健康体
藤崎みおの朝は、六時に始まる。
セットしたアラームより先に目が覚めて、おもむろに起き上がり、まず白湯を一杯。
胃を起こすためだ。
次にヨガマットを広げて、十五分のストレッチ。
体の隅々まで血を巡らせるように、ゆっくりと。
朝食は自炊と決めていた。
玄米、鶏むね肉、旬の野菜を添えてバランスよく。
コンビニには寄らない。栄養成分表示を見ない食事は、みおにとって食事ではなかった。
仕事は事務職で、定時に来て定時に帰る。残業は体に、そして美容に悪い。ストレスはすぐ肌に出る。
週に三回、退勤後はジムに直行した。有酸素運動を三十分、筋トレには四十分を費やす。
それからシャワーを浴びて帰宅し、二十三時には布団に入る。
みおのSNSには、毎日の食事と体重の記録が並んでいた。
フォロワーは四千人超え。
#健康垢 #ゆるダイエット #自炊記録
どの写真も、不気味なほどに整っていた。
みおは二十二年間、大きな病気をしたことがない。
健康診断はいつも全項目A判定。それが密かな誇りだった。
だから、あのサプリを受け取ったとき、断る理由が思い浮かばなかった。
サプリを勧めてきたのは、同じ島に座る同僚の川田早苗という女性社員。
「ねえ藤崎さん、これ飲んでみて。ほんとにすごいの、肌が変わるから」
小さな茶色の瓶に、白い錠剤が三十粒。
成分表示はアルファベットと数字の羅列で、みおは読む気が起きなかったし、メーカーのロゴも見覚えがなかった。
それでも早苗の肌は、確かに目を見張るほどにキレイだった。
飲み始めて三日で、効果を感じた。
朝の目覚めが鋭くなった気がした。
肌のキメが整ったのか、化粧のりが違う。それに、体も軽い。
みおはすぐに追加購入した。
公式サイトは簡素だったが、定期便の申し込みボタンだけが大きく目立っていた。
一ヶ月が過ぎた頃、最初の違和感に気づいた。
みおは、右の鎖骨の下に小さなほくろがあった。
生まれたときからあったはずのそれが、ない。触れても、何もない。
鏡を何度見ても、ただ滑らかな肌があるだけだった。
「ほくろって消えるんだっけ?」
二ヶ月目に入り、早苗の顔を見て、息が止まりそうになった。
輪郭、目の形、鼻筋のそれが、どこかで見た顔だと思ったのだ。
一晩考えて、ようやく気づいた。
自分の顔だ。
次の日、ジムの更衣室で鏡の前に並んだ見知らぬ女性と目が合った。
切れ長の目に高い鼻。みおと、まったく同じ顔をしていた。
女性は不思議そうな顔ひとつせず、ロッカーを閉めて出ていった。
悲鳴を上げなかったのは、声が出なかったからだ。
みおが内科に駆け込んだのは、さらに翌朝のことだった。
「異常なし。完璧な健康体ですよ」
白衣の女医は、みおと同じ顔で微笑んだ。
診察台の上でも、みおは声を出せなかった。
医者は慣れた手つきで処方箋を書いて、小さな茶色の瓶を差し出す。
中身は白い錠剤が三十粒入っていた。
みおは椅子を蹴り倒すように立ち上がり、病院を飛び出した。
翌日も、その翌日も、鏡の中の顔は整っていくばかりだった。
そして三日後の朝、出社したみおは、エレベーターの中で固まった。
同僚も、上司も、廊下ですれ違う誰もかれもが、自分と同じ顔をしていた。
どうして今まで気づかなかったのか。
しかし、誰もおかしいと思っていないようだった。
皆、それが当たり前かのように振舞っている。
みおも、気づけば何をそんなに怖がっていたのか、思い出せなくなっていた。
それどころか、じわじわと別の感覚が這い上がってくるのを感じていた。
せっかく手に入れた健康を捨てるのか。
帰宅したみおは、手も洗わずに錠剤を口に含み、白湯で流し込んだ。
鏡の中に白い笑顔を浮かべながら。
みおは今日も健康だ。
健康はなによりも大事ですから




