第47話 想い
人々を取り巻く大気が、油の如く、どろり。
高くからは、羽毛布団にも負けないくらいに分厚い雲が、覆い被さってくる。
重苦しくて敵わない。
だが、そんな憂鬱な空模様が、この場には相応しい。
帝国の矛と呼ばれた英雄、ジェイコブ・ジャクソンの死を祝う者など、居る訳が無いのだから。
愛されし者の襲撃からリンドを、国を守ったジェイクの埋葬は、帝都で大々的に行われることになり、今日がその日。
短い間だったが、世話になった自覚があった俺は、ブライスの許可を得て、足を運んでいた。
黒服に運ばれてきた、ジェイクの亡骸に合わせて作られた立派な棺桶も、少しの時間で土に覆われてしまう。
箱になれば、誰も彼も一緒なのだ。
参列し、墓の前に花と言葉を添える人々の中には、ハンカチで目元を拭うだけでは収まらず、泣き崩れる者も。
思い思いの感情が様々な形で、英雄と記された墓石の上に置き去りにされた。
俺も緩やかな人の流れに付き合い、墓石の前へ。
一輪の白い花を、そっと置く。
呆気ない。
涙を流すくらいのことはあるかと思っていたのだが、どうにも、物言わぬ石の板に感情が動かず、形式的な作業だけを済ませる。
積み重なった花の山からさっさと目を切った自分が、酷く冷たい人間に思えた。
「久し振りだね、ユータ君」
「そっちは、随分ご活躍だったみたいだな」
「俺は何も。君の友達は頑張ってくれていたよ」
ベンチに座って、此方の様子を眺めていたクリード。
彼に声を掛けられた俺は、一言目に褒めてみたが、ろくに取り合ってはくれない。
そういえば、こういう奴だ。
自らを小さく見せる、卑怯な奴だ。
暫く顔を見ないことで忘れかけていたクリードの性格を、一度のやり取りに思い出す。
「出会って一か月程度の奴のために、ありがとう。でも、良くしてくれたでしょ?アイツ」
「ブライスがあんなだ。ジェイクが居てくれなかったら、気が狂ってた。…仲、良かったんだろ?」
「まあ…そうだねえ」
曖昧に答えたクリードの胸ポケットから、煙草。
咥えたそれに、慣れた手つきで火を付けた彼は、煙の行く先を呆けたように見つめる。
訃報が入った後、クリードとジェイクの間柄は、ブライスから大まかに聞いていた。
そのため、もっと堪えているかと思ったが、以前と変化はない。
彼は彼で、冷たい奴だ。
煙草の先に溜まった灰は地に落ち、また新しい煙を空へ。
まるであの薄暗い雲が、副流煙で作られているみたいだ。
そんなことを考えるくらい、ぼんやりと時間の流れに身を任せれば、黙っていたクリードが語り出した。
「俺が独りにならなかったのは、アイツが居てくれたおかげだ」
「別に、特段嫌われるようなタイプには見えないけどな」
「確かに、誰とでもある程度仲は良かった。女の子にも結構モテたしね。けれど、皆現実的な目標を掲げた、真面な奴ばかりでさ」
「それじゃ、ダメなのか?」
「ダメってことはない。寧ろ、素晴らしいよ。でも俺は馬鹿だから。いつだって、旗は天辺にあった」
思いを巡らせるクリードは、やはり飄々としている。
しかし、仮面は剥がれかけていた。
煙と共に吐き出される言葉は、落ち着いたトーンで紡がれていたが、胸中を悟られないための演技だ。
ベンチの幅は、たった一・五メートル。
目の下にできた薄いくまや、極僅かな声の震えまでは、隠し通せない。
「親から継いだセンスは、努力に嘘を吐かせなかった。他人と差をつけるための日々が実を結び、同僚を置き去りにした。…ただ一人、奴隷上がりの落ちこぼれを除いて」
「やっぱり、若い頃から努力家だったんだな」
「ああ。類い稀な才能に驕らない、完璧な奴だった。初めての演習で一緒になった時、確信したよ。コイツは、最強の騎士になるってね。…追い付こうと必死だった。でも遂に、勝ち逃げされちゃったなあ」
だらしなく背筋を曲げて、深く頬杖を突いたクリード。
やさぐれた彼は、吐き捨てた煙草の吸殻を、革靴の裏で擦り潰す。
常に模範的に振舞い続けたジェイクと比較すると、対極の存在に思えるこの男。
しかし、彼も帝国の盾という二つ名を授かり、ジェイクと並べて語られる男なのだ。
この話を聞かされた時、にわかには信じられなかったが、遠巻きから送られてくる尊敬の眼差しが、説得力を持たせている。
帝国が矛を失った今、二分されていた国民の期待を、この頼りない背中が一挙に背負うことになる。
家庭内の重圧にすら耐えられず逃げ出した俺が、掛けられる言葉など無い。
会話に行き詰った俺は、話題を変えるために記憶の引き出しを漁ると、今となってはどうでもいい不満を思い出した。
「そういや、随分都合の良い誘い文句だったな。世界を守るため、なんてのは」
「…ん?ああ。そういえば、リープ村でそんな事言ったっけ。でも、結果的には同じ事じゃないか。帝国を守るのは、世界を守るのと実質同じ。今回の件に限ってはね」
「ああ言えばこう言いやがる。そんなんだからジェシカに嫌われるんだろ」
「子供の頃からの性格を、今更直せと言われましても」
「もうジェイクはいないんだ。そんな調子でこれから…」
クリードがのらりくらりと言葉の棘を躱すせいで、勢い余った。
軽率に喉から零れてしまった。
チラリと窺うと、隣に浮かんでいたのは、口の端を切り開いて作ったような、強引な笑みだった。
そうだ、クリードはまた独りになってしまったのだった。
俺も、一度得た幸せを手放す辛さは、知っている。
それなのに、なんだかんだと言い訳して真っ向から慰めもせず、更に辛い思いをさせてしまうとは。
吐いた唾の行方を見て、後悔が止まらない。
「…クリード、お前は何のために戦ってる?そこまでして騎士の頂点に立っても、心が壊れたら意味がないだろ!」
考えを改めた俺は、真剣に尋ねた。
はぐらかす隙を与えれば、きっとまたクリードは逃げ出してしまう。
俺自身の逃げ道を塞ぐ意味だってある。
だから、ボロボロの瞳を見据えて、絶対に逃がさない。
「何のために…?」
動揺したクリードは黒目を震わせ、記憶の海を泳ぐ。
そして、数秒後。
何かを思い出した彼が目を見開くと同時に、空を覆った雲の間に一筋の光が差し込み、墓石を照らした。
「そうだ、世界一真面目な女に惚れたんだ。俺…いいや、俺たちは」
原点に立ち返ったクリードは、取り戻していく。
出会った頃、恐ろしさすら感じた、瞳の奥に隠した野心を。
独り言の意味は、いまいち分からない。
それでも、自答によって彼が奮い立ったことに安堵し、満足していた。
ふと、離れた場所から俺たちを見守っていた墓石に、初めてジェイクの魂を感じた俺は、感謝を噛み締める。
きっとクリードを立ち直らせたのは、俺ではない。
呆れる程に眩しい笑顔を掲げた、親友だ。
彼の死後、その思いを継ぐのは、クリードでなければならない。
責任は重大だが、この様子であれば心配は無いだろう。
徐に、ベンチから腰を上げるクリード。
彼は火を失った吸殻を拾い上げ、それを、まだ中身が残っている煙草の箱へと放り込んだ。
「煙草、やめようかな」
「急だな。何時も吸いたがってたのに」
驚いた俺が見上げた先。
そこには、寂しそうで、それでもどこか晴れやかな笑みが、咲いていた。
「実はコレ、吹かしてただけなんだよね」
◇
「臭えし、暑い」
大量に横たわる魔獣の死骸が、悪臭を漂わせる。
昨晩戦場となったリンドのだだっ広い道路は、暫く日の光に照らされたせいで、地獄絵図と化していた。
特に、切り裂かれた腸が放つ臭いは凶悪。
血の通っている方の指で鼻をつまんでいないと、その場に立って居られないくらいだ。
「お姉ちゃんが参加したいって言ったんだから、文句言わないの」
不快感を隠さず口にした俺、ジェシカ・グリーンウッドは、腕を組んだエリーゼに叱られてしまった。
よくできた妹の言っていることは、間違いなく正論。
だが、俺は正論ごときで制されるような人間ではない。
「…帰る。後は頼んだ」
「金はいいのか?剛剣」
回れ右をして宿の方向へ戻ろうとした背中を、ジャックの声が引き留めた。
この男は俺と違って、淡々と作業に取り組む。
仕事慣れした見事なナイフ捌きで、魔獣の死骸を部位ごとに切り分ける。
「チマチマした作業だけはお上手だな、ジャック」
「黙って仕事してくれ」
「そうだよ、お姉ちゃん。ジャックさんを見習って」
「…はあ」
苛々した俺が煽ってみれば、本人には相手にされず、エリーゼの頬も更に膨らんでしまった。
多勢に無勢、溜め息を吐いて肩を落とした俺は、渋々担当していた死骸の元へ。
金に眩んで安請け合いしたあの時の自分を、黄金の腕で殴り飛ばしてやりたい。
さて、なぜ俺がこんな下らない作業をしているのか、元を辿れば、昨日の夕方まで遡ることになる。
愛されし者の襲撃を受けた翌日が、帝都に移る予定だった俺とリリィ。
しかし、私たちは戦闘による疲れを癒すため、リンドに残るよう命じられた。
クリードだけはジェイコブの葬儀に参加するため、帝都へ向かうという話を聞き、ユータに早く会いたかった俺は同行させろとごねたが、あえなく却下。
昨晩は酒を飲み、ふて寝と決め込んだ。
そして今朝、一晩の睡眠とアルコールの力によって、完全に回復した俺が暇を持て余していたところに、解体作業の話が来たのである。
丁度俺には、それなりの金が必要。
ヘルキス、グレイドとの戦いで、大剣が使い物にならなくなった。
高額な支払いに気を良くした俺は、何も考えず首を縦に振り、結果、この様。
「なんでこの俺が、こんな地味な作業を…」
数秒間隔で、不満が俺の口を突く。
魔獣の死骸の臭いなど、嗅ぎ慣れている。
それでも、腐敗が始まったそれに手を付けることは、まず無い。
ナイフを持った手がどれだけ血で汚れようが構わないが、腐肉に集る蠅が鬱陶しい。
うんざりして視線を上げると、両翼を失ってとぐろを巻いた翼竜の死骸が、綺麗な状態のまま。
最後に取り掛かる予定の、言わばラスボスだが、あんなもの、晩までかけても作業が終わるとは到底思えない。
そもそも武器の代金が必要でなければ、こんな億劫な仕事はしていないはず。
つまり、責任は他人にあるのだ。
「あーもう!」
苛立ちが限界に達し、だんと立ち上がった俺。
大股でずかずかと歩けば、すぐに真っ赤な山の麓に到着。
岩肌の様に固い鱗に向かって、八つ当たりの足裏をお見舞いした。
「つまんねえ!働きたくねえ!」
「おい、剛剣!鱗に傷が付くから止めろ!売り物だぞ、それ!」
歯止めを掛けようとするジャックの声を無視し、何度も何度もそれを蹴りつけると、溜まったストレスがすーっと解消されていく。
由緒正しき騎士様方からすれば、うら若き乙女がこんな暴力的な方法で鬱憤を晴らすなんて、言語道断。
知った事か。
ゴミ掃除の場に騎士など居ない。
最後の一踏みを終えた俺は、この世の素晴らしさを再確認するように、ゆっくりと深呼吸。
視界を取り戻すと、透き通った紅玉の中、ポツンと存在する黒点と目が合った。
なんと、もう動かないはずの瞼が開き、中に潜んでいた翼竜の瞳が、此方を、ジロリと。
「コイツ、まだ生きて…!」
「…ギャアアア!」
間抜け面に、翼竜の息吹。
自慢の髪が、吹き飛ばされそうな勢いで靡いた。
この風だって、相当強烈な臭いがしたのだろうが、俺の脳にそんなことを判別する余裕は無い。
反射的に右腕が大剣のグリップを目指したが、肩の上で握った指は、空を切る。
ああ、そうだ。
今、俺はどうしようもなく丸腰なのだ。
そう気付いたときには、既に竜の顎が俺を挟み込もうと意気込んでおり、行動を起こす猶予は残されていない。
ここまで下らない終わりを迎える事になるとは、思っても見なかった。
いや、ゴミのように捨てられた女には、相応しい最後ではないか。
瞬間、視界の外から現れた何かが、目の前を一閃。
金属同士が衝突するような固い音が響き、豪快に肉を切り裂く快音が後を追う。
それが大剣による斬撃だと理解した頃には、全てが済んでいた。
生え揃った牙を晒した状態で、硬直した竜の生首が、ずるり、アスファルトへ。
「やらせて溜まるかよ」
ぶっきらぼうにそう呟いたのは、背後で作業をしていたはずのジャック。
誰より先に危険を察知しこの場に駆け付けた彼は、たったの一撃で翼竜を沈めてしまったのだ。
「お姉ちゃん!」
突然の危機に呆然としていたが、取り乱したエリーゼの声で我に返る。
飛び着いてきた体温のおかげで、まだ生きているのだという実感を得た俺は、彼女の華奢な体を両腕で大切に包んだ。
「大丈夫、コイツのおかげで何ともない」
安心し、胸の中で泣き始めてしまったエリーゼを宥める。
頭を撫でながら想起していたのは、死の瀬戸際の記憶。
シンプルな剣筋が、脳裏に焼き付いて離れない。
ジャックの基本に忠実な剣筋は凡庸だったが、大柄な彼の力と体重が、素直に伝わっていた。
その証拠に、竜の首の断面を見れば、ぶった切った骨も含め、真平らだ。
「竜を一発で仕留めるか。中々やるじゃねえか」
「小型な上、翼を失った死に損ないだ。誰でも殺せる」
ジャックに感謝を伝えると、育ちの良い剣筋とは真逆の、捻くれた答えが返ってきた。
性格はまだまだ可愛らしいが、腕前は立派に成長している。
彼が国境に残るなら、心置きなく賢者との戦いに出向ける。
俺が感心していると、考えていることが透けていたのか、ジャックは不満そうに目を細めた。
「…それにな、今回はルーライトの時のような蛮勇じゃない。竜が虫の息だと分かっていたから立ち向かえたんだ。俺の命はもう、俺だけのものじゃない」
「ジャック、大丈夫だった!?怪我は無い!?」
最後には、表情を和らげたジャック。
彼が見向いた方向から、顔を青くしたエイラが、三つ編みを揺らして駆け寄ってきた。
彼らのやり取りや、互いを深く思いやる優しい表情を見れば、いつの間にか、特別な関係になっていたことが分かる。
こんな風になれるだろうか。
そう思い、ユータと俺を幸せな光景に当て嵌めようとしたが、どうも上手くいかない。
想像の世界の中で、ユータの隣に居たのはリリィだった。
俺は薄々分かってしまっていたのだ。
ユータとリリィの間に割って入ることなど、もうできないのだろうと。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
黙った俺に、エリーゼが首を傾げた。
離れ離れになった妹と過ごす幸せを手に入れたのに、今は別の幸せを欲し憂いている、自らの強欲さが、嫌になってしまう。
それでもこの感情は、戦士として走ってきた過程で手に入れた、大切な俺らしさ。
ユータならそう言ってくれるだろうと妄想すれば、自らの汚点でさえ、こうして受け入れることができた。
いずれ訪れるであろう決着の瞬間まで、俺は恋する乙女。
つまり、無敵だ。
「…よし、ジャック。大物狩りを祝って、一杯やりに行くか!」
「いや、まだ仕事は終わってねえだろ」
俺は無敵。
しかし、受けた仕事は最後まで真っ当すべきという、社会のルールには勝てなかった。




