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第10話 壊れた魔法使い

 壁際の棚に立ち並んだ試験管が、斜陽を被ってちらつく。

 その眩しさに、窓の外へと視線を逸らすと、庭では、燥いだ子供たちの相手をリリィが務めていた。

 テーブルの向かいに座って、同じものを見ていたガルダさんも、平和を噛みしめて、ご満悦だ。


 ダラクに流れる穏やかな時間は、確かに心を癒してくれる。

 しかし、会ったばかりの相手と、ただ黙って過ごすのは、どうしたってむず痒いものだ。

 だから俺が、この家について気になっていたことを尋ねたのは、極々、自然な流れだった。


「…ただのインテリア、ではないですよね?」


 俺は、テーブルの端に置かれたビーカーを指差す。

 

 この家を見渡すと、科学実験に使用する器具が、これでもかというほど視界に入ってくる。

 基本的に、一般家庭には不要な物である上、子育てに勤しむ母親の趣味にしては、気合の入った陣容だ。


「私は、国から依頼された魔法研究をして、そのお金で生活しているの。今は、合成魔法について、研究しているわ」


 渋ることなく答えたガルダさんが、その両手を胸の前で受け皿の様に広げると、手のひらの上に、水の塊が。

 水は、瞬間的に現れた炎によって熱され、雲へと変化。

 更に電気を混ぜ合わせれば、ミニチュアの、雷雲が完成した。

 

 魔法を器用に操れば、天候の変化すら、再現できるのか。

 屋内における、簡易的なものだったが、あとは相応の燃料とエンジンさえあれば、神の領域にすら、近づけるということだ。


(すげ)え…何でもアリだ」


「ふふ、流石に何でもって訳には行かないわ」


「いや…メドカルテから依頼されるのも、納得です」


 ガルダさんの手を離れた雷雲は、五秒くらいテーブルの上を彷徨ってから、自然に消滅。

 興味津々だった俺は、何だかもったいなくて、しゅんとしてしまった。

 

 こんな芸当、魔法の基礎を知らない俺には絶対にできないし、リリィだって、どうだろう。

 多彩な魔法を難なく操り、細かい出力の調整も、完璧。

 一つの魔法しか扱えないのにも拘らず、雨の中で炎の出力を維持できなかった俺からしてみれば、魔法使いとしての彼女は、正に、雲の上の存在だった。


「ありがとう。けどね、私に研究を依頼しているのは、ルーライトなの」


「…ルーライト?メドカルテに住んでいるのにですか?」


「そうね…理由を話すと長くなるわ。おばさんの長話って、本当に長いのよ?」


「聞かせて下さい」


 おどけたガルダさんが、話すことを躊躇しているように見えたため、俺は催促した。

 非凡な魔法使いであるガルダさんの生い立ちに、俄然、興味が湧いていたのだ。

 俺も、外で体を動かして、成長していく子供たちと同じように、有意義な学びを得たいじゃあないか。


 結果的に、不快に思われても仕方がないような俺の図々しさを、彼女は気にしなかった。

 日が暮れるまで時間があったのも、丁度良かったか。


「…私はね、転移してきたの。この、ダラクに」


「ガルダさんが、転移者…!?あんなに沢山の魔法が使えるのに、ですか?」


「コッチに来たのは、十五の時だったわ。この街の子供たちが、苦しみながら息絶えていくのを目の当たりにして、いつか、手の届く命だけでも救いたいと、そう思った。…それからは、猛勉強!魔法の技術が評価されて、十八歳になった日に、ルーライトの国立魔法学校に入学できたわ」


「そうか、この世界に来てから、魔法を…。きっと学校でも、優秀だったんでしょうね」


「見る目があるわね。私はそれから十年で、最上位の魔法使いとして認められたわ。国への貢献が評価されて、研究を続ける代わりに、此処であの子たちの世話をする自由を、貰っているの」


 積み重ねた努力や経歴への自信からか、経緯を語り終えたガルダさんは、堂々としている。

 誇って当たり前だ。

 彼女は人道的な夢を直向きに追い求め、そして、叶えたのだから。


 さて、ガルダさんの話が本当であるならば、彼女は魔法の国でも、有数の魔法使い。

 賢人との折角の出会いを、生かさない手はない。

 気持ち良く目を光らせる彼女を、煽ててでも、頼るべきだ。


「やっぱ、凄い人だったんだ…!そんなガルダさんに聞くには、初歩的過ぎて恐縮なんですけど…。良かったら、魔法について、幾つか聞いてもいいですか?」


「モチロンよ!おばさんに任せなさい!」


 嬉しそうに胸を張ったガルダさんの肩から、黒髪が零れた。

 

 正直に言ってしまうと、トップレベルの魔法使いである彼女に対して、貸しを作れたのは幸運だ。

 箔の付いた人間にものを教わろうとすれば、どれだけの金がかかるのか、実家の帳簿を見て、知っている。

 心の中でケニーに感謝した俺は、遠慮なく、質問した。


「炎の魔法を使うんですが、威力がその時々で違うんです。だから、上手く加減ができなくて」


「火炎魔法というか、アレは、特異魔法よね」


「特異魔法?」


「転移者は、特別な魔法が使えるようになるの。それが、特異魔法。まだ科学的には解明されていないけど、それまで魔法を学んでこなかった人間に与えられる、保険のようなものだと言われているわ」


「じゃあ、俺が転移者だって、バレてたんですね」


「じゃなきゃ、自分が転移者だなんて、明かさないわよ」


 言われてみれば、その通りだ。

 この世界で転移者は差別の対象になっているのだから、カミングアウトにはリスクが伴う。

 となれば、俺も人前で、安易に特異魔法を使うのは、控えておいた方が良いだろう。


 納得と、情報のアップデート。

 その処理を終えると、ガルダさんが、続ける。


「まあ、生まれ持った才能が関わってくるって話もあるし、証明されていない部分は、無限にあるけど…。魔法の威力は、知識と感情の掛け算で決まる。それが、現状最も支持されている、魔法の方程式よ。頭の良い人がイメージして、そこに思いを込めて撃てば、強い魔法になる」


「知識と感情…方程式って言っても、大分、ざっくりですね」


「そう!此処で考えを止めるべきじゃないわ!」


 掘り下げる流れを喜んだガルダさんの声が、ワントーン高まった。

 知識人というものは、より深い知識をひけらかす事に、快感を覚える生き物なのだ。

 

 指を杖に見立てて説明するガルダさんの姿は、さながら教師の様。

 彼女が先生だったら、薄暗い屋敷での味気ない勉強も、もう少し楽しめたのかも、などと、夢想してみる。

 もしそんな生活を送っていたら、年上趣味やマザーコンプレックスが、酷くなっていそうだ。


「重要なのはおそらく、現象に対する仕組みを深く理解する事よ。…ねえ、ちゃんと聞いてる?」


「あ、ええと、現象に対する…何でしたっけ?」


「例えば。火を発現する際には、火が燃える仕組みや、そもそも火とは何なのかを、どこまで理解しているかが重要になるの。だから、一概に知識とは言っても、火にまつわる神話とか、そういった周辺知識は、後回し」


 ガルダさんは、存在しない眼鏡のフレームを、くいくいと押し上げる素振りをしながら、語った。

 眼鏡があったって、良い。

 そんなことを考えていたら、また話を聞き洩らしてしまうから、もう、止しておこうか。


 彼女が述べた理論であれば、文化レベルの高い元の世界で、知識をうんと付けた俺に、威力の面で優位性があるのも、説明がつく。

 腑に落ちた俺は、もう一つ、更に曖昧な要素に話題を移した。


「あとは感情、ですよね」


「そっちに関しては、まだまだ私も理解が及んでいないわ。再現も証明も、出来ないし。ただ一つ、はっきり言えるのは、特異魔法は普通の魔法に比べて、感情の影響を受けやすい。…想いが噛み合ってしまえば、人なんて、いとも簡単に殺せる」


 最後の言葉に垣間見えた、複雑な感情。

 気にはなったが、俺は、聞かないことにした。

 彼女の過去を強引に聞き出したときと、今回は違う。

 何となく、そんな感じがして、触れられなかったのだ。


 魔法の理解を進めてくれただけでもありがたいのに、隠したがっている闇を、態々穿り出すような、不義理はしたくない。

 俺は、話題を変えた。

 ふと思い出した、余談だった。


「そういえば、ガルダさんも転移者なら、『意思』と会ったってことですよね。アレは、一体何なんですか?」


「意思?…ごめんなさい。何の事か、分からないのだけれど」


 思いもよらない反応が、返ってきた。

 最初はとぼけているのかと思ったが、ガルダさんの浮かべた表情は、何の話をしているのか見当もつかないときのそれだ。


 別の世界から、同じ道を来たはずの彼女。

 それなのに、話が伝わる気配すらなく、俺も、困惑してしまう。


「いや…あんなの、忘れようがないじゃないですか!黄金の扉の中に居た、あの、クソむかつく態度の、化け物ですよ!」


「私は扉に入った後意識を失って、次には、ダラクで目が覚めたの。扉の中で誰かと話したりは、していないわ」


 話が噛み合わず焦る俺を落ち着かせるため、ガルダさんは、冷静に告げた。

 やはり、嘘を言っている様子はない。

 だとすれば、俺が扉の奥で見たアレは、何だったのだろうか。

 夢だとでも、言うつもりか。


 魔法について理解が進んだ一方で、深まってしまった転移の謎に、訳が分からなくなる。

 そのまま数秒間、自分の世界に籠っていた俺の耳に、明るい声と、パチンと手を叩く音が。


「さて、そろそろご飯にしましょ!」


 我に返った俺が玄関を見ると、泥で汚れた子供たちと、くたくたになったリリィが帰ってきていた。

 そうだ、難しい話は後にして、先に済ませるべきことがある。

 勿論、飯と風呂だ。

 



 ◇




「「「「「ごちそうさま!」」」」」


 大家族の食卓は、非常に忙しない。

 子供たちはテーブルに並んだ大量の料理を小さい体に全力で吸い込み、一瞬で平らげてしまうと、今度は風呂に入るために、どたどた。

 足音を立てながら、屋外へと消えていく。

 俺とリリィは、その勢いに圧倒されて出遅れたが、その場に残っていたのは、俺たちだけではなかった。


「…ん!」


 テーブルの隅で腹を括ったケニーが、皿の上に残った野菜を口の中へ放り込んだ。

 声にならない声が、彼の苦しみを物語っている。

 

 今までは、残してしまっていたのだろう。

 様子を見ていたガルダさんは感動して涙を流し、それに共感したリリィまでもが涙目。

 親バカが、感染していた。


「風呂、先にいただきますね。…ほら、行くぞガキ」


 ペースを合わせて食べ終えた俺は、口周りを汚したケニーを鷲掴み。

 一緒に、風呂場へと向かった。

 

 裏口から屋外に出ると、水道管にも繋がれていない、独立した大きな湯舟が、複数個。

 アレに水を張り、熱を加えるという工程は、ガルダさんが毎日、魔法で行っているという話だ。

 

 此処は廃れ果てた街。

 風呂に入れる家庭なんて、きっと珍しい。

 それを思うと、湯船ではしゃぐ子供たちの笑顔は、特別なものに感じられた。


 ケニーと同じ湯船から、湯を掬い体を洗った俺は、ケニーと同じ湯船に浸かる。

 相変わらず静かな彼だったが、何故か、じっと此方を見つめてきて、逃がしてくれない。

 幼い瞳の圧に押し負けた俺は、会話の口火を切った。


「野菜、嫌いか?」


「…美味しくない」


「でも、食えた。ガルダさん喜んでたな」


 俺の言葉を聞いたケニーの表情は、嬉しそうに綻んだようにも、やはり、何ら変わっていないようにも見える。

 ガルダさんなら、コイツの感情の機微を、もっと、ちゃんと分かってやれるのだろうか。


 会話が途切れたのを良いことに、俺は視線を逸らし、湯気を吸う。

 落ち着いていると、今度は、ケニーの方から。


「…ほんとはガルダが凄い人だって、知ってるんだ。でも、僕たちのせいで、こんな街で暮らしてる」


 あどけない口元から、ポトンと湯船に零れたのは、自責の念だった。

 年下の兄弟と日々を過ごす彼は、長男としての責任感があり、自立を意識している。

 その結果、蛮行に走ってしまうのはお粗末だが、彼の経験の中には、生きる術がそれしかないのだから、必然的な事でもあった訳だ。

 

 まだ未発達な翼で飛ぼうとして、失敗したひな鳥。

 無謀だと叱って、巣に戻すのは簡単で、多分、それも正しい。

 けれど、一歩を踏み出した勇気は、肯定してやっていいのではないかと、俺は思う。


「心意気だけは、認めてやる。バカなせいで、手段はクソ中のクソだったけどな。…あの人はさ、お前が生きているだけで喜ぶ、そういう人だろ。ゆっくり大人になって、バカも治して、それから守ってやれば、良いんじゃないか?」


 焦燥感への答えを探していたケニーに、道標を立ててやりたかった俺は、乱暴な言い回しで、言った。

 まだ若い俺の言葉に、大した重みは無かったが、ゆらゆらと揺れる湯面に浮かんでしまう程、軽くもないようで。

 受け取ったケニーは、ちょっとだけ深く湯船に浸かって、未来と向き合っていた。


 じいちゃんは今何処で、何をしているのだろう。

 見つけるまで、ちゃんと生きていてくれるだろうか。

 湯気越しの空を眺めれば、俺だってそんな事を考えてしまうのだから、ケニーが焦る気持ちも、理解できなくはない。




 ◇




 深夜、子供たちと川の字で寝ていた俺は、汗ばんで冷たくなった素足の蹴りを顔面に喰らって、起こされた。

 子供という生物は、寝相が悪過ぎていけない。


 起こされがてらトイレに行こうと、闇の中で階段を下った俺の視界に、僅かな橙色が映り込む。

 こんな夜中に、玄関の明かりが点いていた。


 気になった俺は、歪んだドアの隙間から視線を通す。

 すると、ガルダさんと誰かが、玄関先で話しているのが見えた。


 紫髪の、長身。

 やけに肌面積の多い、黒い服を着ている女性だ。

 グラマーな体系から、すらりと伸びた足が美しい。

 それを辿っていけば、歩き辛そうな真っ赤なハイヒールが、独特な妖しさに似合っていた。

 

 しかし、此処はスラム街の夜。

 あのふざけた服装で、よく出歩けたものである。


「私たちと共に行きましょう、ガルダ・ベイリー。賢者様は、あなたの才能を高く評価しているわ」


 賢者、そう、言ったか。

 聞こえてきた会話の中に、その名が聞こえた途端、寝ぼけていた脳へぐわっと血が回り、強制的に目が覚まされる。


 愛されし者の構成員が、こんな僻地にまで足を伸ばしてくるとは、想像もしていなかった。

 まさか、俺を追って報復に。

 なんてことを最初は考えたが、あの女は、ガルダさんに用があるらしい。


「買い被り過ぎです。…今はもう、毎日の育児に追われる、ただの母親ですから」


「フフフ…冗談言わないで。あなたの噂は聞いているわ。()()()()()()()さん」


 女性が意味ありげに、自らの唇を撫でたのをきっかけに、体感気温が、三度下がった。

 エアコンが動き出した瞬間の、あの涼しさだ。

 何も言わないガルダさんに、空気が怯えていた。

 

 薄い床やボロボロの壁が、軋んで嫌な音を立てる。

 ランプの炎も、小刻みに震えて、ゆらゆら、ふらふら。


「凄い殺気…。これが、我楽多の魔術師…人殺しの、天才!」


「守りたいものができたの。あの子たちが巣立つまでは、私は此処に居たい。だから、遠路遥々来たところ申し訳ないけれど…ご期待には、沿えないわ」


 声色の変わったガルダさんの周囲に、輝きの粒が集う。

 圧倒的な力に、魔素ですらも首を垂れていた。


 幻想的な光景だが、魔法の世界においては、銃を構えているのと同義。

 頭の中で引き金を引けば、命を奪えるのだ。


「…そう。あなたの言い分はわかったわ。また会いましょう、我楽多の魔術師さん」


 死の危険など気にもせず、恐れず振り返った紫髪の女。

 彼女はハイヒールの音をコツコツと響かせて、玄関を後にする。

 ゆっくりと遠ざかる影が、閉まる扉に分かたれたと、同時に。

 その場に張り詰めていた緊張感が途絶え、睨みを利かせていたガルダさんが、ふっと脱力した。


「ガルダさん!」


 やっと身動きが取れるようになった俺は、容体の分からないガルダさんに呼びかけながら、側まで駆け寄る。

 気の抜けた体に肩を貸すと、彼女の体は、見た目よりも重たかった。




 ◇




「ごめんなさい。怖いところを見せちゃったわね」


 マグカップに入った、ホットミルク。

 二人分のそれを持って、テーブルに戻ってきたガルダさんが、疲れた笑みをくれた。


 動けるようになると、すぐにキッチンへと向かったので心配したが、足取り自体は、しっかりとしている。

 もう、それほど心配はなさそうで、良かった。 


「愛されし者…俺も一度、声をかけられました」


「虱潰しに転移者を当たっているのかしら。こんなおばさんに声をかけるなんて、余程人手不足なのね」


 ガルダさんは冗談めかしてそう言ったが、最早この人がただ者ではないことは、火を見るよりも明らか。

 そのため俺は上手く答えることができず、返事を待っていた彼女はまた、苦笑い。


「私はルーライトにいた十年間、研究だけをしていたわけではないの」


 黒い瞳の上で、キャンドルの炎が悲しげに揺れている。

 極力淡々と話そうと努めるガルダさんが組んだ指には、力が籠っていた。


「八年前、ルーライトは北に位置するアシュガルドと二年の間国境付近で争っていた。魔法が得意だった私にも、招集がかかったわ。…でも、私は初めての戦場で恐怖に支配され、暴走してしまった」


「暴走…ですか」


「周囲の敵を過剰な威力の魔法で殺し、更には味方さえ巻き込んで傷つけてしまったの。その結果、兵士たちはダラクから来た私を、我楽多の魔術師と呼ぶようになったわ。大勢の味方を巻き込んだ皮肉を込めてね」


「反吐が出る…同じ国を守る仲間だっていうのに」


 俺が吐き出したのは紛れもなく、素直な気持ちからの擁護。

 だが、ガルダさんは自らを甘やかすような言葉には耳を貸さず、長い睫毛を閉じた。


「いいえ、ぴったりなの。今思えば、確かに私の倫理観は壊れていたわ。不幸な子供たちを助けるという目的のために国の信用を求めた私は、命令のままに戦場に出て、アシュガルドの兵士の命を奪った。私は傲慢にも、命の選別をしたのよ」


「そんな言い方…!」


 言葉に詰まってしまった。

 様々な相手に人道的であるべきだと口に出し訴えてきた過去の自分が、言葉を紡ぐ邪魔をしたのだ。

 孤児を救い、育てるというガルダさんの抱いた望みは崇高なものだが、彼女が殺したアシュガルドの兵士にも子供が居ただろう。

 それを思うと、無責任に肯定的な言葉を並べてはいけないような、そんな気がした。

 

「でも、選んで辿り着いた道だからこそ、私はあの子たちを絶対に幸せにしてあげたい。私の全てを懸けてでも、彼らの今と未来をより良いものにするわ」


 信念を語るガルダさんの表情はまだ暗かったが、同時に穏やかにも見える。

 上手く想像できない程過酷な経験を思い返す彼女に対して、年端もいかない今の俺に言える事は無かった。


「…明日の朝飯の支度は手伝います。こき使ってください」


「ふふ、ありがとう」


 バツの悪さに視線を逸らし、自らの首の裏に爪を立てた若者に、ガルダさんが微笑んだ。

 こういった時、大人は常に優位な立場に居るのだから狡い。


 一階の自室へと戻るガルダさんの背を見送った俺は、二人分のマグカップを片付け、明かりを消してから階段を上る。

 そっと寝室の扉を開けると、子供たちは天井にへそを向け、静かに寝息を立てていた。

 何も知らずに幸せそうな子供たちの寝顔が、羨ましい。

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