第24話|迷える後輩と、最悪の丸投げ
いつもお読みいただきありがとうございます、第24話です。
全社会人が震え上がる魔法の言葉、「いい感じにまとめといて」。出ましたね……。
無責任な上司と正解を教えられない先輩の間で板挟みになる後輩を、七野はどう救うのか。ご注目ください。
十四時すぎのオフィスは、薄い膜に覆われたように息苦しい。
並んだモニターの熱と、食後の眠気をカフェインで散らそうとする社員たちの吐息。私は手元のExcelファイルで、午前中にチャッピーと組んで弾き出したデータの最終チェックをしていた。セルの中の数字は、文句も言わず整然と並んでいる。
「あおいちゃん。ちょっといいかな」
静寂を破ったのは、小堀田部長の声だった。
斜め前の席で、入社三年目のあおいちゃんがビクッと肩を跳ねさせる。パイプ椅子が軋む音。
部長は飲みかけのアイスコーヒーを片手に、プリントアウトした束をあおいちゃんのデスクにポンッと置いた。
「明日の午後、新規のクライアントにプレゼンすることになってさ。この前の企画書ベースでいいから、明日の資料、いい感じにまとめといてくれない?」
いい感じ。
このフロアで一番厄介な言葉だ。
あおいちゃんは束と部長の顔を交互に見ながら、困惑したように瞬きをした。
「えっ……明日の午後。この資料で……あの、いい感じというのは、具体的にどの部分を強調すれば」
「んー、先方が『お、わかっているね』ってなるようなやつ。あおいちゃん、デザインとかサクサク作れるよね? 若い感性でパパッと見栄え良くしてよ。方向違ったら俺が先方で頭下げるからさ」
言うだけ言って、部長は足早に去っていく。時計を気にするその背中には、彼なりの焦りがあるのかもしれないが、残された側にとってはただの災害だ。
あおいちゃんは束を抱えたまま、彫像のように固まっていた。
「ちょっと、あおいさん」
今度は、背中側から声が飛んだ。九条先輩だ。
先輩は自分のデスクに積み上げられた過去のファイル山に手を置きながら、眼鏡の奥の細い目で後輩を見据えていた。
「いつまで止まっているの。明日でしょ。手を動かさないと」
「すみません……。でも、正解がわからなくて。どこをどう直せば……」
「正解なんて誰も教えてくれないわよ。お客様の顔を想像して、過去の事例から引っ張り出すしかないじゃない。言われたまま作るだけなら、誰だってできるのよ」
厳しい口調だった。けれど、先輩の指先は、色褪せたキングファイルを神経質になぞっている。自分の手元にある「過去のやり方」に縋らなければ、先輩自身も不安なのだと、三年一緒にいる私にはわかった。
「……はい、やります」
あおいちゃんはパソコンに向かった。
マウスのクリック音が異常に早い。画面を盗み見ると、彼女は一瞬で五つの異なるデザインテンプレートを展開し、フリー素材の配置を試していた。ツールの操作速度は間違いなく天才的だ。
だが、キャンバスに描くべき「目的」がない。
いくら筆が早くても、目的地を教えられずに走らされれば、いずれ足がもつれる。文脈を与えられずにエラーを吐き出すバナナンと同じだ。
私は、自分のマウスのホイールを、意味もなく上下にカラカラと回した。
助け舟を出すべきか。でも、私が口出しして、九条先輩の逆鱗に触れたら? 足元のカバンに眠るノートパソコンなら、チャッピーやジェミーの力を借りて、一瞬で「枠組み」を作れる。
でも、ここは夜の自室じゃない。生身の人間関係が絡み合う、面倒な現実だ。
カタターンッ。
あおいちゃんのエンターキーを叩く音が、悲鳴のように響いた。画面上のスライドは、色が氾濫し、迷走の極みを見せている。彼女の肩が、小刻みに震えていた。
私は、マウスから手を離した。
自分がずっと、浅い呼吸しかしていなかったことに気づく。
ゆっくりと立ち上がる。
昨日、駅前の修理屋から受け取ってきたばかりのパンプス。すり減っていた踵は、今は平らで、しっかりとカーペットを踏みしめている。
この靴なら、少しだけ違う歩き方ができる気がした。
私は、迷路で立ち尽くす後輩の隣へ、一歩を踏み出した。
お疲れ様です、作者です。
小堀田部長の丸投げ、本当に厄介ですね(笑)。そして九条先輩の厳しい言葉の裏にある「自分の過去のやり方に縋る不安」。オフィスで働く人たちのリアルな人間模様が描けたのではないかと思います。
AIたちとの不器用な対話を通じて、少しずつ「導くこと」を学んできた七野。彼女ならきっと、あおいちゃんに的確な「枠組み」を提示してあげられるはずです。頼もしい先輩になりつつある七野の背中を、ぜひ★ボタンで押してあげてください!




