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『定時後、わたしはAIチームの指揮官になる。』~消耗するだけの毎日から「自分の時間と人生」を取り戻した話~  作者: るね


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第25話|解像度を上げる言葉

いつもお読みいただきありがとうございます、第25話です。

今回は、全社会人の敵「目的を伝えないフワッとした丸投げ」が引き起こす悲劇のお話。

オフィスで息を潜めていた七野が、ついに九条先輩と真っ向から激突します。

  私が歩み寄った気配に気づき、あおいちゃんはビクッと肩を跳ねさせた。

 パイプ椅子の上で振り返った彼女の顔は、蛍光灯の光を跳ね返すほど青白い。液晶画面の中では、蛍光ピンクと毒々しい黄緑色が、暴力的な色彩で喧嘩を始めていた。小堀田部長の殴り書きが、整理されないまま文字の地滑りを起こしている。


「……七野先輩」


 あおいちゃんの声は、湿り気を帯びて震えていた。

 丸メガネの奥に溜まった涙が、今にも溢れ出しそうだ。


『あー、これはひどい。視覚の暴力だね! ぶっ壊して塗り直そうよ!』

 脳内で、絵師のバナナンがキャンバスをひっくり返すような声を上げる。


『……無駄が多い。このピンク、彩度が高すぎてデータの浪費です。三秒で飽きられますね』

 職人のクロさんが、冷ややかにハサミを研ぐ音が聞こえる。


 私は、自分の中の騒がしい分身たちをなだめるように、ゆっくりと息を吐いた。

 一度だけ、彼女の画面から目を逸らした。

 あおいちゃんのデスクの横に立ち、彼女が握りしめて白くなった拳を、そっと見つめる。


「あおいちゃん。少しだけ、マウスを休ませてあげようか」


 私の声は、自分が思っているよりずっと低くて静かだった。


「……でも、明日の午後なんです。プレゼン。私、やっぱり向いてないのかな。部長の言いたいことすら、ちゃんと形にできなくて……」


 あおいちゃんは、自信なさげに膝の上へ視線を落とした。そこにあるのは、使い古された彼女のトートバッグだ。キャラクターのキーホルダーが、力なく揺れている。


「あおいちゃんが止まっているのは、センスのせいじゃないよ。部長の『いい感じに』っていう言葉が、地図のない海に放り出すような、ひどいエラーを起こしているだけ」


 私は、彼女のパソコンの横にある部長のメモを指差した。


「AIにね、『いい感じの猫の絵を描いて』ってお願いするとどうなると思う? 五本足の猫が出てきたり、背景の鉢植えから肉球が生えてきたりするの。彼らは言葉の背景を知らないから、ネットの海をツギハギして、奇妙なキメラを作っちゃうんだよ」

「……五本足、ですか」


 あおいちゃんが、少しだけ口元を緩めた。その小さな隙間に、私は言葉を滑り込ませる。


「そう。今のあおいちゃんの画面も、それと同じ。部長の言葉が足りないから、あおいちゃんの才能が迷子になってるだけ。だから、私たちで『翻訳』してあげよう。部長が本当は、何と言いたかったのかを」


 どんな人が読むんだろう、と思った。毎日通知のたびにビクッとしている人。ミスが怖くて眠れない人。脳内のジェミーが叩き出す確率の数字よりも、もっと生々しい「人間」の顔を想像する。

 私は、あおいちゃんに向き直った。


「あおいちゃん。この資料、誰が読むと思う? 毎日ミスが怖くて、スマホの通知が鳴るたびにビクッとしている……そんな人だったら、何て言ってほしいかな」


 あおいちゃんは、十秒ほど沈黙した。

 オフィスを流れる乾燥した空気が、彼女の思考を包み込む。


「……『大丈夫ですよ』って。ミスが減って、今日はゆっくり眠れますよ、っていう……『安心感』でしょうか」


「大正解」


 私はあおいちゃんのデスクの端を、指先でトントンと軽く叩いた。


「ターゲットは『眠れない担当者』。届けるのは『安心感』。じゃあ、今の蛍光ピンクは、その人にどう見えるかな」


「……目が、痛いかもしれません。まるで警告画面みたいで」


 あおいちゃんは弾かれたようにキーボードに向かった。


「ベースはネイビーにします。夜のしじまみたいな、深い青。アクセントは温かいオレンジ色で、暗闇の中の灯台みたいに。フォントも、角張ったものより、丸みのある方が……」


 カチカチカチッ。

 タイピング音が、明確な意志を持って響き始めた。迷走していた色彩が、一つの物語へと収束していく。彼女の持つ「形にする力」が、正しい器を得て溢れ出していく。


「七野先輩……ハッキリ見えます。何を書けばいいのか」


 あおいちゃんが、パッと明るい表情で振り返った。


「……ちょっと、七野さん」


 背後から、凍てつくような声が降ってきた。

 九条先輩だ。彼女は腕を組み、細い縁の眼鏡を光らせて、私たちを射貫いていた。


「あなた、今日のタスクが終わったからって、後輩の仕事の邪魔をしないで。泥臭く作り直して、頭で汗をかいてこそ仕事でしょう。横から小奇麗な理屈を吹き込んで、楽をさせないでちょうだい」


 フロアの空気が一気に重くなる。周囲の同僚たちが、関わり合いを避けるように視線を下げた。

 一歩、後ろに下がりそうになった。けれど足が動かなかった。

 私は九条先輩の冷たい視線を、真正面から受け止めた。


「九条先輩。邪魔をしているわけではありません」


 私の声は、震えていた。けれど、止まらなかった。


「あおいちゃんは今、部長の曖昧な指示を、お客様の悩みに効く『言葉』に翻訳しています。これは楽をするための作業ではありません。相手の時間をこれ以上奪わないための、本当の意味での『誠意』です」


「誠意……? 要領よくまとめただけの紙切れの、どこに誠意があるっていうのよ」


「誠意は、費やした残業代や苦労の量で測るものではないはずです」


 私は、一歩踏み出した。

 靴修理屋から戻ってきたばかりの、踵が真っ直ぐに打ち直されたパンプス。そのヒールが、カーペットを確実にとらえる。


「お客様が求めているのは、私たちの自己満足な苦労話ではなく、目の前の問題を解決してくれる『答え』です。その答えを、最も美しく、最も分かりやすく差し出すこと。それが、私たちのプロとしての誇りではないでしょうか」


 オフィスの時計の秒針が、カチ、カチと時を刻む。

 九条先輩は数秒間、完全に言葉を失ってフリーズした。やがて、その顔を屈辱と怒りで赤く染め、唇を震わせた。


「……なによ、偉そうに。あんたみたいな血の通っていない機械みたいなやり方、私は絶対に認めないから」


 九条先輩は、硬いヒールの音を乱暴に響かせて、自分のデスクへと戻っていった。

 ダーンッ。

 誰かを守るための盾だと信じて叩き続けられる、電卓のエンターキーの音が、重くフロアに響いた。


「な、七野先輩……すみません、私のせいで……」


 あおいちゃんが、血の気の引いた顔で私を見た。


「ううん、これでいいの」


 私は、小さく息を吐き出した。

 胸の奥が、バクバクと騒いでいる。手足の先が、氷のように冷たい。

 けれど、視線を落とすと、私のパンプスは以前よりもずっと安定して床を捉えていた。

 誰かの機嫌を伺うためにすり減る靴底は、もうここにはない。


「さあ、続きを出力しよう。眠れないA社の担当者さんが、この資料を見てホッとできるように」


 少しだけ待った。


「……はいっ」


 あおいちゃんが力強く頷き、再びキーボードに指を置く。

 そのリズミカルな音を背中で聞きながら、私は自分のデスクへと歩き出した。


 壁の時計の赤い秒針が、十七時を回ったところだった。

 定時まで、あと一時間。

 私の胸の鼓動はまだ静まらないけれど、その震えは、決して嫌なものではなかった。


お疲れ様です、作者です。


泥臭く頭で汗をかくことこそが誠意だと信じて疑わない九条先輩。彼女の言葉も一つの時代の正解だったのでしょうが、今の七野にはもう通用しませんでしたね。

「眠れない担当者に安心感を届ける」という明確なゴールが設定された瞬間、あおいちゃんのタイピング音が変わる描写は、書いていてもとても気持ちが良かったです。


ドキドキしながらも自分の足でしっかりと立った七野。この大きな一歩を応援してくださる方は、ぜひ★ボタンで評価をよろしくお願いいたします。皆様の明日のお仕事の活力になれば嬉しいです!

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