8 〈Day6~7〉 責任
大仕事を終えてその翌日の朝。
「おはようございます、シュガー佐藤さん」
いつもように大学までの道のりをのらりくらりと成生が歩いていると、背後から活発さがひしひしと伝わってくる女の子の声が聞こえてきた。市川 綾音である。
「……なんだそのふっつーにお笑い芸人の芸名でありそうな名前」
対象的に成生はげんなりとした表情をこれ見よがしに市川に向ける。
今日の成生は機嫌が良く なんならスキップするのも吝かではないほどに機嫌が良かったのだが、市川の「さとう」弄りに水を差された体だった。
「いえいえ、シュガーさんはその人生そのものがお笑いみたいなものじゃないですか。いつも滑稽な醜態を晒して周りの人に『嗤い』を届けているんですよね? 殊勝な心掛けだと思い 」
「――ませんよ~。違いますよ~。っつーか完全にバカにされてんじゃねぇかッッ!!」
「当たり前じゃないですか。シュガーさんがスマートに人を笑わせるなんて、ハッ、寝言は寝てから言うものですよ?」
「オマエはオレをなんだと思ってるんだ? あと、シュガー言うな。オレは佐藤だ」
「前も言いませんでしたっけ? あぁ、でもあの時は少し長ったらしかったですね。簡潔に要約すると、道に落ちて汚くなったゴミシュガーです」
「……本当に簡潔に言い切ったな。敬意の無さにびっくりだ」
市川は成生のコメントに構うことなく歩みを進め始めた。足に合わせてポニーテールが今日も元気そうにポンポンと揺れる。
「それにしても、成生さん、今日はいつになく元気そうで、かつ機嫌が良さそうですね。五日ほど前とは大違いです。何か良いコトでもあったんですか?」
「うん? そうそう。昨日バイトで臨時収入が入ってな。結構な額だから何に使ってやろうかなぁ、と考えていたところだったんだ」
もちろん、バイトとは昨日の大型シャドウの討伐のことだ。任務後、『組織』の設備で『エネルギー』の売電処理をしたので、彼の懐はかなり温まった状態だった。
げんなりとした表情から『イイところ突っ込んでくれたね』と言わんばかりに上機嫌になる。
「へぇ。じゃ、しょうがないから訊いてあげます。いくら入ったんですか?」
「聞きたいか?」
瞬間、市川の顔が急激に冷めたものになる。
「あ、良いです。ノーサンキューで」
「ヒドッ」
「え~、だって面倒臭いじゃないですか。言いましたよね『しょうがないから』って。よーするにその程度の熱意しか無いってことです」
「辛辣ッッ!」
ここまで馬鹿にされたがしかし、成生はめげた様子を見せない。むしろ、不敵な笑みさえ見せる。
「フフン。そんなこと言っちゃって良いのかなぁ。市川クン」
「?」
『何言ってんだコイツ』――とは言わなかったもののそう言いたげな表情で市川が首を傾げる。
「たとえば—―コレ。コレが何だか分かるかな」
成生が財布から抜き取った紙切れをヒラヒラと振る。
「壱万円札ですか。それが何か?」
「そう。壱万円札。ああ、なんと甘美な響きだろう。壱・万・円!」
「大丈夫ですか? サトーさん。夏はまだ先なのにもうアタマが溶けてしまいましたか?」
「フッフッフッフ。市川クン。今日のオレ気分が良い。コレをキミに一枚進呈してやってもいいぞ?」
「ホッ、本当ですか?」
途端に少女の目の色が変わって、一層大きく開かれ、『ソレ、ちょーだい』と言うように両の掌をそろえて差し出してくる。
「ホレ」
市川の掌にハラリと落ちてくる壱万円札。
それを広げ、空にかざして小躍りでもしそうな様子を見せる。
「やった。やった。壱万円。……うん?」
突然、市川は動きを止めて怪訝そうにその小首を傾げた。
「……アレ? 透かしが……」
「おっとぉ。すまない。それ、『子ども銀行』発行のヤツだったわ~」
「このぉぉぉぉぉぉぉッ!」
市川が成生に走り寄ってきて勢いよく金的狙いの蹴りを放つ。
「うわッ、危なッ」
間一髪でそれを回避する成生。なおも攻撃を加えてこようとする市川の肩を掴んで宥めようとする。
「どうどうどう。待て、落ち着け。周りの人が見てる」
「落ち着け? 無理ですね。コレが落ち着いてられますか。ホント、サトーさんは最低なクズ野郎ですね。こんな年下のいたいけな女の子をいじめて楽しいですか?」
「いや待て。普段、人のコトをサトーだのシュガーだの言って弄んでんのオマエだろーが。自分のコト棚に上げてんじゃねぇ」
「うるさいですね。それはそれ。これはこれです。大体何ですか、子供銀行って。バカにするのにも程がありますッッ」
恐ろしい剣幕を見せる市川。成生は思い付きで次なる行動に出る。
「あ、ほら。ホラホラ。市川ちゃ~ん。壱万円だよ。壱万円。本物。マジ。だから機嫌直して。お願いだから」
市川の肩からサッと手を引き、素早く財布から壱万円を引き抜いて市川に見せる。
「こんな時にそんな風にお金をちらつかせるなんてまさにゲス野郎の鑑ですね。そんな人はこうです。フン!!」
「アアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
今度こそ蹴り足が成生の股間にクリーンヒット。
「あ……、あが……う……」
何やら声にならない呻きを上げて成生がその場にうずくまる。その拍子にその手から力が抜け、壱万円がハラリ。
すかさず市川は目にも止まらぬ早業でそれを確保。うずくまった成生を見下ろして勝ち誇った表情を浮かべる。
「オホホホホホホホホホホホホ。やはり、最後に勝利するのは正義なのですね。カワイイは正義なんですね。私はまた一つ学びました。そして壱万円ゲットォ!! 今日はツイてますねぇ」
「イヤイヤイヤ、待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 何だ今の鬼畜の所業は!? っていうかイッタぁ……」
成生が痛みにこらえて精一杯苦言を呈す。
「鬼畜? 鬼畜はアナタの方でしょう、サトーさん。サトーさんは悪いことをしたので、その償いをしているに過ぎません」
二人のやり取りを通行人が、物珍しそうな目で見ながら通り過ぎていく。と言うより、先ほどから周辺の人間の視線は二人に釘づけである。無理もない。片やいい歳こいて地べたに膝をつき、うなだれて情けない姿を見せている大学生。片や、その大学生を見下ろして、口角を吊り上げ、悪人面で仁王立ちをする小学生女児。おまけに、彼女の手には壱万円があり、その口からは可憐な容姿からは想像もつかない罵詈雑言の数々。
どうみても、小学生女児が男子大学生をカツアゲしてるようにしか見えないその光景は他人の注目を集めるのに十分なシュールさを帯びている。
流石にそのことに気づいたのか、市川が少々バツの悪そうな顔になる。
「っていうか、うずくまるの、やめてもらえます? なんか私がアナタをカツアゲしてるみたいで誤解を呼びそうですから」
「……誤解も何も……」
成生がフラフラと立ち上がった。
「少し、悪ふざけが過ぎましたね。ハイ、コレお返しします」
「お? 反省してるのか?」
「成生さんは反省してないみたいですね。また蹴られたいんですか?」
市川は言いながら学校への歩みを再開させる。
「まただけに……なんつって」
「センスの欠片も感じられないオヤジギャグですね。こうツッコんでもらえるだけ感謝してください」
「……」
成生も痛みがようやく収まってきたところで歩みを再開させる。
「それで、サトーさん。サトーさんは最初何が言いたかったんですっけ?」
「あ、そうそう。バイトで臨時収入が入ったから、オマエになんか奢ってやろうと思ってさ」
「え……」
市川は、歩きながら少し身をのけぞらせて見せた。
「何ですか。サトーさん。本当に気でも触れましたか? 私の知ってるアナタはそんな殊勝なことする人ではないはずですが?」
「いや、初めて会った時もお礼にアイス奢ってやったよな?」
「アレは、猫被ってたんじゃないんですか?」
「ちげーよ」
「むぅ……」
市川が成生の顔を覗き込む。
「あ、もしかして、アレですか? くたびれたオジサンがそこら辺の女の子捕まえて、カネ握らせてヤらしいコトさせるという…… 」
「ちょ、まっ、やめてくれる? ホントに誤解生むから。誰かに聞かれでもしてみろ。第三者の視点からすれば十割オレが悪い、って判断されるから 」
「ナルキ先輩?」
「!」
背後から予想だにしなかった声。女の子のものだ。
成生の身体がまるで時間が止まったかのように動きを止める。
「あのー、ナルキ先輩ですよね?」
瞬間、成生の頭の中で選択肢が浮かぶ。
一、知らんふりをして通り抜ける。
二、潔く振り返る。
「ナルキ?」
さらにもう一人、別の女の子の声。
成生は、自分がどうやら逃げられる状況にないことを悟り、ゆっくりと恐る恐る振り返った。
いた。三人。
白瀬、倉木、上屋。
それぞれ、表情が異なる。白瀬は興味津々。倉木は引きつり顔。上屋は何故かニッコリしている。
聞かれてたか? いや、たまたまあっちがこっちを見かけたから声を掛けただけ、っていう可能性も……
上屋がニッコリとしたまま
「おはよう。ナルキ。それで、何? さっきの会話」
引導が渡される。
――あ、死んだ。
成生はそう直感した。
人々のにぎやかな喧騒。食器同士がぶつかり合って奏でられる涼やかな音。
現在、午後五時。私たち五人はD駅近くのいかにも高級感あふれるオシャレな喫茶店で軽食を摂っていた。あ、でも、正確には一人、目の前にケーキの乗った皿は置いてはいるものの、全く手を付けていない人もいるけど。
シンクが自分のチョコレートケーキを差し出してくる。
「お、七瀬、これ美味しいよ。食べてみてよ」
言われるままにフォークでつついて少しもらう。
「ホント? じゃ、ちょっとだけ……。んーー、ホントだ。このチョコケーキ、上品な苦みの中に甘さが広がる……。あ、シンクも私のヤツも食べていいよ」
お返しにシンクの方に私のケーキを押す。
「じゃ、一口だけ。……うん。流石。高いケーキは違うね」
一方、白瀬と、今朝知り合って、先ほど仲良くなった市川綾音ちゃんも仲良さげにしている。
「綾音ちゃん、良かったね。こんなおいしいケーキ」
「そうですね。白瀬さん。私、前々からこの店入ってみたかったんですけど、看板にも書いてあった通り、すごくすごく高いのが分かってたんで、指を咥えて見てるだけだったんです。いやぁ、ホント、今日はツイてます」
私は綾音ちゃんの派手な色のケーキが気になったので思ったままに訊いてみた。
「綾音ちゃん、それ、なんていうケーキ?」
「七瀬さん、よく聞いてくれましたね。おいしそうでしょ? えーと……くらんべりー……ちぃず……タルト? だそうです。食べてみますか? おいしいですよ!」
なんて、良い子なんだろう。小学生はやっぱりかわいいな。横で猫被ってる白瀬とは違うわ。
「じゃ、一口頂こうかな? 代わりに私の一口食べていいよ!」
「どーぞ、どーぞ」
綾音ちゃんの『クランベリー・チーズタルト』もらって口に入れてみる。するとびっくり。本当に濃密なクランベリーの芳香、甘酸っぱさが弾けて、すぐにスッキリとしたチーズのまろやかな味わいが追い付いてくる。
「おいしい!!」
「ですよね、ですよね!」
ここで、綾音ちゃんは先ほどから会話に参加せず固まっているナルキに目を向けた。
「それにしても、サトーさん。さっきから、石のように固まって食べるどころか、身じろぎ一つしませんね。どうしたんですか? 目の前にあるケーキ、食べないんですか? 食べないならこの不肖、市川が食べ—―」
「――させませんッ!!」
綾音ちゃんがナルキの目の前に置かれていたケーキに手を伸ばそうとしたが、途中で手首をつかまれ、阻止される。
それを機に、ここまで一人、沈黙を貫いていたナルキがついに溜め込んだ苛立ちを爆発させた。
「なぁぜぇだ!! 確かに、オレは市川には奢ると言ったが、なぜオマエ等までいるんだ? なんでオレはこんなくそ高いケーキを五個も買ってるんだ!? しかもクソ高いドリンク付き! 全部でないにせよ、かなりの額が消えたぞ! 俺のバイト代!」
「そりゃあ、ナルキが今、奢ってくれるっていうから、じゃあ、奢られようかと……」
私はトボけることにした。これから、彼にお世話になることだし、少しでも仲良くなっておこう。
「だから、市川限定な。それ」
「ナルキ、ロリコンだったのか……?」
シンクも楽し気に調子を合わせてくる。
「シンク、変な悪乗りするな。今朝話して、誤解は解けたろうが。アレは市川の悪ふざけだって。大体、オマエ等の分まで奢ったら大変な額になるだろ。いや、もうオレが払ちゃったけど」
「まぁまぁ。サトーさん。これは口止め料と思えばいいんです。あのまま、何もせずにあること無いコト噂されて広められるよりはマシです」
「そんな……鬼かよ……クソ、オレが悪いってのか」
ナルキも今日はツイてなかったなと思う。困らせてる張本人のひとりである私が言うのもなんだけど。
今朝、私たち三人が、ナルキと綾音ちゃんに会ってから、朝のうちは、小学生の綾音ちゃんなんかは忙しいから事情聴取で解散して、それぞれの授業が終わってから再集合したのだ。それからなんだかんだでこのケーキ屋に入ることになり、なんだかんだでご馳走になっている。
いや、私は遠慮した。確かにした。でもシンクが、『懐が温かいと自己申告しているのだし、ご相伴に預かろう』、と言ったのだ。私は悪くない。私は悪くない。
そのシンクが憤慨する成生に宥めるための言葉をかける。
「まぁまぁ、ナルキ。今度お礼はするから」
そう言って意味深なウインク。
フム。その道に詳しい人間が見たらコーフンしそうな光景ではある。
「例えば、シフトの肩代わりとか」
「ハイハイ。あーもう。分かった分かったちょっと高い口止め料と思っておくよ」
そう言って、ナルキはパクパクと自分のケーキを口に放り込み始めた。
「シュガーさん、そんな風に食べるともったいないですよ。もっと味わって食べなきゃ」
同時刻、Kビルディングでは、呼び出しを受けた伊勢島が鑑の事務室のソファに腰かけていた。デスクにはいつものように無表情で山積みの書類と向き合っている。
「どーしたんすか、薫子さん。一応大仕事を終えた昨日の今日で呼び出しとか、ホント、ブラックですねぇ」
フン、と鑑が鼻を鳴らした。
「ぬかせ。あの程度、キミ一人でも余裕だろう?」
「まぁ、そうですけど、本気は滅多に出さないから本気なんですよ。それに分かってますよ。アレはナルキの教育のためだったんですよね」
「人員を無駄に付けて余計に仕事の負担を減らしてやったことを感謝して欲しいものだな。次からはいつも通り」
「ハイハイ。次回以降はまたいつも通りお一人様で任務なんですよね。はぁ。寂しいなぁ」
「黒木 将弦の弟子がよく言う。あの男の弟子を自負するなら造作も無いだろう。お一人様でも」
「いやぁ……それほどでも」
ここで伊勢島は肩を竦めて見せた。
「それで? オレをべた褒めするためにここに呼び出したわけじゃないですよね。本題に入りましょう」
「勘違いするな。もっと働けと言ってるんだ」
そう言って鑑は一度言葉を切り、デスクから一束の紙を出した。その厚さは三センチほどに見える。
「うわ、なんか嫌な予感……大体予想はつくんですけど、一応訊きます。その分厚いの、なんの書類ですか?」
「もちろん、オマエの仕事のための書類だ。嫌な予感とはつくづく的中する物だな」
「はぁ。やっぱり」
伊勢島はいかにも気が進まないというようにノロノロとソファから立ち上がって、鑑から書類の束を受け取った。
「あーぁ。まだ昨日の件の報告書も出来上がってないのに。仕事終わってない内からまた次の仕事とか。どんなブラック企業ですか、ウチ」
言いつつ、その目を書類に走らせていく。
「社会とはそういうモノだ」
一言で伊勢島の言葉を切って捨て、鑑は説明を始めた。
「最近、大小問わずシャドウの目撃証言が増えていることは知っているな? 今回のその書類はそのコトに関係があると思われる事柄をまとめたものだ」
その中には赤い点が付けられた同じ地域の地図が、何枚もあった。よく見ると日付が一週間おきになっており、さらに時間が後になるほど赤い点の数も多くなっている。ページの最後の辺りの欄などにはその期間の総目撃件数が記されていた。最初の一週間は一三件でそこから段々と増えていき最後は八七件にも上っている。最後にとられた記録の地図を見て伊勢島の目が完全に真剣モードになった。
「この地図の赤い点は目撃された場所ですか? だとしたら最後の方なんかは少しあり得ない状態ですね」
「そうだな。さらに最近、路地裏に怪しい奴等も出入りしているらしい……関係あるか知らんが」
「はぁ。それまた、きな臭いことで……ん?」
パラパラと紙束をめくっていた手が唐突に止まる。
「Dグランドホテル事件……今回の件に関係あるんですか? あの事件が」
伊勢島の顔があからさまにしかめっ面になる。
「そうイヤそうな顔をするな。さっきのシャドウの目撃情報の資料を見てみろ。始めの方の日付があの事件の直前に重なる。すなわちその時期を境にシャドウが増加を始めたことになる。その事件も無関係とは言えまい。そういえば、あの事件の只中にいた佐藤もアレは何か、装置の実験だったと言っていたな。なんでも作動した瞬間にシャドウが大量発生したとか。といっても小物ばかりだったようだが。たしかそれについての資料もそれに添付していたはずだ。目を通しておけ」
「分かりました。……はぁ。正直あの事件絡みのコトは関わりたくないんですよねぇ。ヤなコト思い出しちゃうし」
「アレはやむを得ないことだった。言わば事故だ。佐藤だって好きでオマエの 」
「 ああ、すんません。分かってます分かってます。何度も聞きました。もういいです」
鑑の言葉を遮った伊勢島の声は心底苛立たし気な色合いを帯びていた。鑑も素直に口を一度閉じた。その場に一瞬気まずい空気が流れる。
「あ、すいません……つい、俺……」
「イヤ、いい。こちらこそ、傷に塩を塗るようなマネをしてしまった」
鑑が両手をデスクの上で組んだ。
「さて、この話は今は置いといてだ。今回の件で君には調査を行ってもらいたい。シャドウの発生量増加の原因を突き止めて欲しい。期間はあまり問わないがなるべく二、三週間以内には一定の成果を出してもらえると有り難い。調査の時間帯はやはり、シャドウの主な活動時間帯である夜が良いだろう。佐藤や上屋を動員しても構わんぞ。ただし、情報の扱いには気を付けろ。その資料には君にさえアクセス権のない権限階級六以降の情報が少ないではあるが含まれている。君のことだから心配は無かろうが、一応な」
「心得ています」
「特に佐藤の前では気を付けろ。あの事件に関わっている以上、ある程度のことは知っているだろうからな。口を滑らせるようなことにはならないように」
「そういえば、彼にはどこまで言いましょうか? さすがに権限階級1の情報だけだと連携が取りにくいのですが」
「そうだな……。基本的に四の情報まで言っていい。さっきも言った通り、ある程度知っているだろうし。そこは、大盤振る舞いしてもいいだろう」
「了解しました。もらえる情報はこれで全部ですか?」
「今はな。他に質問はあるか?」
「いえ」
「なら以上だ。早速取り掛かってくれ」
伊勢島が出口に向かって歩き出す。
「あぁ」
鑑が思い出したように呟く。
「昨日の大型の件。ご苦労だった。報告書は明日までにな」
「う……」
伊勢島の顔が苦虫を噛み潰したようになった。
伊勢島が鑑から指令を受けた次の日。
昼時、伊勢島は早速、成生を大学の食堂に呼び出して件の調査の話をしていた。
「……というわけだ。ナルキ。調査の協力、頼めないか? 倉木を家に送った後で良いから」
「また仕事とか。つい一昨日に大仕事を終えたばかりなのに」
そう言って机に突っ伏した成生の背中からは『気が乗らないです』というようなオーラが溢れ返っている。
「大体、上屋からの依頼でお金は一応十分なんだよな。正直、一人暮らし資金と、少しばかり趣味に使う金が出来ればいいんだよねぇ~」
机に乗せた二の腕に顎を乗せ、覇気が皆無の目を伊勢島に向ける。しかし、対する伊勢島は少々、成生とは温度差のある態度を見せていた。
「……ナルキ……この件、実はあの『Dグランドホテル事件』と関係があるっぽいんだ……」
「……」
成生は姿勢はそのままの状態で、むっつりと上目遣いに対面に座る青年の顔を見た。
発言の内容はまだそこまでキツいことは言ってない。表情もまだ穏やかだ。でもその目は半ば成生を責めるような目つきをしていた。睨む、とまでは言わずとも、その瞳の奥からは怒りともいえる感情が見て取れる。成生はいずまいを正した。
「なんで関係がある可能性が高い、って言えるのか、出来れば根拠を見せてくれないか?」
なるべく柔らかい口調で。そう意識しながら言葉を発する。そんな成生の様子に伊勢島は一瞬バツの悪そうな様子を見せ、目に籠っていた力も少し弱まった。
「分かった。……これを見てくれ」
自らのリュックサックから、昨日、鑑から渡された書類の一部、すなわち一週間ごとのシャドウの目撃情報が記録された数枚の地図を出してテーブルに置いた。
「これは?」
「この周辺の地域のシャドウの目撃情報が記されたものだ。記録は1週間ごとになされてる」
「なるほど……」
言いつつパラパラとめくっていく。
「根拠は二つあるんだ。まず一つ目に挙げるのが、そのシャドウの増加が始まったと思われる期間の記録のページを見てみてくれ」
「ん……これかな」
成生は前から3ページ目を出して伊勢島に見せる。その前までの二つのページは13件、12件とほとんど変わらないが3ページ目からは22件と明らかにそれまでからかけ離れた数字を出していた。
「そうそれ。その日付を見てくれよ」
「……」
成生は押し黙ってしまった。
「あともう一つの根拠は……オマエも予想ついてるだろ」
伊勢島から視線を外しつつ
「……増加っていう現象が起きてること、なんだよな? 多分」
「うん。そ。それ」
ここで伊勢島は傍らに置いていたコップの中の水を一口飲んだ。成生は憂鬱そうに左手で頬杖をついた。
「オマエのあの時の証言では、ホテル内のホールで何か装置が作動してシャドウが大量発生したんだろ? もちろんエリアの大きさに違いはあるけど、これだけの要素があるんだからおそらく無関係ではないだろ」
「そーだな」
伊勢島はまっすぐに成生に目を向けていたが、相手はいまだに顔ごと視線を明後日に方向に向け合わせてこない。
「……」
「……」
気まずい沈黙を破ったのは伊勢島だった。
「……ナルキ、こんな言い方したくねぇけど、言わせてもらう。この調査は、あの事件で黒木 将弦を……あ、いや、黒木 将弦に見送られて生き残った人間として、参加すべきだと思う。というより、オマエにはその責任があると思う。薫子さんは、参加は任意で良いって言ってたけど、正直、オマエが参加しないっていうのは、やっぱりオレが許せねぇ」
また、その目に成生を責めるように強い光が宿る。いや、さっきよりも刺々しくささくれ立った光だった。
ようやく成生の口からボソッと言葉が漏れてくる
「……わかった。オレもその調査、協力する。……その、いつからやる?」
「多分、明日か、明後日から。さっきも言ったように倉木を送ってからでも構わない、というより、それをオマエが熟した後にオレも合流してやることになると思う」
「おっけ。じゃあ、詳しいこと決まったらメールか何か送ってくれ……」
「了解した。それじゃ、俺、報告書とか、やることあるから」
そう言って伊勢島は立ち上がり食堂から出ていった。
成生は最後まで目を合わせられなかった。
「それでですね、その先生、今日なんか噛みまくって大ウケだったんですよ。普段メチャお堅くてマジメな先生だっただけにそのギャップで尚更って感じでした~」
「あ~、いるいる。そういう先生。テストの時とかに限ってそういうことしちゃってグダグダになったりとか」
「へ~、先輩もそーゆー経験あるんですね。やっぱ、一つの学部に一人くらいはそういうお茶目な先生っているものなんですね。上屋先輩の学部にもそういう先生いるんですか?」
「ん? いるよ。やっぱりそういう人――」
夜、成生は上屋からの依頼通り倉木を家まで送り届けるため、倉木、白瀬、上屋の帰り道に同行していた。本来なら上屋はいないはずだが、成生がなれるまで、という条件で付き合ってもらっている。だから、成生は倉木や、倉木とこれからも帰り道を共にするであろう白瀬に話しかけに行かなければならないのであろうが、成生本人は昼間の伊勢島とのやり取りを頭から引き離すことが出来ず、とても話しかけに行ける気分ではなかった。
――ハァ。やっぱ、ユウヤのヤツ、あの事件のことに関しちゃ、ずっと気分は晴れてないんだろうな。アレから一ヶ月経って態度は軟化したかな、なんて思ったけど、やっぱ表面だけか……。
そんなことを考えつつぼんやりと前を歩いている三人を眺める。
――どうすりゃいいんだろ……。
しばらく見てると、上屋が成生の方に首を向け、何事か口をパクパクさせている。
「――ルキ……ナルキ、おーい、ナルキ」
「……あっ、ハイハイハイ。どうした、どうした?」
数メートルほど開いていた間を早歩きですぐに埋める。いつの間にか上屋だけでなく倉木や白瀬も成生の方を向いていた。
「いや、昨日のお礼を言おうと思って」
「ハイハイ。どういたしまして。っつーか、絶っっ対、次は無いからな。もうねだってくるなよ。言っとくがアッチ滅茶苦茶高かったんだぞ。なんであれだけで六千三百四十二円もかかってんだ」
「わ、1の位まで覚えてるなんて……」
白瀬が少し引き気味にコメントを出す。
「そりゃ、覚えてるだろ。おかげで自由に使える金が一瞬でほとんど吹っ飛んだわ」
これに倉木は苦笑しつつ、
「ハイハイ。ありがとありがと。それにしてもナルキにあんなカワイイ知り合いがいたなんて、驚いたよ。えーと、市川 綾音ちゃんだったっけ。よく会うの?」
「っていうか、センパイ、ロリコンですか?」
「いや、たまにしか会わないぞ。そして、白瀬さん。オレはロリコンじゃないぞ。大学行くときにあっちも登校中でたまたま、みたいな。道がちょっと重なるんだ。近くの小学校だからな」
「あ、それってD第一小学校ですか?」
「おう。そこそこ。あ、もしかして白瀬さん、そっち出身?」
「いえ。そっち出身は倉木センパイと、上屋センパイですよ。私は少し離れたトコの第二小でした」
「あ、そーなんだ。あれ、三人はいつ知り合ったの?」
これには上屋が答えた。
「僕とナナセは、前も言った通り幼稚園から。白瀬さんは中学の時に剣道部でナナセの後輩になったのが始まりかな」
「ふーん。じゃ、結構皆みんな長いんだね」
「そうなるね」
「あ、そうだ」
成生の中で急に一つ気になることが浮かんできた。
「あのさ、シンク、ちょっと……」
「ん? どした? バイトの話?」
「そうそう」
流石の察しの良さを見せた上屋は
「ナナセ、白瀬さん。少し前のほうに行っててくれないかな」
白瀬が少々意地の悪い笑みを浮かべつつ
「どーしたんですか? 上屋センパイ。倉木センパイの後ろ姿をじ~っくり観察するつもりですか? そういう趣味ですか?」
「フム。確かにそれも悪くないね」
「まさかのガチ対応……」
「も~、白瀬、やめてよ」
と言いつつ満更でもない様子の倉木。
「でも、ちょっとナルキとバイトの話があるんだ。守秘義務みたいなのがあって聞かれたらマズイから」
「分かった。ほら白瀬。少しだけ先行くよ」
流石に彼氏彼女の関係で倉木は物分かりが良かった。二人が少し距離を取ると上屋は再び成生に顔を向けた。
「それで? どうかした?」
「ああ。シンクは次の仕事の話、聞いたか?」
「もしかして、ここ最近のシャドウの増加についての調査のこと?」
「なんだ、話は受けていたんだな」
「いや、深夜に来ていたメールを今朝読んだんだ。伊勢島くんと鑑さんの両方から来てたよ。僕もこの件は少し気になってはいたんだよね」
「そっか。で参加するの?」
「する、というより、それしか選択肢が無い感じかな。ナナセのことで僕は基本的の向こうの命令は拒否できないからね」
「そうなのか」
「ナルキは?」
「ん、まぁオレもいろいろあって拒否権無い感じでな。いや、まぁ参加する責任がある、みたいな」
「あまり気が進まない感じだね」
「まぁな」
「今回の件はナルキが有益な情報を持ってるってホント?」
「アイツ、そんなことまでメールに書いてたのか……。
まぁ、そうだな。伊勢島や鑑さんの予想通りならオレが持ってる情報はきっと役に立つと思う」
「ふーん。じゃ、期待しとくよ」
「買い被られても困るけどな」
結局その日は何事もなく終わり、それぞれの家路に無事辿り着いた。
ナルキが調査は二日後から開始する、というメールを受け取ったのはその日の深夜になってからだった。
ようやく出来ました。毎度のことながら遅れてすみません。筆の速さがもっと早くなるよう精進します(フラグ)。
よろしくお願いします。