第162話 大陸の傷跡、大断裂帯。……ここに「都市」を落とせば橋になる?
西方連邦の港町を出発してから、気がつけば三度目の冬が過ぎようとしていた。
かつて、魔素溜まりと乾燥により「死の砂海」と恐れられたアストライア砂漠。
だが今、わたしが座る『監督壱型』の上から振り返れば、そこには地図を書き換える光景が広がっていた。
地平線の彼方まで一直線に伸びる、黒く輝く舗装道路――通称『黒鋼大回廊』。
その両脇には、瑞々しい草原と、規則正しく点在するオアシス都市が、まるでネックレスの宝石のように連なっていた。
「……3年、ですか。随分と遠くまで来ましたわね」
わたしは扇子で口元を隠し、眼下に広がるキャラバンの隊列を見下ろした。
そこには、トヨノクニの「黒鉄組」だけでなく、職を求めて集まった西方の労働者、砂漠の遊牧民、そして各種族が入り混じっている。
総勢数万人。もはや「一行」ではなく、移動する「都市」ですらない。移動する「多国籍国家」だ。
「レヴィーネ様、第23街区より定期報告です」
ミリアが、タブレット端末(イリス製)を操作しながら歩み寄ってきた。
彼女の執務能力は、この3年でさらに磨きがかかっている。移動しながら複数の都市運営をこなすその手腕は、既に一国の宰相レベルだ。
「現地の部族長より、井戸の管理と農地拡大への感謝状が届いています。……また、西方からの移民と現地民の間で『羊の放牧地』を巡る小競り合いがありましたが……」
「ありましたけれど?」
「はい。『砂漠大一番』にて解決済みとのことです。勝者は移民側。部族側も『良いバックドロップだった』と納得し、宴会に移行したそうです」
「よろしい。……すっかり秩序が浸透していますわね」
わたしは満足げに頷いた。
わたしたちのキャラバンの掟はシンプルだ。
『来る者拒まず、去る者追わず』。
ただし、水利権や利権の独占は許さない。水と安全は、掟を守るすべての民に平等に与えられる。
その上で、どうしても譲れない揉め事はリングの上で、不殺の掟の下に決着をつける。
このシンプルかつ野蛮なルールこそが、多様な人々を繋ぐ鎹となっていた。
道路沿いには、黒鉄組が建造した地下水路『カナート』が張り巡らされ、冷たい水が絶えず流れている。
それは、アリスとエルフ、そして巫女連の子供たちの魔法によって浄化され、緑を生み出す命の水だ。
死んでいた砂漠は、わたしたちが歩いた跡から順に、緑豊かな草原へと生まれ変わっていた。
振り返れば、そこにはわたしたちが生きた証としての「緑の轍」が続いている。
『……だけんど、姐さん。楽な旅はここまでみてゃあだがね』
先頭車両に乗るヒデヨシから、硬い声で通信が入る。
前方を見れば、これまでとは異質の、濃密で毒々しい色の霧――高濃度の魔素が立ち込めているのが見えた。
大陸中央に近づくにつれ、空間そのものが重く、歪んでいる。
「魔素濃度、上昇中。……通常の生物なら、数分で廃人になるレベルですわね」
わたしが呟くと、アリスがすっと前に出た。
その手にはスマートフォンが握られ、デメテルからの解析データが表示されている。
「……デメテルちゃんが言ってる。ここから先は、1000年前の戦争で使われた兵器の汚染が一番ひどい場所だって。……植物たちも、怖がって根を張れないみたい」
「アリス、結界の出力は?」
「大丈夫、全開で行くよ! ……『聖域展開・楽園の加護』!」
アリスが杖を掲げると、キャラバン全体を包む巨大な光のドームが展開された。
エルフたちや巫女連も呼応し、浄化の詠唱を重ねる。
進軍速度は落ちる。だが、わたしたちは止まらない。
一歩ずつ、確実に、魔素を押し退けながら進んでいく。
そして、数日後。
濃霧が、不意に晴れた瞬間だった。
「…………あっ」
誰かの、息を呑む音が聞こえた。
重機のエンジン音が止まる。
人々の話し声が消える。
目の前に現れた「それ」の、あまりの絶望的なスケールに、数万人が言葉を失ったのだ。
――大断裂帯。
それは、大地に刻まれた巨大すぎる「亀裂」だった。
幅は数キロメートル。対岸は霞んで見えない。
そして深さは、底が暗闇に飲まれて視認できないほどの奈落。
まるで、惑星そのものが巨大な斧で叩き割られたかのような、物理的な「終わり」の景色。
「……まっこと、大きいなんちゅうレベルじゃねぇぜよ……」
「大陸が……割れとるがね……」
リョウマやヒデヨシでさえ、その圧倒的な光景に立ち尽くしていた。
橋を架ける? トンネルを掘る?
不可能だ。ここにあるのは、人間の尺度を超えた、神話級の断絶。
3年かけて積み上げてきた道が、ここでプッツリと途切れる。
眼前に広がるのは、ただ圧倒的な虚無と、底から吹き上げてくる死の風のみ。
わたしは玉座から立ち上がり、断崖の縁へと歩み出た。
風が、黒いドレスを激しく煽る。
「…………」
わたしは無言で、その傷跡を見据えた。
その瞳に映るのは、絶望か、それとも――。
旅の終着点は、世界の終わりと共に、わたしたちの前に立ちはだかっていた。
◆◆◆
その場所は、文字通り「世界の終わり」を視覚化したような光景だった。
西方連邦を越え、不毛の砂漠を緑に変えながら進んできたわたしたちの前に立ちふさがったのは、神話の巨人が大地を叩き割った痕跡――大断裂帯だ。
崖の縁に立つだけで、足元から吹き上げてくるのは、この世のものとは思えないほどどす黒く、粘り気のある魔素。それは大気中に飽和し、物理的な圧力となって肌を刺す。
崖下の奈落は、アルゴスの解析によれば垂直に五百メートルを優に超える。物理的な距離以上に、底に溜まった濃密な魔素が視覚的な遠近感を狂わせ、無限の深淵であるかのような錯覚を抱かせた。
「……報告します。……現状、我々の持てる技術では、この断裂帯を越える手段は皆無です」
設営された前線指揮テントの中、中央のホログラムテーブルを囲む面々の顔は、かつてないほど沈んでいた。
ミリアが、震える指先で提示したデータは、無慈悲な数字の羅列だった。
対岸までの距離、約十キロメートル。橋を架けるには基礎となる岩盤が脆弱すぎ、かといって崖を降りてトンネルを掘ろうにも、地下の魔素圧で掘削機が溶解する。
「無理だがね、姐さん。……わしら黒鉄組の意地でも、こればっかりはどうにもならん。……橋を架けようにも、この魔素の嵐の中じゃあ、作業員が一日も保たんでよ」
現場監督であるヒデヨシが、その自慢のねじり鉢巻を叩きつけ、絞り出すように言った。
隣で地図を睨んでいたリョウマも、帽子を目深に被り、苦い顔で首を振る。
「……まっこと、大きいなんちゅうレベルじゃねぇぜよ。……この谷は、海よりも深く、暗い。……船乗りとしての勘が、ここから先は『禁域』だと言うちょるわ」
重苦しい沈黙がテント内を支配し、アリスも不安げに杖を握りしめた。
エルフの女王エルウィンでさえ、窓の外のどす黒い霧を見つめ、溜息を吐く。
誰もが、ここで自分たちの「道」が途切れたのだと確信していた。
「――何をそんなに深刻に悩んでいるのかしら?」
その静寂を切り裂いたのは、涼やかで、どこか退屈そうな声だった。
わたしは、鉄扇を優雅に弄びながら、紅茶のカップを置いた。
皆の視線が、まるで救世主か狂人を見るかのように、わたしへと集中する。
「レヴィちゃん……? だって、ここを越えなきゃ東には行けないんだよ? でも橋も無理だし、トンネルも無理だし……。もう、どうしようもないよぉ」
アリスが縋るような目を向けてくる。
わたしは、フフッと口角を上げると、閉じた鉄扇でテントの屋根をトン、と指し示した。
「トンネルを掘ることができない? 橋をかけることもできない? ……難しく考えすぎなんですのよ……橋がかけられないなら、あの谷を塞ぐ『栓』を用意すればよろしいじゃありませんの」
「栓……? 姐さん、あんなバカでかい穴を塞げるほどのブツなんて、この世のどこにあるんだがね」
ヒデヨシが、信じられないものを見るような目で問い返す。
わたしは、さらに高く、空を貫くその先を見上げるように鉄扇を掲げた。
「あるじゃありませんの。……丁度おあつらえ向きに、頭上に浮かんでいるものが」
一瞬、全員の思考が停止した。
そして、その意味を理解した瞬間、テント内が爆発的な困惑に包まれる。
頭上に浮かぶ、巨大な古代遺産。天蓋都市。『天蓋の揺り籠』。
「なっ……! レヴィーネ様、まさか、『天蓋都市』をあの断裂帯に叩き落とそうというのですか!? あれは我々の本部であり、古代の叡智の結晶ですよ!?」
ミリアが声を裏返らせて叫ぶ。
エルウィンも、持っていた紅茶のカップを落としそうになりながら目を剥いた。
「正気か、娘よ! あのような巨体を落としてみよ、大陸そのものが砕け散るぞ! そもそも、物理的にあそこに嵌まる保証などどこにも……!」
『――再算出、完了。……先日、レヴィーネ様より本件の打診を受け、極秘裏に進めていたシミュレーションの結果、これは「理論上、最高効率の解決策」であると正式に判定されています。幾度も検算を重ねましたが、算出結果は同じです……』
ざわめく一同を制するように、中央のテーブルからイリスの冷徹な声が響いた。
ホログラムが書き換えられ、大断裂帯のV字型の地形に、天蓋都市の円錐形の基部がすっぽりと収まるシミュレーションが表示される。
『提案を受けた際は、我々でさえあまりの無茶振りに回路が焼き切れそうになったのですが……演算すればするほど、天蓋の揺り籠基部の形状と断裂帯の岩盤強度の相性が完璧であることが判明しました。……誤差数メートル以内の精度で着陸させれば、天蓋都市は自重で岩盤を固定し、世界の傷を繋ぐ「楔」として機能します』
デメテルの少し高揚した声が重なり、ヒデヨシやリョウマは言葉を失った。
事前に相談を受けていた古代知性体たちが、すでに「可能である」と太鼓判を押したのだ。
もはや、驚きを通り越して、自分の常識を疑う段階に達していたのだろう。
「で、できないことはない……ってこと?」
アリスが、震える声でイリスに問う。
イリスは、淡々と光の波形を揺らした。
『肯定。魔力消費率、構造維持率、物流効率。……橋を架けるより98%コストが削減され、耐久性は一万年以上を保証します。……レヴィーネ様による物理的解決は、事象の複雑化を招く中間変数を排除するため、演算上の不確実性が極めて低いと判定されています』
「いや、ようするに姐さんの物理が一番手っ取り早いっちゅうことだがね……」
ヒデヨシの呟きに、全員が心の底から同意するように沈黙した。
だが、沈黙は金。異論が出ないのなら、それは承認されたも同義だ。
わたしは、再び椅子に深く腰掛け、扇子を開いた。
「課題は二つですわ。……一つは、谷底に溜まった魔素の海。居住区画が汚染されては、お引越しの意味がありませんもの。……アリス、貴女の出番ですわよ」
「わ、私!? でもあんなに広い場所、全部浄化するなんて……!」
「一人でやれとは言いませんわ。……デメテル、あれは準備できて?」
『はい、マスター。……打診を受けた直後から培養を開始していた、品種改良型・対魔素吸収植物「ソル・レヴィーネ」の種子、コンテナ二千基分、装填完了しております。……アリス様の魔力とエルフの精霊魔法を「起爆剤」にすれば、数秒で谷底を浄化の草原に変えることが可能です』
AIたちの周到な準備を聞き、わたしは二つ目の課題を示す。
着地点の不整形。いくらパズルのピースが合うとはいえ、一千年の浸食で崩れた岩盤は、そのままでは都市を「傾かせて」しまう。
「そこは、ヒデヨシ。……あなたの腕の見せ所ですわ。……わたくしたちを受け入れる『受け皿』を、岩盤に刻みなさい」
「つまり、毒ガスを抜いて、着陸用の土台を平らにせなイカンっちゅうことだがね。毒さえなけりゃあ、わしらのもんだがね! ……やってやろうじゃにゃあか!」
ヒデヨシが拳を力強く握りしめた。
わたしは、立ち上がるとテントの幕を跳ね上げた。
目の前に広がる絶望の深淵。けれど、わたしの瞳には、そこが新たな「道の拠点」となる光景がはっきりと見えていた。
「総員、配置につきなさい! ……世界のへそを、埋めますわよ!」




