第73話 鬼が生まれた日
「ええ!?金属製の猫が料理を運んでくるの!?」
小汚い酒場にて、迷惑なくらいの大声で驚いているこの女の名前は、ユリ・アリポワ。
感受性豊かで、リアクションもすこぶる激しい、私とは対極にいる生物だ。
懐に何かを隠しているような人間よりは好ましいが、これと話していると、老いて遠くなっているであろう耳でも、まだ五月蠅い。
もう若くないのだから、落ち着いて欲しいところである。
ただ、現地の人間から情報が得られたのは、やはり良かった。
グランシア大陸の大まかな地理、魔法や魔獣という危険を知らずして、万能の薬の捜索を始めていたら、どうなっていたことか。
固い肉を嚙み千切って、水っぽいスープをスプーンで何度も掬って、やっと全部を食べ終えた。
素材が悪いのか、腕が悪いのか、料理の味は酷いものだったが、海外旅行をしに来たわけではないし、まあよい。
燃料となって腹に溜まれば、それで結構だ。
大陸のほぼ南端であるこの場所から出立し、まずは医療の国、メドカルテを目指す。
その流れで北上し、虱潰しに手掛かりを探すというのが、現状立てられる最大限の予定だった。
「話せることは、これくらいだ。さて、私は失礼する。あとは、子供たちのストーカー行為に勤しむなり、好きにするがよい」
「…好きにしていいの!?じゃあ、一緒に行かせて!」
「ふざけたことを言うな。干し草の中の針を探すような旅だが、私は命を懸けている。足手まといなど、要らぬ」
「私、出張も多かったから、大体なら案内だってできるし、魔法も得意だし、超有能よ?職場からの必死なラブコールから、バックレてきたところなんだから。それに…龍宮寺家の男に、二言、無しでしょ?」
「名前しか知らん癖に、何を…」
私としたことが、言葉選びを失敗した。
自由気ままな性格だと分かっていたのに、隙を与えるような言い回しをしてしまった。
富士山よりも高く高貴なプライドを、気後れせず人質にしてくるとは。
悪人という訳ではないが、本当に遠慮というものを知らない。
しかし、だ。
どうやらこの女には、利用価値がある。
如何程まで信用してよいかは不明だが、魔法とやらで自衛ができる案内人が付くなら、悪い話ではない。
もし使えないと判断したら、捨てればいいだけだ。
「ほら、そうと決まったら行くわよ、ユーゾー!」
そう言って、手を引かれたあの日。
私は、そんな風に思っていた。
◇
医療の国に、腐敗を見た。
神の国に、貧困を見た。
そして、その道中を、差別に付き纏われた。
元の世界で、経済の崩壊した地域に足を運んだ際にも、同じ様な光景を目にしたことがある。
真っ当に生きている、幸せな人生を送るに相応しい人々が泥水を啜り、彼らを養分とする悪人が居て。
生まれのみが根拠の差別が蔓延し、対象への加害行為の何もかもが、正当化される。
私一人がどうあろうと、世界は変わらない。
慈善活動にどれだけ投資しようが何の影響もない、あの無力感を思い出していた。
そんな旅でもどうにか自我を保ち、最低限の倫理を保っていられたのは、私を引っぱる白い手が、優しかったから。
飢えに苦しむ子供にパンを与えるその手が、正しかったからだ。
どんな現実を目の当たりにしても、誰にでも優しく、正しくあろうとする、こういう奴が居たのだった。
若き日の自分の姿と重なって、ハッとした。
手掛かりを求めて、何も得られぬまま辿り着いた、北の果て。
戦士の国、アシュガルド。
地図上では、最北端の集落であるリープ村までやって来たが、とうとう、山脈と牧場があるだけだった。
夜中に宿を抜け出して、ライトを手に一人でほっつき歩いてみたが、やはり、何もなかった。
魔法の国ルーライトとの終戦締結からさほどの年数も経っておらず、この国の魔法使いへの差別感情は、特に強い。
中でも転移者は目の敵にされており、ヘイト活動を行う集団が、そこら中に蔓延っているくらいだ。
敵軍一番の主力が、転移者であった影響である。
長閑な風景を、排他的な張り紙や落書きが台無しにしていた。
深々と降った雪も転移者が嫌いらしく、私の歩みの邪魔をする。
このために態々買わされたブーツも、重くて敵わない。
下を見ていた私と、どたばたとすれ違った村人の肩がぶつかって、その場で数秒間足を止めた。
また、歩き出す。
まだ生きているか、士道。
もしも運命に殺されていたなら、私が運命を殺してやる。
だめだ、そんなことを考えてはならぬ。
士道は生きている。
生きているに、決まっている。
自らの中で増幅していく負の感情と戦いながら、宿へ戻る。
乱暴に扉を開けると、一階でユリと出くわして、私はそれを無視した。
今日は床に就くとしよう。
明日以降、どうするかも決まっていないが、思案していると気が狂ってしまいそうだ。
しかし、私が壊れかけている兆候を、神に近しい存在は、見逃してくれなかった。
部屋に戻ろうとしていた私の手を、ユリが掴んだ。
「何処に行ってたの!?…いえ、聞いて。暴走した魔獣が、山から下りてきたらしいの。村の外れよ。皆、戦ってるわ」
「そうか。それは結構」
「何言ってるの。私たちも行くわよ。力になれるかもしれない」
彼女ならそう言う。
心の何処かで、分かっていた。
目を切った私は、老人なりの速度で、殆ど消えかけている足跡について行く。
ゆっくり、ゆっくりと歩いて、本当に長い距離を歩いた。
そうやって現着した頃には、もう、とんでもない有様だった。
なんと、狼のような奴から翼竜まで、多種多様な魔獣が跋扈しているではないか。
というのも、この戦士の国には魔石が少なく、あるとしても人の立ち入らない山脈の向こう側だ。
こんな餌のない場所に魔獣が大量発生するのは、珍事中の珍事である。
いや、奴等が人里へ降りてきた理由を考えるのは、後だ。
戦闘不能となった村人たちや、死体を貪る魔獣たちを追い払わねば。
私の力は、細胞を活性させて若干の身体強化を得る、または負傷者を回復させるというシンプルなもの。
とりあえず、足元で気絶していた腕のない戦士を回復させてから、私とユリは、掃討を開始した。
狼も、熊も、虎も、杖でぶん殴って殺す。
最初は仕方なく殺生をしている気分だったが、段々と興が乗っていき、最高潮に至ったところで、一番大きい竜と相まみえた。
目の焦点が合っていない、紫色の不気味な竜だ。
ユリは、電撃を主体に様々な魔法を操って、私に群がってくる雑魚を排除する。
自由を与えられた私は、杖をフルスイング。
そのつもりだった。
「転移者も、魔法使いも、全員くたばれ…!」
後方に残してきたユリの、踏まれたカエルのような声に、振り向く。
彼女の胸、心臓のある場所が、太い剣で串刺しになっていた。
先ほど私が治療した戦士に、背中から、不意を突かれて。
目覚めた直後、心的外傷後ストレス症でも発したか、状況が分かった上でやっているのか。
何方にせよ、ユリは死んだ。
ほら見ろ、善行なんて、何の意味もない。
正しい人間が報われることなんて、絶対にない。
ああ、そうか。
この時やっと、理解した。
確かにこの世も、ゴミで埋め尽くされてしまっている。
つまり、黄金の扉の中で意思と名乗った、あの思考物体が私に望んでいた掃除とは、即ち殺戮。
となると彼は、異世界の意思そのものだ。
私に最後の希望を与え、私を導く、大いなる存在だ。
さて、そうと分かれば、早速取り掛かろう。
人生初の掃除へと。
この世界を美化するため、この醜い竜も、あの馬鹿な人間も、さっさと殺してしまわねば。
竹箒のようなちんけな力では、時間が掛かって仕方がない。
もっと寄越せと、自らの心に要求した。
すると、宙に二十本の槍。
私の害意が槍となり、その長い身に宿った真っ黒な光が、私の焦燥だった。
念じると、槍は様々な角度で飛んでいき、墓標の如く突き刺さる。
すぐさまこっちを睨んで、反撃に出ようとしていた竜だったが、黒い光に傷口から浸食され、次第に生命力が失われていく。
三歩歩く頃には私よりも皴皴になり、遂には、形状を保てなくなってしまった。
固い鱗までもが、風と化した。
後ろで戦いの様子を見ていた戦士は、私の悍ましい魔法に驚き、恐れ、ユリに刺さった剣から手を離した。
村が崩壊の危機から救われたというのに、顔が引き攣っている。
鬼でも目の当たりにしたかのように震えあがって、なんと惨め。
この男、自覚があるのだ。
自分が今からどうなるのか、ゴミ屑としての自覚が芽生えていた。
ならば私も期待に応え、紛うことなき鬼となろう。
この世界を去るまでの間、大いなる意思に準じようではないか。
そんな私の決意は鎧と刀を形成し、そうして、鬼武者が生まれた。
私の杖と共に振り下ろされた日本刀が、敵討ちを果たした瞬間、すっと心が軽くなったのを、憶えている。
あの感覚が、恨みを晴らした悦びだったのか、それとも、善く生きようとする自分との決別による解放感だったのか、今となってはもう、分からない。




