《9》強面皇帝と聖花姫の父
リリアーナが国王の執務室を飛び出してから二日が経っていた。
この二日間は部屋にこもったまま姿を見せなかった。
乳母でさえ部屋に入れるのは食事を運ぶときだけ。
食事には一切手をつけず声をかけてはみるのだが、真っ暗な寝室で寝具に丸まり反応を示してくれない。
どうしたら良いかと報告があった。
時間が解決してくれるだろう。
リリアーナの気持ちが落ち着くまでそっとしておくようにと指示をだした。
王国内の空はリリアーナが部屋にこもってからどんよりと曇っている。
年中カンカン照りで暖かな陽光が降り注いでいたのに今は厚い雲で遮られている。
遂には空からポツポツと雨が降り始めた。その雨は徐々に本降りになっていく。
空の状態同様、王国の城内や城下町では不穏な空気が漂っていた。戦場の状況が芳しくないのではないか……と不安が広がっていく。
『我が国の敗戦』の知らせを受けたのは、ちょうど雨が降り始めた頃だった。
帝国の使者としてやってきたルシアン殿は国境を守る辺境伯であり、皇帝の側近として名高い方だ。
その風貌は体が萎縮してしまうほどである。鉄壁の辺境伯と言われるだけある。
しかし、その風貌に似合わず物腰が柔らかで親しみやすさを感じる。
こちらに非があるのは明らかであるのに穏便に済ませましょうという。
まざまざと力の差を見せられたからには、どんな要求も全ての受け入れ取り決めに従うしかないと考えていた。
それなのに、、皇帝は寛大な人であった。
我が国の兵は無傷で引き渡すとのこと。
息子たちの身柄も捕虜にせず帰国を許された。そして少ない賠償だけで終わらせてくれたのだ。
本来なら、属国となり多額の賠償と王族の命を持って終戦となるのだが、ゴールデンロックの皇帝は何も求めない。
ルシアン殿はマクシミリアンという人は見た目は恐ろしいが、とても人情深く心根の温かい優しい人である、一言の謝罪だけで全てを許してくれますよ。と話す。
リリアーナを嫁がせなければならないと覚悟を決めていた国王は全身の力が抜ける。
隣に立つ王太子も安堵の表情を浮かべ深く息を吐いた。
国王として安寧な世になるよう治めなければならないのに、国民も隣国も巻き込んでしまった愚かさ。
一人の男の戯言を信じて軽率な行為をしてしまったことに漸く自分が騙されたと悟った。
鵜呑みにするべきではなかった。一国の王として恥ずかしい。
責任を取らなければならないと覚悟を決めた。
◇◆◇◆◇
数ヵ月前に遡る。
ゴールデンロック大帝国の魔術予言師と名乗る一人の男を王国に受け入れてしまったことがこの戦いの始まりである。
王国に起こる不幸な出来事を予言し、回避するためにはゴールデンロックの皇帝を滅ぼすように説いてきた。
王国の問題点を次々と暴き、解決策を提示してくれた我が国の恩人、私の友人となった。
予言師の発言の的中率は百パーセント。信頼しかなかった。
徐々に重要な決め事は予言師の顔色で決定するのが当たり前になっていた。それに不満を漏らす者は誰一人としていなかった。
リリアーナを除いては……
大切な娘のことや国の存亡に関わる予言を受けたことで気持ちに余裕がなかった。
“国を護るために!大切な者を護るために!”などと理由をつけゴールデンロックに戦いを挑んでしまった。
敗戦した今、予言師は城から姿を眩ました。
何処を探しても手掛かりは一つもない。
南の庭園で目撃されたのを最後に消えてしまったのだ。
使者が到着するまでの時間は地獄であった。
予言師曰く、皇帝マクシミリアンは冷徹無情、無慈悲な権力者。
数年前、父親の名代として数日だが王国に滞在している。
皇帝が十七歳の際の時に開かれた国際会議で会ったときはまだ皇子の身分であったが、真面目で実直な男であった。
挨拶程度の話しかしなかったが、筋肉質な体とその身長の高さと威圧感には驚いて身が震えた。
長い前髪で隠された瞳には鋭さが感じられた。
そのいでたちだけで背筋が凍えたのを覚えている。
現在の皇帝は見目の麗しい女を拐っては後宮に侍らせ百人余りを囲っている。
自身のハーレムを築き、昼夜関係なく遊び呆けているような卑劣な男であると……。
刃向かう者には制裁を与え、女、子供、老人であっても容赦なく切り殺す。処刑後は城壁に晒され、野生動物の餌とする。その残酷さは想像を絶すると……。
それに前皇帝の死はマクシミリアン皇帝の謀反であったと。
前皇帝は凶悪で冷淡な長子ではなく、幼いが穏やかな次子を時期皇帝として立たせようとして動いていた。
しかし、母親の皇后を毒殺し、幼い弟は皇子の身分を剥奪し幽閉。父親は寝首を掻かかれ殺されたと言っていた。
ルシアン殿の話では前皇帝も母親の皇太后も実の弟の皇子も健在であった。
数年前まで内政が乱れていたのは確かだが、それは前々皇帝、マクシミリアン皇帝の祖父が原因だった。
予言師の話は前々皇帝の行いであり、国の為に血の繋がりがある祖父を処罰したのだとか。
マクシミリアン皇帝は寧ろ平和を願う真面目な男だと熱弁を振るう。
両親と弟の皇子は他国の芸術を学ぶ為に各国を回っている。
皇子はまだ九歳と幼いが、芸術の才能に恵まれた奇才であり、兄としてそれはそれは可愛がっている。
苦労した両親に穏やかな生活を送って欲しい、ただの父母という立場で子育てを楽しんで欲しいというマクシミリアン皇帝、息子の切なる願いにより三人で世界中を旅している。
週に一度手紙をやり取りするほど家族仲は良好である。
可愛い弟の夢を全力で応援しているし両親の幸せを一番に考えている優しい男なのだとルシアン殿が語ってくれた。
全ての手続きを終えたルシアン殿は、その日のうちに帰国の途に着いた。
はじめからよく考えればおかしいと気付けたのに、王失格である。
王太子の婚姻を早めて、此度の責任を取る形で国王を辞すると決めた。
新国王の息子を全力で支えていくと決意を新たにした。
両国の取り決めで最低三年はゴールデンロック大帝国との国交は経たれた。
賠償金の支払いはこの三年間で行う。一度で払える金額なのだが、国民の生活が一番であるからそちらの賠償をするべきだと進言をいただいた。それが国民を巻き込んだ国の責任であり務めであると。
三年後良い関係が築けることを願っているとの皇帝からの伝言である。
まずは、謝罪することから始めよう。
隣国にも。国民にも。リリアーナにも……。
侍従に、国境付近の兵の引き取り作業の指示を出していた王太子と部屋から出てこないリリアーナを国王執務室に参内するように指示を出した。
リリアーナを呼びに行った乳母のと侍女長の悲鳴が聞こえ、何事かと急ぎ駆けつけた。
リリアーナの姿がみえない。部屋にいない。
いつからいないのか。どこへ行ってたのか。
いつものように出歩いているだけなのか。
もしかして攫われたのではなかろうか。
城内にも城下にも目撃情報はなく、リリアーナの所在は一向にわからない。
夕方になり、夜闇が深くなり、再び朝がきてもリリアーナが戻ることはなかった。
今もなお捜索が続いている。
止むことのない雨音が激しさを増していた。
悪天候は愛すべき我らが姫様の身に何か善くないことが起きているという暗示。命の危険を知らせている。
リオジェラテリア国内は不安に駈られていた。
愛する王女は国から忽然と姿を消してしまったと国中に知れ渡る。
皆が姫の行方を案じ無事であることを願い神に祈りを捧げていた。
しかし………
まさかリオジェラテリアの聖花姫ことリリアーナ王女がゴールデンロック大帝国の皇帝に拾われて手厚い看護を受けているとはまだ誰も知らない。