時をかける乙女
また今日も雨が降っている。
今年の夏は降水量が半端なく多いので、きっと作物は不作になるだろう。また、野菜が高いとぼやく幸恵の顔が目に浮かぶ。まあ、ここ数年彼女の笑顔などまともに見た覚えがないとというのが正直なところではある。
雨が降れば、あの娘に会わねば……。俺の思考回路はもう、雨 = その答えしか弾きださなくなっていた。いつの間にか、雨に対する憂鬱な気持ちが薄れてきているような気がして、人の気持ちなどいい加減なものだとか感じつつあった。
また、いつもの公園、いつものベンチ。横長の雨に濡れないスペースが確保されている。
この場所は、空手のナイファンチの練習をするにも丁度良い空間であった。ナイファンチという型は狭い場所の戦闘を考慮した動きだと言われている。そのお陰で大きな場所を確保しなくても練習する事ができる鍛練型なのだ。この場所も結構狭いのだが雨が降ると人通りが少なくなり人目につかないというのが俺にとってはとても都合のいい感じなのだ。俺はベンチの上に鞄を置いて型を練習する準備をした。
「ナイファンチ!」少し小さな声で気合いを入れてから、いつもと同じように動作をはじめる。
両掌を下で重ねながら、足を交差し左へ移動。右手を開き肘打ち。一連の動作を繰り返す。「ヤー!」動作の最後を気合いで締める。決まった……。最高に決まった!そう自画自賛気味に思った瞬間。
バサッ!
背後で何かが落ちるような音がした。もしかするとまどかが来たのかと思い、少し笑顔を作りながら振り替えるとそこには傘を足元に落として雨の中で俺を見つめるまどかとは違う女子高生がいた。歳は彼女と同じ位であろう。
「まどかちゃん……、じゃないな……」明らかに判ってはいたが、自然と口にその言葉は出てきた。全く知らない女の子に、いいオッサンがスーツで空手の練習をしているところを見られるのは正直いうと少し恥ずかしい。ナイファンチの型の動きを知らない人が見れば変なダンスの練習でもしているように見られるのであろう。
「ま、まさか……」少女の唇がワナワナと震える。その足元も少し小刻みに震えているようだった。彼女は両手の平で口の辺りを覆った。その不自然な光景に俺は目の前の少女に一体何が起きているのかを理解する事が出来なかった。
少しばかりの気まずい余韻の後、落ち着いたのか彼女は自分が落とした傘を拾い上げて丁寧に折りたたみながら俺のそばに歩いてきた。何かに覚悟を決めたような彼女の迫力に俺は息を飲んだ。
そして目と鼻の先ほど近づいた彼女の見覚えのあるその顔を見て俺は地の底に落とされるような衝撃に襲われる。
「えっ!?そんな……、そんなことが……」俺が一生忘れる事が出来ないであろうと思い続け、二度と会うことは叶わないと諦めていた少女の顔がそこにあった。ずっと忘れようとしていた記憶、いや忘れられる筈がないあの思い出が呼び起こされる。そうあの出来事を忘れる事など俺には到底無理であった。俺は頭が混乱し、胸が張り裂けそうになった。呆然と少女の顔を見つめ続ける俺の様子をみて、誤魔化す事もせずに、少女は話を始めた。
「お久しぶりです。さっきの……、ナイファンチ……、ですよね。近藤先輩……」彼女は押し殺したような声で呟いた。ゆっくりと先ほど拾った黒い傘を、ベンチの隅に立てかけると、彼女はそれを始めた。
「ナイファンチ!」大きな公園中に響く声で彼女は叫んだ。
彼女は先ほどの俺と同じようにナイファンチの型を表演し始めた。簡単にナイファンチと言っても、流派、道場、演者に、よって様々である。大きく足を開くし腰を低めに構える所もあれば、中腰でそれを行う流派もある。彼女が表演するそれは、低く腰を下ろしたもの・・・・・・、間違いない、これは俺が教えたナイファンチだった。彼女の表現するナイファンチは、あの頃より研ぎ澄まされているように感じた。むしろ俺よりも上手いのではないかと思わせる。その彼女のナイファンチは俺の心を感動させるほど素晴らしいものであった。
「ヤー!」大きな気合いをあげて型を終わり彼女のスカートが風に揺れる。体制を整えると彼女は自分の長い髪を右手でかきあげた。目尻には印象的な泣き黒子。
「本当に、お前はし、篠……、いや、昌子……なのか……」まさか再び、その名前を呼ぶ日がくるとは思わなかった。
彼女は呼吸を整えるように深く深呼吸をした。「お久さしぶり~!先輩、スッゴいおじさんになりましたね……!」篠こと、篠原昌子は、敬礼のように額に手を当てながら開き直ったような口調で挨拶をした。
「お前……、今までいったい……何処で?」頭の中の情報量はすでに、俺のメモリー許容範囲を越えている。
「いやいや、聞きたい?聞きたいか~?そりゃそうだねぇ~」今度は手をパタパタさせながらおどけるように言った。それがまるで俺を小馬鹿にしているように見えた。
「ふざけるな!今まで俺が一体どんな気持ちで……!?」昌子が男なら首根っこを掴んで殴っているところだ。ただ、ここで俺は大きく猛烈な違和感に襲われる。なんなんだこの昌子は・・・・・・・おかしい、何かが違う!これは俺の知っている昌子!あの頃のままの昌子!そうだ!若い、若すぎるのだ。俺と彼女の年齢は一つしか変わらないはずなのに今、俺の目の前にいる昌子はどう見ても高校生位の少女にしか見えなかった。全く年齢を重ねていない。あの頃のままの彼女なのだ。一瞬、変な趣味も疑ってはみたが、俺は大きく首を振った。
「先輩と、一緒に合宿で海にいたあの日……ね」昌子は何の余韻もなく突然語りだした。
「あの時、あの雨の中崖から足を滑らせて……、死んだ……と思ったのよ。でもその瞬間、私……、時間を飛んでいたの……」彼女は、ほんの少し真面目な顔をつくった。
「時間を……、飛んだだと?!なにを……!何を馬鹿げた事を言っているんだ!」彼女が何を言っているのか全くもって理解する事が俺には出来ないでいる。
「信じられないのは仕方がないわ。でも・・・・・・・、これは本当の話なの、気がついたら、かなりの時間が経過していて、私……まるで浦島太郎のようだったわ。私は勝手にこの現象をタイム・リープと呼んでいるの。ちなみに竜宮城には行けなかったけから玉手箱ももらえなかったけどね」昌子はベンチに腰を下ろしながら話を続けた。後半受けを狙ったかのようだったが、それは見事にスベッた。そういえば、昔、時をかけるなんとかって映画を見たような気がする。
「解る……?私の気持ち……、誰も居ないのよ。私を知っている人が誰も……船影も友達も、そして……近藤先輩、あなたもここにはいなかった」昌子は悲しそうに地面に視線を落とした。ここまで聞いても、俺には彼女がなにの話をしているのかは、まだ理解出来ていない。
お前は俺を誤魔化すつもりなのか!?
「一体、なにがなんだか……、俺はお前が、遺体こそ見つからなかったが、あの事故で死んでしまったとばかり思っていたんだぞ!俺もそうだけど、お前のお父さん、お母さんも大変だったんだぞ!」まだ狐にでも騙されたように俺は、混乱している。正直言うと、あの事故の後、一緒にいた俺は責められた。なぜ助けなかったのか、なぜ二人だけで皆の所から離れたのか・・・・・・・・。その言葉にまだ子供だった俺は、返す言葉も無く、あえてその汚名を被った。それが、俺への戒めだと思っていた。
「そうね、私は今でも戸籍上では、あの日失踪して死んだ事になっているわ……。この時代に来てまず最初に両親に会いに行ったのだけど、先輩と同じように、初めは全く信じてもらえなかったわ。でも私の子供の頃の話をしたり、家族しか知らない話をしたりして、そしたら、やっと昌子が帰ってきたって認めてくれて……」その時の事を、昌子は嬉しそうに話す。
「で、今は失踪した篠原昌子の子供、同じ名前だけど昌子ってことになっているの。自分で言うのもなんだけどややこしいねぇ、でも名前変えるのは私も両親も嫌だったから、無理を通してもらったのよ」昌子はわざとらしく笑うと付け加えた「自分が体験してから調べたんだけどこういう事例って結構あるんだって」ベンチから立ち上がると、まるで学校の先生が生徒に教えるが如く咳払いをしてから説明を始めた。
「よく、ボーっと歩いていたら、知らない間に、目的地についたとかあるでしょ?あれもタイム・リープの場合があるんだって。そういう時は時計が少し遅れたりする場合があるのだけど、本人は気づかないの。あと、世界中で失踪した人が数年後に、いなくなった時と同じ姿で現れるとか……、逆に、未来の事が解る……、そう、預言者みたいな人が現れたりする話ってよく聞くじゃない。ちなみに、未来に飛んだ話が私のパターンね」私という言葉の部分で昌子は、自分の鼻を人差し指でテンポ良く叩いた。
「はあ?」説明をされても俺の頭では全く理解出来ない話である。漫画やアニメなどの絵空事のようにしか思えなかった。
これはきっと夢だ、夢なのだ。俺は心の中で唱え続ける。
「信じるか信じないかは、貴方次第~」昌子は俺の顔を指差す。
「はあ……」もはや、俺の口からは同じ言葉しか出ない。昌子は、おどけて場を和まそうとしているのであろうが、そんな彼女を受け入れる余裕すら今の俺には無い。亡くなった昌子の幽霊に会ってしまった。俺にとってはそういう思いしかなかった。
「あれ、昌子ちゃん?」唐突に少女の声がする。声の方向を見ると、淡いピンク色の雨傘をさしたまどかが立っていた。
「あーん、まどかぁ」昌子は、まどかを抱きしめるように飛びついた。
「ちょ、ちょと……、昌子ちゃん、やめてよ……」まどかは恥ずかしそうに俺の顔を見ながら昌子の包容を拒んだ。そのまどかの顔を見て、昌子は何かに気がついたようで微妙な表情を浮かべる。
「えっ?……、そういうことか……」昌子は、まどかから少し距離を取りながら呟いた。彼女は何かに勘づいたようである。
「そうか……、まどかの、大切な人は近藤先輩だったんだ……」昌子は聞こえるか聞こえない位の小さな声で呟いた。
「えっ、昌子ちゃん、なんて言ったの?」様子が変貌した昌子を、まどかは心配そうに見つめる。
「ううん、別に~!まどかは、こんなおじさんが趣味だったんだ。知らなかった~!って言ったの!それでは、私はお邪魔みたいだからこの辺で失礼しちゃうねぇ。バイバイ~キ~ン」大きく手を降りながら、傘をさして、昌子はその場を去っていく。去り行く彼女の目が涙で濡れているような気がした。
「ちょ、ちょと……待って……昌子!!」引き留めようとしたが、俺の言葉は昌子には届かなかった。
「睦樹さん!ごめんなさい!」まどかが、大きく頭を下げて謝罪する。彼女のその両肩が微妙に震えている。
「えっ?」まどかの謝罪の言葉の意味が理解出来なかった。
「昌子ちゃんは、私の友達で凄くいい子なんですけれど、いつもあんな調子で……。わっ、私、睦樹さんの事をおじさんなんて思っていませんから!」まどかにとっては精一杯の告白にも近い言葉であったようだが、今の俺には、その気持ちに答える言葉は見つからなかった。




