第39話 謁見
お日柄も良く、長閑な昼下がり。
欠伸が出そうな陽気だが、前にした建物が物騒過ぎて、そんな気にはならない。
二日間馬車に揺られた我々一行は、帝都に聳え立つ王城に到着していた。
その姿が語るは、大いなる富と武力。
天空へ伸びる尖塔や鮮やかな色の屋根は実にエレガントだが、其処彼処に設置された弩弓が、全方位を睨み付けている。
名高い茶葉にコーラをぶち込んだみたいで、台無し。
ルーライトの城も立派だと感心したものだが、それを更に上回る広さだ。
大陸一であると威張るために、違いない。
「こりゃあ掃除が大変そうだな。何人雇ってんだ」
俺は、城の図体を小馬鹿にする。
高所に作られた監視用の広い窓が、此方を見下ろしていると、被害妄想したが故の反抗だった。
なに、旅の疲れで気が立っただけである。
地図上では、検問所から帝都までかなりの距離があるように思えた。
しかし、道中は街灯の続く大通りとなっており、実際の移動はあっという間。
これもまた、帝国の経済力が成した利便だ。
「ジェイク、貴様は客間で待っていろ。私は、陛下の元へユータを連れていく」
「イエッサー」
俺を拉致した肌の黒い騎士、ジェイク。
彼は、芸術品のような敬礼で、ブライスへの忠誠を示した。
朝までぶっ通しで馬車を走らせていたため、一睡もできていないはずだが、伸びた背筋からは疲労が一切見受けられない。
強靭な肉体と鋼の精神を併せ持った、理想の軍人といった印象の男だった。
石像と化したジェイクを放置し、軍服の裾を翻したブライスを、早歩きで追いかける。
豪勢な門を潜り、衛兵が押し開けた扉の向こう。
等間隔に立ち並ぶ立派な石柱の間をひたすらに進んでいくと、一際目立つ、金の扉に突き当たった。
幾ら訪れたことのない俺でも、この先が謁見の間だと一目で理解できるような、親切設計が有難い。
「その気があれば、この大陸を統べる事すら可能なお方だ。無礼は許されん」
「言われなくとも分かってるよ」
首の後ろに手を組んだ俺が答えると、ブライスは兵に目配せ。
ギラギラの扉を開放させた。
地鳴りのような音を立てながら、ちんたら、ちんたら動いた扉の奥から、眩い光が漏れてくる。
エルデ帝国、皇帝。
その男は、玉座の輝きに目を細める俺を、赤い絨毯の続いた高みで、待っていた。
煌びやかな王冠を被っているのは、二十歳かそこらにしか見えないような、青年。
威厳を振り回す老人だと無意識に決めつけていた俺は、頬杖に支えられた若さと美貌に、面喰らう。
粗探しに数年掛かりそうなこの風貌を、長く保ち続けているのであれば、不老不死の噂が立つのだって、おかしな話ではない。
「陛下、例の転移者を連れて参りました」
「ご苦労だったな」
「身に余るお言葉です」
驚いて立ち止まった俺を置いて、ブライスが階段の下で膝を突き、頭を垂れる。
あの偉そうな女が、こうしている。
階段の上から降ってくる、若い声。
玉座からはちょっとした距離があったが、広々とした空間に反響して、俺の耳まで。
色んな壁を経由しているのに、やけにハッキリと届いた。
「我が国へようこそ、賢者の孫よ。さあ、そんな所に立っていないで、もっと近くに寄らんか」
「あ、ああ…」
俺が生返事をした挙句、立ち止まったまま唖然としていると、あからさまな舌打ちをされた。
垂れた頭をこっちへ傾けた、ブライスからの指摘だ。
慌てて彼女に近付いて、そそくさとポーズを真似る。
しかし、眉間の皴は深まるばかり。
「…おい、左右が逆だ。子供か貴様は」
「すいません」
どうやら作法があるらしく、ブライスに姿勢を修正されてしまった。
強い口調に押されて反射的に謝りはしたが、そんなものがあるのであれば、謁見の前に教えておいて欲しい。
釈然としない俺は、角口で高級絨毯を抓る。
「良い、楽にさせてやれ」
「ハッ」
皇帝に制されたブライスは、視界を塞ぎ従順を示す。
ジェイクに、俺に対してふんぞり返っている彼女も、帝の前ではどうだ。
犬畜生め、そうやって、ぶんぶん尻尾を振っていろ。
未知のマナーから解放された俺は、ブライスに見せ付けるように、ゆったりと立ち上がった。
斜め上を見上げれば、太陽の代わりに赤い宝石。
そう見紛う程の神々しさを放つ皇帝の瞳が、ただの人である俺を、見据えていた。
高低差はあれども、見下されてはいなかった。
「呼び付けて済まない。君が作戦に加わると聞いて、どうしても話してみたくなってな」
「…お会いできて光栄です、陛下」
「無駄な気を遣うな。お主にとっては、この機会も面倒なだけだろう、龍宮寺優太。…我が名はゼナン。まあ、誰も我を名前でなど呼ばぬが」
皇帝は名乗った。
殆ど使われる事の無い、個人を個人とするための名を。
巨大な椅子にどっぷり腰を掛けた彼は、その見た目とは裏腹に、相手の身分を気にするような男ではないらしい。
猫を被るのを止めた俺は、一つ息を吐いて、本題へ。
「で、何を話せと?」
「賢者がどんな男なのか、我に教えてはくれないだろうか。役に立つ情報で無くとも良い。ただ、お主の口から聞いておきたいのだ」
「…殺す相手の事なんて、知る必要がありますかね?」
俺は、若干の苛立ちを隠さなかった。
八つ当たり気味ではあったが、皇帝は興味深そうにするだけで、お咎めなどない。
「唯の独裁者、という訳にはいかぬか。ならば、何故手を貸す?」
「ついでですよ、自分の目的の。そもそも、アンタ方に脅されてなきゃ、協力なんてしてない」
「…どういう事だ、ブライス」
皇帝の視線は、ブライスの旋毛へとスライドする。
言葉通り、理由を確認しているだけ。
強く咎めている訳ではない。
それなのに、この緊張感は何だ。
神と人間のハーフだと言われても納得してしまうような神秘的な存在に、魔法を宿した身体でさえも、恐れをなしていた。
これだけ絶対的な君主が増長せず、目下の相手と丁寧なコミュニケーションを取っている。
彼の器の大きさも、エルデ帝国の強さか。
「敵軍の戦力にされかねない以上、そうせざるを得ないと判断致しました」
「…お主が言うのだ、きっとそれが正しい。であれば、彼の憤りの責は、我にある」
ブライスの意図を理解した皇帝は、瞳を一度閉じ、再び俺を見た。
生暖かいその視線が、赤の他人である俺を慮っていることは、言葉を交わさずとも伝わった。
「この国と、大陸の平和のためだ」
「…事情は理解しています。ただ、俺は大人じゃない。血の繋がった人間の死を、簡単に割り切ることなんて、できない」
「罪を認め、抵抗せずに…あの賢者が、有り得んだろうな。間違いなく、殺すことになる。恨むのならば、我を好きなだけ恨むと良い」
どうしようもない虚しさは伝播し、皇帝の顔の所々に、小さな皴が。
求心力の源は、どんな海よりも深い、優しさだった。
とはいえ、国民を率いる者としての意識、覚悟は強固。
情が甘えとなって、足を引っ張る事は無い。
金を出し、責任は取るが、優秀な部下の判断に口を出さないやり方すらも、権力者として理想的。
魅力の波に、難しい感情ごと呑まれてしまった。
棘を収めた俺は、ぽろぽろと語り出す。
「じいちゃんは、誰もが尊敬する経営者でした。築き上げた資産は莫大で、誰からも尊敬されていて…。けれど、そんな全てを投げ打って、この世界に来た。山積みの金より、愛を優先する人だった。…きっと、根から腐った人間ではないのだと、俺は信じています」
「そうか…偉大なお爺様だ」
「嗤わないんですね。戯言だと言われて当然の話なのに」
「人は弱い生き物だ。愛や誠意などという一見尊い感情であっても、拗らせれば、忽ち正負は入れ替わり、悪行の動機よ。その上、この世に訪れる転移者は、誰もが深い闇を抱えたものばかり。きっかけさえ与えれば、いとも簡単に理性を失い、悪魔と化す」
「確かに、そうだ。俺が出会った転移者も皆、破裂寸前の感情を押し留めていた。風船が針に晒されれば、抵抗なんてしようがない!悪いのは針の方…差別の方じゃないか!」
「だが今奴は、人心の弱さに付け込み、邪悪なる軍勢を生み出している。決して肯定する事はできん。何を言い訳にしようと、罪のない命を操り、そして脅かすような蛮行が、許されて良い訳がないのだ」
「…ええ、その通りです」
狡さを正しさで抑え込まれた俺は、ぐっと堪える。
言い返せず悔しいのが一番だが、思考の整理がついた事による、安堵だってあった。
かつて幻想を追って、人道的な道を歩もうと心掛けていた過去を大切にするのであれば、じいちゃんの行いを正当化するべきではない。
そんな考えが、皇帝との対話を経て、確固たるものとなったのだ。
「我は賢者が息子を愛する親であり、人であったことを胸に刻もう。帝国が奴を討ち、その魂を救済する」
握った拳を心臓の前に掲げ、そう宣言する皇帝の神々しい姿に、俺は釘付けになり、自ずと膝が絨毯に突き立てられた。
神に、聖母に祈る人々の気持ちが、やっと理解できた。
こういう相手を空想することで、自らを律しているのだ、彼らは。
圧倒されてしまった俺は、謁見の間を去って行くその背中を、見送りかけた。
後ろ髪しか見えなくなったギリギリのところで、重要な目的を思い出し、ハッとする。
「あ、あの!陛下が不老不死だという噂は、本当でしょうか!」
問いは、藪から棒。
最初から最後まで、失礼ばかりになってしまったが、これで良かった。
足を止めた皇帝が面白がって、クスリと微笑んでくれたのだから。
「切羽詰まった顔で、一体何を言うかと思えば…ひょうきんな民が吹聴した噂に、決まっておろうが。そんなもの」
◇
謁見の間を後にした俺とブライスは、客間に繋がる廊下を往く。
本日のスケジュールの中で、最重要のイベントを終えた足は、心なしかゆったりと進んだ。
「陛下がどれだけ素晴らしいお方か、理解できただろう」
「偉そうな奴だったけどな」
「事実、この大陸で一番偉い。当前だ」
皇帝の格式高さに圧倒された事を思い出し、唇を尖らせるも、返す刀で正論を突きつけられ、もう黙るしかない。
奴の粗を探しても、風貌から声、どうせ匂いまで完全無欠だ。
やるせなさに、そっぽを向いて歩く。
その頬と、立ち止まったブライスの背が、衝突しそうになった。
ビックリして、急ブレーキ。
ぐっと靴裏を踏み込んだ俺の前で、優雅に扉をノックした彼女が、ドアノブを引いた。
「失礼する」
待たせているのは自らの部下、ジェイク。
その割に、ブライスの所作言動は、嫌に丁寧だ。
俺は首を傾げながら、入室する。
すると、元気の塊が弾けたような明るい声が、出迎えてくれた。
「ユータさん!?生きていたんですね!」
「ユータさん!!お久しぶりです!」
ふわふわのソファからぴょんと立ち上がったのは、ルーライトで世話になった魔法使いの姉妹、ミロとキロ。
あの時は、リリィの事を押し付けるため、急な別れとなってしまったが、また会えるなんて考えてもみなかった。
変わらず、色違いのローブととんがり帽子を身に着けているが、端々に傷が入っている。
きっとこれは、ルーライトの戦いの跡。
不謹慎かもしれないが、勲章の様で格好が良い。
「お前らこそ良く生き残ったな。リリィが知ったら、きっと喜ぶよ」
「そうですか、リリィさんも…!」
「良かった、良かった…!」
感極まったミロとキロは、めそめそと泣きだしてしまった。
この様子だと、俺がいない間、リリィと仲良くしてくれていたのだろう。
すかさずハンカチを差し出したブライスを横目に、客間を見渡す。
コの字に配置されたソファには、高そうなマントを羽織った老人、金髪縦ロールの女性が座っており、壁にはジェイクがぴんと立っていた。
まるで、大道芸人の控室。
よくもまあ、見てくれの賑やかな人間ばかりが集まったものだ。
「君も座りたまえ」
「え…は、はい」
面識のない老人に促された俺が戸惑っていると、察したミロとキロが、横にズレて場所を作ってくれた。
感情的になった直後なのにも拘らず空気を読めるとは、感心々々。
大人な子供ではないか。
高級ソファに腰を下ろせば、老人の頬がちょっとだけ痩けているのが分かる。
それでも、指を組んで遠くを見る姿は、絵になっていた。
「私たちは、あのリリィという娘に命を救われた。最高勲章を与えてやりたいところだが、城には帰ることすらできん。情けない限りだ」
「おい…ミロ。勲章を与えるだの、城に帰るだの、耄碌しちまってるんじゃないだろうな、この爺さん」
「ちょ、ちょっと、ユータさん!?不敬も不敬ですよ!」
ミロは目が飛び出すくらいにギョッとして、俺の発言を叱った。
オーバーなリアクションだ。
「まだボケてはおらんつもりだ。とはいえ、痴呆の類は自覚できるものではないと言うがな。…アダム・アレクサンドラ・ロー。私こそが、ルーライト国王だ」
「国王様だ…?そんな馬鹿な。おい、早く嘘だと言ってくれ。誰でもいいから」
「落とされた国の王を、国王とは呼べぬか?君の前に居るのは正しく、王冠を捨て、国民を置いて逃げた張本人なのだが」
「た、戯れを!」
「そう慌てるな。…私が諦めぬ限り、本当の意味でルーライトが陥落する事は無い。魔法の輝きに民は集い、必ず蘇る」
やや枯れ気味の声には、象徴として長くを生きてきた自負が。
瞳の最深で、薄明るい火がひっそりと揺れていた。
王が背負っているものの重さと、それに比例するように膨らんだ執念をひしひしと感じた一般人の体は、緊張の上から、緊張。
喉に溜まった唾が、固形化し出して、邪魔。
この男がルーライト国王であるならば、問い質さねばならない事がある。
彼の犯した、罪の話だ。
「…一つ、良いでしょうか」
「構わん」
「何故あなたは、壁の中から才能のない者を追い出したのですか?民の命が危険に晒されても、胸は痛まなかったのですか?」
何処か親父に似た厳格な瞳から、目を逸らさずに言い切る。
ジェシカの心に刻まれた深い傷が、正当なものであるとは到底思えなかった俺は、どうしても訴えねばならなかった。
あの罪深い政策を打った、最低の王だ。
直接話せる機会など、二度とない。
護衛の兵も民衆も失い、ただの老いぼれとなったこの時しか。
しかし、俺の物言いは国王ではなく、その横に座る金髪の女性の方を、憤らせてしまった。
「…貴方、黙って聞いていれば何様のつもりかしら!?」
「その、何様だ、ってのはお国柄か?丁度、何様だろうが受け入れる国にする気はなかったのか、聞いてんだ…黙っててくれ」
「綺麗事で上手くいくのならば、誰だってそうするに決まっている。陛下自ら答えるまでもない、程度の低い問いですわ…!」
「アリッサよ。私が構わんと言ったのだ…条件を付けずにな。二言は無い」
「クッ…陛下がそう仰るのであれば…!」
納得がいかない様子の、アリッサと呼ばれた女性。
彼女が纏う、いかにもお嬢様といった雰囲気の赤いローブは、ひらひら付きの豪華仕様だった。
だが、よくよく見れば、ミロたちの服装と同じで、細かな傷がびっしり。
成程、口先だけで国王を守っている訳ではないようだ。
命からがら亡命してきた彼女にとって、俺の言葉は耳が痛いか、片腹痛いか。
何方にせよ、我慢してもらうしかない。
俺にも譲れない感情が、友を想う気持ちがある。
「…判断を下した時、何も思わなかったと言えば、嘘になる。しかし、断じて後悔はしていない」
「家族と引き剥がされた者は、その記憶や劣等感に苦しんでいます」
「さて…質問に答えよう。…あのルールは、我が国の異常な自殺率に対する、策だ」
国王の言った具体的な理由に驚いてしまい、次に用意していた罵倒が引っ込んだ。
固まった俺を案じてか、国王は僅かに間を取ってから、また語り出す。
「魔法の研究が進み、更に兵器としての価値を高めた当時。魔法という概念の神格化も、急伸していた。そうなれば、才の乏しい者は激しい差別に曝される。結果、全年代で自殺は増加…最悪の事態に陥っていた。その対策として、十代の頃の私が打ち出したのが、強制的な民衆の二分化だった」
「民衆の二分化…極端な手段だ」
「違いないな。だが、区別によって差別からは解放される。壁の外にならば、恨み、苦しみを共有できる仲間がいるはずだ。私という共通の敵を持つ、仲間がな」
理屈だけは通って聞こえる。
俺だって、搔き立てられる孤独がどれだけ心を蝕むかは、重々理解していた。
だが、彼が強行したやり方は、根本の問題から逃げている。
「確かにあの反乱は、愛されし者が扇動したものだ。けれど元はと言えば、そこに風船が膨らんでいたのが…反発感情が高まっていた事が問題なんだ。同じ境遇の人間と傷を舐め合おうが、怒りが消える訳じゃない。そんな策では、解決などできない!」
「魔法の神格化は、偏った思想を生んだ。最早、決別すべき文化なのかも知れない。しかし、当時の我が国に、民意を懐柔する時間など無かった。一人、また一人と、我が国に灯った尊い命が消えていくのに、耐えられなかった。端的なメリットを望んだのだよ、私は」
「納得して溜まるか…生まれで不幸が決まる人生なんて!」
「自ら死を選ぶより悲しい終わりなど、きっとない。何度過去に戻ったとしても…私は民を分かつ」
悔しさを滲ませた俺に対して、国王は堂々と宣言する。
確固たる意志が、議論を終わらせた。
俺はこの日、二人の最高権力者と立て続けに問答を交わした。
一人は、民を愛し人の痛みを誰よりも理解できる、懐の深い者。
もう一人は、自らの心を犠牲に、民の命を守ろうとする、強欲な者。
何方も共に、優先順位を明確にし、何かを切り捨てる判断ができる者だ。
それと比べて甘ったれた俺は、今更どうしようもない歴史でさえ、許せない。
たかが友人一人を思って握った拳が、解けなかった。
まだまだ子供だと、誰もが俺を笑うだろう。
けれど、友に降りかかった理不尽ですら、他人事として受け流すのが大人であるならば、子供のままで良いと、心底思う。




