第49話 別れ道
「我が国と同じ末路を辿らぬよう、精々足搔け…ブライス」
私の去り際に、ルーライト国王、アダム・アレクサンドラ・ローは言った。
この老いぼれは、未だに祖国の復興を諦めておらず、末路、などどいう言葉遣いは、相応しくない。
なれば、先のは冗談の類だ。
「…決して、歴史を無駄には致しません」
背を向けたままそう誓い、外光だけを頼りとした、寂れた部屋を後に。
重要な密談を終えた私を、眩い蛍光灯の光、そして、男の声が出迎える。
「どうやら、見直しが必要ですかねえ…作戦」
扉の側の壁に寄り掛かり、私が出てくるのを待っていたクリードは、がっくりと首を倒した。
内心、私もうんざりしていたが、態々表に出すまい。
すたすたと歩き出せば、彼も大人しく後ろをついてくる。
似たような革靴を履いているにも拘わらず、私よりか弱い足音を立てて歩くこの男の脳は、今、全力で稼働中。
我々が屋上に出るまでに、何らかの解が出されるだろう。
放っておくと、懲戒処分にならないグレーゾーンで好き勝手始めるため厄介な奴だが、自分にしか務まらない仕事は必ず果たす。
気分屋なようで、そうでない奴なのだ。
階段をぐりっと踏み、扉を荒っぽく蹴り開け、落下防止の柵に身を預ける。
煙草を取り出すと、クリードが用意したライターの火が、すかさず私の口元へ。
肺に空気の流動を感じれば、腐っていた気分も幾分か増しになり、重たい軍服から一時の解放を得た。
「…貴様は吸わないのか」
「お恥ずかしながら、禁煙中なんですよ。幸せな老後を目指して、そろそろ健康に気を遣おうかと」
「チッ…下らん。軍人が遠い未来など語るな」
部下の付き合いが悪くなった鬱憤を、吐き出した煙に任せた私は、帝国の豊かな街を柵の隙間から一望する。
そう、この景色を守るためならば、騎士個人の未来など投げ打って当然の代物なのだ。
英雄、ジェイコブ・ジャクソンが、そうしたように。
帝都に報告が届いたあの時から、愛されし者との戦いは英雄の敵討ちも兼ねることとなり、重みを増した。
暗殺の隊に参加し、この剣で賢者の喉を貫く光景を、何度夢見ただろうか。
しかし、騎士団長という立場上、私情を優先するような身勝手は、許されない。
「…こうなれば、鼠の掃除が最優先事項か」
「奇襲は成立させるべきかと。俺たち抜きで、死なない程度に頑張ってもらいましょう。年長者は、社長出勤という流れで」
「癪だが、ガキ共が上手くやると信じる他ないな」
クリードと大枠の意見を合致させた私は、まだ燃えている煙草を握り潰し、緩い風に抵抗して立ち上がった。
勿体無いとは思う。
だが、時間は何にも代え難い。
この一分一秒の積み重ねが大義達成に繋がると信じて、堅実に積み重ねていくしかないのだ。
私も人間だ。
怠惰や欲望に手招きされたりもしたが、急ぎ足にしつこくついてくる馬鹿がいるおかげで、模範で在れる。
今日もこの足を、大きく踏み出せる。
◇
「俺らだけで潜入しろだと!?遂に怖気付きやがったか、ナードが!」
「仕方ないでしょ。そういう作戦になっちゃったんだから。ねえ、ユータ?」
クリードを容赦なく怒鳴りつけたのは、額に大木の様な血管を浮かべたジェシカ。
彼女の大声と、平手打ちを喰らった机の悲鳴、その両方のやかましさに思わず耳を塞いでいたが、横に居るリリィは慣れてしまったのか、平然な顔で俺に構っている。
友人と一月振りの再会を果たした俺、龍宮寺優太は、帝都とリンドの中間に位置する小さな基地に集められ、作戦の説明を受けていた。
当初はジェシカも気を良くしていたように見えたのだが、クリードの顔を見るなり若干不機嫌に。
本題を切り出された今となってはもう、鬼の形相だ。
とはいえ、彼女の暴言も然程理不尽ではない。
クリードの口から語られた、急遽改変された賢者暗殺作戦の内容は、無責任に思えた。
配られた書面にあったのは、問題発生による人員の再分配。
帝国の中心戦力、ブライス・ハワードとクリード・ミラーは、帝都に残って別の事案に当たるため、作戦には同行しない。
決行直前になって、そう言い出したのである。
先導する大人がメンバーから外れるのは、戦力面、精神面、何方においても痛手だ。
そもそも、傭兵のみでやるような作戦ではない。
彼らの様な重鎮が命を懸けるなら、それなりの勝算があると思ったから、潜入というリスキーな手段を受け入れたのだ、俺たちは。
「実際、罷り通らないだろ。戦争の核を担う作戦を、全部お願い、なんてのは」
「まあまあ、ピリピリしないでよ。確かにコッチの人員は、工作員と、送り迎えだけ。嫌がるのも当然だ。…だからさ、君たちは我々帝国騎士団が作った千載一遇のチャンスを、ただ利用すればいい」
「利用、だと…?」
まどろっこしい言い回しで答えたクリードに、ジェシカがイライラ。
ただ、会話の邪魔になるのを嫌い、脅しに使っていた鉄の義手は、腰に収めていた。
「君の目的は、ロビン君を連れ戻す事。要るでしょ?彼と接触する機会が。今回の作戦は、十二分にその可能性がある。彼の身柄を確保した時点で、敵のアジトから離脱したって構わない」
「それが賢者を殺す前だとしてもか?」
「構わない。進行、撤退、その判断は、全て君たちに委ねる。俺たちからすれば、敵の戦力からロビン君が外れるだけでも、十分な成果だから。勿論、活躍に見合った報酬は別途払う。どうやら、金が入り用な人もいるみたいだしね」
「…フン、うるせ」
クリードに見透かしたような物言いをされたジェシカは、そっぽを向いてしまった。
拍子に、首にぶら下がっている魔獣の角のネックレスが、カラカラと揺れる。
義手の代金など、アレを売れば一度に解決するはずだが、思いの外気に入ったのか、手放すつもりはなさそうだ。
となれば、ジェシカにとってもメリットは充分。
残るはリリィの意思確認のみだったが、話の流れで自然と集まった視線に、言うまでもないといった様子の彼女は、片目をパチリ。
「賢者の暴挙を終わらせて、平和を取り戻すのが私の目的よ。…異論なんて、あるはずがないわ」
断言した青い瞳には、一切の迷いが無い。
いつの間にかリリィが手にしていた、大人びた強さ。
その輝きは、立ち姿をより一層、魅力的に映す。
かつて、仔犬の様な怯えた目で縋り付いてきた弱者の影は、もう何処にもなかった。
俺の目的まっしぐらに歩んできたこの旅の道程が、彼女にとっても価値があったのだとすれば、感慨深い。
「決まりだね。俺たちだって、事が済んだらすぐに加勢に行く。兎に角、命優先でよろしく」
「…で、その事ってのは何なのか、いい加減教えろよ」
役割に納得して頷いた俺とリリィとは違い、ジェシカは訝しげに眉を顰めた。
聞かずともやることは変わらないのだが、気にはなる話だ。
共感した俺も、クリードに目配せして催促したが、短髪の上から頭を掻いた彼は、またも、ぼやけた事を言うだけだった。
よくよく考えてみれば、だ。
この件において、クリードらが日和ったのではないか、なんて疑いは、下らなかった。
唯一無二の親友を失った彼が抱く恨みは、クヌギの根っこの様に深いのだから。
「なに、客人を地獄に案内するだけさ」
俺たちがそれを理解したのは、クリードが浮かべた笑みの裏に激情の渦が立ち込めた、最後の数瞬だった。
◇
閉ざされた扉の奥から、ルーライト国王の声が、微かに漏れて聞こえてくる。
この密談は、ルーライトの再興という、彼の悲願への一歩でもあるのだ。
高貴な身分の彼であっても、埃塗れのみずぼらしい部屋を、嫌がりはしないだろう。
「魔法使いの才能は、兄弟に等しく分かれる事はない。同じ子宮に、才人は二度宿らない。それは、双子の場合でも同様だ。授かる才能には、必ず格差が生じる。長い歴史において、例外の観測はなかった。…我が国が滅ぶ、その数ヶ月前まではな」
国王の重苦しい語りに、含み。
意味に気づくには、さほど時間は掛からなかった。
愛情も幸福も平等に与えられてきたかのような、仲睦まじい双子姉妹。
彼女らが転移者であるならば、そこに存在するはずの才能の差、此方の世界のルールなど、関係がない。
ユータ君を帝国が匿っていると把握していたのに、魔具の試作品については情報が無かった敵の様子にも、納得がいく。
帝都へ潜り込んだ鼠は、国王に目をつけられて、身動きが取れなくなっていたのだ。
帝国内部に忍ぶ危険は、速やかに排除せねば。
軍事機密の一歩手前まで魔の手が迫った以上、暗殺作戦の決行も早めるべきだろう。
「疑っている訳ですか…王の身を護衛してきた張本人である、彼女たちを」
「その通りだ。ミロ・アンテノーラ、キロ・アンテノーラの両名は、奴らの諜報員である可能性が、極めて高い」
ブライスの揺さぶりに対し、国王の返す刀には、確信の響きがあった。
事実ならば、国境での戦いのきっかけを作ったのは、あの双子という事になる。
そう思うと、どうにも腹の虫が暴れ回ってしまい、冷静に物事を考えられない。
自らの爪が手のひらの皮を突き破り、少量の出血があったが、俺は構うことなく、怒りを消化し続けていた。
手のひらは、少女の痩せた腹。
爪は、ナイフに見立てて。
「決して、歴史を無駄には致しません」
正気を失った俺の目を覚ましたのは、扉一枚を挟んで聞こえた、ブライスの凛とした声だった。
そうだ。
俺たちは歴史の一部と化したジェイクの魂を背負い、帝国を守る使命がある。
そして、死など恐れもしないブライスを生き残らせるという、恋敵から託された任務を、この頭脳をもって成功させるのだ。
感情に思考を左右されるな。
効率的に行動し、数多の選択肢から正解を掴む能力が、これまでに証明してきた己の価値ではないか。
扉が開かれる。
絹の如き、ブライスの手によって。
彼女が信用を置く、普段通りのクリード・ミラーでありたいと思い、赤い汚れを、組んだ腕の中へと隠した。
握り拳が、ひりひりした。




