63 月の子
「こら! エリオット! 待って!」
セレイヴが石畳を駆ける。
「セレイヴ様、俺が」
そう言ってオリバーがセレイヴを追い越して駆け出していった。
セレイヴはその場に立ち止まると、息をつく。追いついてきたマティアスも息を切らし、セレイヴの背を撫でた。
「……オリバーに任せましょう」
セレイヴがふっと笑うと、マティアスも笑い出した。
辺境伯領の一番大きな街。
整えられた石畳。通り沿いに店を持つ人々がセレイヴたちに気づくと、続々と通りに出てきた。
「セレイヴ様!」
「あぁ! こんにちは」
あれから――数年が経った。
セレイヴ達は予定していた通りにこの街に移住し、今は辺境伯領の管理を担っている。
街の人々がセレイヴとマティアスを笑いながら囲む。
「坊っちゃんは今日も元気で」
街の人が笑った。
「本当だよ。さっきまで孤児院で子どもたちと一緒に遊ばせてきたばかりなのに、まだ元気なんだ。僕とマティアスの方がへとへとだよ」
セレイヴとマティアスはうんざりした顔で目を見合わせる。
「……本当に。うちのジュールも一緒に駆けていってしまって……」
笑い声がまたあがった。
セレイヴの長男エリオットと、マティアスの長男ジュールは仲が良かった。立ち止まっている瞬間がないほどにいつも二人で駆けずり回っている。
ちなみに、ジュールの母親はマルグリットだ。彼女はうまくやったのである。
「あの……セレイヴ様」
おずおずと、女性が人の輪から一歩前へ出てきた。彼女の腕の中には生まれたばかりのような赤ん坊。
「エマ。無事生まれたんだね」
セレイヴが微笑むと、そこにいた全員が微笑んだ。
「セレイヴ様。女の子なんです。名前をつけてもらえませんか?」
エマが赤ん坊をセレイヴに差しだし、彼はそっと受け取ると優しく抱く。赤ん坊を見て、エマを見た。
「……僕でいいの? ……トーマスは?」
「夫も、セレイヴ様につけてもらえるなら嬉しいって」
エマが笑う。セレイヴが、通りの向こうの鍛冶店の方を見ると、扉口で立っている男が手を振っていた。つい、頬が緩む。
「……そうだな。……アイラなんて、どう?」
エマが頷いた。
「ありがとうございます。可愛らしい名前」
「うん」
セレイヴはそっとアイラを抱きしめ、その柔らかい頬を見つめる。
「健やかに、大きくなるんだよ」
辺境の森と土の匂いが混ざった風が吹いた。
「……でも、エリオットよりは……大人しい方がいいかな……」
笑い声。
セレイヴはアイラをエマに戻すと、またエリオットとジュールを追いかけた。
「ジュール! あの木まで競争だ!」
「エリオット! 父上たちがついてきてないよ! 流石に父上にどやされる」
「……君の父は僕の父上にはやたら優しいじゃないか」
「僕にはめちゃくちゃ怒るんだよ。母上はもっと怖いし!」
「やばい! オリバーが来た!」
二人はキャッキャッと笑い声を上げながらまた駆け出す。
「二人とも待ちなさい!」
銀の髪と若葉色の瞳のエリオットと、墨色の髪と青い瞳のジュール。
オリバーの手をするりと躱し、また駆け出すが、
その時――トンと人にぶつかった。
白い衣に銀の長髪。背の高い彼は、軽々とエリオットを抱き上げる。
「レキ!」
「エリオット。父を困らせてはならん」
レキの後ろにいたオシも、ジュールの手をしっかり掴んだ。
「あー、捕まっちゃったぁ」
追いついてきたオリバーがほっと息を吐き出し、彼らに軽く頭を下げる。レキとオシはふっと笑って応えた。
「助かりました」
「いやいや。小童どもは今日も元気だな」
石畳を踏む軽やかな音が重なる。
「レキ! オシ! 来てたんだ」
セレイヴが笑う。
マティアスが頭を下げると、月の使者達も頭を下げた。
一同が屋敷に戻ってくると、庭園でリディアとマルグリットがお茶をしていた。彼らは屋敷には入らずまっすぐに彼女たちに寄る。
「あら。レキさんとオシさん」
リディアが笑って顔を上げた。マルグリットの腕の中にいたセレイヴの長女アイリスはぐっすりと眠っている。
セレイヴはアイリスの頬を撫で、リディアの背後に回ると、そっとその肩を抱いた。
「リディア、体調は?」
「なんともない。安定期に入ったし、大丈夫よ」
レキとオシは二人の様子をみて、柔らかく口角を上げていた。
マティアスとオリバーはまた逃げ出したエリオットとジュールを追いかけるために駆け出す。
白塗りのガーデンテーブルの上には、妊婦の体にもいいハーブティー。ナチュラルガーデンの木々の葉は、ゆったりと風に揺らされていた。
「三人目か」
レキが言う。
「そうなんだ。子どもはやっぱり可愛くて……」
「セレイヴ殿は奥様が可愛いんだろう?」
オシが口角を上げてそう言うと、リディアの頬がうっすらと赤く染まる。
「それは間違いない」
セレイヴがリディアの頭に顎を乗せてふっと笑った。
また、笑い声が上がる。
辺境伯領は、今日も穏やかな風が吹いている。
夜。バルコニーからセレイヴが街を眺めていると、ガウンを羽織ったリディアも部屋から出てきた。
夜空には、月と満天の星。
その下にはほとんどの灯火を落とした辺境の街。広場にだけ焚かれた篝火が揺れている。遠くには、朧気に国境防壁と時計塔の明かりが見えた。
「リディア。冷えるよ。君は中にいたほうがいい」
「少しくらい平気よ」
欄干に手をついていたセレイヴの前にリディアが無理やり入ると、ふわりと笑う。
「ほら、あったかいもの」
セレイヴが後ろからリディアをそっと抱く。手を、少しだけ膨らんできたお腹に添えた。
「リディア」
「なに?」
「月が綺麗だね」
藍の空に浮かぶ丸い月。
銀色に見えるそれは、今宵も美しくそこにあった。
「そうね。綺麗だわ」
「リディア」
「ふふ、なに?」
「僕、幸せだ」
セレイヴの腕の中でリディアが体の向きを変え、セレイヴと向き合う。
「私も幸せ」
リディアが少しだけ背伸びをした。
口づけ。
何度交わしても、それは甘い。
二人は小さく笑った。
辺境は、想像よりもずっと、穏やかで温かい場所だった。
そして、この物語の終わりにはきっと定番のこの一文が似合う。
――二人は、末永く幸せに暮らしましたとさ。
おしまい




