殺したはずの彼女
少女を部屋へと招き入れた志乃は、急須から湯呑にお茶を注ぎながら、自分でも妙な気分を抱いていた。
相手は知人でも、友人でもない。
それなのに──不思議と、警戒心が沸いてこなかった。
それが、むしろ怖かった。
テーブルを挟んで、少女は正座している。
姿勢は崩さず、ただ、こちらを静かに見つめている。
お茶には手を伸ばさない。
湯気が立ちのぼるその器の前で、時間だけが静かに過ぎていく。
志乃は痺れを切らして、口を開いた。
「……名前をつけてくださいって、どういうことです?名前……ないんですか?」
少女は即答した。
「はい」
「少なくとも、日本に住んでる人間なら、名前くらい──」
少女は、わずかに首を傾げる。
「私は人間ではありません」
室内に、ぽつんと落ちた言葉。
その意味を受け止めきれずに、志乃は数秒、息を止めた。
思わず手元のお茶に目を落とし、そして、再び少女を見る。
「……じゃあ、何ですか?」
少女は微動だにせず、まっすぐに告げた。
「私は、貴女が殺した狼です」
思考が、一瞬止まった。
「……え?」
少女は淡々と語る。
「あなたに与えられたスキルは、心の許せる人を得るものでした」
「そのために、私は生成されました」
志乃は言葉を失う。
「スキル」として発動した願い。
それが周囲の素材を元に「人間の形」を作り上げた。
そしてその「素材」となったのが。
「……あの狼……ボスが……?」
少女は頷く。
「はい。私は、あのダンジョンのボスの構成情報を元に、人間の姿で再構築されました」
「でも……死んでましたよね、あれ」
「ですが、素材として残っていたのです」
「……こわ」
志乃はつい口に出してしまい、次の瞬間に後悔する。
だが、少女の表情は変わらなかった。
まるで、最初から何も期待していなかったように。
「そうですね。怖いと感じるのは当然のことです」
流石に申し訳ないと思い、謝罪しようとするも。
「ただ、私はあなたにとって心を許せる存在であるよう設定されています」
「ですから、あなたの不安や恐怖は、私の存在によって少しずつ希釈されていきます」
恐ろしいこと言いだす。
「それが、スキルというものです」
少女はそう言って、ようやく湯呑に手を伸ばす。
冷たくなったお茶を、一口だけ口に含んだ。
志乃は黙ったまま、少女の仕草を見つめていた。
この部屋には今、人間が二人いるように見える。
だがその実、一人と一体。
かつて、彼女が殺した獣の化身。
スキルによって、形を与えられた女の子。
その存在は、志乃が本当に望んだものなのか。
それとも。
答えは、まだ出なかった。