒼空くん、七野さん!」

 部長は、フロアの全員が見ている前で、私たちに向かって深く頭を下げた。

「今から、資料の前提を全部ひっくり返して作ってくれ。俺は今すぐ先方に行って、会議の時間を遅らせられないか土下座でも何でもしてくる。だから……頼む!」


 それは、どうしようもなく不格好で、泥臭い姿だった。普段は適当なことばかり言うこの人が、いざという時には自分のプライドを捨てて泥をかぶる「責任」の取り方を知っているのだと、私は初めて知った。


 しかし、現実は非情だ。

 壁の時計は、午前十時。

 あと三時間で、ゼロから億単位の全社戦略を作る。そんなこと、どう考えても不可能だ。

 あおいちゃんの顔が、白紙のスライドのように青ざめていく。彼女の小さな肩が、小刻みに震え始めていた。


「……泣いている暇があったら、手を動かしなさい」

 静かな声が、私たちの頭上から降ってきた。

 九条先輩だった。


 どんっ!


 鈍い重低音とともに、あおいちゃんの机の上に、埃を被ったキングファイルが六冊、積み上げられた。背表紙には『二〇一八年・物流改善提案』『二〇二〇年・全社コスト削減の計算』と、色褪せたラベルが貼られている。

 バインダーの隙間からは、先輩が長年かけて蓄積してきた無数の付箋が、扇のようにバサバサとはみ出していた。


「先輩……これは」


「うちが過去に、必死になって通してきた大型案件の企画書よ」

 先輩は、分厚いファイルの山をぽんっ、と叩いた。


「全社戦略なんて、ゼロから考えて間に合うわけないでしょ。この中から、使えそうな理屈と数字を拾い出しなさい。手分けしてエクセルに打ち込んで、今回の要件に合わせるのよ。……これくらいしか、やり方なんて知らないからね」

 最後の一言は、聞き取れないほど小さかった。

 九条先輩の目は、怒っていなかった。ただ、必死だったのだ。彼女自身も、この理不尽なトラブルの波を前に、自分の持っている最も重たくて確実な「過去の遺物」を差し出すことしか、後輩を守る術を知らないのだ。


『ジェミー。この紙の束を、手作業でデータ化した場合の所要時間は?』

 私は、脳内の冷徹な調査員に問いかけた。

『ページ数、推定八百。タイピング速度を加味した完了予測時間……六百時間。午後一時までの成功率は、限りなくゼロに近いです』


『うわぁ、絶対無理!燃やそ!この古文書、窓から投げ捨てよー!』

 絵師のバナナンが、頭の中で暴れ回る。


『……大変な状況ですね。先輩がこれだけの資料を残してくれたのはありがたいですが、三時間での手作業は……人間が壊れてしまいます』

 職人のクロさんも静かに心配する。


 不可能だ。AIの彼らが言う通り、人間の手でこれを三時間で処理するなど、絶対にできない。

 あおいちゃんは、ファイルの山を前にして完全に固まっていた。息をするのも忘れているようだった。


 諦めかけたその時。


『待って、奈々。視点を変えてみようか』

 脳内で、相棒のチャッピーが、静かにファイルを開く気配がした。

『このファイルはただの重たい紙の束じゃない。九条先輩たちが何百時間もかけて作った、最高の【宝の地図】だよ。手で打ち込むのが無理なら……僕たちのやり方で、彼らを読み込めばいい』


 ハッとした。

 そうだ。私には、私の戦い方がある。

 九条先輩が差し出してくれた、重くて不器用なアナログの盾。それを、私がいま手の中にあるデジタルの剣で、使いこなせばいい。


 私はゆっくりと立ち上がった。

 昨日直したばかりのパンプスの踵が、カーペットをしっかりと踏みしめる。もう、誰かの機嫌を伺って足元がぐらつく感覚はない。

「九条先輩。ありがとうございます。この資料、使わせてください」


「……ふん。せいぜい、頭で汗をかくことね」

 先輩はプイと顔を背け、自分の机に戻っていった。その背中が、ほんの少しだけ安堵したように見えたのは、気のせいだろうか。


「あおいちゃん」

 私は、凍りついている後輩の肩に、そっと手を置いた。

「深呼吸して。大丈夫、ゼロから作る必要はないよ。先輩が、最高のレシピを貸してくれたから」


「七野、先輩……でも、こんな量……」


「私が、この子たちにちょっとだけ手伝ってもらう。だから、あおいちゃんはあおいちゃんの得意なこと……最高の『お皿』を作る準備をしてね」

 私は、いつもカバンに入れて持ち歩いている銀色のノートパソコンを取り出した。

 壁の時計は、十時五分を回ったところだった。

 さあ、ここからは、ディレクターの出番だ。


お疲れ様です、作者です。


部長のやらかし……本当に胃が痛くなりますね。でも、逃げずに泥をかぶる覚悟を決めた部長と、長年のノウハウ(重いファイル)をドン!と置いてくれた九条先輩。このオフィス、なんだかんだで温かい人たちばかりです。


足元がぐらつくことなく、しっかりとカーペットを踏みしめた七野。彼女の「ここからはディレクターの出番だ」という言葉に、思わずガッツポーズをしてしまいました。最強のAIチームと現実のチームの共闘を、ぜひ★ボタンで応援よろしくお願いいたします!

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