第9話 我楽多の街
「絶対近道で行くわ!絶対よ!」
「なんでだよ!迂回した方が楽だろ!」
朝っぱらの街中、人が動き出す爽やかな空気の中。
俺たちは、みっともなく言い争っていた。
口論の原因は、至ってシンプル。
目的地であるアシュガルドに向かうには、二種類の方法があり、何方を取るかで意見が二分したのだ。
戦士の国アシュガルドは、グランシア大陸最北に位置しており、メドカルテは、大陸の南側。
だから何方にしても、国境を跨いだ、長距離移動となる。
一つは、メドカルテの北部にあるスラム街、『ダラク』を徒歩で移動し、入国制限の掛かっている『魔法の国ルーライト』に密入国する、という直線ルート。
もう一つは、馬車で東に迂回して、アポレイン教の教会があった『宗教の国シン』を北上するルートだ。
メドカルテまでの徒歩移動が大失敗だった事を忘れられない俺は、シンを通過するルートで行くつもりだったのだが、何故かリリィは、それを極端に嫌がっている。
教会での一件を思い出したくないのかも知れないが、危険な上、罪を犯す前提の道程を選ぶなんて、正気の沙汰ではない。
断固として譲る気のない俺は、対話を諦め、強硬手段へ。
「話にならねえ。もう俺だけで馬車に乗る」
「残念。金貨はココよ」
得意げに鼻を鳴らしたリリィ。
いつの間にか、パトリックからむしり取った金貨の山が、彼女の手中に収まっていた。
手癖の悪い女である。
スラムに入る前に窃盗被害に遭うとは、思ってもみなかった。
「…なんでそんなに嫌がるんだよ!お前のばあちゃんの墓参りに寄ったっていいんだぞ!?」
「なんでもよ!おばあちゃんには、いつかちゃんと会いに行くからいいの!」
「はあ…何なんだよ、全く」
どれだけ問い質しても理由を吐かない鉄壁ぶりに、とうとう俺が白旗を振ると、機嫌を直した彼女はニッコリ。
人質にされていた金貨が、返ってくる。
こうして、危険な旅を泣く泣く受け入れた俺は、まずはダラク付近までの足を捕まえるため、歩き出したのだった。
論争の正しい終着点はもう一方の選択肢だったと、まだ根に持っていた俺は、不貞腐れながら道を往く。
しかし、いざ、異世界のスラム街に赴く事が決まると、未知の冒険に心が躍っている自分もいた。
が、それがバレてしまうのは、癪。
顔に出ないよう、注意だ。
そうだ、そういえば。
釘を刺しておくべき一番の問題点を思い出した俺は、足を速め、前を歩いていたリリィの横に並んだ。
「なあ、密入国は簡単って話だったが、ルーライトに知り合いでもいるのか?」
「そんなの居ないわ。シンから出たの、この旅が初めてだもの」
「…じゃあ、どうするんだよ」
「決まってるじゃない。強行突破よ」
人はそれを、密入国とは言わない。
◇
メドエストの周辺、整った街並みから離れて、数日。
馬車で北上していくに連れ、通りすがる建造物や窓から見える様子に、治安の悪さが浮かび上がっていく。
人々の表情も、憂いを帯びていたり、疲れていたりが目立つ。
馭者の話によると、メドカルテには貧富の偏りがあり、荒廃している地域も珍しくはないらしい。
中でも、国が管理を諦めたのが、貧民街ダラク。
薬物が蔓延した結果、水道や電気など様々なライフラインの供給が後回しのまま放置され、住んでいるのは行き場のない者と、一部の物好きだけ。
この国に来た当初では、国土の中にそんな場所があるとは想像し辛かっただろうが、パトリックの人間性を知った今では、納得だ。
数時間の移動の後、馬車が走れる限界で降ろしてもらうと、そこは、廃材が積み重なった門の前。
先に見える、家屋代わりの我楽多の山に、人間の生命力が色濃く表れており、圧倒された俺は、ごくっと唾を呑んだ。
「お客さん、悪いことは言わないから、今からでも考え直しな。ダラクは、大陸の中でも有数のスラムだ。何が起こるか、分からないぞ」
「ありがとう」
乗車前に忠告してきた馭者は、下車しても、まだ心配している。
それほど、誰も立ち入らない場所という事か。
感謝だけして金貨を渡すと、意見を引っ込めた馭者は帽子を深く被り、来た道を引き返していった。
軽快な馬の足音を背に、廃材の山を一瞥した俺は、ノールックパス。
有事のリスクを分散させるため、金貨の半分を詰めた財布を、リリィに投げた。
「いつ襲われたっておかしくないぞ。ぼんやりするなよ?」
「あんたこそ」
取り澄ましたリリィが、受け取ったポーチの紐を、キュッと締めた。
◇
周囲は一気に鬱屈とした雰囲気となり、形容しがたい異臭が、鼻を突く。
リリィも間違いなく不快に感じていたはずだが、それに一々反応するのは下らない気もして、結局、お互い言及することは無かった。
辺りを見渡しながら歩いていると、家とは言えないような建物にもたれ掛かった、ボロボロの布切れを身に纏った人々が、此方へ手を伸ばしてくる。
「なあ、余所者だろ?少しで良いから、恵んでおくれよ」
「病気なんだ、頼むよ」
物乞いに何度も声を掛けられるが、視線を合わせずに無視を決め込む。
誰も彼も、首だの腕だのに注射痕。
彼らに何を恵んだとして、それを元手に、現実逃避を買うだけだ。
不憫を眺めながら、暫く、黙って歩いた。
楽しくお喋りしながら、という気分にはさせてくれない環境のおかげで、注射器の残骸、カラスの骨など、珍しいものを見つけられる。
ただ、そうやって下ばかりに目を向けていたせいで、空に雲が溜まっていた事には、気が付かなかった。
「運が悪いな」
呟いた俺の頭上から、強い雨が降ってきた。
道端に屯っていた住人たちも、いそいそと、廃材の闇に消えていく。
流石に、雨風程度は凌げる場所を、用意しているらしい。
そんな彼らと違って土地勘のない俺たちは、雨宿りをするため、目に付いた大木へ。
大急ぎで駆け込んだ、自然の傘の下には、小さな先客が。
伸びきった茶髪が印象的な少年。
物珍しそうに、此方を見上げている。
決して高価なものという訳ではないが、服の形をした服を着ている時点で、ダラクの住人の中では、真面な身形と言っていい。
「邪魔するぞ」
簡単に挨拶をした俺は、少年の返事を待たずして、大木に寄り掛かる。
リリィは魔法で熱風を起こし、濡れたローブを乾かしていた。
こうして応用を利かせれば、日常生活に役立てることもできるのだから、便利なものだ。
もし元の世界に魔法が存在していたならば、テレビも洗濯機も、冷蔵庫だって、開発されなかっただろう。
「君も、濡れてない?」
優しい声色で少年に話し掛けたリリィが、彼の服に熱風を当てようと屈む。
俺に対しては暴君のような彼女の、普段とは違った一面に感心させられた、その瞬間。
未だ何も言わない少年の口元が、ニヤリと動いたのを、俺は見逃さなかった。
「…馬鹿、油断しすぎだ!」
「え!?」
口では指摘しながらも、実際には、同じく油断していた俺自身に言い聞かせるため、発した声だ。
そう、リリィの危機感を煽るには、最早手遅れ。
内容が伝達するより先に、既に少年の小さな腕が、彼女のポーチを目にも止まらぬ速さでひったくっていた。
「待てい、クソガキ!」
遅れてスタートした俺は、少年のちんまりとした背を、追いかける。
顔が不細工になるくらいには、全速力も全速力だったが、雨でぬかるんだ地面が足を引っ張ってきて、走り辛いことこの上ない。
更に入り組んだ場所に入ってしまえば、倒れたトタンや木材をアスレチックのように潜り抜けられ、遊ばれているような感じだ。
「クソッ、ちょこまかちょこまかと!」
口を動かしても意味がないのに、ついつい文句が出てしまう。
そうでもしないと、障害物へのストレスで、どうにかなってしまいそうだ。
しかし、苛々していたのも束の間。
跳ねては屈んでを繰り返している内に、冷えた体の中で鳴りを潜めていた、運動能力と集中力が目を覚まし始めた。
難度が上がっていくパルクールに順応した手足が、自由自在に道を作る。
視界が加速し、みるみるうちに、少年との差が縮まっていく。
「…外の人間なのに!」
焦りからか、初めて少年の口が開く。
そして遂に、彼のシャツに、指先が触れた。
カツン。
足元に、抵抗。
体は、ふわり。
俺が鉄パイプに躓いてしまったことを理解したのは、顔面から木材へ突っ込んだ、後だった。
「あちゃあ」
「…フッ」
やっと後ろから追いついたリリィが、いたたまれなさそうに頭を抱える。
少年に至っては、倒れてずぶ濡れになった俺を見下して、静かに鼻で笑っていた。
元々、俺は懐の広い人間ではない。
相手が幼い子供であろうと関係なく、馬鹿にされた俺の血管は、ぶちりと弾けた。
「ガキが、ぶっ殺してやる!」
「ちょっと!そこまでやったら、本当に死んじゃうでしょ!?」
俺が魔法を手中で練っているのに気づいたリリィが、制止してくる。
五月蠅い、五月蠅い。
倫理など、大人げなど、知った事か。
青い炎、もしくは俺の浮かべた鬼の形相、その何方かに怯える窃盗小僧に向かって、炎は、放たれた。
「正義の炎じゃ!くたばれ!」
「ひーん!」
涙目で身構えた少年を追いかけるように、炎が走った。
だが、加減した炎は強い雨によって減衰、そして、消滅。
炎が掻き消されるじゅっという音が、余りにも虚しくて。
俺の額から生えた角も、萎えてしまった。
「あんた、無力ね…」
「アハハハハ!」
絶望し膝を突いた俺を、リリィが憐れみ、少年は、腹を抱えて爆笑。
力の抜けてしまった俺は、二人の姿を恨めしく、ただ見上げることしかできなかった。
すると、笑いっぱなしの少年の後ろから、ビニールの合羽を着た何者かが、足音を立てず、そろりと現れる。
それは、憤怒を纏いし女性。
さっきまでの俺など、可愛く見えるくらいの迫力をした、女性だった。
彼女は、一切情けのない拳骨を、振り下ろす。
頭蓋骨に反響するくらいの威力に見舞われ、ぷくっとたん瘤をこさえた少年は、べそをかく。
「えーん!」
「ケニー!また盗みを働いたのね!」
「はっ、ガハハハハ!ざまあみろ!」
叱りつけているあたり、母親か。
見計らったかのような、最高のタイミングで来てくれたではないか。
オセロの終盤の如き大逆転に、今度は俺が、ふんぞり返った。
しかし、拳骨は平等。
俺の過剰防衛も、リリィの手によって罰された。
「子供相手に魔法を撃つなんて、何考えてるのよ!」
「すいません」
クソガキが両成敗され、幕引きとなった。
◇
俺たちは雨宿りも兼ねて、レインコートの女性と窃盗少年、ケニーの住む家へと招待された。
ダラクの何処かで一泊しなければならないとはいえ、大金を盗もうとした犯人の家に厄介になるなど、御免だというのが本心。
しかし、ちゃんと謝罪と罪滅ぼしをさせて欲しいと、女性に深々と頭を下げられてしまい、無下にはできなかったのである。
到着したのは、ちょっとした高台の、開けた土地。
鉄の柵に囲まれた彼女たちの家は、他と同様廃材で作られてはいたものの、精巧に組み上げられた建物だった。
商店ですら、スカスカな建物に、無理矢理看板を掲げて営業しているような状態なのに、よくもまあ、ここまで立派な一軒家を作ったものだ。
そんな金があるなら、普通はダラクに住もうとは思わないはず。
あの馭者に物好きと分類されていたのは、彼女のような人間に違いない。
玄関をお邪魔すると、ずらっと並んだ試験管やビーカーが、目に飛び込んでくる。
薬か何かの研究でも、行われているのだろうか。
電力の確保が難しいこの場所では、中々根気が要りそうだが。
「もう絶対にしないでって言ったわよね!?どうして守れないの!」
リビングまで案内され、俺とリリィがテーブルに着くと、床の上で激しい説教が始まった。
母親のように怒る女性は、ケニーとは似つかない真っすぐな黒髪であり、瞳の奥には深い包容力が窺える。
身長はそれほど低くはないが華奢な体つきをしており、大人にも、可愛らしくも見える人だ。
最初は答えたく無さそうに長い髪をいじっていたケニー。
だが、真剣な眼差しに負け、肩を落とした。
「ガルダ、今日もパンしか食べてない。僕たちはパン食べて、ガルダのスープと、牛乳だって飲んでるのに」
「馬鹿、別にお金がない訳じゃ…!いや、そうだとしてもね。誰かの物を、幸せを奪って生きるのは、いけない事なの。分かるでしょ」
ケニーは泣きじゃくりながら、間接的な盗みの理由を拙い言葉で白状した。
聞いていた俺たちは、やんわりと同情を抱いたが、女性、ガルダと呼ばれた彼女は、それに甘えるような人ではなくて。
幼い肩を優しく掴み、より良い未来へ歩んでいけるよう、軌道修正を試みる。
説教に込められた愛は、未完成な心にしっかり届いたようだ。
納得したケニーが、何度も頷いている。
間違いだらけのこの地で、正しさを学ぶことができるなんて、恵まれた子だ。
最後に促され、鼻水を啜った彼は、とぼとぼと此方へ歩いてきた。
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、ごめんなさい」
「許さん」
「え」
二つ返事で許すつもりだったリリィが、即答した俺に、愕然としていた。
こんなにも、信用が無いとは。
心中で嘆きながら、ケニーに歩み寄った俺は、屈んで、目線を合わせる。
「ガキ、お前は男だ。いつかお前が、ガルダさんを守らないといけない。そんなお前が、盗んで、逃げて…そんなんでいいのか?」
「…ダメ」
「飯は全部食って、体を鍛えて、一人前になれるようにこれから頑張るって、俺と約束しろ。そしたら、許してやる」
「わかった」
「指切り…なんて知る訳ないか」
そう呟いてから、一度だけ、ケニーの頭を乱雑に撫でる。
テーブルに戻ると、様子を眺めていたリリィが、横でにやにやと、鬱陶しい笑みを垂れ流していた。
面映ゆい俺は、頬杖を突いて、無視。
さっきまで、人の心がない極悪人のように扱っておいて、今度はなんだ。
コイツは絶妙に、俺が嫌がる反応をしてくる。
旅が始まってから、そう仲良くもやっていないのに、俺の人格における弱点の理解が、随分と進んでいるではないか。
「改めて、本当にごめんなさい」
ガルダさんが、またまた、頭を下げる。
その旋毛越しに見えるドアの隙間に、十個の星。
惑星みたいに様々色づいたのが、五セットで、十個だ。
もう十二分な謝罪より、暗がりで光るそっちの方に意識がいった俺の口から、驚きが漏れてしまった。
「多過ぎだろ…」
「何度も謝ってしまって、ごめんなさい!」
「あ、いや、違うんです!謝罪の話ではなくて」
「ふふ、そういう事。紹介しますね。みんな、出てきて挨拶なさい!」
俺の弁明に、後ろに潜む五つの影に気が付いたガルダさんは、彼らを呼び出す。
すると、ケニーよりも一回り小さな子供たちが、とてとて、ぴょこぴょこ。
色違いの無地のシャツを着た五人は、歩幅から、足を止めるタイミングまで、息ぴったり。
まるで、御伽噺に出てくる、七人の小人の様だ。
なんて、言ってみただけ。
お堅い実家に、そういった類の本は置いて無いから、当然、読んだ経験もない。
「「「「「こんにちわ」」」」」
「可愛過ぎ…!」
横一列になった子供の挨拶に胸を打たれ、リリィが目を潤ませている。
常に子供のように振る舞っている癖に、本当に、子供好きらしい。
軍隊の如く、挨拶まで揃えた彼らだったが、子供は子供。
自分の欲が、最重要。
退屈に堪えられなくなった一人が、ガルダさんのロングスカートを、引っ張った。
「ガルダ、お外行きたい」
「今はお客様が来てるから、我慢して」
「やだ、お外行きたいよ」
返す刀で要求を却下された少年は、ぐずり出した。
名女優でも、こうはいかないくらいのスピード感。
涙腺の扱いが、上手なガキだ。
こうなると我が儘は感染してしまい、磁石に引き寄せられるように、五人全員がスカートにくっ付いて、抗議活動に勤しむ。
スカートが引きずり降ろされそうになり、自らの腰の辺りを掴んだまま、動けなくなったガルダさん。
困ってしまった彼女に、リリィがすかさず、助け舟を出した。
「ガルダさん、少しの間だけこの子たちと外で遊んできてもいいですか?」
ぐずっていた少年は、ぽかんと口を開け、提案したリリィを見上げる。
兄貴分であるケニーに所作が似ていて、微笑ましい。
少年の頭を撫でるリリィの瞳が、僅かに薄まって、その中で、青く、透き通っていて。
この優しさは、偽物じゃない。
ガルダさんも、向日葵のような笑顔で、了承した。
「ええ、勿論!」
窓の外では、空気を読んだ黒い雲が、そそくさと身を引いていた。




