第50話 潜入
馬車の足元には、草の絨毯が広がっているというのに、遠くを見れば、赤みがかった砂一面。
神の国、シンの東部特有の過酷な気候が、自然に対し不平等に襲い掛かり、大地が真っ二つに色分けされてしまったのだ。
大地の上では、朽ちかけた石柱が天を睨みつけたり、はたまた寝転んだり。
何処彼処で、過去文明の遺跡が淋しく風に吹かれているだけの、捨てられた地域である。
こんな僻地が組織の中心部として機能してしまうのだから、驚きだ。
過去に経営者として名を馳せたじいちゃんの能力が、この世界でも大いに振るわれていた。
茹だるような暑さの中、態々変装用の黒いローブで肌を隠し、荷物でパンパンの馬車に籠るのは、今日で何日目だろうか。
物資の運搬係を装うため、よんどころないと分かってはいるが、居心地の悪いこと悪いこと。
しかし、御者を担った騎士やリリィだけではなく、普段は饒舌なジェシカですらも神妙な面持ちで黙っていたため、たらたら愚痴るのも違う。
まあ、これから敵の本拠地に飛び込もうというのだ、重い空気になるのも仕方なし。
ムードを変えるため、小粋なジョークに挑戦してみるのもいいが、不毛な会話になど逃げず、各々で集中力を高めている彼女らの邪魔はしたくない。
そのため俺は、もう飽き飽きする程に眺め尽くした風景と、またにらめっこだ。
懲りずにそうやっていると、永遠に思われた景色の果てに、とうとう異物が混入。
忌々しくあるはずの対象に、ちょっとした喜びを覚えてしまった。
「あれが、宮殿…」
呟いたリリィの瞳に映るは、やけに巨大な建造物。
そのサイズは帝都の王城に負けず劣らずであり、廃れた土壌には相応しくない見てくれだ。
それでも間違いなくそこに在する、憎き敵、愛されし者のアジトは、俺たちを飲み込まんと門を開け放っていた。
門前。
我々一行と同じく、無個性な装いの数名が見張りを行っている。
が、欠伸や居眠りをしている者ばかりで、まるで責任感がない。
結果的に、作戦にブライスが参加していなくて、良かった。
もし彼女があのだらしなさを見たら、条件反射で叱り付け、厄介な事になっていただろう。
「変ですね…」
様子を覗った騎士が、訝しげに声を漏らしたのが聞こえたものの、すぐさま聞き返す訳にはいかない。
今まさに、馬車は敵兵の蔓延る門柱の間へと差し掛かろうとしていた。
締まりの無い見張りたちとは対照的に、車内の酸素が薄い。
冷や汗が一滴流れることにすら、焦りが伴う。
だが結局、ローブを羽織った俺たちは、見張りたちに見向きもされなかった。
通り過ぎ、絶対に声が聞こえない距離まで遠ざかったところで、騎士の揺れる背中に問いかける。
「…何かあったのか?」
「やけに見張りが少ないんですよ。普段は、入るまでに何重にも検問が敷かれているんですが」
テロ組織の中心部にも拘らず、我が実家よりも心許ないセキュリティ。
常にこの有様であれば、邪魔になる程の物資を馬車に積み込んでまで、カモフラージュせずに済んだというのに。
いやしかし、普段よりも簡単に侵入できるのなら、それは只々好都合である。
「ラッキーじゃねえか。この調子なら、迷子もすぐに見つかるかもな」
カシャリと金属の擦れる音を立て、頭の後ろで腕を組んだジェシカ。
すこぶる楽観的な物言いは、彼女なりの気遣いだ。
フードの下に覗く口元が、優しい。
この三人でなら、きっとロビンを奪還できる。
長らく動き続けていた馬車の足が遂に止まっても、俺の手には武者震いすらなかった。
「階段を上がって、突き当たりの扉へ。番人が居ますが、変装していれば問題ありません。…それでは、健闘を祈ります」
「そっちも、帰り道でしくじるなよ」
俺が挨拶を交わし、皆で降車。
馬を百八十度、さっさと離れていく騎士の背は、見送らない。
一行を見下ろす美しい宮殿が放つ、拒絶の気配を切り裂くように、ただ、前へ。
そうやって間髪入れずに踏み出した一歩目が、偶々揃う。
足音が重なる毎に、絆が深まっていく。
そんな気がした。
ローブを靡かせながら長い階段を上っていくと、五メートル程もある青銅の扉が、俺たちをお出迎え。
扉自体のみに留まらず、それを囲む壁にまで天使の彫刻がびっしり刻まれており、その全てが此方へ視線を送っている。
人ならざる者には、被った布一枚など透けて見えるか。
残念、扉の番をしているのは人。
神の使者とは違う。
とんとん拍子に進んでいく作戦に気を大きくしていた俺は、踊り場を堂々進み、歓迎されるのを待っていた。
しかし、客人の到着に、彼らは直立不動。
何時まで経っても扉に手を掛けようとしない。
そしてとうとう何の動きも無いまま、俺たちの足は扉の目前まで辿り着いてしまった。
「…貴様ら、此処で一体何をしている?待機命令を受けた者以外、総動員で出兵命令が下ったはずだが」
衛兵の疑いの眼が、布越しに俺を捉える。
怪しまれてはいるものの、赤の他人だとバレてしまっている訳ではなさそうだ。
だが、騎士に説明された前提が変化している以上、何を言えばこの場を切り抜けられるのか。
解決の糸口が見つからず、皆口を噤んでいた。
次第に、黙りこくった同胞への疑念は、深まっていく。
「…おい、フードを外せ」
衛兵はそう言うと、命令に従わない俺たちの側へ。
無情にも、深々と被ったフードに、手がかかる。
いよいよ顔が暴かれようという時、ガン、と重苦しい音が、邪魔をした。
固く閉ざされていた扉が、内側から徐に押し開けられたのだ。
青銅の狭間の闇に、磨き上げた刃物のような輝き。
それが眼光だと理解できたのは、雪崩れ込んだ陽射しに、黒い仮面が照らし出された後だった。
「俺様の客だ。黙って通せ…無能共がァ」
不気味な黒い仮面で顔を隠した、見上げるくらいに長身の男。
聞き覚えのあるざらついた声に、背筋を怖気が撫ぜる。
扉に彫刻された天使たちですら、目を逸らしていた。
俺たちに対してあれだけ偉そうだった番人も、あっさり気圧されてしまい、生唾をゴクリ。
「だ、誰かと思えば新人のお守りか…チッ、驚かせやがって」
無理に強く出た番人は精一杯の舌打ち、それからすぐに道を空けた。
俺は、浮かんでくる様々な疑問をさておいて、闇の中へと足を踏み入れる。
後ろの方で扉が閉まる音の残響が消えると同時に、今更不安が襲ってくるが、もう後戻りなどできない。
真っ暗な中、少しだけ億劫に絨毯の感覚の上を歩くと、左右の壁沿いに一列に設置されたランプが、自動的に火を灯した。
通路の先に照らし出されたのは、左右の捻じれた階段が印象的な、無人のだだっ広いロビー。
内装は青や紫を基調とした華麗なものだったが、掃除が行き届いておらず埃まみれ。
肖像画や石像が飾られていたが、それは賢者を模した物ではなく、ただ放置されているだけのような哀しさがあった。
「元々神の国の大貴族が建てたものを略奪し、そのまま使っているので、名も分からない神がそこら中に転がっています。此処に集まる方々は、片付けなどできませんから」
周囲を眺めていた俺の脳内を見透かした、透明感のある声がする。
進行方向に誘導された視線の先では、いつの間にかそこに居た白い仮面の男が、優雅に礼をしていた。
警戒して立ち止まった俺たちとは違い、歩み寄った黒い仮面の男は彼の隣へ。
すると、そこに出来上がったのは、やはり見覚えのある身長差。
どうやら俺と同じ相手を思い出していたジェシカは、我慢ならないと言った様子で、背負った大剣の柄に手を掛けた。
「薄気味悪いコスプレしやがって、何のつもりだカマキリ野郎」
「…あァ?文句あんならもう一遍半殺しにしてやろうか、クソ女」
雪辱の好機に赤い瞳をギラつかせたジェシカが、挑発。
それに応えるため、黒い仮面が持ち上がる。
鮫のように尖った歯を剥き出しにしたこの男の名は、バルカン。
ルーライトの酒場で殺されかけたあの日の事を、忘れられる訳がない。
喧嘩を売ったジェシカの方は、今すぐにでも得物を抜こうという勢いだったが、バルカンの方はおちょくっているだけ。
むしろ、白い仮面の奥に潜む俺への敵意の方が、手厳しいものだった。
鬱陶しく感じた俺は、突き刺さってくる視線を睨み返す。
「…恨んでも、恨まれる筋合いは無いんだがな」
「バルカン様を焼き殺すなど、万死に値します」
「ふざけろ、先に暴れ始めたのはアイツだ」
此方としても、ジェシカの命を理不尽に脅かされた事を許してはいない。
多少の喧嘩であれば、付き合ってやりたいところだ。
しかし、幾ら見渡してもそれらしき相手が他に見当たらない以上、俺たちを案内する工作員とやらは、この二人。
なら、どれだけ硬い握り拳を作っても、無駄である。
「見ての通り、この宮殿はアホみたいに広い。最初の扉を間違えでもすりゃ、到着は夜明けだ」
へらへらと笑うバルカン。
彼の言い分はもっともであり、土地勘のある人間の協力無しに行動するのは、余りに危険だ。
視界の中で分岐する通路の、一体どれがロビンのいる部屋に繋がっているのか、俺たちは予想することすらできないのだから。
時間を浪費すればした分だけ、潜入が発覚するリスクは高まっていく。
敵の巣で包囲されれば、生きて帰れる保証はない。
つまり、バルカンたちと争う選択肢など、俺たちに取りようがなかった。
「そもそもだ。どうしてお前等が帝国に協力してるんだよ」
「何でンな事を、たかが仕事相手に言わなきゃならねえんだ、あァ?」
「裏切られる可能性が高過ぎる。その悪人面、信用しろってのか?」
俺は、バルカンに負けじと目付きを尖らせ、言った。
悪人は、簡単に嘘を吐く。
動機を聞き出そうが、心の底から信用する事などできないだろう。
それでも、何も知らずについて行くよりは余程増し。
もし道理に綻びが出れば、この場でこいつらを叩けばいい。
数秒間、根気強く目を合わせた甲斐があり、俺より先に、バルカンの方が折れた。
高い位置で溜め息を吐き、渋々。
「…単純な話だ。俺はジジイの取り巻きをバックれて以降、無職。金がねえ。そんな俺に目を付けたのが、金満国家エルデ様って訳だ。契約料は人生三週分の金、それと帝国の永住権。人生上がるまで、秒読みよ」
「こんな危険な仕事を、金目当てで請け負うか?普通」
「俺様が、仕事をしくじる?万に一も無え。なら、重要なのは何だ?支払い、利益だけだろうが。唯一問題があるとするなら、明日まで帝国が残っているかどうかだな。…チッ、つくづく不幸だぜ」
「…どういう意味よ?」
リリィが、眉をピクリ。
不機嫌そのもののバルカンから溢れた愚痴に、嫌な何かを感じ取り、聞き返した。
そうやって、じっくりと問われたのに対し、返事は、呆気なく。
「外の雑魚が言ってただろうが。雑魚の殆どが出兵したんだよ。…帝国に向かってな」
戦慄が走る。
人員を削ってまで、急ぎ足で実行された賢者暗殺作戦。
だが結局、騎士団が、クリードが恐れていた最悪の事態には、タッチの差で間に合わなかったのだ。
もう、帝国へ歩を進める大軍を止める術は、無い。
事実は、三人の若者の心に、重く重く伸し掛かった。
その筈だ。
「そう。なら私たちには好都合ね」
黒い雲に覆われたような、どんよりとした空気の中、冷酷な感想を口にしたリリィ。
杖を片手で床へと突き立てる彼女の蒼い瞳は、飄々と見据えていた。
剣の如く真っすぐに、正面の扉を。
「ロビンの奪還が今回の目的でしょ。兵の少ない今なら、きっと宮殿の中も動き易いわ」
「何言ってやがる…帝国にはエリーゼも居るんだぞ!」
声を荒げたジェシカは、リリィの胸ぐらをローブの生地が伸びるくらいに掴んだ。
その凄まじい剣幕と逆立つ赤髪は、獅子を彷彿とさせる。
力の入った右腕には、細い血管が幾線も浮かび上がり、黄金の腕よりも強い存在感を放っていた。
しかし、澄んだ瞳は、深い森に囲われた湖の水面の如く。
全くもって、揺らがない。
いつまで経っても恐怖心の姿が見えないせいで、激昂したジェシカの方が、僅かに気後れしていた。
「引き返したって、間に合わない。クリードやブライスさんを信用して、やれることをやるしかないの…私たちは」
合理的なリリィの主張は、ジェシカが噛み締めた歯を、音が聞こえる程に軋ませた。
やがてその音は静まり、正論を前に敢え無く敗れた拳も、ローブから離れる。
何かを振り切るかのように、苦し気に背を向けた彼女は、歩き出したバルカンの背を、遅れずに追った。
ジェシカの叫びは間違いなく愛に溢れていたが、舵を切るべきは、リリィが指し示した方向。
この運命的な歯車の噛み合いを好機と捉え、精神面で恩恵を受けられるよう、切り替える。
きっとそれが、大戦争の幕開けを知ってしまった俺たちに、最適な思考だ。
正しさというものは、決して優しい訳ではない。
二人のやり取りに、再確認させられた。
俺は、その場で立ち止まっていたリリィの背を叩き、通り過ぎて。
今度は、ジェシカの肩を叩く。
正しくあってくれるリリィと、正しさを受け入れたジェシカに、俺は優しくあろうじゃないか。




