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異世界捜索  作者: ンゴ
第八章
56/73

第56話 幸福な男

 もう使い物にならなくなったこの広い部屋では、着飾った貴族が踊ることも、シャンデリアが輝くこともないのだろうが、代わりに、紫の小さな光が妖精のように舞い踊り、未だにこの場をダンスホールたらしめている。

 センターには、片翼の天使。

 此処はもう、人のための舞踏場ではなかった。


「ああ…鏡があったなら、自害を考えただろう。醜悪な姿を見ずに済むのは、幸運か」


 珍しく自嘲するグレイドは、様々な部位が欠損した痛々しい姿をしており、赤い瞳はどこか虚だった。

 人格を形成するための、外皮の役割をしていたプライドが、打ち崩された結果か。

 何もかもがどうでもよくなってしまった、諦めた人間の目をしている。


 自慢の刀は切先から大部分が溶け、鼻につくコートも焼け焦げた。

 グレイドを象徴する要素の中で、綺麗に形を残しているものは、左手の薬指に嵌まった銀色の指輪のみ。

 それでも、纏った炎は敵を屠らんと燃え盛り、触れれば忽ち溶けてしまいそうな熱が、こっちまで届いていた。


 俺の行き着く先も、こうなのか。

 あの炎が、宿主の人間性を食い荒らしているように映り、漠然とした絶望に苛まれる。

 そんな、嫌な想像を振り払うためにも、兎に角、乱暴な言葉を選んだ。


「不細工が…地獄に堕ちろ!」


 狙いを定めた俺は、グレイドの直上の重力をピンポイントで操り、奈落への強制送還にかかる。

 しかし、狙いを見透かした彼は、ふわりと翼をはためかせ、最小限の動きで攻撃範囲の外へ。

 くるりと旋回、リリィの氷魔法による追撃も、悠々と躱してしまった。


 猶予を得た彼は、炎を灯したくず鉄同然の剣を、優雅に掲げたかと思えば、その場で振り下ろす。

 まるで、ぜんまい仕掛けで旗を振る、猿のぬいぐるみだ。


「拳骨喰らって、脳味噌イカれやがったか!」


 突然の奇行を俺が馬鹿にすると、返事をするように、刀に触れた火の粉が、爆発した。

 付近の光から光へ、次々に誘爆。

 連鎖は留まることを知らず、凄まじい速度で広がっていく。


 回避し切るのは不可能だと悟った俺たちは、各々でどう抵抗するか、そして、何を犠牲にするかの判断を下さなければならなかった。

 俺は、シャッツの背後に漂う光を重力で叩き落とし、反対にシャッツが、俺の正面を水の魔法で払ったが、安全地帯を作り出すには至らない。

 どうにか、コイツだけは。

 すぐさま振り返り、小さな体を抱き締める。


 やがて訪れたのは、星が生まれる時のような、眩さ。

 光の明滅が、俺の背中を溶かした。

 体感した事のない高温に、服も、肌も、肉までも削がれ、痛みに気を失えば、更なる爆発に叩き起こされる。


 貯め込んだ心臓の力で、細胞の欠損が強制的に修復されるせいで、死んで楽になることすらも許されない。

 拷問のように継続する苦しみは耐え難く、俺は、途切れ途切れに叫んでいた。


「ガアア、アアアア!」


「バルカン様!」


 必死に俺の名を呼ぶシャッツの声が聞こえては、遠ざかる。

 頼りになるのは、彼を守っている実感だけだ。

 

 何回目か、十何回目かも分からない、気絶からの復帰。

 遂に、呼吸が許される。


「…私はこの力が嫌いだ。何故か分かるか?奴隷」


 罪人の休息を、神の使いは見逃さない。

 既に側まで近寄っていたグレイドは、酷く平坦な声で、シャッツに問い掛けた。

 

 その刀は殆どが欠損していたが、紫の炎が、足りない分の刀身を補っている。

 鉄の刃とは異なる過程を通じて、同じ死という結末を与えようと、燃えている。

 

 抗おうとしたが、俺の視界は霞み、頭はぐるぐると不規則に回転。

 先の衝撃で三半規管が狂ってしまったらしく、上手く座標が定まらない。

 そのため、グレイドの方へと振り返って、ズタズタになった両腕を広げることしかできなかった。


「貴方が天使ならば、慈悲を」


 質問には答えず、命乞に励むシャッツ。

 その声は弱々しく、口にした内容が正しく伝わるかどうかも、怪しいくらい。

 

 しかし、伝わるかどうかなんて、関係なかった。

 コイツは、持論を語りたいだけだ。


「この世には、天使も神も、存在しないからだ」


 グレイドの言い分は、偶然にも、命乞いへの回答としても成立し、シャッツが息を呑む。

 ところが、刑の執行に邪魔が入った。


 唸る刀を受け止めていたのは、黄金の義手。

 主であるジェシカの防具は悉くが外れており、肌には無数の出血があった。

 それでも、生存への執着が、強者の覇気が、瞳を支えている。

 手負の虎の迫力に、これまで無表情だったグレイドも、何かを感じていた。


「そこまでの傷を負って、まだ動くか…!」


「特別製の腕…安くねえぞ」


 鉄製の義手は熱に耐え切れず、斬り落とされた。

 が、それに掛かった数秒によって、リリィが放った電撃がグレイドの横っ腹に到達、体勢を崩す。

 隙だらけの顔面を捉えたジェシカの拳が、天使を豪快によろめかせた。


 やっとの、一撃。

 その手応えに納得がいかないジェシカは、口元の血を拭いながら、不満を零す。


「クソッ、腰が入らねえ。命拾いしたな…死に損ないが」


「女如きに殴られるなど、初めてだ。中々に面白かったぞ…赤髪の女よ」


 面白い、などと口先では言うものの、表情筋には動きがない。

 対してジェシカの方は、疲労が滲んでいた。


 どう解決する。

 どう決着をつける。

 無い頭を回転させていると、後ろから、ひゅんと風を切る音。

 ダンスホールの入口の方から何かが飛来し、俺の肩を揺らす。

 命中したのは、長い矢だ。


「グレイド様に仇なすとは、身の程知らずが!」


「捕える必要は無い。全員殺せ!」


 弓矢の出所では、武装した兵士たちが息巻いている。

 戦闘に時間が掛かり過ぎたせいで、愛されし者の援軍が到着してしまったらしい。


「チィ…!無断で俺の邪魔してんじゃねえ、雑魚共が!」


 俺は、筋膜に錨を下ろした矢を、強引に引き抜く。

 その勢いに任せて魔法を発動し、天井を破壊することで、援軍の妨害にかかった。

 しかし、精度が足らず、完全な分断は叶わない。

 時間稼ぎとしても、不十分。

 

 肩の穴は鮮血を吹き出した後、元の形に閉じようとはしない。

 どうやら俺の心臓も、残すは一つ。


「バルカン様…私を囮にして下さい。この中で、一番の足手纏いは、私です」


 落ち着いた声が、俺を呼ぶ。

 シャッツが、汚れたスーツジャケットの裾を両手で掴んで、訴えてきた。


 小刻みな震えが伝わる。

 命賭けの提案に怯えているのかと思ったが、そうではない。

 神秘的なまでに透き通る、赤と青の瞳が恐れているのは、飼い主の喪失。

 渡り歩いてきた世界でたった一人、この青年だけが、ありのままの俺を必要としてくれていた。


 それさえ分かれば、十分。

 迷いや憂いは失せ、腹が決まる。


「俺の命令は絶対だ。それは、これから先も、ずっと変わらねえ」


「…バルカン様?」


 ジャケットの内ポケットにサングラスを仕舞い、それをシャッツの肩に羽織らせると、彼は不思議そうに、こっちを窺ってくる。

 絶対に、バレてくれるな。

 そんな風に、不安に思っていたが、コイツ、俺が先に旅立つことなど、露ほども考えていない。

 常日頃、簡単に考えを悟られてしまうのに、今回だけは、そうならなかった。


 可笑しさに、後ろ髪を引かれるが、振り払う。

 さっさとグレイドの方へ歩き出した俺は、最後の命令を告げた。


「幸せになれ、シャッツ」


 俺の口振りに、何かを感じ取ったジェシカとリリィが、眉をぴくりと反応させる。

 邪魔者を排除するために、二人の協力は欠かせない。

 こんなガキ共に頼り切りになってしまうのは情けないが、彼女たちの命を繋ぐことにもなるのだから、悪い話ではないはずだ。


「私がこれ以上、勝手を許すとでも?全員、此処で始末する」


「鼻から一抜けした奴もいるんだ。それが何人増えようと、変わんねえだろ」


 グレイドまで、俺の意向を察していた。

 コイツには、ダサい部分を見抜かれっぱなし。

 とはいえ、最終的には恥ごと潰されて、骨までぐちゃぐちゃになるのだ。

 墓まで、持っていけ。


 ワイシャツのボタンを一つ外すと、空気の通りが良くなったせいか、体が軽く感じる。

 今になって、ようやく仮初の姿から解放されたのだから、我ながら、面倒な人間だったと思う。


「ずっと目障りだった。…奴隷を従えてからの貴様は、特にだ!」


 嫉妬の炎を纏った紫色の刀が、俺の肩へ。

 骨でさえも勢いを止める事ができず、パックリと胸まで裂けた。

 内側から焼かれ、発狂しそうになるのは、気合いで我慢。

 俺は、笑った。

 不細工に、笑った。


「なあ…俺は今、最高に幸せだぜ。手前と違って、幸せなまま死んでやらあ!」


「バルカン、貴様…何故、貴様はァ!」


 単純な煽りにグレイドの恨みが増幅し、炎は激化。

 噴出し、周囲を包み込む。

 地球から、化け物二匹が分断された。


「…消えろ、ガキ共!二度と俺に、そのムカつく面ァ見せんじゃねえ!」


 そう、二度とである。

 奴らと俺の終点は、逆方向。


 足音が、左右を通り抜ける。

 右は、息遣いを落ち着けて、薄情に振る舞おうとするリリィ。

 ギリギリと鳴るほどに奥歯を噛み締めながら、暴れるシャッツを片腕で抱えた、左の方が、ジェシカか。


「バルカン様…バルカン様ァ!」


 ようやく何が起こっているのかを理解したシャッツは、完全に正気を失っており、聞いたことのない声で喚く。

 躍起になって、此方へ手を伸ばしているのが、分かる。


 俺は、最悪の飼い主だ。

 彼が今、あんなにも深く悲しんでいるというのに、どれだけ愛されていたのかが形になったことで、充足感を得ているのだから、呆れて、笑える。


「逃すか、私の全てを奪った、差別主義者共!根絶やしに、根絶やしにせねば…!」


 グレイドという男は、マジョリティを許せない。

 視野が塞がっていたため反応が遅れたが、彼は、離れていく三人を諦めなかった。

 リリィについて部屋を出たジェシカとシャッツは、炎の渦に追い付かれ、覚悟する。


 しかし、炎はひれ伏した。

 扉を超える寸前、神の視点から振りかざされた、理不尽な力に屈した。


「悲しみなんかじゃ、花は咲かねえぞ…グレイドォ!」


 血の涙を流したグレイドのシャツの襟を掴んだ俺は、魔力を盛大に吐き出し、ダンスホール全域を、重力の負荷で覆った。

 もう、誰かを巻き込まないよう注意する理由などない。

 調整無しに、ただただ、力一杯。

 ホールを全壊させれば、援軍の足も阻害できよう。

 一石二鳥である。


 当然、標的のグレイドだけではなく、俺も等しく重力の下敷き。

 膝や足裏の骨が、悲鳴を上げている。

 血が固まりかけていた傷口も、目を覚ました。

 この出血量ではどの道助からないのだから、残すは、同じく満身創痍となった天使との、我慢比べのみ。


「仲良く地獄に落ちようぜ…手前もどうせ、友達いねえだろ!」


「ふざけるな…そんなに死にたければ、貴様だけで死ね!」


 マジョリティへの、即ち、世界への復讐を諦めないグレイドは、最後まで、灼熱で俺を虐める。

 だが、俺は堪えた。

 根性一つで、耐えていた。

 奇しくもそれは、幼き頃の俺が理想としていた、正義の姿。

 シャッツの幸せのためならば、どんな困難も超越する自信があった。


 しかし、一秒間だけ、意識が何処かへ。

 不幸なことに、落っこちてきた破片が、後頭部に直撃したのだ。


「…地獄とやらの入口で、待つがいい。貴様の連れが、すぐに後を追う」


 蛙が死ぬ時みたいに短く鳴いた俺が、目を白黒させている隙に、重力の檻から解放されたグレイド。

 その左腕が、真横に。

 左腕と、刀だ。


 今も尚、シャッツへの殺意に溢れるこの男を、自由にしてはいけないと分かっているのに、幸せな走馬灯が、邪魔をする。

 もういいと、都合の良い幻が俺の頭を撫でてくるせいで、心が満足してしまう。


 力が抜けた獲物を見て、腹を空かせた刀が炎を吹く。

 そこへ、瓦礫が降ってきた。

 グレイドの関節へ、降ってきた。

 耐え切れず千切れた左腕と、指輪の煌めく指に握られた刀が、ぽっかり口を開いた奈落に、呑み込まれていく。

 

 運が此方に傾いたかと期待したが、今更両腕を失おうが、何だ。

 俺に止めを刺すことなど、朝飯前である上、我が心臓を平らげてしまえば、グレイドは元通り、五体満足。

 神様の悪戯も、所詮は悪戯である。


「…もう私を置いていくな、カトリーヌ!」


 ただ永遠の闇が訪れるのを待っていた俺の耳に、床をだんと蹴る音、それと、なりふり構わぬ無様な声が。

 ゆっくりと周囲を確認すると、グレイドの姿が何処にも無い。


 まさかと思い、腕の落ちた方を覗き込むと、深淵に向かって、紫の翼がはためいている。

 グレイドは、左腕に拘ったのだ。

 追いつこうとフルスロットルで加速し、腕と一緒に墜落した彼は、ぐしゃり。

 生々しい音を立てた。


 炎は儚く散って、もう、気配がない。

 崩れ行くダンスホールの一番底が、グレイドの選んだ死に場所だった。

 地獄に近くて、良いじゃないか。


「ケッ…度し難(がて)え馬鹿だ」


 吐き捨てるように言った俺は、ポツンと床に取り残されていた、奴の忘れ物を放り捨てた。

 薔薇の花束が、花弁の少しを捥がれながら、落ちていく。


 もう、立っているのも、沢山だ。

 瓦礫の山へ倒れ込むようにもたれかかって、溜め息を漏らす。

 血液が流れ出ていく様に、憂鬱。

 ようやく楽しくなってきたところなのに、お前の人生は終わりであると、釘を刺されているような気がする。


 心境の変化が、著しい。

 俺はやっと、今を生きたいと思えたのだ。

 愛が人生に水をやり、最期に、花を咲かせたのだ。


「満足だ」


 呟きは、風に舞って、消えた。




 ◇




 絵画の並ぶ通路に出た私たちと、ダンスホールに残った二人が、降り注ぐ瓦礫の山によって、区別される。

 騒々しかったのはちょっとの間で、すぐに静けさが場を包み込んだ。

 

 腰を固定していたジェシカの腕が緩み、やっと抜け出せた。

 だが、積み重なった石と鉄骨に、私は無力。


「…私は、此処に残ります。最後まで協力できなくて、ごめんなさい」

 

 私は身勝手を言ったが、ジェシカとリリィはそれを非難せず、ただ黙って、ダンスホールを後にした。

 

 駆け足が聞こえなくなった途端、足の力がストンと抜ける。

 膝から崩れ落ちてしまった。


「あなたがいない世界で、どうやって幸せになれと言うのです」


 絞り出した声は、分厚い壁に阻まれてしまい、向こうまで届かなかった。

 孤独の寒さに耐えるためには、穴だらけのジャケット一枚だけでは、足りないのに。


 石や埃に汚れた視界が、灰色にくすんでいる。

 片身のサングラスを、無意識の内にかけていたのかと思って、目の辺りを確かめた指が、空振りに終わった。

 とうとう、色彩は帰って来ない。

 涙でじゃぶじゃぶ洗っても、潤ってすらくれなかった。

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