第183話 世界樹からの落下物!? それは3000年分の「エラーログ」。
サワ、サワワ――。
頭上で、大世界樹の葉が、喜びでざわめく音がして、私の意識は現実へと着陸した。
「ここは……」
私はまだ少し意識が明瞭にならず、誰にともなく尋ねる。
「大世界樹がお主を歓迎しておるのじゃ」
エルウィン様が静かに言った。
「お主の魂は、この星の命そのものと深く繋がっておる。……ここがお主の、魂のふるさとじゃよ」
「ふる、さと……」
私は膝をつき、地面の苔に頬を寄せた。
脈動が伝わってくる。この巨大な森全体が、私を受け入れ、抱きしめてくれている。
寂しかった穴が、温かい光で満たされていくようだった。
「……よかったわね、アリス」
レヴィちゃんの声がした。
振り返ると、彼女は少し離れた場所で、優しく微笑んでいた。
私が家族と再会するのを邪魔しないように、あえて距離を取ってくれているような、そんな優しい立ち位置。
「うん……! 私、帰ってきたんだね……!」
私は涙を拭い、立ち上がった。
ここが私の帰る場所。でも、私の旅はまだ終わらない。
だって、最高の相棒が待ってくれているんだもん。
◆◆◆
「歓迎の宴をひらくが、その前にお主ら、泉で旅の埃をおとすがいい」
大世界樹との対話を終えた後、エルウィン様の案内で私たちは根元にある泉へと入ることになった。
そこは、大世界樹の樹液や、葉や樹皮についた水分がこぼれ落ち、長い年月をかけて溜まった場所。
かつて私が飲んで覚醒した『大世界樹の雫』の源泉であり、エルフにとっても聖地中の聖地らしい。
「ええっ!? そんな凄いお風呂に入っていいの!?」
「構わんよ。お主はもう、この森の『家族』のようなものじゃからな」
エルウィン様の計らいに感謝しつつ、私たちは服を脱ぎ、その神秘の湯へと足を踏み入れた。
「……んんっ」
お湯の温度は、熱すぎず温すぎず、人肌よりも少し温かい程度の不思議な温度だった。
肩まで浸かると、まるで母親の胎内にいるかのような、絶対的な安心感と包容力に包まれる。
旅の疲れはおろか、魂にこびりついた澱のようなものまでが、溶け出して浄化されていくようだ。
「……ふぅ。極楽ですわね」
レヴィちゃんは濡れた髪をかき上げ、淵の岩に寄りかかった。
白い肌が湯気の中で輝いていて、同性の私でもドキッとするほど綺麗だ。
「すごいね……。なんか、体が透き通っていくみたい」
「実際に透けておるかもしれんぞ? 魔力が濃すぎてな」
エルウィン様が冗談めかして笑い、私たちに果実酒の入った木杯を浮かべてくれた。
静寂な森の中、湯気と星明かりの下での語らい。
かつて敵対し、やがて共犯者となり、今はこうして裸の付き合いをする仲になった。
思えば、遠いところまで来たものだ。
「……ねえ、レヴィちゃん。私、決めたよ」
私は、ポツリと言った。
「私、ずっと生きることにしたけど……後悔しない。だって、こんなに素敵な場所が『実家』で、レヴィちゃんみたいな友達がいるんだもん」
レヴィちゃんは目を閉じたまま、口元だけで微笑んだ。
「ええ。……精々長生きなさい。私のひ孫のひ孫のひ孫のその先の代まで、ずーっと面倒を見てもらうつもりですからね」
「もう、人使い荒いなぁ……」
笑い合う私たちの間に、温かな空気が流れる。
その時だった。
ポチャン。
頭上から、何かが水面に落ちてきた。
「ん? 木の実?」
それは、透き通ったクリスタルでできたリンゴのような果実だった。
青白く脈動し、ただならぬ魔力を放っている。
「……ほう。珍しいのう。大世界樹が実を落とすなど、数百年ぶりじゃ」
エルウィン様が感心したように言う。
その瞬間、脱衣所に置いてあった私の端末から、デメテルさんのホログラムが緊急起動し、湯気の中にウィンドウを展開した。
『――スキャン完了。……対象物を解析しました』
デメテルさんの声が、いつになく興奮している。
『アリス様、マスター。それはただの果実ではありません。成分的には「完全回復薬」と同等の効果を持つ聖なる実ですが……その内部構造に、膨大なデータ領域を確認しました』
「データ?」
『はい。……解析の結果、その中身は過去数千年に渡る、世界樹による「地上の観測記録」および、システム管理者に対する膨大な量の「エラー報告ログ」です』
「……は?」
レヴィちゃんが目を開けた。
業務日報? エラーログ?
『要約すると、「3000年間メンテナンスが来ていません」「ここが痛い」「あそこが痒い」「人類がまたバカなことをしている」といった、大世界樹からの怨嗟……いえ、切実な「業務改善要求書」の塊です』
「……随分と、世知辛い聖遺物ですわね」
レヴィちゃんが呆れたように呟く。
あの大いなる母性を持つ大世界樹も、どうやらワンオペ育児にはお疲れのようだ。
「そ、そんな大事なもの、放っておけないよ! 私が預かる!」
私は使命感に燃え、泉に沈んだ「実」を手に取ろうとした。
「よいしょっ……と、ぐっ!?」
バシャァッ!
私の手が、水面に沈んだ。
顔を真っ赤にして踏ん張るけど、その小さな果実は、まるで岩のように重く、ピクリとも持ち上がらない。
「お、おもっ……!? なにこれ!? 漬物石より重いよ!?」
『警告。……その果実には、数千年分の「情報の質量」が物理的に圧縮されています。通常の筋力では持ち上げ不可能です』
デメテルさんが無慈悲な解説を加える。
情報が重い。物理的に。この世界の理不尽な法則が、ここでも発動している。
「くぅぅぅ……! む、無理ぃ……! 腰が抜けるぅ……!」
私は涙目でギブアップした。
すると、お湯が波打つ音がした。
「……やれやれ。貸してごらんなさい」
レヴィちゃんが立ち上がり、私の代わりにその実に手を伸ばした。
湯気立つ白い肌の下、鍛え上げられた筋肉がしなやかに躍動する。
「ふんっ」
ガシッ。
レヴィちゃんは片手でその実を掴み、軽々と――それこそ発泡スチロールでも持つかのように――持ち上げた。
「ええっ!?」
私が絶句する。
「あら、確かに少しズシリときますわね。……数千年分の愚痴の重み、といったところかしら」
レヴィちゃんはその「物理的なエラーログ」を手のひらで転がし、ニヤリと笑った。
「いい『弾薬』が手に入りましたわ。……もし、いつかこの世界の『開発者』とやらに出くわすことがあったら、この苦情の山、しっかりと物理的に叩きつけて渡してやりますわ」
そう言って、彼女はその果実を、足元の影――「暗闇の間」へと無造作に放り込んだ。
いつ使うとも知れない、とっておきの凶器として。
「……はぁ。聖なる実を鈍器扱いか」
湯船に浸かっていたエルウィン様が、大きくため息をついた。
呆れたように、しかしどこか楽しげに口元を緩める。
「まったく、お主はどこまでいっても『筋力』で解決するのぅ……」
「あら、心外ですわ。これは『顧客満足度の改善要求』ですのよ?」
冗談めかして笑い合う私たちの声が、湯気に混じって森の奥へと消えていく。
世界樹の枝が、同意するようにザワザワと揺れた気がした。
こうして、私にとって初めての「魂のふるさと」での夜は、心地よい疲労感と共に更けていく。
明日からはまた、皇都での忙しい日々が待っている。
留守番をしているミリアちゃんへのお土産も忘れないようにしなくちゃ。
……この物騒な果実は、お土産にはならないだろうけど。
まさか、その「いつか」が、割とすぐにやってくるとは露知らず。
私は夜空を見上げ、のんびりと湯を楽しんだのだった。




