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異世界捜索  作者: ンゴ
第六章
35/73

第35話 蒸発

 溶かした時間の分だけ、明るさを失った空。

 中でも、突然現れたシスターの耳朶にこさえられた空洞は、一際暗く、じっと見ていると吸い込まれてしまいそう。


 何とか視界を確保できているのは、外灯代わりの大きな炎があったから。

 知らぬ間に、火災が発生していたのだ。

 サリバン家が、燃えていた。


 ロビンが口にしたアイディーという名前は、リリィから聞いて知っている。

 あのシスターこそが、ルーライト崩壊の火付け役となった、愛されし者に所属する転移者。

 魔獣を操る特異魔法の使い手である。


「チッ、もう魔力切れかよ…こんなんで使い物になるのか?」


 足元に転がったロビンを一暼すると、即座に舌打ちをしたアイディー。

 彼女の態度には、先までのチューリップのような柔和さが、微塵も見受けられない。

 これだけ豹変されてしまえば、浮いて感じたピアスの穴も、最早お似合いだ。


「それにしても、標的のガキと賢者様の七光りが一緒とはな。一石二鳥じゃねえか」


「ロビンが標(・)的(・)だと…?」


 アイディーの独り言に食い付いたオーランドさんが、眉を強張らせる。

 一つの仮説を立てた俺も、同じく。

 

 転移者の感情を煽って根源を暴走させれば、魔法が強化される上、理性や罪悪感が薄まる。

 テロ行為の人員、兵士として扱うには、さぞ都合が良いだろう。

 逆に考えれば、ロビンを暴走させるメリットがあるのなんて、彼ら愛されし者だけだ。


「なあ、シスターさんよ…アンタが操れるのは魔獣だけか?」


「いいえ、その限りではありません。神の意向に逆らえるのは、人間のみ…勿論、お(・)馬(・)さ(・)ん(・)だってお手の物よ」


「手前か…ホープを殺したのは!」


「少し刺激を与えるだけでした。本当に純粋な子供です。純粋で、単純…しかし、コイツが牛の死骸を食い出した時は腹ァ抱えて笑ったぜ。アレはもう人間なんかじゃねえ…話せる豚だ!」


 下卑た笑みを浮かべたアイディーは、靴の先でロビンの顎に触れながら、つらつら。

 彼女は人を苛々させる天才であり、それを心底楽しんでいた。


 我慢ならなくなったオーランドさんの奥歯が、ギリっと鳴る。

 次には、俺の喉から暴言。


「手前も人の心臓食ってる異常者だろうが。口が臭えぞピアス女」


「…あァ?死にたいみてえだな、クソガキが。…神の御心に従う私たちに盾突くなど、言語道断です」


 アイディーの眉間に皺が寄ったかと思えば、一転して、波一つ立たない、穏やかな表情に戻る。

 あの独特な語り口を黙らせるには、魔法が必要だ。

 

 水分の殆どを失った、枯れかけの細木のような精神を、更に絞る。

 体の痛みを強引に遮って、丹田に集中する。

 此処で使えなければ、何のための力か。

 家族を守る時よりも大切なタイミングなど、ある訳がない。


 そうやって心中で唱え続けた声が届き、希望は潰えなかった。

 出涸《でが》らしの魔力が緑色の魔素を引き寄せ、炎が作り出されたのだ。


 熱風に吹かれたアイディーは、積もりに積もった雪へ鞭を叩き付けて、威嚇。

 

「ステナが死んだ今、貴方を守る後ろ楯はありません。…賢者様の特別は、俺一人で十分だ!」


「どいつもこいつも、勝手にジェラってキレてんじゃねえ!」


 小柄なアイディーの八重歯に、膨大な害意が鋭く光る。

 それに抗うように、俺は最後の攻撃を放った。

 上下左右に拡散して向かっていく、七匹の鷹だ。


 体内に取り込んだ心臓の効果で、ちょっとした傷などすぐに回復してしまう彼女を、一撃で無力化しなければならない。

 だから、加減は無し。


「美しい魔法ですね…だけどよ」


 回避不可能と悟ったアイディーは、バードウォッチング。

 その瞳は水面に揺蕩う白鷺のように静かで、動揺の色などなかった。

 理由は、専用の盾にある。


 アイディーは、雪上に転がっていたそれを足先で拾い上げて、手に持ち替える。

 そして、舌にまで開けたピアスを、見せ付けるように投げ出した。


「燃えてもいいのか?コ(・)レ(・)」


「ユータァ!」

 

 何かを察したオーランドさんが、大声で制止した。

 作戦中止の命令を受けた炎の鷹は、四方八方に方向転換、消滅する。


 掲げられていたのは、気絶したロビン。

 鬼畜の笑みを浮かべる聖女は、人の心の弱点を利用する、残忍さと狡猾さを合わせ持っていた。

 長くて鬱陶しいスカートも、同じように笑っていた。


 俺は、冷たさに身を投げながら、糾弾する。

 完全に魔力を失ってしまい、それくらいしかできなかった。


「やってくれたな、下衆女…!」


「ギャハハハ!何とでも言えよ雑魚が!…いい加減、私の体で下品に笑うのは止めて下さい」


 アイディーは俺を放っておいて、自らと会話をし始めた。

 その荒い口調が落ち着けば、大股だった歩幅が縮まり、歩く姿が淑やかに。


 彼女の精神の特殊な造りについて、何となく察しがついたが、もう意味のない事。

 霞む視界の中で、細い腕に引きずられたロビンが、迫ってくる。


「さて、要らない方々は魔獣の餌にでもしましょうか。…そりゃあいい。まあ、銀髪の魔法使いを喰って、腹いっぱいかも知れないけどな!」


「ロビンを…俺の息子を返せ!」


 声を裏返しながらオーランドさんが振るった拳は、不発。

 それどころか勢い余ってよろめき、ガラ空きとなった脛を蹴飛ばされてしまった。

 

 虚しくなるくらいの無力さに、あの優しい瞳から光が失われた事実をようやく受け入れた俺は、涙を流す。

 未熟さの代償を、他人に支払わせる事になるとは。

 それも、父親になろうとしてくれた、彼に。


 悔いている間、ガシガシと脳天を踏まれたが、此方は死を受け入れた身分である。

 痛みも屈辱も、気にならない。

 反応の薄さに飽きてしまったアイディーは、俺の首に爪を立てて、持ち上げた。


「さあ、賢者様の駒になると誓いなさい。そうすれば、餌にならずに済みます」


「クソ喰らえ」


「…そう来なくっちゃ。さて、最終確認も取ったし、これで賢者様への言い訳も十分。さっさとくたばれ、七光りが!…あ?」


 提案に即答した俺の首の絞めつけが強まって数秒後、ふわりとした感覚が。

 最初は魂が抜けたのかと思っていたが、それは勘違い。

 物理的な現象である。


 何が起こったか分からないまま限界を迎えてしまい、糸が切れる寸前。

 鉄の匂いと共に、声がした。


「金貨一枚分の仕事はするぜ。起きたら酒、付き合えよ」


 それは、強者の声。

 耳にするだけで、ブランケットに肩を包まれたかのようだった。




 ◇




 野暮ったい風を切り裂く快感の後から、皮膚を破り、肉を断つ手応えが追いかけてくる。

 熱い右腕を振り抜けば、頬と右肩が赤く濡れた。


 他人の血の生温さにも、もう慣れっこ。

 しかし、普段通りの感触にすら、特別な興奮を覚えてしまう。

 待ち侘びていた再会が、予想より早く訪れたことへの歓喜が、私の心を担いでいた。


「金貨一枚分の仕事はするぜ。起きたら酒、付き合えよ」


 俺の要求を聞き終えると、ユータは完全に脱力し、重くなった。

 触れた箇所から伝わる熱が余りに心地良いせいで、剣を抜いているにも拘らず、気が緩む。


 ただ、この温もりは俺の妄想であり、錯覚。

 俺の左腕が、人の体温を感じ取ることなど、有り得ない。


「腕が…腕が痛え!」


 右腕を一閃されたシスターは、逆の手で鷲掴みにしていた金髪の青年を放り捨て、出来上がった真っ直ぐな断面を抑える。

 戦場には場違いな、柳の枝の如き指の間から、赤い樹液が噴き出していた。

 

 意気消沈してもおかしくはない大怪我だったが、その目付きの悪さに表れた、刺々しい怒りは収まらない。

 男勝りな奴だと俺が感心していると、瘡蓋となっていたシスターの手の平が、押し戻される。

 腕が、根っこから生えてきたのだ。


 魔法を超越した回復力。

 ああいった化け物を、俺も相手にした事がある。


 アレとやり合ったのは、もう二度と行くことの無さそうな、イカしたバー。

 忘れもしない。

 初めてユータと一緒に酒を飲んだ、最高の夜だった。


「クソッ、連れは魔法使いだけのはずだ!」


 奇襲に舌打ちしたシスターが鞭を手に取り、スナップを利かせてそれを撓らせると、ユータを抱えた左腕が苛められる。

 骨を直接殴ったような、固い音を響かせる。

 

 しかし、体の一部が振動する不快感があるだけで、痛覚への訴えはない。

 それよりも、シスターが発した言葉の方が、俺の心の柔い部分に突き刺さって、チクリとした。


「やっぱリリィは一緒なのか。…良い気はしねえな」


「味がしねえ…どうなってやがる?」


 鞭を受けてもびくともしない様子と、指に返ってきた空っぽな手応えに困惑したシスター、そして、切なさに俯いた俺の、全員を煽るように風が吹く。

 すると、古びたマントが巻き上がり、影の中から我が左腕が顔を出した。

 脂肪も筋肉も、皮膚さえも無い、金色の左腕が。


「黄金の、義手…!」


「メッキだけどな。最強の戦士、ジェシカ・グリーンウッド様にピッタリだろ?」


 気を取り直した俺が、大剣を右肩に乗せてギラリと笑えば、種明かしされたシスターは渋い顔。

 こうなってから、初のお披露目だ。

 これくらいの反応がなくては。


 俺は決して、余裕をひけらかしている訳ではない。

 リハビリを乗り越えた先に用意されていた最高のご褒美に、上機嫌なだけである。


「まさか、こんな田舎で会えるとは思わなかったぜ」


 腕の中でぐったりとしたユータを見ていると、つい頬が緩んでしまう。

 緊迫した状況であることは理解していたが、彼との再会は俺にとって、何よりも特別だった。


 そうやって幸せを噛み締めていると、シスターも、金髪の青年を抱え直した。

 彼女はめっきり冷静で、まるで別人のようだ。


「お互い怪我人を抱えています。ここは休戦としませんか?」


「俺の友達をボロ雑巾にしやがったんだ。手前がくたばる以外の結末は無(ね)え」


「そうか、そうだよな…猿に話が通じる訳ねえよなァ!」


 再び豹変したシスターが、ピィと指笛を吹く。

 突飛な行動、何かある。

 警戒心を強めた俺がユータを雪上に下ろすと、空から降ってくる物体が。

 いや、あれは、飛来する生命体と言うのが正解だ。


 上からの襲撃は想定外。

 それでも、優秀な神経が自動的に指示を出し、急いで剣を握らせてくれたお陰で、対処は間に合った。


「猿なんてかわいいもんじゃねえ…俺は、ゴリラだ!」


 意気を示し、大剣を振り下ろす。

 尋常ではない速度によってぶれて見えたそれを、刃が捉えた。

 両腕が生身だった頃より、剣が遥かに軽い。

 人間特有の柔軟な動きにも、ストレスフリー。

 装具士の腕は、確かだ。


 進化した一撃の餌食となったのは、火花が散る程に硬く、そして巨大な生物。

 その体から切り離された一部分が、赤い体液を引き連れて、雪へと落ちた。


「ギャアアア!」


 雪と砂埃が巻き上がり、甲高い鳴き声まで響き渡る。

 そのせいで、使い物にならなくなった耳と目の機能が返ってきた頃には、シスターと青年の姿は忽然と消えていた。

 赤い鎧に包まれた肉塊を、餞別にして。


 上空を見上げると、危機に瀕した蜥蜴の如く尾を失った翼竜の背に、彼女らが。

 此処からでも分かるくらいに、汗だくだった。


「鱗ごと尻尾を…!?…まあいい、賢者様の指示が最優先だ。賢者様の指示が最優先だから帰るだけで、逃げるんじゃないからな!」


 地団駄を踏みながら言い訳を叫ぶシスター。

 こめかみに血管を浮かび上がらせた彼女の迫力は、駄々っ子のような身振りで相殺されていた。

 尾を落とされ、飛行の安定感を欠いた翼竜も、迷惑そうにしている。


「ロビン…ロビン…」


 傍で倒れていた男が、離れていく竜の方に手を伸ばし、小さな声で嘆いている。

 俺個人は勝利した気分だったが、当方には怪我人が二人。

 それも恐らく片方は、回復魔法でもどうしようもない眼球の怪我だ。

 

 一軒は全壊。

 その隣にある丸太小屋からも、大きな火の手が上がっている。

 ユータたちにとって、良い結果とは言えないのだろう。


「ゼェ、ゼェ…いっその事、義足にするか?俺も」


 背後から、上がった息を整えようとする、不細工な音が聞こえてくる。

 膝に手を突いていたのは、俺の義手を作った男、ドクランだった。


 此処から煙が上がっているのを見て、ドクランと俺は現場に急いだ。

 だが、肥満体形の彼は余りに遅く、置き去りにされていたのである。


「おい、オーリー!大丈夫か!」


 男の負った痛々しい傷を見たドクランは、血相を変えて駆け寄る。

 彼がこんなに慌てているのを、見たことがない。

 長い友人、といったところか。


 大丈夫だ、命に別状はない。

 命だけ、ではあるが。

 

 ドクランが次に見据えたのは、赤々と燃える丸太小屋か、それとも。

 その向こう側にある干渉しがたい概念そのものか。

 炎が反射した小さいサングラスに瞳は隠れていたが、呆然とする姿から、喪失感が漂っていた。


「神は、俺たちからどれだけ奪えば気が済むんだ…。どれだけ…!」


 感情を押し殺すような呟きは、燃え盛る炎に触れて、蒸発した。

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