第35話 蒸発
溶かした時間の分だけ明るさを失った空。
それでも、いつの間にか丸太小屋で発生していた火災が外灯代わりとなり、何とか視界を確保できている。
中でも、突然現れたシスターの耳朶にこさえられた空洞は一際暗く、その中心をじっと見ていると、吸い込まれてしまいそうだ。
十数秒前にロビンが口にしたアイディーという名は、リリィから聞いている。
あの女こそが、ルーライトの戦いの火付け役となった、愛されし者に所属する転移者。
魔獣を操る、異質な特異魔法の使い手だ。
「チッ、もう魔力切れかよ…こんなんで使い物になるのか?」
足元に転がったロビンを一暼すると、即座に舌打ちをしたアイディー。
彼女の態度には、先までのチューリップの花のような柔和さが、微塵も見受けられない。
これだけ豹変されてしまえば、浮いて感じた大きなピアスの穴も、最早お似合いだ。
「それにしても、まさか標的のガキと賢者様の七光りが一緒だとはな。一石二鳥じゃねえか」
「ロビンが標的だと…?」
アイディーの独り言に食い付いたオーランドさんが、眉を強張らせる。
一つの考えが纏まった俺も、同じく、だ。
転移者の感情を煽って根源を暴走させれば、魔法が強化される上、理性や罪悪感が薄まる。
殺しに対する抵抗感など、テロ行為においては邪魔なだけ。
兵士として扱うには、さぞ都合が良いだろう。
逆に考えれば、ロビンの怒りのスイッチを押すメリットがあるのは、彼ら愛されし者だけだ。
「なあ、シスターさんよ…あんたが操れるのは魔獣だけか?」
「いいえ、その限りではありません。生物であれば神の意思に従います…例えば、お馬さんとかなァ…!」
「手前か…ホープを殺したのは!」
「僅かに刺激を与えるだけで、簡単に堕ちてくれました。本当に純粋な子供です。純粋で単純…しかし、コイツが牛の死骸を食い始めた時は腹ァ抱えて笑ったぜ。あれはもう人間なんかじゃねえ…喋れる獣だ!」
下卑た笑みを浮かべたアイディーは、靴の先でロビンの顎に触れながら、つらつら。
彼女は人を苛々させる天才であり、それを楽しんでいた。
望み通り我慢ならなくなったオーランドさんが、奥歯をギリっと鳴らす。
俺の喉からも、暴言が溢れ出した。
「手前も人の心臓食ってる異常者だろうが。口が臭えぞピアス女」
「…あァ?死にたいみてえだな、クソガキが。…神の御心に従う私たちに盾突くなど、言語道断です」
強い言葉を向けられたアイディーは眉間に皺を寄せたかと思えば、一転して波一つ立たない、穏やかな表情に戻る。
あの独特な語り口を黙らせるには、魔法が必要だ。
魔力の殆どを失い駄々を捏ねる腹に、鞭を打つ。
体の痛みを強引に遮って、丹田に集中する。
今此処で使えなければ、何のための力か。
家族を守る時以上に必要なタイミングなど、ある訳がない。
そうやって心中で唱え続けた声が届き、希望は潰えなかった。
出涸らしの魔力が緑色の魔素を引き寄せ、炎が作り出されたのだ。
熱風に吹かれたアイディーは、ブラックに染めた鞭を積もりに積もった雪へと叩き付け、威嚇。
「ステナが死んだ今、貴方を守る後ろ楯はありません。…賢者様の特別は俺一人で十分だ!」
「どいつもこいつも、勝手にジェラってキレてんじゃねえ!」
小柄なアイディーの八重歯に、巨大な害意が鋭く光る。
それに抗うように、俺は最後の炎を放った。
上下左右に拡散し、それから誘導ミサイルの如く敵へ向かっていく、七色の炎を。
体内に取り込んだ転移者の心臓のエネルギーで、ちょっとした傷などすぐに回復してしまう彼女を、一撃で無力化しなければならない。
だから、威力に一切の加減は無しだ。
「美しい魔法ですね…だけどよ」
回避不可能と悟って、炎を眺めるアイディー。
その瞳に、動揺の色はない。
何故なら、専用の盾を用意していたからである。
アイディーは雪上に転がっていたそれを足先で拾い上げ、手に持ち替える。
そして、舌に開けたピアスを、見せ付けるように投げ出した。
「燃えてもいいのか?コレ」
「ユータァ!」
何かを察したオーランドさんが、大声で制止した。
作戦中止の命令を受けた炎は、四方八方に方向転換、消滅する。
盾として掲げられていたのは、気絶中のロビン。
鬼畜の笑みを浮かべるこの女は、人の心の弱点を利用する、残忍さと狡猾さを合わせ持っていた。
「下衆女が…!」
「ギャハハハ!何とでも言えよ雑魚!…いい加減、私の体で下品に笑うのは止めて下さい」
完全に魔力を失い、冷たい床に倒れた俺を置いて、アイディーは自らと会話をし始めた。
その荒い口調が落ち着けば、大股だった歩幅が縮まり、歩く姿が淑やかに。
俺は彼女の精神の特殊な造りに何と無く気付いたが、もう意味のない事。
霞む視界の中で、細い腕に引きずられるロビンの体と、ひらひら揺れるスカートが近付いてくる。
「さて、要らない方々は魔獣の餌にでもしましょうか。…そうだな、今頃魔法使いの相手をしてる奴らが腹を空かせてる」
「クソ…ロビンを、俺の息子を返せ!」
声を裏返しながらオーランドさんが振るった拳は、不発。
それどころか勢い余ってよろめき、ガラ空きとなった脛を蹴飛ばされてしまった。
虚しくなるほどの無力さに、あの優しい瞳から光が失われた事実をようやく受け入れた俺は、悔涙を流す。
自らの未熟さの代償を、他人に支払わせる事になるとは。
それも、加害者の親である、彼に。
後悔している間、ガシガシと脳天を踏まれたが、此方は死を受け入れた身分だ。
今更痛みや屈辱なんて、気にならない。
反応が薄いせいで飽きてしまったアイディーは、わざと爪を立てて首を掴み、俺の体を持ち上げた。
「…さあ、賢者様のために働く駒になると誓いなさい。そうすれば、貴方だけは魔獣の餌にならずに済みますよ」
「クソ喰らえ」
「…最終確認も取ったし、これで賢者様への言い訳も十分。さっさとくたばれ七光りが!…あ?」
提案に即答した俺の首の絞めつけが強まって数秒後、ふわりとした感覚が。
最初は魂が抜けたのかと思っていたが、それは勘違い。
体が一瞬だけ、浮遊していた。
何が起こったか分からないまま限界を迎えてしまい、意識が遠くの方に離れていく。
「金貨一枚の借りは返したぜ。起きたら酒に付き合えよ、ユータ」
気を失う寸前、鉄の匂いと共に、少しだけ懐かしい声がした。
それは、耳にするだけで安心感に包まれるような、自信に溢れた強者の声だった。
◇
野暮ったい風を切り裂く快感の後から、皮膚を破り、肉を断つ手応えが追いかけてくる。
熱い右腕を振り抜けば、頬と右肩が赤く濡れた。
他人の血の生温さにも、もう慣れっこ。
しかし、待ち侘びていた再会が、予想より早く訪れたことに歓喜した心は、普段通りの感触にすら、特別な興奮を覚えてしまう。
「金貨一枚分の仕事としては十分だろ?起きたら酒に付き合えよ、ユータ」
俺の要求を聞き終えると、左腕で受け止めたユータの体は完全に脱力し、重くなった。
触れた箇所から伝わる熱が余りに心地良いせいで、剣を抜いているにも拘らず、気が緩む。
ただ、この温もりは俺の妄想であり、錯覚。
もう俺の左腕は、人の体温を感じ取ることなど、できない。
「腕が…腕が痛え!」
右腕を一閃されたシスターは、逆の手で鷲掴みにしていた金髪の青年を放り捨て、腕に出来上がった真っ直ぐな断面を抑える。
戦場には場違いな細い指の間から、滝の様に鮮血が噴き出した。
意気消沈してもおかしくはない大怪我だったが、その目付きの悪さに表れた、刺々しい怒りは収まらない。
男勝りな奴だと俺が感心していると、瘡蓋代わりとなったシスターの手の平が、押し戻される。
見る見るうちに、切り落とされた腕は元の形を取り戻してしまった。
魔法を使っても不可能な回復力だ。
だが、似た様な化け物を相手にした事があるため、顎が落ちる程の驚きはない。
アレとやり合ったのは、もう二度と行くことの無さそうな、イカしたバー。
忘れもしない。
初めてユータと一緒に酒を飲んだ、最高の夜だった。
「クソッ、連れは魔法使いだけじゃなかったのかよ!」
奇襲に舌打ちしたシスターが鞭を手に取り、スナップを利かせてそれを撓らせると、ユータを抱えた俺の左腕に見事命中。
骨を直接殴ったような、固い音を響かせる。
しかし、体の一部が振動する不快感があるだけで、痛覚への訴えはない。
それよりも、苛々としたシスターが発した言葉の方が、俺の心の柔い部分に突き刺さって、チクリとした。
「やっぱリリィは一緒なのか。…良い気はしねえな」
「味がしねえ…どうなってやがる?」
鞭を受けてもびくともしない様子と、指に返ってきた空っぽな手応えに困惑したシスター、そして、切なさに俯いた俺を煽るように、強い風が吹く。
すると、古びたマントが巻き上がり、影の中から俺の左腕が顔を出した。
筋肉も脂肪も無い、金色の左腕が。
「黄金の義手…!」
「メッキだけどな。最強の戦士、ジェシカ・グリーンウッド様にはピッタリだろ?」
気を取り直した俺が、大剣を右肩に乗せてギラリと笑えば、種明かしされたシスターは渋い顔。
余裕をひけらかしている訳ではない。
左腕のリハビリを乗り越えた先に、最高のご褒美が待ち受けていたのだから、心も躍る。
「まさか、こんな田舎で会えるとは思わなかったぜ」
腕の中でぐったりとしたユータの背中を見ているだけで、つい頬が緩んでしまう。
緊迫した状況であることは理解していたが、彼との再会は俺にとって何よりも特別だった。
そうやって幸せを噛み締めていると、先程までとは別人のように冷静になったシスターが、金髪の青年を抱え直した。
「お互い怪我人を抱えています。ここは休戦としませんか?」
「俺の友達をボロ雑巾にしやがったんだ。手前がくたばる以外の結末は無えよ」
「そうか、そうだよな…猿に話が通じる訳ねえよなァ!」
再び豹変したシスターは、唐突にピィと指笛を吹いた。
突飛な行動に警戒心を強めた俺が、ユータを雪上に下ろした直後、空から質量の塊が飛来する。
上からの襲撃は想定外。
それでも、優秀な神経が自動的に指示を出し、すぐに両腕で剣を握らせてくれたお陰で、対処は間に合った。
「猿なんてかわいいもんじゃねえ…ゴリラ様だ!」
意気を示した俺が大剣を振り下ろすと、尋常ではない速度のせいでぶれて見えた何かを、刃が捉える。
両腕が生身だった頃より、剣が遥かに軽い。
人間特有の柔軟な動きにも、ストレス無し。
装具士の腕は、確かだ。
餌食となったのは、火花が散る程に硬い、巨大な何か。
その体から切り離された一部は、赤い液体と共に地に落ちた。
「ギャアアア!」
衝撃によって雪と砂埃が巻き上がるのと同時に、甲高い鳴き声が響き渡る。
視界を取り戻した頃には、シスターと少年の姿は忽然と消えており、残されていたのは、赤い鎧に包まれた肉塊。
上空を見上げると、危機に瀕した蜥蜴の如く尾を失った翼竜の背に、ロビンとシスターが乗っていた。
離脱した彼女は、此処からでも分かる位に汗だくだ。
「鱗ごと尻尾を…!?…まあいい、賢者様の指示が最優先だ。賢者様の指示が最優先だから帰るだけで、逃げる訳じゃないからな!」
尾を落とされ飛行の安定感を欠いた翼竜の背中で、地団駄を踏みながら言い訳を叫ぶシスター。
こめかみに血管を浮かび上がらせた彼女の迫力は、駄々っ子のような身振りで相殺されていた。
「ロビン…ロビン…」
傍で倒れていた男が、離れていく竜の方に手を伸ばし、小さな声で嘆いている。
俺個人は勝利した気分だったが、当方には怪我人が二人。
それも、恐らく片方は、魔法でもどうしようもない眼球の怪我だ。
側に見える建物は全壊。
丸太小屋からも、大きな火の手が上がっている。
ユータたちにとって、良い結果とは言えないのだろう。
「ゼェ、ゼェ…いっその事、義足にするか」
背後から、上がった息を整えようとする、聞き苦しい音が聞こえてくる。
無様に膝に手を突いていたのは、俺の義手を作った男、ドクランだった。
先程此処から煙が上がっているのを見たドクランと俺は、現場に急いだ。
だが、肥満体形の彼の足が余りに遅く、置き去りとなっていたのだ。
「おい、オーリー!大丈夫か!」
嘆いていた男の負った痛々しい傷を見たドクランは、血相を変えて駆け寄る。
こんなに慌てているのは、初めての事だった。
大丈夫だ、命に別状はない。
命だけには、だが。
ドクランが次に見据えたのは、赤々と燃える丸太小屋か、それとも理不尽そのものか。
炎が反射した小さいサングラスに瞳は隠れていたが、悲惨な光景を前に呆然とする姿からは、喪失感が漂っていた。
「神は俺たちからどれだけ奪えば気が済むんだ…どれだけ…!」
溢れそうになる感情を押し殺すようなドクランの呟きは、木材の焼ける熱に蒸発し、虚しく消えていった。




