第57話 兄弟喧嘩
機転を利かせたバルカンに投げ飛ばされ、一足先にダンスホールを抜け出した俺は、無限にも思えるような、長い長い螺旋階段を登っていた。
この区画だけ、やけに無機質で錆だらけ。
安っぽい金属で組み上げられており、まるで廃棄された工場のようだ。
鉄の板で作られた階段を踏む度、カン、カン、と乾いた音が鳴るおかげで、足を動かすペースが上がっている事を自覚する。
ロビンが、すぐそこに。
心が逸るのを、止められない。
やっとのことで階段を登り切ると、踊り場の向こう側では、薄い鉄の扉が寂しく佇んでいる。
感動の再開には、味気ない空間だ。
早足を続けた俺は、ノックもせずに、手をドアノブへ。
しかし、指が触れる寸前、車が衝突事故を起こしたような、ガシャンという音がしたかと思えば、目の前の扉が豪快にひしゃげた。
加減を知らない子供による、手荒い歓迎。
ギリギリで奇襲に反応した俺は、体を右回りに引いて。突進を受け流す。
「…こんの悪ガキが!」
「ようこそ僕の部屋へ…最期に楽しんでいってよ…ユータ!」
へらへらと俺の名を呼んだのは、邪悪な笑みを浮かべたロビンだった。
戦いの準備は万全。
悪魔の瞳には赤い魔力が迸り、彼の移動に合わせて、残光が線を描く。
乱暴に扱われ過ぎて、表面が傷だらけになっていたが、違法な軍事兵器として悪名高い、鉄の義足の動きは未だ良好。
アレに蹴られて激しく歪んでしまった扉は、もう二度と、扉として機能する事はないだろう。
飛び出してきたロビンと入れ替わる形で、俺が足を踏み入れた部屋には、甲冑が左右に立ち並んだ奥に、椅子が一つ、ポツンと在るだけ。
一人で扱うには広過ぎる割、物が少ないせいで、まるで生活感が無い。
「殺風景な部屋だな。…それに、寒過ぎる」
「…何が言いたい」
「帰ろう、ロビン。オーランドさんが、腹空かせて待ってる」
怪訝そうなロビンに、俺は言った。
これは形だけの提案であって、実際は宣言。
彼の居場所は、此処ではないのだ。
親の愛を感じずに育った俺の、父親になろうとしてくれた、盲目の男。
彼に最愛の息子を送り届けるという、絶対の約束を果たす事へのモチベーションに、力が滾った。
「全く、しつこい奴だな…此処にしか、僕の存在価値は無いんだ!」
絶望に震え、声を張り上げたロビンは、義足に真っ赤な光を纏わせると、馬鹿正直に飛び掛かってきた。
そこから繰り出されるのは十中八九、全身全霊の踵落とし。
体に馴染んだ技を気の向くままに振るってしまう、ロビンのある種の幼さは、再戦において、致命的な弱点となる。
「もう見たぜ、それ」
「躱しても無駄だよッ!」
魔力で強化された鉄の踵は、一撃必殺。
すんでのところで回避したのは良いものの、俺の体は、床と義足の衝突によって生まれた衝撃に、耐えられない。
しかし、そんな事は当然想定済み。
俺の右手は、ロビンのシャツの胸元を、むんずと掴んだ。
「こんな湿気た部屋に籠ってられねえ。きのこが生えちまう」
浮遊感の中、余った手の平から青い炎を噴射。
踵落としの反動に、炎の勢いが上乗せされ、俺とロビンは軽々宙を舞う。
共同作業によって見事に飛んだ人間ロケットは、薄暗い部屋の天井を突き破り、青空の下へと躍り出た。
天井にぶつかり、分解した俺たち。
舞い散る瓦と共に落下し、屋根の上を転がった。
隙を見せまいと慌てた俺は、尻の痛みを我慢して立ち上がったが、ロビンはロビンで、咳き込み、苦しんでいた。
「イカれてるよ、お前…!」
「発想が柔軟だと言って欲しいね」
奇異と敵意の込もった目に対し、俺は微かに笑みを零す。
余裕を見せたかった訳ではなく、ただ、嬉しくて。
フライトの恐怖から解放され、どばっと吹き出した汗を拭うロビンの肘は、俺と同様に擦りむいて、赤くなったまま。
あれは、証。
転移者の心臓を蓄えていない、純粋な人間である証なのだ。
深い安堵を噛み締めれば、次には、炎を直撃させてはいけないという緊張が、やってくる。
対して、ロビンは変わらず、シンプルな敵意を絶やさない。
「お前を殺して実力を証明すれば、賢者だって、きっと僕のことを見てくれる!」
息巻いたロビンは、瓦を踏み壊しながら、距離を詰めてきた。
どう足搔いても、速度は向こうに分があるため、間合いは諦めざるを得ない。
助走の乗った横蹴りが、俺を襲う。
しかし、気持ち良く放たれた悪魔の足は、頰を捉える寸前で、硬直。
魔力を練って精製した、真っ青な炎の剣で、競り合った。
この形であれば、急所に命中させない限り、命を奪う可能性は低い。
戦場で甘さを貫くため、用意した策だ。
「賢者はもう、何も見えてない。…きっと、死ぬまでそれは、変わらねえ」
俺は、ロビンの望みを否定した。
自らの望みと共に。
オーランドさんと同じか、それ以上に、じいちゃんの視野は、狭まってしまっている。
人間的な部分などとうに捨て去り、悪魔の王として、この世に君臨しているのだ。
そんなものに評価されて、必要とされて、何の意味があるのだろうか。
ただ、正常な思考でないのは、ロビンも同じ。
素面の俺が何を言おうと、やはり彼には届かない。
「泥棒猫が、知ったような口を利くな!」
「お前こそ、年下の癖に舐めた口利いてんじゃねえ!」
長い拮抗に、いい加減うんざりとした俺とロビン。
お互い同時に筋肉の出力を上げた結果、炎の剣と義足が弾け、互いを突き放した。
その距離は、たった数メートル。
しかしその間に、永遠に埋まらない溝があるように思えて、ならなかった。
正論に言い包められたとしても、きっとロビンは、暴れるのを止めない。
ならば、今は説得を諦め、強硬手段に出るまで。
「もういい。根を張った面倒臭さごと、自慢の両足ぶった斬ってやる」
熚熚と燃え盛る炎の剣を肩に担いだ俺が、そうはっきりと言い切ると、気に食わないロビンは、棘棘しく此方を睨む。
聞かん坊を連れ戻すには、移動手段であり、得物であり、心の支えである鉄の義足を、破壊するしかない。
アレに刃を入れるのは本意ではなかったが、作り物よりも愛する息子。
オーランドさんなら、そう言う。
それに、リープ村に連れ帰ってさえしまえば、優秀な義肢装具士、ドクランが居る。
彼が、上等な義足を作ってくれるはずだ。
「足を斬る?…まどろっこしい。コレは殺し合いだ!」
認識の違いに苛立つロビンは、獣の如く。
怒りの声が響くと同時に、義足の周囲で漂っていた赤い光が黒く濁ったかと思えば、それは形を変え、禍々しい刃に。
俺は、思わず見開いていた目を、一度だけ瞬き。
戻った視界から、ロビンの姿が忽然と消えていた。
瞬間、脊髄の辺りに死の恐怖を検知し、剣を首の後ろへ。
すると、零・五秒も必要とせずに、重圧が襲い来る。
容易く背後を取ったロビンの悪魔の爪が、俺の体を引き裂こうと目論んでいたのだ。
空から九十度。
つまり屋根と水平にふっ飛ばされた俺は、瓦の上を数度跳ねたところで、どうにか受け身。
盾代りにした剣は叩き折られてしまい、大気に霧散してしまう。
「まだすばしっこくなるのかよ…ッ!」
頭に浮かんだ苦情を半分も言い終えない内に、再度接近してきたロビンの二撃、三撃目への対処を強要される。
一本の剣では手数が間に合わなかった俺は、左右に青い剣を生成した。
「人を斬れない奴が、何本剣を握ったって!」
「五月蠅え!」
悪魔の両足による怒涛の連撃に刃を合わせると、青い炎の剣が、硝子の様に砕けて消滅する。
その度に、代わりの剣を瞬時に作り出し、致命傷を避け続けた。
魔力をケチって回避に徹しようかとも考えたが、動きの全てを捉えるロビンの瞳が、許してくれない。
この苦境を耐えるには、反撃の意思を示すための武器が、必要不可欠なのだ。
力に押されて距離が開けば、ロビンはジグザグと小刻みに動いて、フェイントを織り交ぜてくる。
騙されれば、悪魔の足が剣とすれ違ってしまうため、頭痛がするくらいに集中。
タイミング良く、上腕三頭筋を瞬発させた。
死と紙一重の、防戦一方の時間が、段々と俺の精神を削り取っていく。
滑りそうになる足で、我武者羅に瓦を掴む。
顎まで伝った汗が、何度も何度も屋根に落ちた。
そんな、死に物狂いの延命の末。
先に焦れたのは、攻めるロビンの方だった。
「何故、あの虹色の炎を使わない!そんなに…そんなに僕は弱いか、ユータァ!」
ロビンの悪魔の瞳が、孔雀の羽の様にバッと開く。
声色に、劣等感や孤独感が色濃く表れている。
これは、長い戦いを経てとうとう剥き出しになった、極限状態の心。
なれば、俺も魂の叫びを。
「…大切なお前を、殺せる訳がねえだろうが!」
ありふれた感情の炎が、右手の中で、一本の剣へ。
最後の武器は、深い闇に飲まれそうになっていた俺を、牧場の優しい時間へと誘い、癒してくれたロビンへの想いだった。
そのグリップを掴めば、剣は希望に満ちた、七色に色付く。
「大切だと…?お前が大切にしているのは正義であって、僕じゃない!」
「お前を取り戻すためなら、正義なんか後だ!だから俺は今、此処に居る!」
世のためを思うのであれば、賢者の暗殺を最優先にすべきなのだろう。
だが、恩人の息子であり、恩人そのものでもあるロビンの奪還という第一目標を、俺は絶対に譲らない。
そんな根拠を、当人は知る由もなかったが、嘘偽りのない言葉は閉ざされていた心を抉じ開け、久々の動揺を引き摺り出す。
純粋な彼に取り憑いた邪悪を打ち砕く術は、まだ残されている。
そう確信した俺の血液は、ぐっと熱を持った。
「…さあロビン、最後の兄弟喧嘩だ」
俺がそう言うと、承諾の代わりに、悪魔の足が屋根の瓦を踏み締め、破壊。
一気に加速した、ロビン。
先程、嵐のような攻撃を耐え続けていた中で、偶々分かった事がある。
どうやら、根が素直で真面目なロビンは今、同じ動きは通用しないと学び、無意識下で、多彩な攻撃を決め事としていた。
そのやり方は、俺に無限の選択肢を考慮させているかのように見えて、実のところでは、様々な可能性が差し引かれている。
スライダーを投げた打席に、スライダーはもう来ない。
最後の選択肢は、小刻みに曲がって走る面倒なフェイントや、衝撃波を生み出す踵落としでは、有り得ない。
だから、この飛び膝蹴りは、想定内だった。
呼吸を落ち着けて、待ち構えて、居合の要領で一振。
精神的優位に立った俺の剣は、遅れずに目的地へ到着し、悪魔の後ろ脚、右足の付け根を完璧に捉える。
その軌道には、虹が架かっていた。
「僕は、差別の存在しない、平等な世界を…!」
非の打ち所のない、綺麗な夢を口にする。
足搔く悪魔が、咄嗟に。
そんな戯言と義足の片一方を、一纏めに叩き斬った。
「…取って付けたように理想を語るなよ。お前はただ、崇高な理想を言い訳に、鬱憤を晴らしているだけだ」
勝負は決まった。
手厳しい指摘に込めた愛が、暴走する悪魔に止めを刺した。
役割を終えた虹色の剣が消滅。
義足が纏っていた暗い光も、解けて失せる。
どれだけくたびれていても、どれだけ傷だらけであろうとも、彼の細身には、重苦しい鈍色の方が、良く馴染んでいた。




