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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第一部
3/47

03.闇の中の光

 こんな時にやって来て魅力的な台詞を吐く佐兵という男を、慎太郎は疑わしげに見やった。

 確かに道場だけでこつこつ腕を磨くより、実戦で腕を振るいたい。それは剣士として生きる覚悟を決めた者の夢だ。まして評判が立つほどの腕前なら尚更である。しかし……と慎太郎は理性を働かせた。

「どこの何者かも分からぬ相手に、のこのこついて行くほど落ちぶれてはいないのだが?」

 すると佐兵は笑ってうやうやしく頭を下げた。

「実は手前の主人がどうしても慎太郎様の腕を確かめたいと申しますので……お眼鏡にかなわぬときは素直にお返しいたします。ええ、決して無理強いはいたしません」

 慇懃無礼とはこのことだと、慎太郎は苦笑した。

「いいだろう。だが妙な真似をしたら、その場で全員叩き斬る。いいな?」

「お、おやおや、そんな物騒な。本当に悪いようにはいたしませんよ」

 佐兵は冗談を流すように振る舞ったが、半分は本気で脅えた。慎太郎は背が高く均整が取れて引き締まった身体をしている。その長くたくましい腕から繰り出される剣は、たとえ技術がお粗末でも相当な破壊力がありそうだった。


***


 慎太郎が佐兵に連れて来られたのは、店が軒を連ねている通りの宿屋である。そこそこに良い宿だ。佐兵の主人というのは、中でも一番良いと言われる離れを貸し切っていた。

「どうぞこちらへ」

 部屋へ入ると、二十代後半のガタイのいい男とうら若い娘と年増の女が、いっせいに慎太郎へ向いた。

 男は黒い剣道着姿だ。座っているので定かではないが、見た感じ背は高い。年増な女は四十前だろうか。化粧が濃い。遊び慣れたような仕草が鼻につく。若い娘は地味で、表情に幼さが残る。おそらく十代後半だ。普通の町娘の格好をしていて、特に目を惹くような要素はない。

 慎太郎はどれが主人なのかと眉をひそめた。が、どれも主人ではないようだ。佐兵がもうひとつ向こうの(ふすま)を手差しして言った。

「主人は向こうの部屋におります。お会いいただく前に、私を含めますこの四名と手合わせ願います」

 座に腰を下ろしていた三名は立ち上がった。

「慎太郎殿か」

 男が言い、

「あら、いい男じゃないのさ」

 と年増な女が言い、若い娘はわずかに頬を紅潮させてうつむいた。

「右から実之(さねゆき)、菊、菜々と申します」

 男は実之、年増な女が菊、若い娘は菜々、というわけだ。

「手合わせと言うが、どこでやるんだ?」

「あちらで」

 佐兵が差すのは、離れと続いている中庭だった。充分な広さはあるので問題ない。

「木刀ではなく、そちらの真剣でお願いします」

 言われた慎太郎は自分の腰元にある木刀と真剣に目をやった。両方とも稽古用によく使っているものだ。

「真剣で?」

「実戦さながらでないと意味がありませぬ」


 慎太郎は刀を抜いて、四人と向かい合った。女とも真剣でやり合うのかと思うと気が引けたが、余裕のある表情から察して腕に覚えがあるのだろう。遠慮はしないことに決めた。

「まずは私から」

 佐兵が刀を構えた。が、慎太郎は構えなかった。ただ柄を握ったまま刃をだらりと下に向けている。

 佐兵は眉間を寄せた。

「気でも変わられましたか」

「いや。いつでもどうぞ」

「……そうですか。では行きますよ」

 佐兵は基本的な動作で慎太郎に斬りかかった。その瞬間、佐兵が握っていた刀は高い金属音を奏でて空へ舞った。

 あまりに突然の出来事だ。手ぶらになってしまった佐兵はもちろん、見ていた三名も呆然となった。

 慎太郎は刀を垂直に掲げ持った状態で止まっている。佐兵が懐に飛び込んだ刹那に、己の刀の(つば)を相手の鍔に引っ掛けて力任せに押し上げたのだ。

 むろん道場で基本は学んでいる。そんな奇抜なことをしなくても、まともに手合わせはできる。しかし闘いの場面においてやり方を使い分けるのが慎太郎の流儀だった。

 ここは道場ではない。真剣勝負なら稽古でもない。ならば幼い頃チャンバラごっこで学んだ荒削りな戦い方をしても問題ないと判断したのだ。

「ほ、保倉の道場では、そのような戦い方を教えるのか」

 青ざめた様子で実之が尋ねた。まこと実戦向きのやり方を教えるような所ならば、己らに勝ち目はないと思ったのだ。しかし慎太郎は苦笑いをして返した。

「これは俺のやり方だ。師匠には見せたことがない。もちろん、ほかの誰にも」

「そ、そうか。しかし、我々に披露しても良いのか?」

「俺の実力を見たいのだろう? これまでは師匠の顔を立てて道場のやり方で戦っていたが……それももう、必要ない」

 そう、必要ない。

 慎太郎は胸中で反復した。

 マナはあれ以来、稽古場に姿を見せない。輿入準備のせいもあるだろうが、一番は慎太郎に対して後ろめたいからである。さすがにどんな顔をして会えばよいのか分からないのだ。慎太郎も困る。いまさらマナの顔を見て、何を言えばいいのか。

「では次は拙者がお相手しよう」

 実之が抜刀した。慎太郎は視線をやって、さきほど弾き飛ばした刀を拾い佐兵へ戻した。

「面倒だ。まとめて来い」


***


 結論から言えば、実之らは負けた。あっというまの敗退である。

 慎太郎は恐ろしく俊敏で、臨機応変、変幻自在に剣をあやつり、四人をたちどころに蹴散らした。一番強い実之ですら一合受けるのがやっとで、力任せに振り切られたのである。その様子は、まるで獅子か狼のようだった。

「我々の主人に会っていただけませんか」

 実之が降参すると、佐兵が手前に片膝ついて丁寧に頼んだ。慎太郎は軽くうなずいた。実力を見せつけておいて「これで失礼する」とは言えない。

 会うだけだ。とはいえ、もし本当に引き抜きたいというなら相手は素性を明らかにするだろうし、それいかんによっては流されてもいい……と慎太郎は思った。マナに未練は残っても、保倉の家に未練はないのだ。四面楚歌のあの道場に戻る気色もしない。


 そうした気持ちで襖の向こうに佐兵らの主人を見たとき、慎太郎は奇妙さに目を丸めた。

 真っ白な髪の少女が大きな黒い瞳を輝かせ、ちょこんと正座している。年の頃は十六か七。色こそ異質だが、腰まで届くまっすぐな髪は艶があって美しい。見たこともないような美少女だ。

 慎太郎は唖然としながらも、少女の前に正座した。

「……慎太郎と申します」

 すると少女はパッと明るい笑顔を見せた。

紫苑(しおん)と申します。こうしてお会いできたということは、わたくしのお友達は負けてしまったのですね?」

 やや首をかたむけて言う紫苑はなんともいえず無邪気で、慎太郎は思わずソワソワしてしまった。

「お、お友達?」

「ええ、お友達。わたくしを守ってくれる大切なお友達です」

「紫苑様、そのような、もったいない」

 佐兵らは慌てて否定するが、顔には喜びが満ちている。慎太郎はそれだけで、紫苑が心から愛されているのだと分かった。その紫苑が佐兵のほうを向く。少し正面を外した顔もよく整っていた。

「それで、慎太郎様はどのようなお方なの? 背は? お顔は?」

「ははは、そう慌てなくとも」

 実之は言うが、紫苑は頬を紅潮させてふくれた。

「楽しみにしていたんですもの。はやく教えて?」

 ギョッとしたのは慎太郎だ。目の前にいるのに、どんな男だと尋ねる紫苑。「彼女は盲目なのだ」と気づいて、ひどく落胆した。

 こんなに美しい目をしているのに見えないのか、と。

 ところが慎太郎のそんな心情はお構いなしに、菊の講釈が始まった。

「いい男だよ〜。背は実之より少し高くて、身体も引き締まってる。手足は長いし、なにより面構えがいいねえ。こんないい男はめったにいないよ」

 聞いている紫苑はといえば……やはり無垢な笑顔を浮かべて楽しそうだ。

「ぜひ見てみたいわ。ダメかしら?」

「あら、それはどうかねえ」

 菊はちらりと慎太郎を見やった。慎太郎は意味が分からず首をかしげた。目が見えないのに「見る」とはどういうことだろうかと。

「あんた、男なら首を縦に振るんだよ。いいだろ? ちょっとくらい」

 菊はすっかり姉さん気取りで慎太郎を叱咤する。慎太郎は思わずうなずいてしまった。

「許可がおりたよ! よかったねえ! さあ、近くに寄って見てごらん!」

 菊は紫苑の肩を抱いて近づくよううながし、紫苑は本当に嬉しそうな顔をして慎太郎へと寄った。そして両手を伸ばし、慎太郎の頬に触れた。慎太郎は驚いて肩をビクリと動かしたが、菊が厳しい目で睨むので、じっと堪えた。

 紫苑の手は雪のように白い。だが柔らかくて温かかった。指先が優しくまぶたをなぞる。鼻の形を確かめる。慎太郎はあまりの心地よさにうっかり寝てしまいそうだった。そうならなかったのは、紫苑の手が離れてしまったからだ。

「男らしくて綺麗な顔だわ。素敵」

 頬を桜色に染め、紫苑はうっとりと呟く。本当に綺麗なのはそんな紫苑だと、慎太郎は間近に眺めてしみじみ思った。

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